2014.7.5

ご挨拶 安倍政権について思うこと

 前回の更新から、早3ヶ月。いつの間にか1シーズンが過ぎ去り、季節は夏を迎えてしまいました。 梅雨真っ盛り、かなり鬱陶しい季節ですが、 みなさん、お変わりなくお過ごしでしょうか。

 すっかりご無沙汰してしまいました。今年に入ってからの怠慢ぶりは、ほんとうに目に余るものがあり、ただただ反省!です。ほんの少し、OSをバージョンアップし、新しいソフト(楽譜作成ソフトを Finale から Sibelius に変えました。これはずっと前から興味をもっていたソフトなのですが、OS の仕様条件を満たさず、ずっと先送りしていたのです。最低条件を満たすバージョンアップを行い、ようやく購入に至りました。まだ十分には使いこなせていませんが、私にはとても使いやすいソフトで、切り替えて本当によかったです。)を購入しただけで、このような状態になってしまうとは・・・情けない限りです。理由は何であれ、創作意欲がすっかり減退してしまっている現実からそろそろ抜け出し、気合いを入れ直さなくてはと思っています。

 ところで、世間に目を向ければ、阿部政権の暴走ぶりに暗澹たる思いを抱いている今日このごろです。集団的自衛権、集団安全保障、憲法改正・・・今までの人生の中で、これらに真面目に向き合ったことのない私にはどれも難しすぎるテーマばかりで、大きなことを言える立場ではありませんが、安倍首相のこれまでの発言や行動を振り返ったとき、それらはどれも私に違和感ばかりを起こさせ、安心や信頼を与えてくれるものではありません。(唯一、長年拉致問題を最重要課題として重視し、解決に向けて大きな一歩を踏み出されたことには、大きなエールと拍手を送りたいと思います。けれども、政権への支持が低迷したこの時期に話を持ち出すなんて、と思うのはあまりにひねくれた見方でしょうか。ともあれ、40年という気の遠くなるような歳月を必死に闘い、乗り越えてこられた被害者のみなさんに、一日も早く、大きな喜びとその後の平穏な日々が訪れることを願うばかりです。)

 東京オリンピック招致の際に自信満々に発した「状況はすべてコントロールされている。」という無責任な発言は、ますます汚染水問題が混迷し、未だに厳しい状況下にあるにも関わらず、その後、何の指摘もなされないまま、6年後の東京オリンピック開催へ向けての準備が、着々と進められています。

 反対を押し切って強行した靖国神社参拝以来、中国、韓国からの信頼はすっかり失われ、日本に対する敵意はますます強まるばかり。それを更に煽るかのように、集団的自衛権の行使容認を急ぎ、強行に閣議決定した際には「戦争に巻き込まれる恐れは、一層なくなる。」という信じられない発言。ただもう絶望、落胆、怒りの言葉しか見つかりません。

 戦後70年近くが経過し、戦争体験者が次々と亡くなり、戦争の真の恐ろしさ、悲惨さを語り継く人々がどんどん少なくなる中、 急激な高度経済成長を遂げて経済的豊かさを手に入れた日本社会は、いろいろな形でさまざまな歪みが生じ始めました。そして平和であることの真の有り難みを実感できず、いのちそのものがますます軽んじられる社会になりつつあります。戦争を知らない世代による政権運営、これは時代の移り変わりの中で避けようのないことですが、だからこそ、私たちが耳を傾けなければいけないのは、リアルタイムで戦争の恐ろしさを体験している方々の切実な声です。その一人、長年「ペシャワールの会」代表を務め、危険と隣り合わせのパキスタンで、今も現地の人々の生命を守り、日々の暮らしを支えていらっしゃる中村哲さんの言葉には、深い共感とともに教えられることがたくさんあります。6月に帰国なさっていた中村さんが、新聞にコメントを寄せていらっしゃいました。(福岡の方なので、よくメディアに取り上げられるのですが、こちらだけでしょうか?)「集団的自衛権の行使が容認されれば、自分たちはここに留まれなくなる。日本人が武力を使用するようになれば、今までの信頼は失われ、敵とみなされるようになる。(概略)」

 これまで長年かけて築き上げてこられた厚い信頼関係が、国策の勝手な方向転換により一瞬にして失われてしまうほど、悲しく悔しいことはないでしょう。生涯の使命として取り組んでいらっしゃる、一大事業を途中で断念せざるを得ないかもしれない無念さをも強く想います。

