2016.05.22

ご挨拶 熊本地震

 5月も下旬に差し掛かり、ここ数日は射すような日差しのもと、30度を超える真夏日が続いています。すっかりご無沙汰してしまいましたが、みなさん、お変わりなくお過ごしでしょうか。熊本地震が起きて、早一ヶ月以上が過ぎた今、こちらでは肌に感じる余震はほとんどなくなりましたが、被災地周辺は未だに余震が続き、今後も震度6弱の余震が起きる可能性が示唆されるなど、今も地震への脅威にさらされ続けています。九州は火山活動が活発で、阿蘇山や桜島、霧島の新燃岳、雲仙普賢岳など、火山の噴火に対する注意はたびたび喚起されて来ましたが、地震に対してはしっかりとした対策がとられて来なかったのが実情だと思います。私自身もこれまで、南海トラフや首都直下型地震のことばかりここで言及してきましたし、今回の地震でも、全国から多くのボランティアの方々が来られたり、さまざまな支援物資が寄せられる中、必要な時に必要な場所でそれらが十分に活かされず、さまざまな混乱が起きてしまったこともそのことを象徴していると言えるでしょう。(現場を知らない人間が口先だけでこんなことを言うのはとても生意気で失礼ですし、関係者の方々が日々、精一杯の職務を遂行されている姿には心から脱帽しますが。)

 今回の2度の地震では1度目(4/14)の前震が震度4強、2度目(4/16)の本震が5強、2005年3月の福岡西方沖地震の時に経験した震度5強の揺れに対し、数値的には記録の更新はありませんでしたが、体感的には今回の本震は前回の時を大きく上回り、耐震を施していない(大きな本棚やタンスには対策を施していました。)本棚の本が床にバラバラと散乱したり、ガラス物が落ちて割れたり、家財道具が本来の位置からずれてしまったり、という事態も起きました。大きな地震が起きるたびに建築基準法が見直され、耐震基準が強化されてきたにも関わらず、今回の地震では大幅に強化された基準後に新築された住宅でさえ、全壊、半壊する被害が続出したという事実(なかには基準がちゃんと満たされていない住宅もあったようですが)に、震度7以上の地震を立て続けに経験された被災地の方々の恐怖はどれほど大きなものであったかを思わずにいられません。地震後しばらくは、私たちの地域でさえ、ここは本当に九州だろうかと疑うほど大きな余震が頻繁に起き(しかもなぜか夜に多く)、家がぐらっと揺らぐたびに、家の耐震性がじわじわと弱まっていく不気味さを感じたりもしました。

 近年の異常気象で、夏の台風や豪雨が年々激しさを増す脅威にさらされる中、地震に対する備えも切実なものとなり、私たちを取り巻く環境はどんどん恐ろしさを増しています。そんな中、人為的な脅威まで加わったら、これからの人類社会はどうなってしまうでしょう。近年、各国の代表はお互いの平和よりも自国の利益ばかりを主張し、そのような主張に対し、国民の支持が集まるという負の連鎖反応も起きています。またそれに同調するかのように、過激な言論や思想、行為に対する人々の危機意識も次第に鈍感になっているような恐ろしさも日ごと感じています。これまで平和を宣言してきた日本も例外ではなく、安倍政権のもと、武力による国の安全保障が確実に増大しつつある今、武器を持つことが正当なこととして受け入れられる日が来るのではないか、いや、そのようなことは絶対にあってはならず、私たちは永遠に NO と叫び続けなければなりません。

