2016.03.26

春の訪れ

 すっかりご無沙汰してしまいました。みなさんお変わりありませんか。3月も終わりに近づき、桜前線も北上し始めました。こちら福岡は全国に先駆けて、19日に早々と開花宣言が発表されたものの、その後すぐに寒が舞い戻り、未だ2,3部咲きといったところでしょうか。今日も外を吹く風は冷たいながら、朝から快晴。明るい青空がとても心地よく、この天気に誘われてすぐそばの桜の名所(?)を訪れると、枝のあちらこちらでピンク色に大きく膨らんだたくさんの蕾が、今にも可憐に花開きそうな雰囲気でした。見頃を迎えるのも間もなくでしょう。今まで心許なかった庭先の花々も、少しずつふわふわになり始めた土の上で、色とりどりの花を元気に咲かせ始めました。ムスカリ、水仙、ビオラ、キンセンカ、ラナンキュラス・・・いよいよ春の訪れです。

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手記「あの日」を読んで

 日本の若い女性科学者によって夢の万能細胞であるSTAP細胞が発見されたというニュースに、世界中が湧いたのは今から約2年2ヶ月前の2014年1月29日。その後、世界的権威ある科学雑誌ネイチャーに投稿された論文にさまざまな不正が見つかり、理研はこの論文中に掲載された画像を「捏造、改ざん」と公表、7月に論文は撤回された(6月には遺伝子データ解析の結果、STAP細胞はES細胞だったという疑義ももたれる)。理研はSTAP細胞の存在を確かめるべく、4月からはチームリーダーだった丹羽仁史氏により、7月からはユニットリーダーであり、論文の筆頭著者であった小保方晴子さんにより、それぞれ独自に検証実験が行われたが、どちらもSTAP現象を再現することは出来ず、実験は失敗に終わる。不正の真相は謎に包まれたまま、小保方さんはこの事件の責任をとり、12月に理研を辞職、その後、懲戒解雇相当と処分が下された(他の関係者もそれぞれに処分が下された)。一方、早稲田大学の学位論文に対してもその正当性を問われ、最終的に論文は認められず、11月に博士号を剥奪(この措置に対し小保方さんは反論したが、結論は覆らず)。あまりに痛ましく信じがたい結末を迎えて、STAP細胞事件は幕を閉じた。以上はすべて、新聞、テレビなどの公のメディア(ネット情報以外)を通して、私が知り得たこの事件の全貌の概略である。その後も時々、新聞の片隅に小保方さんの名前を見ることはあったが、私はそれ以上の情報を得ることなく、どのような毎日を過ごされているのだろうと、ただ思いやっては心の疼きに蓋をしていた。

 ところが STAP細胞発見のニュースに湧いたあの日からちょうど2年後の2016年1月28日(今から約2ヶ月前)に、小保方さん自身によってこの事件の全貌が語られるという衝撃的な手記が出版された。「あの日」である。

 本人による手記とはいえ、今世紀最大級の科学界におけるスキャンダル関連の本としてはあまりにノスタルジックで柔らかいタイトルに、最初少なからず違和感を覚えたのであるが、本を実際に手に取ってみるとその印象は一変した。装丁は全面真っ白で、中央にグレーの文字でタイトルが、その下に黒の文字でこれまで幾度も目にしたご本人の名前が整然と並んでいる。パラパラとページをめくると、200ページを超える本の中身は一枚の写真もイラストもなく、文章だけが隙間なくぎっしりと黒の文字で書き連ねられている。後ろ開きに書かれた著者紹介もやはり文字だけで、名前のあとに、これまでの研究の拠点となったそうそうたる大学、大学院、研究所が列記されているのだが、その輝かしい学歴、職歴に続くはずの実績、業績は1つもなく、経歴の不均衡なまでの短さに胸をつかれた。外見上のシンプル極まるモノトーンの世界から伝わってくるのは、絶望の果て、虚空の中をひとり佇む小保方さんの姿だ。けれども(この装丁および)本の構成には、メディアが持つ脅威を骨髄まで味わい尽くした小保方さんが、必要最低限の表現手段(文字)以外の一切の情報を徹底的に排除しようとした意図もあるいはあったのかもしれない。

 ともあれ、タイトルと前見開きに書かれた夢の世界のような不思議な文章に誘われ、私はまるで小説を読むようにこの本を読み始めた。そして読み進むにつれ、この静寂に包まれた世界の中に、目くるめく衝撃的な事実が詰め込まれていることを知った。


