Welcome to my homepage
スワブの雑談

音楽話、書籍、サッカー、単なるバカ話、
その他とりとめのない話


【子どもたちの階級闘争/ブレイディみかこ】

去年出た英国ブライトン在住の保育士ブレイディみかこさんの本じっくり読みましたよ。副題は「ブロークン・ブリテンの無料託児所から」です。みかこさんの本は全て読んできましたが、これも説得力ある示唆に富んだ1冊でしたね。内容は2部構成になっていて、第1部が2015年から16年の保守党政権による緊縮政策(福祉予算カット)のみかこさんいうところの「緊縮託児所時代」、第2部が2008年から10年の労働党政権による「底辺託児所時代」となっています。

時代が前後しているのは、「最低」から「最悪」の年代順にするよりもまだ救い、あるいは希望を残す意図があったからでしょうか。どちらもひどい状況には変わりありませんが。たしかに緊縮によってつぶれた託児所がフードバンクに変わってしまったところで終わる第1部は、まるで何10年も繁盛していたライヴハウスがつぶれて跡地が無味乾燥な駐車場になったような、行くところまで行ってしまった光景が浮かんできて悲しくなりました。ただ最後の最後に、このどツボ状態から這い上がるための唯一残された手段として、Keep On Smilingというメッセージで締めくくってあります。

あいかわらずクールに必要以上に怒りをぶちまけず、感傷的にもならずにたんたんと悲惨な状況をユーモアを交えながら展開させていくところが、逆にリアルで心が打たれるんですよね。一番ウルっときた箇所は、『子供たちを取り巻く世界2』の最後、クラスのバースデイ・パーティーに1人だけ呼ばれなかった「黒人」少年とみかこさんの息子がいっしょに歩いているところへ、鼻ピアスの社会派弁護士の息子で生粋のイングランド人でピカピカの革靴を履いた同級生の子が2人のあいだに入ってきて、黒人少年に頭突きをくらわし、「ワッツ・アップ・メ〜ン?」といってゲラゲラ笑うところっす。まあクサいといえばクサいんですけど、こういうのってリアルで感動しませんか?

逆パターンですが、ジョー・ボイドの『ホワイト・バイシクル』に載っていた話で、労働者階級出身のダニー・トンプソン(ペンタングルのベーシスト)がレコーディング・セッションかなんかで、ニック・ドレイク(中か上流階級出身)の肩をポンと叩きながら、「よお、ニック、なんだよ浮かない顔してよお、さっさと片づけちまおうぜ!」とかなんとかいった時に、なぜかニックはうれしそうに笑っていたっちゅうのがあって、妙にウルっときたんですね。これと似たような感覚でしたよ。

「おわりに」に出てくる最重要キーワード”アナキズム”に関しては、もうちょっと説明がほしかったなあと思いました。アナキストとかアナキー(アナーキー)って私ら軽薄似非反体制パンク世代にとっては、完全にセックス・ピストルズの”Anarchy In The UK”であって、辞書にも無政府主義とか無秩序とか極左としか意味が載っていない単語です。みかこさんもジョン・ライドン・ファンということで誤解されがちだと思うんですが、どうもひとことでアナキズムといっても、ちょっと調べただけでは全く理解できないほどめちゃめちゃ幅広い意味があるようなんですね。みかこさんがどの意味で使っているのか、どういう社会を理想としているのかもう少し具体的に書いてほしかったなあとは思いました。おわり。


【盗っ人パーマーその他】

インクレ本にまたおもろい話がいくつか載っていたのでご紹介です。写真は英国でのファースト・アルバムのジャケットですが、このジャケにまつわる話がなかなか興味深かったです。レコかCDをもっている方はちょっと棚から出して手元にもってきていただけますか?

まず一見何の変哲もない3人の若者の出で立ち、いや、ちょっと左端の人が20代前半には見えないんですがそれは置いといて、問題はロビンの着ているのが婦人用肌着のシュミーズだったんですね。今どき日本語でシュミーズなんていうんですかね?それに昔は「シミーズ」っていってませんでしたっけ?

