上海万博会場でステージを

私達のバンドの力からすると、かなり無謀であり、荒唐無稽の計画に向かってチャレンジする記録

上海駅の構内にある看板

2月28日の朝、曇り空の下東京に向けて出発しました。
羽田空港から山の手線一円は500円というキャンペーンのキップを買い、モデラーさんの会社を訪問しました。
今回の友達訪問は年度末を控えしかも月末なので会社勤務の方々には上京する事をお伝えしていません。
しかし、今日訪問します方は同郷の方で、「是非に!」とお誘いを頂きました。

お昼前に訪問しまして話が尽きず気が付けば6時!「ここらで失礼します、成田のホテルに7時までには」なんて言って結局、退座したのが7時でした。
手厚いお見送りを頂いて、池袋に向かい日暮里と行き、そこから成田行き急行に乗るべく電車に乗ろうとしたらドアが閉まったまま、「あれ全席指定車?」と
思い次の電車に乗ったら、どうも千葉方面行きのようで途中下車して乗り換えてやっと成田空港に到着しました。

もう9時近かったのですが、ホテルからのバスが来ててスムーズにホテルに到着、チェックインしてシャワーを浴びてさて夕食をと思って案内を見ても
とっくに閉店の時間でした。

ところがホテル近辺は何にも無いことが分かってガッカリ!あとは自販機しかなく悲惨な夕食でした。
これだったら都内で呑んで思いっきり遅く成田入りすりゃ良かったと反省した夜でした。
それにしても、食べたいもの全てが「売切」表示の自販機には今も恨みが…(^^)

'09.03.01(日)
成田に宿泊したのは正解でした。
集合は8時で、もし親戚の志木市からだと5時半頃乗込みますがこの雨だと大変だったと思います。
さて、ホテルのバスで7時には空港に送ってもらいました。
7時半頃には出発カウンターでチケットを受け取り出国審査を済ませ搭乗時間を待ちます。来る前は漠然と旗持っている人がいるのかな?と思っていましたが上海空港までは
誰もうないことに気が付きました


前回のマメリカ旅行が役立っているのか落ち着いて手順を踏んできました。
さて、窓際席に座り離陸後は地上の景色を時々見ながら、やがて上海空港に着陸しました。

入国審査の列にくっ付いて並びましたが、かなり時間を取られて手荷物受け取りに行き、バッグをゴロゴロさせて出口に向かう頃は乗客の列は無く薄暗い照明の下を出口らしい方向を
目指してやっと出ました。
A3サイズのプラカードを持った出迎えの方が10名程並んでいます。
ズーッ目で追い歩いていたら、どうも一番最初のがそうらしいので、引き返すと目指す団体名が書いてあり、「あそこで待っててください」と言われ集まりました。
一緒に成田から乗ってきたハズですが、みんな無言で誰一人心当たりがありません。
やがて通訳さんと現地担当者の方が見えて、簡単な挨拶とメンバーチェック。そこで空港を出てバスで高速道路に乗り杭州市に向かいました。
バス停に並んだ時は一番最後と思って並んだのが、車は右側通行のため列の一番前に並んでいたことになりました。

上海空港から大型観光バスに乗り高速道を杭州市に向かいます約200kmの距離です。
小雨降る中車窓から外に見える民家がみんな新しく同じような形をしているのに驚きました。
高速道路を作るとなると、住民は立ち退かねばなりません。それは土地の私有が認められていなくて国の所有だからです。
ただ、政府の斡旋の土地に移住すると新しい家に住めます。
そのデザインが開放政策で一気に花開いたように派手目の建物として映ります。デザインにも年代によって流行があるようですが、写真の建物は農家です。
これと同じ建て物50戸近くの団地みたいなものを見ました。

この一戸建て(3階)はアパートではなく農家一家族が住んでいるそうです。
この中に3世代が住んで収納庫やカイコ飼育施設も入っています。
窓ガラスが全面青色の所や緑色の家も沢山見ました。
日差しが強い地域なのか?ガラス製造過程で金属が混じった色なのか?
写真は窓ガラスが曇ってうまく撮れていませんが、バスは前面を除いて全周曇って何も見えません。タオルで拭いても綺麗に見えません。
帰国して都内高速バスは同じ状況でも曇りませんでした。
エアコンとヒーターを同時に使うというをしないのか、ガラス自体に曇り止め策付いているのか?外が見えず不便でした。
小雨の中、杭州市へ向かうバスの中で通訳の若い女性、スタッフの方が紹介された。
彼女は30分程案内をしていましたが、多分我々の中で居眠りする人が多かったので喋る事が無くなったのか、ガイドを止めてシートに座りました。
初対面なのに、何か純粋な気持ちの人に思えました。
ホテルに着いてロビーで出欠を取って部屋の割り当てがあり各部屋に一旦入りバッグを収納して30分後にはまたフロントに集合して食事に出発です。
そこは勿論中華料理店で夫々が3つのグループに別れ円卓を囲みました。乾杯などして食事が始まりやがて名詞交換が円卓内で始まりました。

会食後「青少年活動センター」を見学しました。
写真右のような古風豊かな建物が数多く立ち並んでいました。

ここに来ている子供達は夜の9時頃までは勉強しています。 日本の学習塾を大きくしたような施設です。
子供は一人っ子政策で大事に育てられて、親が授業が終わるまで寒い廊下で待っています。
まだ自家用車は一握りの特権階級の人だけのようです。
子供達は京劇、少林寺、タップダンス、習字、絵画等、科目は多種多様です。中には漫画を描く講座もありましたが、ピカチュー、ドラエモン他そっくりではないのですが
イメージの似た絵が多かったです。
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