 この本がフィクションであったならば、私はどれほどワクワク、ドキドキしながら、ストーリーの展開を楽しめただろう。けれども、これはまさしくノンフィクションであり、本に書かれている出来事も登場する人々もすべて現実なのだ。そう思うと、私は途中何度もページをめくる手が止まった。深いため息を漏らしては「どうして?」と誰にともなく問うのだが、頭の中は機能停止状態、次々に現れる不幸な現実に心が痛み、それを受け入れるための時間がただ必要だった。これがあのSTAP細胞事件の真相なのだろうか。私がこれまで知り得た事実とのあまりの隔たりに愕然とし、改めて報道の怖さ、真実を読み取る難しさを知った。


 私は以前にもSTAP細胞事件についてこのサイトで取り上げており(2014.8.17)、小保方さんを応援し続けていたひとりだった。けれども最終的に、この実験が失敗に終わったとき、私はこの事件に対する関心、加えて小保方さんに対する信頼を急速に失っていった。それを決定的なものにしたのは次の2つのドキュメンタリーである。

 1つは、2015年1月7日、毎日新聞記者である須田桃子さんによって出版された「捏造の科学者 STAP細胞事件」という本だ。須田さんは、ご自身が大学、大学院時代に自然科学(物理)を専攻されていた関係で、科学部門の番記者として長く活躍されているらしく、科学的センスに裏付けされた鋭く的を射た取材は同僚からも一目置かれるほどで、科学者の方からの信頼も厚いという。この事件に関しても、関係者の方に何度も取材を重ねたり、その分野の専門家の方から様々な意見や情報を入手するなど、事件の真相を解明すべく尽力されている。この本はそれらを総括した形で出版されており、事件の全貌を順序立てて分かりやすくまとめている素晴らしい本だ(と思うが、門外漢の私には残念ながら理解を超えた記述も少なからずあった。)。この本は昨年、第46回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するという快挙も獲得している。

 ところで、このタイトルの容赦なさはどうだろう。世紀の大発見をして、一躍、時の人となった人が一転、最も不名誉なレッテルを貼られ、不特定多数の人々の前に提示された。このタイトルは明瞭でインパクトも強い。けれどもまだ真相が解明されていない段階において(今後もそれが期待できるとは思えないが)、報道者という立場で書かれたこの本にここまで断定的な表現が許されるのか、私は疑問に思う(それとも私がひいき目すぎるのだろうか)。本文は報道の形に終始しているが、タイトルに鑑みれば(これが結論なのかも知れないが)視点は多少なりとも影響を受けたのではないだろうか。ともあれ、私はこの本の内容を受け入れた。

 2つ目は、時を同じくして NHK によって放映された、ES細胞混入の真相を探る特集番組だ。事件の関係者としては、論文の共著者である若山照彦氏だけが出演されている。若山氏は、論文に不正が発覚したとき、ただ一人とても早い段階からその撤回を申し出られていた。またSTAP細胞の遺伝子データ解析にも積極的に協力し、その結果、別の万能細胞(ES細胞)である疑いも判明した。詳細はもう忘れてしまったが、どんなに痛みを伴った結果でも誠心誠意受け止められていた若山氏の真摯な態度は科学者としてとても立派だった。若山氏が真の科学者として、私の脳裏に深く刻み込まれたことだけは確かだ。私はこの番組を受け入れた。

 こうして小保方さんに非があることは、私の中ではもう揺るぎないものとなった。小保方さんがこれまで並々ならぬ努力と幾多の困難を乗り越えながら、STAP現象を発見し、STAP細胞の存在を固く信じていることは分かりすぎるほど分かる。けれどもここまでさまざまな事実が提示された以上、もうすべてを直視してほしかった。私はその後、この事件の報道に関するスクラップを止めた。


 そして時を経て、今回「あの日」を読んだ。とてもショックだった。これまで公にされた報道の裏に隠されていた真実、この事件のあまりの複雑さにただただ言葉を失った。ここまで赤裸々にこの事件の内幕をさらけ出すことは、ある意味日本科学界への挑戦状であり、自殺行為ともいえることだろう。けれども事件発覚後、自由な発言をほとんど制限されたまま、研究者としての地位も名声もすべて失ってしまった今、これが小保方さんに出来得る唯一の名誉回復(本人、ご家族、笹井氏、丹羽氏及び最後まで味方でいてくれた人々)の方法だったのだ。書くことで心を整理し、苦しみを克服することができるとも言われるが、この痛ましい事件をここまで克明に振り返り、詳細に記述することはどんなに苦しく過酷な作業だっただろう。この事件の発端が小保方さんにあることは紛れもない事実であるが、真実が明らかにされないまま一人の人間をここまで追い込み、痛手を負わせてしまったという事実はあまりに重い・・・けれどもこの事件の真実とはいったい何だろう。世間への影響が大きければ大きいほど、世間からの反響は大きく複雑になる。次々に発覚する不正や疑義、あまりに複雑な事態へと迷走し続ける状況にあって、事件の真相を伝えることなど、もうほとんど不可能なことだったのかも知れない。