同じスコットランド出身のバーバラ・ディクソンっちゅう名シンガーがいうには、当時のロビンはまるで金星からビームで降り立った異星人のように見えたそうです。しかもヒッピー・ルックは彼が発明したとさえ思ってるそうです。まあこれは話半分として聞いた方がいいですが、たしかによく見るとちょっと変です。写真の色自体がかなり淡いのでわかりにくいですけど、このシュミーズのストライプの色は実際には鮮やかな水色だったんじゃないですかね?20代の頃のロビンはヒゲをそると宝塚にでも出てくるようなめちゃめちゃ美人の女性みたいなので、バーバラさんのいうことも何となくわかりますね。

で、さらに問題はクライヴ・パーマーです。やっぱりこのオッサン、いやニイチャンです。お腹のあたりをよ〜く見てみるとちょっとふくらんでませんか?それも四角に。これってクライヴがプロデューサーのジョー・ボイドのオフィスからかっぱらったエレクトラ・レーベルのレコードが何枚か入っているっちゅう話があるみたいです。かっぱらったって!ただ真相はわからんらしいです。そしてその3人が立っている場所というのが、一般的には楽器屋さんの奥の部屋か倉庫だと信じられているが、実際はジョーのエレクトラのオフィスだそうです。これは断言してありました。…しかしジョーと知り合ったばかりのこの頃に盗みをはたらくとは。まあ本当だとしてもほとんどシャレでしょうね。以上インクレ細かネタでした!


【クライヴ・パーマー話】

インクレディブル・ストリング・バンド本を読んでいたら、おかしくて笑いが止まらなくなってしもた話が載っていたのでご紹介したいと思います。

クライヴ・パーマーの話です。まあ晩年のクライヴの場合は写真だけでニヤけてしまうというか、愛すべきおじいちゃんなんですが、実は英本国では天才バンジョー奏者/シンガー/ソングライターとしてその筋ではめちゃめちゃ評価の高い人です。残念ながら数年前に71歳という若さで亡くなってしまいました。

この人、死ぬまで望んで定職につかず、大工、庭師、楽器職人、教師その他さまざまな職に就いていたという、ある意味本物のヒッピー/ジプシーみたいな人でした。ISBでの活動を見てもわかるように、デビュー作(の一部…)に参加しただけでフラフラ〜っと放浪の旅に出かけてしまい、そのままバンドには戻ってこなかったっちゅう絵に描いたように飽きっぽい性格だったようです。

で、いつの話かはわからないんですが、一時期、工夫を施しためん棒―耳かきではなくて’のし棒’の方です―を作っていたことがあって、それが大評判になったらしいんですね。クライヴのもとに注文が殺到して、大儲けのチャンス到来!というところで彼はどうしたか?なんと2本だけ売って、「う〜ん、飽きたからやめる」 これですわ。

あとディズ・ディズリーという古い世代のギタリスト―英フォーク・ファンにはデイヴ・スウォーブリックとマーチン・カーシーの3人でリリースした『Rags, Reels & Airs』というアルバムがそこそこ知られていると思います―のために靴を作ったことがあるらしいんですが、右足の靴だけ作ってそこでやめてしまったらしいっす!おい!これは笑いましたね。ディズ本人の話によれば、クライヴは他にも誰かのために手袋を作ったはいいが、それも片手でやめてしまったそうです。あのね。

あとバンジョーの話でおもしろかったのが、クライヴが使っていたバンジョーっちゅうのが、クリフォード・エセックス・コンサート・グランドとかいう、おそらく名門メーカーのバンジョーだったのに、わざわざ自分の好きなネックと取り換えてそれがひどい音だったと。

評判になろうが名門だろうがプロデビューしようが、そんなものは全く意に介さずにほっぽり出し、自分の気の向くままに生きた人でした。もちろん人間ですから悩みとかもあったでしょうけど、そのへんも知りたいものです。あ、もしかしたらそういう飽きっぽい性格が悩みだったりして・・・


【(お騒がせ)モリッシーの人生講座/上村彰子】

スミス時代からのファン歴34年という、筋金入りモリッシー・ファンの著者によるモリッシー哲学の解説書です。表カヴァーの折込にはこう書いてあります―「誤解されがちなモリッシーが本当に伝えたいこととは?」

人生講座っちゅうことで、テーマは1時間目〜9時間目という区切りになっていて、悲惨な学生時代に始まって→音楽との出会いとそのスタンス→ザ・スミス再結成話→性と愛→自分の居場所→モリッシー流ファッション→生と死→社会/政治への働きかけ→そして最後が「ユーモア」を軸としたまとめとなっています。