 伊勢志摩サミットを数日後に控え、その後のオバマ米大統領の広島訪問が大きな関心事になっていますが、オバマ大統領はこの爆心地から「核兵器のない世界」の実現を世界各国に向けて発信し、表明することが最大の目的だといいます(被爆国日本が核兵器廃絶に対し、絶対的反対の立場を表明しないというのはとても理不尽で信じられず、本当に残念でなりません。)。この訪問は賛否両論あるようですが、オバマ氏のこの訪問がきっかけとなり、世界各国の人々が核戦争の恐ろしさを知り、平和であることの尊さ、素晴らしさについて改めて考える機会になれば、それはやはりとても意義あることだと思います。自然の脅威に対し、共通に絶対的に無力である人間社会。その共通の脅威に立ち向かうためには、最大限の知恵を出し合い、協力して対処していくしかありません。そうして、1つの緩やかな共同体としてうまく機能していけたら、とても素晴らしいことだと思います。

 今も熊本、大分両県では一万人に近い方々が避難生活を余儀なくされているそうです。これから迎える雨の季節、そして厳しい暑さの到来など、厳しい日々が続きます。どうか一日も早く、地震活動が収束し、被災者の方々の安定した日常が戻る日が来ることを心から願っています。



フォトエッセー 新しい菜園

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(左)苗を植えた4月半ば (右)一ヶ月少し経った現在

 昨年、自然栽培でトマトを育てたところ、思った以上に順調に育ち、収穫の楽しみを味わった。そこで次はもう少し欲張りをして、野菜の種類を増やしてみようかと思ったものの、元来菜園というスペースがなく、花壇の隅っこの小さな空間でひっそりと栽培してきたため、どうしても木の陰などになり、伸び伸びと育てることが出来ない状態だった。そこで家と庭との間のスペースの一部に新たな菜園を作ることを思い立ち、昨年秋から少しずつ準備してきた。手始めに1.5m四方ほどのスペースを耕し始めたのだが、作業は一苦労だった。というのも、ちょっとスコップを入れるだけですぐに堅い石に突き当たり、大小さまざまな瓦礫がゴロゴロと出てくるのだ。これらは家を建てる際に、庭以外のすべての場所にたくさんの瓦礫がトラックで運び込まれ、それらを埋め込んで土固めをしたからだそうだ。その上、これらが埋め込まれている土は、ねっとりとした粘土質でとても重たいのだ。本来ならば雨が降ったあとの方が土が緩み、土を耕すのは楽そうに思えるが、水を含んだ土は更に重く粘度を増し、すぐに腰を痛めてしまいそうなほどの重労働になるのだ。そうやってえっちらおっちら作業を続け、冬の間、乾燥生ゴミや米ぬか、水はけのよい土などを混ぜながら、時々天地返しを行っては、少しずつ土作りに励み、スコップを入れ続けて、ようやく30〜40cmほどの深さまで耕すに至った。我ながら、よくがんばったなぁ!と、改めて家の中からそちらを眺めてみると、表面上は何の変わり映えもしない小さな空間に、はぁ〜っ?とクラクラよろけそうになるが、大きな石(掘り出した瓦礫の一部)でそのスペースを無造作に囲んでみると、何となく格好もつき、少しだけ達成感も覚えたりする。そして4月の半ば、トマトとピーマン、パプリカの苗を購入し、どうか元気に育ちますようにと願いを込めて植えた。なんと言っても土台は水はけの悪い粘土質。スコップで苗を植えるための穴を掘った感触は今一で、ひょっとして全然育たないんじゃないだろうかという思いもよぎったが、今のところ予想以上に健闘してくれている。

 トマトは水はけのよい土で乾燥気味に育てるのが望ましく、雨は大敵なのであるが、昨年トマトが順調に育ったのは、実は半日陰ならではの効用(木々が強い雨から守ってくれた)も少なからずあったからではないかと密かに思っている。今回は太陽が燦々とふりそそぐ場所を確保できたのはいいものの、雨風から身を守る手立てはなく、全くの無防備状態だ。早々に蕾み始め、収穫の期待も少しずつ高まるものの、これから到来する梅雨や台風の脅威を無事に乗り越えることができるだろうか。決して居心地のよくないだろう環境の中で、どうか力強く根を生やし、元気に育っていってほしい、とかなりスリリングな気持ちで見守っているところである。