 けれども私はこうして再び筆を執り、この事件の真相を見つめようとしている。それは、この本を通して初めて知った小保方さんの科学者としての才能を改めて素晴らしいと思ったし(行為のすべてを評価するわけではないが)、その実力はやはり正当に評価されるべきた、されてほしいだと心から思うからだ。もちろん書かれたすべては主観に基づいており、デフォルメされた箇所もあるだろう。けれども、関係者間でなされた会話や人物を特定できる記述は信憑性を高めており、それらが数々の裏付けに繋がることは確かだろう(けれども他人のプライベートを覗き見しているような後ろめたさを覚える箇所もあり、記述にもう少しの配慮があってもよかったのではないかと思う)。

 またこの本の極めて精緻で巧みな文章力(不当なバッシングの内実やそれを受ける人間側の克明な心理描写など)は、そのような能力を有しない社会的弱者(例えば冤罪やいじめで苦しむ人々など)の見事な代弁ともなり得ており、その内実の凄まじさ、集団心理の恐ろしさが浮き彫りにされたことの意義はとても大きいのではないだろうか。


 私はここまで、この本の優れた面ばかりに触れてきたが、実は少なからず疑問に思うこともある。小保方さんはこの本の冒頭で、今回の事件が世界中をここまで騒がせたことに対し、心からの謝罪を丁寧に述べているが、本を通して見た場合、その誠意はあまり伝わってこない。本文中で繰り返される謝罪の気持ちはおもに共同研究者や家族など、同じ被害者側に立たされた人々に対して向けられたものであり、次々に生じる問題に振り回されたマスコミ及び世間一般の人々に対しては、逆に手ひどいバッシングを受けたという被害者意識の方がより強く、そのときの社会的立場としての認識の甘さを少なからず感じる。次の3つの事象に注目して詳述してみたい。

 まず1つ目、学生時代の学位論文の冒頭が数十ページにわたってコピペされていた、という問題に対し「草稿の段階のものが何らかの取り違いで最終論文として国会図書館に収められてしまった。」と弁明している。けれども最終論文では、この箇所が本当に問題ない形で書き直されているのか、もしそうであればどのように書き直されたのか(自分の言葉で書き直されたのか、それとも文献の引用という形で正当に使用しているのか)は全く説明がない。

 2つ目、ネイチャーに投稿された論文に掲載された画像に不正が見つかり、それが「捏造と改ざん」と公表されたことに対しては、「不必要な加工と取り違いがあったが、実験の結果にも論文の結論にも影響を及ぼさないものだった。」とさらりと書いている(私にはその判断は出来ないが)。けれども取り違えた画像は、学位論文という博士号授与にもつながるとても大切な論文の中核とも言える画像であり、その画像を、第一級の科学雑誌に投稿する論文の中で間違って使用したとは、あまりに信じがたいほど不注意すぎる。たとえ故意による取り違いではなかったとしても「論文の結論に影響がなければ大した問題ではない」という気持ちが根底にあったことだけは確かであり、極論を言えば論文作成の過程で、つじつま合わせのための画像の使い回しにあまり罪悪感がなかったのではないかとの印象も免れない。(とは言え、データの加工やコピペなどの論文の不正に関しては、今回の事件を機に、さまざまな分野の研究者にも同様の事象が発覚した。研究費獲得に繋がる論文提出というノルマは、本来注ぐべき研究時間をたくさん奪ってしまい、研究の障壁になっているとも聞く。この件に関してはすべての研究者のジレンマでもあるだろうし、日本科学界全体の今後の課題でもあるのだろう。今回の論文も作成を急がされていたということで、上からの何らかの指示もあったのかも知れない。内情を知らない者の特権で正論めいたことをいろいろと書いているが、この問題は私のような部外者がとやかく口出しできる域を超えているのかも知れない。)

 3つ目、論文が提出された時期の小保方さんの肩書きは公にはユニットリーダーとされているが、本当はこの論文は当時理研に在籍されていた若山氏の研究室で、若山氏の指導のもと(ポストドクターという位置づけで)作成したものだという。論文の主旨も次第に若山氏の主張していたものに移行していき、自分の手を離れていったため、実験の把握も出来なくなってしまった。事件後の検証実験においては、若山氏が実験に参加することに同意しなかったため、成功の条件とされていたキメラマウスの作成(若山氏の担当)に成功せず、検証実験は失敗に終わってしまった(自分の担当までは成功した)のだという。このあたりは私が把握する限り、全く報道されなかった内容であり、ES細胞混入問題などとも絡んでいる。

