「ざしき童子のはなし」の創作に到るまで

 私の音楽制作はすべてコンピュータによる作業が土台となっており、作品創りは大きく分けて、以下の3通りを意図して行ってきました。

 1つ目は、最近のアレンジ作品にも見られるように楽器で演奏できることを前提とした作品創り、2つ目は楽器の組み合わせや諸楽器の音域等は考慮しながらも、技巧的にはかなり無謀だったり人口音的な要素なども取り入れた作品創り、3つ目はコンピュータミュージックならではの音色やエフェクト等を駆使した作品創りです。3番目のやり方で、かなり功を奏することができた作品が、2000年に取り組んだ宮沢賢治の「やまなし」シリーズでした。

 賢治の作品は難解で、私には理解できない面もたくさんあるのですが、その深い精神世界の背景には尽きることのない自然科学への探求心がある(もちろん宗教を抜きにして、賢治の人生や文学を語ることはできないと思いますが)ということが、知らずに私を惹き付けているのかも知れません。

 その後も賢治のいろいろな作品をテーマにして音楽を創ることを何度も試みていたのですが、全然うまくいかず、ずっと心にかけながらもいつの間にか遠ざかっていました。途中、コンピュータシステムの変更をおこなったことで、使用ソフトやインターフェース等、音楽環境に大きな変動があり、創作行為だけに没頭できない状態を余儀なくされたこと、またその時期、コンピュータ上だけで音楽を創り上げるという、およそ音楽的行為の対極とも感じられるような無機質な創作行為に対する疑問と、その作業を通して創り上げられていく作品自体に大きな限界を感じてしまっていたこと、などなどで、コンピュータを駆使した作品創りからずっと遠ざかっていました。けれども、蛇行運転ながらも少しずつシステムやソフトに慣れてきまして、また、限界というものは多分に主観的な要素を含むものであり、それは創作過程の如何に関わらず自分の心が勝手に作り上げてしまうものなのだという心境にいたり、ようやくまた新たな気持ちで創作活動に向き合いたいと思うようになったのです。

 そこでまずアプローチを試みたのが、2006年に土台を創っていて、途中、投げ出してしまっていた今回の作品です。久しぶりの取り組みだったこともあり、当初、完成への意気込みもあまり強くなかったのですが、その数日後に東日本大震災が起こり、改めて賢治の世界に想いを馳せることとなりました。(賢治は明治29年、死者2万人以上を出したといわれる明治三陸地震の年に生まれ、昭和8年、死者・行方不明者3千人以上に至ったといわれる昭和三陸地震の年に亡くなっています。また、賢治の生きた時代は、冷害や大飢饉など自然の猛威にさらされ続けたとても大変な時代でした。)

 そして、平穏な日々を一瞬にして跡形もなく奪われてしまった多くの被災者の方々の、心身を引き裂かれるような過酷な運命に激しい衝撃を受けながら、それでもそれを必死の思いで乗り越えて前向きに生きようとしている多くの方々の姿に、人間本来の生の強さ、たくましさ、それゆえの美しさを感じ、深い感動とともに、こちらの方が大きな勇気をいただくようでした。そして、私もこの作品を是非完成させたいと思うようになりました。 (とはいえ、日ごと広がる事態の深刻さに、被災者の方々の今後の人生の過酷さを思わずにいられません。)

 こうして曲はとりあえず完成しましたが、構成は作曲当初のシンプルなままであり、今回何か新たな試みが出来たわけではありません。いろいろ思うところはありますが、それはまた次回の課題ということにします。

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「ざしき童子のはなし」朗読版 創作に到る動機

 今回初めて、作品の中に「ヴォイス」という要素を加えました。

そもそも何故、突然、このような試みをしたかと言いますと・・・10年以上もの間、一度も使わずにずっと放置していた(ダイナミック・)マイクを使いたかったからです。(あまりに期待外れな理由ですが、実はこのマイク、(株)Roland 主催の第13回 DTM 力作コンテスト社会人オリジナル部門でグランプリを受賞した際の副賞の1つでした。)いつか使えたら、と時折秘かに思いつつ、今回思いもよらない形で実現しました!