これがどの項(時間)も大変深い洞察が繰り広げられていて、とても読みごたえありました。推薦文を寄せている同じモリッシー・ファンのブレイディみかこさんが去年(でしたっけ?)出した’いまモリッシーを聴くということ’とセットで読むとさらにおもしろいと思います。

読んでいてまず感じたのは、いかに世の中表層だけでレッテル貼り、炎上、勘違いの嵐が渦巻いておることか!っちゅうことでした。どうなんでしょうね?今の音楽ファンって情報過多が原因かどうかわかりませんが、たとえばネットもスマホもなかったロックの全盛期―60年代後半からパンク含む70年代後半にかけて、そしてディランがバリバリの現役だった頃の音楽ファンの人たちよりも想像力が著しく低下してしまった and/or させられたんですかね?モリッシーはそのへんのことを音楽産業/ビジネスの変化と絡めて説明していますが、この部分はちゃんと思考するいろんなミュージシャンたちが今でも共有する気持ちだと思います。

スミスに関して「なんとまあ!そうやったん?!」とびっくらこいたのが、スミス時代からソロに至るまで、多くの曲の歌メロはモリッシー自身が作っていた!ということでした。これは少なからず衝撃でしたね。私スミスは完全にジョニー・マー作曲、モリッシー作詞担当と思ってましたから。ということはですよ、もしかすると基本的なコード進行はジョニーが作って、モリッシーはそれに歌詞付きで歌メロを載せて作っていたということじゃないですか!しかも構成もモリッシーによって左右されたかもしれないということですよね。

と、いうわけで気になってきたのが未だ手を出さずじまいのモリッシーのソロ時代のアルバムっす。ブレイディみかこさんの「いまモリ」をとり上げた時に、ソロ時代も聞いてみたいとかぬかしていた自分がいかにいいかげんなことを書いていたということですが、この本のおかげでやっとその気になりました。で、ポチりましたよ、最新アルバムの『Low In High School』。

届いたらまたとり上げたいと思ってます。


【be GLAD:An Incredible String Band Compendium】

戦争が始まってしまうと届かんのとちゃうか?!と心配しましたがなんとか届きましたよ。2003年に出版されたインクレディブル・ストリング・バンドの洋書です。メンバーや関係者たちの証言と多数の当時の写真が、トータル445ページにわたってぎっしり詰まったインクレ事典みたいなものです。

90年代に英国で定期的に発行されていたらしい『be GLAD』という彼らのファンジンが基になっていて、それをライターのエイドリアン・ウィッタカーという人が編纂した本みたいです。インクレ本は英本国で本当にたくさん出ていて、どれにしようか悩みましたが、熱心なファンのレビューではどうやらこれが決定版のようでした。またこつこつと辞書片手に訳してみたいと思ってます。

インクレ最大の謎の1つ(?)、元メンバーでロビンの彼女だったリコリスの行方に関しては、パラパラとめくって探してみたところやっぱり謎のままで、1990年以来、家族でさえ全く音沙汰がないそうです。生きていれば72歳、ネットのWikiには「死んでしまった可能性はあるわ」というローズ・シンプソンの証言が載ってました。

ちょっとおもろかったというか切なかったのが、大きな病気もしていたらしいリコリスは89年か90年頃にアリゾナの砂漠を旅していた形跡があって、そこからの最後の手紙が家族に届いたという話です。で、その砂漠近くには当時、あのキャプテン・ビーフハートも住んでいたので、リコリスは彼と出会っていっしょに音楽を作っていたんじゃないか?っちゅう誰かのとっぴな想像話が載ってました。元ISBのリコリスとビーフハート、いかにもお互いビビビっときそうじゃないすかね?


【DENON DP-47F】

20年以上ぶりにレコプレーヤー買い換えました。といってもまた同じやつを買いました。80年代半ばに発売されたこのデンオン(デノン)の機種はとうの昔に廃盤、もとい生産中止なので、中古のなるべく状態のいいやつをヤフオクで手に入れました。届いてみたらば、ジャケも盤もほとんどミント、もといダストカヴァーも前面スイッチ部分もほとんど新品同様で、なんか最初に買った当時(95年か96年だったはず)はこんなんだったんやな〜っと感慨にふけってしまいました。

で、なしてまた同じ機種を選んだのかというと、全くオーディオマニアではないメカ音痴の私にとって、フルオート・プレーヤーの中級クラスでダイレクト・ドライヴで、そこそこ音にうるさいリスナーからもまずまず評価のよさそうなレコプレーヤーっちゅうと、どうしてもこれしかないんですよね。