 歴史が証明しているように、高度な文明の衰退の要因は戦争以外の何ものでもありません。こんなに小さな島国である日本がここまで世界大国になれたのは(もちろんアメリカの傘のもと安全が保証されてきた恩恵は多分にあると思いますが)、様々な分野の先人たちが、知恵を絞って真面目にコツコツと技術を磨き、努力し続けてきた賜ではないでしょうか。 自動車であれ、家電製品であれ、日本製のものが世界中から注目され、信頼されているという現実は本当に誇るべきことです。日本料理や古代からの仏教文化や伝統芸能など、芸術分野に至っては、世界各国にどれほど大きな刺激を与えてきたかわかりません。そのような繊細な感性と高度な技術を併せ持つ日本人が貢献できる分野は決して武力ではありえず、この「和の精神」のさらなる延長であるべきです。どんな協力であっても、何かを破滅へと導くものであるならば、それは決して許されるものではなく、貢献とはいえないでしょう。「お金しか出さないずるい国」と言われようが、血を流す悲惨な戦いの歴史を作るより、ずっと建設的な選択のはずです。(とはいえ、そのお金がどのような用途に使用されているかを考えれば、うつむかざるを得ませんが。)

 ならば今までのように、改めて戦争放棄を宣言し、平和主義を貫くべきです。たとえそれが、今のアメリカの望む形ではなくとも、自分たちにできるやり方で自信をもって貢献していけば、その正当性はきっと評価されるはずだと確信します。それは近隣諸国にとっても、日本が必要欠くべかざる存在として認められ、戦争抑止力にも繋がっていくのではないでしょうか。中村哲さんのように、民間レベルではずっと前から沢山なされている世界各国でのすばらしい活躍や貢献を、時の政権が時代遅れの勝手な国策で、踏みつぶすことだけはやめてもらいたいです。

 今こそ私たち一人一人が「いのち」の尊厳を見直し、政府の迷走を決して許すことなく、よりよい未来を築くための道を模索し、努力していきたいものです。


フォトエッセー 家庭菜園

 住んでいる場所がら、近所や母の知り合いに家庭菜園をしている方も多く、時々野菜をいただいたりする。新鮮で美味しく、その影響もあり、最近、庭の空いているスペースで野菜を作り始めた。


さといもの葉っぱ

satoimo  まるで、童話の世界に出てくる傘のようだ。この葉っぱの下に雨蛙がちょこんと座っていたりしたら、可愛いだろうなぁ。実はこの葉っぱ、本当に傘になりそうなほど丈夫で、大雨が降ってもびくともせず、ピンと弾力があり、葉の表面はまるでオイルが塗られているように水をコロコロと弾き、雨粒は丸く透明な水晶の塊となって消えていくのだ! とても不思議な葉っぱである。
 少し前から、根ものの野菜を育てることに関心を持ち始め(葉っぱものだと虫に食べられたりして、管理が大変なので)、シーズンの終わりに購入していた里芋を2つ、芽がでるまで放置していた。本当は、種芋といわれるものを購入した方がいいものが育つといわれるが(食用だと、芽が出ない処理が施されているものもあるそうで・・・どんな食べ物も見えないところでやっぱり怖い)、ネット単位で大量に売られているので、とても買う気になれず、とりあえず、手元にあるもので挑戦することにしたのだ。その1つがうまく根付き、ここまで大きくなった。とても生長がゆっくりで、この状態に至るまで何と3ヶ月。収穫は10月末から11月にかけてなので、まだまだ長期戦だ。これが今後、どのように生長していくのだろう。ぐんぐん巨大になっていくのか、まったく想像できず。とにかく、夏の暑さと台風の猛威をがんばって乗り切り、美味しい里芋が収穫できたらと思う。


ようやく実の兆候が現れてきたとうもろこし。

tohkibi  お店から買ってきた小さな苗を植えてから、2ヶ月余り。植えてからしばらくは、なかなか生長せず、やっぱり難しいのかなと思っていたが、梅雨入りして、一雨降るごとにぐんぐん大きくなり、今では2メートルを超えるほどそびえ立っている。それでも葉っぱばかりが元気で、一体、実はできるのだろうかと、毎日眺めては気にかけていたが、数日前、茎と大きな葉っぱとの際から幾箇所もヒゲのようなものが出ているのに気づいた。あっ、これ、実よね・・・ちゃんと育っている!
 店頭には大きなスウィートコーンがたくさん並び始めたが、路地もののこの小さなトウモロコシがお目見えするのは、夏たけなわの、もうしばらく先のことだ。モチモチの美味しい実がギッシリ詰まったトウモロコシが収穫できればいいなぁ。。。期待を大きく膨らませて、そのときを楽しみに待っている!