 次々に新しい製品が出回っては消えていく今の時代において、10年以上も前の製品など骨董品の部類に入れられてしまいそうですが(とは言うものの、私は未だにそのころの音源を重宝して使っています。)、エフェクト処理を駆使しまして、とりあえずマイク録音レベルを他のオーディオレベルにまで引き上げることができました。ポップノイズがちょっと気になりますが(これでもかなり聴きやすくなったのです。)、録音し直しをするには、その後の編集作業の大変さにクラクラ目眩がしてしまいまして、これは次回の課題ということにさせていただきます。

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「ざしき童子のはなし」(朗読入り)修正版での試み

  前回、「ざしき童子のはなし」(朗読入り)をアップロードしましたが、録音の際に用いたマイクの出力感度(音圧レベル)がオーディオ・インターフェースの規定入力レベルよりかなり低く、またポップ・ノイズ対策も怠った状態で録音しましたので、とてもお聴き苦しい朗読をみなさんにご披露することとなりました(苦笑)。これでも、何とかいろいろとエフェクト処理を施してがんばった結果ではありましたが・・・。その後、「やまなし5月」の朗読入り作品創りに入ったのですが、今度は前回の課題をクリアするべく、取り組みました。

 その際、マイクとオーディオ・インターフェースの間にミキサー(これも、7、8年間、いつも近くでひっそりと佇んでいるだけで、ほとんど日の目を見ることのなかったものです。)を介し、そのミキサー内で信号を増幅させて、オーディオ・インターフェースへの入力レベルを上げることを試みたのですが、 朗読の録音レベルは格段に上がったものの、アナログ接続によって生じるノイズの方も大きくなってしまいました。

 パソコンのソフト上でノイズ除去はじめ、いろいろエフェクト処理を試しましたが、思うような効果は上がらす(音声信号があるところだけ、逆にノイズが際立つようになり)、音楽をバックに流してもノイズはやはり気になり、それでも前より状況はずいぶん良くなったのだからと、そのまま作業を続けていたのですが、ある日、とうとう・・・やっぱりこれではダメだという気持ちが勝ってしまいまして、並行して検討していたマイク購入に踏み切りました。(本当は、せっかく活躍の場が巡ってきたマイクとミキサーを、もっと有効に使いたかったのですが。)購入したのは、SHURE社のダイナミック・マイク SM58。

 ちなみに、ポップ・ノイズの方は、その後、自作ポップ・ガード(ドーナツ型に丸く切り抜いた2枚の厚紙の間に薄い布を挟んだもの。購入を検討していたものが、2000円ちょっとでしたので、材質的には自作でも代用できるかなと思い。)で、思った以上に効果を上げることができたのですが、何といっても不安定な代物、録音の際、余計なところに気を遣わなくてはならず、結構面倒で、また市販のものにも興味があり、マイクと一緒に購入しました。とてもお手頃価格(K&M社製品)なので、それほど大きな期待はしていなかったのですが・・・いえいえ、何て録音がスマート! ちょっと感動ものでした。けれども、ショック! 実は、SM58の簡単な取説によれば、マイクにはポップ・フィルタが内蔵されているとのこと。(サイト上でも、そう説明されていたの?)

 早速、「やまなし5月」の朗読を録音し直してみましたが、録音レベルも上がり、音質もクリアで、今まで気になっていたノイズもすっかり消え、その後のオーディオ編集作業もとても楽になりました。これならねツ、よし、「ざしき童子のはなし」も録音し直そう!という気持ちになり、急遽、「やまなし5月」を中休みにして、こちらの修正版に取りかかりました。

 因みに、「やまなし5月」では、マイクのみで録音しましたが、こちらでは、ポップ・ガードを使用しています。ポップ・ガードの性能については、もう少し検証してみるつもりです。

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「やまなし5月」(朗読入り)の創作秘話(?)

  前回少し触れていましたが、「ざしき童子のはなし」(朗読入り)に続き、「やまなし5月」(朗読入り)を作成しました。

 この作品は、もう10年以上も前に創作したもので、現在、当時使用していたソフトと別のソフト(Logic Pro)を使用していますので、作業を移行するのは結構大きな決心が必要でした。

 というのも、 以前のソフトは使用音源(外部音源)に対応しており、ソフト上でその音源の取り扱いがとても楽だったのですが、ロジックにはそのような機能が備わっておらず、小さな設定ひとつするにも、マニュアルで操作を確認しながら、進めて行かなくてはいけません。この作品が私の過去の作品の中で、エフェクト機能をかなり駆使しているということも、作業を困難にした原因なのですが、とはいえ、使用している機能はやはり限られていますので、一旦MIDIデータの内容を解読できれば(思い出したあとは)、比較的スムーズに作業を進めることができました。それでも、このソフト上で外部音源を使用するのは、本当に大変で面倒だということがよく分かりました。(デフォルトの設定のまま使用していれば、何も問題はないのですが、曲の冒頭でいろいろと設定を変更していると、途中再生の際、その設定がすべてリセットされて、まったく反映しないという・・・。)

 ところで、「やまなし5月」のイメージ音楽は3分弱で、この文章を朗読するにはとても短かすぎます。そのため、今回、オリジナル版にかなり手を加えました。(時間的には2倍強)

 曲の歌詞と違い、一連のストーリーが自由に展開されますので( 「ざしき童子のはなし」もそうなのですが、こちらは一連の話が短いため、繰り返しという形で対処できました。)、果たしてうまくいくのか大きな冒険でしたが、ストーリーの展開に添って、オリジナル版のフレーズを「拡大」する形で、何とかうまくまとめることが出来たのではないかと思っています。