なぜにフルオートじゃないとダメなのかというと、私の場合、寝転びながらレコを聴いていると、よく途中で眠ってしまうので、アームが自動的に戻ってくれないと針がもったいないし、その逆にレコのどちらかの面をリピートで聞くことも多いからです。CDに慣れた耳にはレコ片面はあっという間ですから。

トーンアーム部分がちょっといかにも80年代っぽい形でアレですけど、全体のデザインも気に入っています。ただし困ったことが1つ、それはフルオートのおかげでビートルズの『サージャント・ペパー』の最後に入っているヘンテコな話し声が聞けないんです。そこに行くまでにアームが持ち上がってしまいますので。これ、聞いたことがあるのは大昔に出た『レアリティーズ vol.2』に入っていたやつだけで、未だにアルバムの一部として聞いたことがありません。スモール・フェイシズのイミディエイトからのファースト・アルバムにも最後に変な笑い声が入っているんですが、それはレコ溝の最内周に行くまでに聞けるので、『ペパー』もそうしてほしかったですなあ。おわり。


【フェアポート・コンヴェンション・フィーチャリング・リチャード・トンプソン】

シンコー・ミュージックの別冊として最近フェアポートの本が出ました!なして今ごろ?と思ったらどうやらフェアポートの結成50周年7CDボックスと新譜が出たんですね。今のところどちらも買う予定はないですが、表紙には「祝・活動50周年!!」と書いてあって、とりあえずものすごいことです。

監修はこの手のフォークやアイリッシュ・フォークのエキスパートで、大のリチャード・トンプソン・ファンである五十嵐正さんで、バンドの詳しい歴史と全ディスコグラフィー、そして彼自らがした各メンバー(及びロジャー・マッギン、元奥さんのリンダ・トンプソン他)へのインタビューと、海外のインタビューの翻訳転載が満載の大変読み応えのある1冊となっています。「そんなことがあったんだ!」とか「そういうわけだったのか!」っちゅう話もけっこう出てくるので、初心者もマニアも両方に有用な本だと思います。

後半はリチャードのキャリアにドカンと焦点が当てられていて、彼の膨大な作品全てが詳しく解説されています。個人的にはリチャードに関しては、リチャード&リンダの『ポア・ダウン・ライク・シルヴァー』までしかカヴァーしていないので、逆に興味深く読めましたし、ソロ時代の傑作といわれる何枚かは改めて聴いてみようかな〜と思わせてくれました。で、きのう久しぶりに「どれどれ、自分には良さがわからんかったが今聴いてみるとどないやろか?」いうことで、レコラックからリチャード&リンダの最終作『シュート・アウト・ザ・ライツ』を引っ張り出して聴いてみたんですが、なるほど!今聴くと・・・やっぱりダメでした(あのね)。リチャード印のロックなギターはカッチョイイんですが、どうも楽曲的にもっさいというかつまらんのです。“Back Stage Slide”では得意なはずのトラッド色濃厚なギター・フレーズにやり過ぎ感漂ってるし、もろバーズな“Wall Of Death”もテキトーに作っただろ!感漂ってます。あくまで個人的にはですよ。そんなわけで、これからフェアポートに期待するのは、サンディとアシュリー在籍の『リージ&リーフ』期の完全ワン・ステージCDのリリースっす!


【ジョニー・マー 自伝:ザ・スミスとギターと僕の音楽】

ジョニーの自伝読みましたよ。いやあ、丸山京子さんの訳も読みやすく、大変おもろかったです。厳密にはマンチェスター生まれのアイリッシュだったんですね。生い立ちから奥さんのアンジーとの出会い、パンク・ロックとの出会い、モリッシーとの出会いからザ・スミス結成の経緯が、よくこれほど覚えているなと思うほど細かく細かく書かれています。もちろんスミス解散以降〜現在までもカヴァーされています。ジョー・ボイドの『ホワイト・バイシクル』もそうでしたが、本当に音楽が好きで好きでプロフェッショナルなバンドやプロデューサーになった人って、いちいち過去の詳細なことまで覚えているものなんですかね?ロイ・ハーパーやキャプテン・センシブルなんかだと、「ガッハッハッハッ!自伝を書けだと?過去のことなんざあ忘れちまったぜ。前進あるのみよ」とかいいそうですよね。まあ本国ですでに出てるのかもしれませんが。