 このことがもしも真実であるならば、小保方さんが真実を伝えたいと望むのは科学者として至極当然のことであり、最後まで真実を隠し続け、小保方さん一人に罪を押しつけた理研の対応はあまりにひどいと言わざるを得ない。だが、事件全体を振り返ったとき、どうなのだろう。もしも論文に何の問題もなく、STAP細胞の存在が揺るぎないものであったならば、この発見に対する賞賛は、シニアオーサー(最終著者、発明者と見做される人)である若山氏よりも小保方さんの方により多く向けられ、人々の脳裏に深く刻まれることになっただろう(小保方さん自身がそれを望んだかどうかは分からないが)。けれども不運にも度重なる不正の発覚で、その賞賛がもろくも崩れ去った時、「実は私は単なる支援者で、責任者ではなかった。」という弁明はあまりに都合良過ぎないだろうか(けれどもこの想定外の事態に全責任を負うのはあまりに残酷すぎるだろう)。


 以上が、私がこの本に感じた疑問である。


 小保方さんはもちろんこの事件の発端を作った人で、その責任の重さは余り有るが、一連の事件の中ではやはり大きな被害者でもあるだろう。解剖学者の養老孟司氏は、この事件をジャーナリズムだと言っておられたが(時事問題と訳すのだろうか:その時々の社会問題、私はこの言葉をよく理解していない)、メディアという両刃の剣に凄まじい勢いで巻き込まれてしまったことは確かだろう。発見のあまりの斬新さ、新規性ゆえ、この快挙は一個人の大発見という枠を超えて、理研の大きな広告塔として日本はじめ全世界へと発信された。そして不正の発覚を機に、メディアの正の側面(喧伝効果)が負の側面(暴力性)へと急激に相転移を起こしてしまったのだ。


 笹井氏が小保方さんに語ったという話が脳裏に浮かぶ。

「・・・積み重ねていくものは泥では駄目なんだ。荒削りでもしっかり固い石を積み重ねていくんだ。それが人類の科学の世界なんだよ。・・・STAP現象は新たな柱の土台になるよ。」


 真実の積み重ねで出来ていたはずの論文が虚構の積み重ねであった、それを見抜くことができず、巧みな形で世間にアピールすることに全力で携わってしまった。笹井氏の受けた衝撃と慚愧はどれほど大きかったことだろう。理研という最新の設備を備えた優れた研究所で笹井氏や丹羽氏や若山氏やその他、日本トップレベルのサポート体制に支えられながら急ピッチで上りつめた頂点への花道は皮肉にも、しっかり固い石を積み重ねて行くために不可欠な時間や労力や慎重さやその他多くの大切なものを置き去りにしてしまった。STAP現象という世紀の大発見が新たな柱の土台となるためには、小保方さんの前にもっともっと多くの障壁が立ちはだかり、それらを1つ1つ丁寧に克服していく必要があったのかも知れない。


「STAP細胞を必ず再現してください。」

これは笹井氏が亡くなった際、小保方さんにあてた遺書の中に書かれていた言葉である(公表された4つの内容のうち、1つはメディアが勝手に付け加えたものらしいが、この言葉がそうでないことを祈る)。私は当初、この言葉の真意を計りかねていた。けれども「あの日」を読んだ今、この言葉は笹井氏の心からの願いであったと信じる。

 私はこの文章の中で、小保方さんは「研究者としての地位も名声もすべて失ってしまった」と書いた。けれども、この本の内容が真実であるならば、研究者としての道は決して閉ざされてはいないはずだ。それは想像を絶する茨の道かも知れない。けれども怒濤にもまれた2年間を見事に耐え抜いた強靱な精神力でもってすれば、これからもどんなことにも耐えていけるのではないだろうか。

 小保方さんに大切なのは、そして見つめるべきは「あの日」ではなく、今でありこれからだ。小保方さんの手に再びピペットが戻る日が来ることを私は心から願っている。そして、STAP細胞という夢の万能細胞を必ず再現する日が来ることを心から祈っている。


 最後に、ほんの少し科学の世界をかじっただけの人間が、このような大それた試みをしたことをお許いただきたい。事件の把握不足や本の読みの甘さゆえ、謝った記述も多々あるのではないかと心配している。この事件の余りの複雑さに、私は途中何度もこの文章を書くことを諦めようと思った。けれどもどうしてもこの事件の真相を見つめ、整理したくて、そのような自分の心を測りかねながら作業を続けた。ようやく1つの形に終結したことに安堵を覚えつつも、書き記せなかったあれこれが頭の中を巡っている。けれども、それらをうまくまとめることはとても出来そうにない。このまま筆を置くことにしたい。