 最後に、前回も触れていましたマイク録音の件ですが、以前録音していた朗読データを使用することをやめ、今回もポップ・ガードを使用して、録音し直しました。マイクにはポップ・スクリーンが内蔵されているということでしたので、最初、いつもと変わらない形でマイクの正面で録音したのですが、そのやり方では所々に吹かれ雑音が入ってしまったため、最終的にマイクを口から横に少しずらして録音したのです。そうすると吹かれ雑音は消えましたが、ポップ・ガードをつけてマイクの正面で録音した場合の音声データに比べ、 全体的に音声の繊細さが消え、重く響くように感じました(音声の高域成分が低減されたような)。取説では、この録音方法では「低音を抑える」と書かれていますし、主観的にも、ポップ・ガードを介しての録音の方が逆に音声がこもってしまうように思うのですが、結果は、ポップ・ガードを介した方がクリアな音質になりましたので、その方法で対処することにしました。

 マイクと唇との距離や私自身の発声の仕方、声量など、録音時の条件が同一ではないため、本当はいろいろと検証が必要だとは思ったのですが、とにかく、早く録音を済ませたい一心で、すぐに取りかかってしまいました。窓を閉め切るには厳しい季節に向かいつつあり、また閉め切ったとしても、鳥の鳴き声(雨後の雀はこれはもう、凄まじいです。)や、両隣で飼っている犬の鳴き声や、道路を走る自動車の音や、上空を飛ぶヘリコプターの音や(そう遠くないところに、自衛隊の駐屯地があります。)、すぐ近くの中学校から聞こえる学生たちの声や・・・録音に適した静かな環境を作るのは、結構大変でした。

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「やまなし」シリーズの修正版の完成に到るまで

  前回、「やまなし12月」(朗読入り)をアップした後も、実は作品の出来に満足できず、その後1ヶ月以上に渡り、これらシリーズ(朗読版)に手を加え続けていました。

 理由は2つあり、1つは、エフェクトとしてコンプレッサーを使用しているのですが、その機能をうまく使いこなせていないため、全体的な音圧レベルは上がったものの、 それぞれのパート(特に高域)で使用している音色特有の繊細な柔らかさや空間的な広がりが消えてしまい、音が重層的に響くような箇所では、小音量で再生しても耳が痛くなるような不快な圧迫感(高層階へ直行するエレベータや新幹線、飛行機など、大きな気圧の変化を受けるときのような)を感じる仕上がりになっていたこと、それからもうひとつは、 車中のCD、MDプレイヤーや、ポータブルCDプレイヤーなど パソコン以外の環境で作品を視聴してみると、その性能が低い媒体ほど弱点が見事に浮き彫りになって、あまりのバランスのひどさに愕然としてしまったことです。(いい録音状態のものは、どんな環境であれ、クオリティはともかく、いいバランスで再生されます。)

 最終的なマスタリング作業がこのように困難を極めてしまった理由は、「やまなし」シリーズの曲作成に使用した外部音源(SC-88 Pro)と朗読に使用したダイナミック・マイク(SM-58)のオーディオ信号の出力レベルが、どちらもパソコンのオーディオインターフェースへの入力レベルの最良レベルを下回っていることにありました。

 音源に関しては、MIDI 制作時、パソコン内蔵のソフト音源を使用すれば、多分このような問題はほとんど起こらないと思うのですが、パソコンへの負荷は比較にならないほど大きくなり、MIDIファイル容量が大きくなればなるほどサウンドの遅延の問題が生じたり、動作が重たくなったりと作業がスムーズに進まなくなる恐れがあります(実は、現システムできちんと試したことはないのですが、途中でそのような事態になるのが面倒で、なかなか使う気になりません。)。マイクに関しては、購入検討時に入力レベルが規定以下であることは分かっていたのですが、それを満たすマイクとなると予算を遥かにこえて高価なものになってしまい(桁が1つ増えるほど)、「朗読」という使用目的を考えたとき、 パソコン内のエフェクト処理でも何とか対処できるだろうと判断したのです( ヴォーカルの録音であれば、ずっと繊細な表現力が求められると思いますが)。作業に取り組んだ今の実感として、録音時の対処如何によって、多分それは可能ではないかと思います。マイクに対する唇の位置や声量、発声の仕方など、私ももう少ししっかり配慮して録音していれば、その後の修正作業はもっと楽になったでしょうし、最終的な仕上がりもずっとよいものになったと思います。

 いえ本当は、オーディオ編集において、さまざまなエフェクト機能をもっと駆使して使える能力が私に備わっていれば、たとえ録音状態が今のレベルでも、それを感じさせない仕上がりにもっていくことはきっと可能なのでしょう。


 ともあれ、試行錯誤を続けることによって、10月のはじめには何とか自分なりに納得できる形に仕上がりました。(一応、サイトには随時アップしていました。苦笑)

 そこでCDに焼いて、前回(「ざしき童子のはなし」はなかなか好評でした。)のように喜んでもらえることを期待して、関東に住む甥っ子や姪っ子たちに送ったところ、幼稚園児の甥っ子からズバリ「最初の方の話が見えなかった。」と言われてしまったのです。

 「最初の方」というのは「やまなし5月」のことで、最終チェックの際、私もパソコン以外のプレイヤーで聴き直しながら、これは・・・言葉が明瞭に聴き取れない箇所が結構あるなぁ、困ったなぁと思いつつも、そのまま送ってしまったのです。

 精度のいいイヤホンを購入して(Klipsch の Image X10:これはすごいです!低音域から高音域まで、どんな繊細な音も聴こえます。ただし、外耳への装着が正しくないと、低域成分がすっぽり抜け落ちてシャラシャラしたようなとんでもないサウンドで聴こえたりするので、注意が必要です。更に、ヘッドフォンと違って、直接音がビンビン響いてくるので、耳を痛めないよう細心の注意も必要だと思います。)、かなり気合いを入れて何度も修正作業を繰り返しましたので、再び、このように疑問の残る仕上がりに至ったことが判明したときは心底がっかりし、これはもう私の手に負えない、もうお手上げ状態!と相当な無力感を味わいました。けれども、そのような失意の感情とは別のところで、私は甥っ子の発した言葉そのものにはっとし、反省させられたのです。

 はなしが見えない・・・大人の発した言葉であったならば、何とも思わなかったでしょう。けれども、理性よりも感性が勝る小さなこどもの脳の中では、本当にその表現どおり、言葉は次々に映像の世界に置き換えられているのかもしれない。ことば(+できれば音楽)に触発されて、彼ら自身の想像した世界が、そのまま映像となって次々に浮かび上がっているのかもしれない。


 朗読と音楽との最終的なバランスチェックで、私は音楽の音量を言葉が聞き取れるだろうギリギリのレベルまで上げました。その行為は、意識的にも無意識的にも「言葉」と「音楽」を互角に屹立させることを意図していました。つまり、この作品の中に「詩の朗読」という新たな要素が入ろうとも、この作品は私の中ではやはり「イメージ音楽」だったのです。その「イメージ音楽」に、「朗読」を通して具体的な意味付けを与えたのはもちろんですが、それと同時に、「ヴォイス」という人間によって発せられるサウンドの響きそのものが、それまでの楽曲全体に及ぼす新たな効果をも楽しめる作品を目指していたのも事実でした。多分この試みそのものは、決して否定されるものではないとは思うのですが、小さなこどもたちをも聴衆の対象に広げたとき、それは決して良心的とは言えない行為でした(ただ、音楽と朗読の両方のオーディオデータの録音状態がもっとよければ、両方の効果を満たした作品があるいは作成出来たかも知れないとは思っています)。

「あぁ、本当? じゃぁ、よく聴こえるように作り直して、また送るね。」と言ったものの、作品の思わぬ価値転換(朗読入りイメージ音楽 → イメージ音楽入り朗読)から受けた少なからぬショックと、これまでの作業のさらなる延長の日々を考えたとき、とてもとても再度修正する気にはならず、ずっと放置状態。「待ってるかな。」「きっと、もう忘れてるよね。」などと思いながら、月日は過ぎ、11月の下旬になりました。

 毎年12月になると、母が恒例のようにいろいろなものを詰めた荷物を送るのですが、その時期を修正のタイムリミットに決め、再度、重い重い腰を上げました。意を決して取りかかってみると、思いのほか作業はスムーズに進み、なんとか期日に間に合って郵送に漕ぎ着けました。


 小学校時代に巡りあって、ずっと心の中で大切にしていた「やまなし」。この世界から受けるイメージをサウンドという抽象的な形にしたのが10年以上前のこと。そして今回、その世界にイメージの源である「詩」そのものを取り込みました。その行為が、作品に新たな創造性を付け加えることができたかどうかは私には分かりません。けれども、すべてが新しい試みだった創作の過程そのものを、私は試行錯誤しながらも楽しむことができました。

 今回、詩を作品の中に取り入れたことによって少なからぬ変貌を遂げた音楽。地道ながらも音楽の世界に長年取り組んできたひとりの人間として、その小さなプライドをもしも許していただけるならば、この新たな創作過程を経て生まれた「音楽」そのものを、新たな「イメージ音楽」と位置付けていいかもしれません。


(お断り)

 ここで書いている文章と矛盾してしまいますが、作品掲載ページのタイトル名は都合上、今までと同じ表記になっています。あしからず、ご了承ください。

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