一番知りたかったスミス解散の真相は、やはりマネジメントの問題だったそうです。ジョニーのいうことをそのまま受け取ればですが。ウフフフ。ただジョニーが1人でマネージャー役をやってたなんて、たしかにムチャな話だと思いました。あと知りたかった『ミート・イズ・マーダー』から『クイーン・イズ・デッド』へのとんでもない音楽的飛躍に関しては、残念ながらそれほどの記述はありませんでした。

特に納得したのは、自分がパンク/ニュー・ウェイヴ世代のミュージシャン(そして労働者階級)として、政治的な主張をするのは当時当たり前のことだったし、反サッチャーになるのも当然だったと証言しているところです。で、こんなこともいってます―

「ソロになり、インタビューを数多く受けた。そこで気づいたのは、いかに僕が政治的なアーティストだと思われていたか、ということだ。ザ・スミスのイメージというのもあるだろうが、それは裏返せば、今日のミュージシャンに政治的、社会的発言をする者が少ないことの証だろう。でも僕の世代のミュージシャンは、社会問題や体制に対する発言を求められてきたのだ。サッチャー政権下のイギリスで成人を迎え、その後を見続けてきた僕には、結局どんな時も権力は特権階級の味方で、特権階級を守るための不平等を維持するため、社会の弱者は永遠に劣等に置かれるよう仕組まれているとしか思えない。その思いは年々強まるばかりだ」

この部分は、以前ここでとり上げた本『チャヴ:弱者を敵視する社会』(オーウェン・ジョーンズ著)の内容をひと言でいえば、まさにこれに尽きるっちゅうくらいの発言ですね。

とにかく!スミス・ファン以外にも80年代以降の英国音楽好きなら、楽しめること間違いなしの1冊です。


【チャヴ―弱者を敵視する社会/オーウェン・ジョーンズ 】

世界的ベストセラーとなった本で、ブレイディみかこさんが大推薦し、日本でもベストセラーになるべきといっていた本を読みましたよ。

400ページ近くある、物理的にも内容的にも重い重い1冊です。「チャヴ」というのは、偽物のバーバリーなんかを着た英国の無職、あるいはスーパーのレジや掃除夫なんかの低賃金労働をしている労働者階級の若者のことをさす侮蔑語だそうです。英国では今、こういった「下流階級」の人たちを笑い、さげすみ、差別する風潮があって、大変すさんだ世の中となっているそうです。

著者のオーウェン自身は中流階級の若者ですが、鋭い洞察力、分析力と知性と道徳心と反骨と思いやりをもって、さてこういう世の中になったのはなぜか?誰の仕業なのか?とさまざまなデータと統計を用いながら考察していくという、大変説得力のある1冊となっています。簡単にいえば、って私には簡単にしかいえないですが、サッチャリズムの残した圧倒的な負の遺産、それを受け継いで政策で発展させていった保守化した労働党党首たちと、インターネット含むメディア、マスコミらの扇動的な報道がいっしょになって、いかにこのような状況を意図的に創りだしているかをひも解く本です。

私たちが知らず知らずのうちに象徴として信じ込まされていることが実はとんでもない嘘だったり、ごく例外的なことがらだったりといった事例がこれでもかと出てきます。まさにサブタイトルにあるように、いかに弱者同士を反目させあって、中流、上流、特権階級が自分たちの利益を守り、さらに支配強化を進めていっているのか、その実態を暴いた内容となっています。

帯にはこうあります―「イギリスがたどった道は日本がこれから歩む道」・・・読み進めるうちに、ああ、たしかに日本も今この道を歩みつつあるなと、ゾッとすること間違いないと思います。日本には今のところ移民問題と、目に見える階級問題は存在しないですが、労働組合の弱体化(させられたんですが)、能力主義(メリトクラシー)と自己責任による格差社会はそのまま同じ状況です。もちろんアメリカ、ヨーロッパでも同じですが。

最後の方でオーウェンはこういっています―「億万長者のビジネスエリートたちがグローバル化したのであれば、労働者階級の人々もあとに続かなければならない。選挙にもとづく政府を人質にとって、多国籍企業が身代金を要求することができるのなら、その挑戦に立ち向かえるのは、強力で国際的な労働者たちだけだ。急成長するインドや中国の労働者と提携することで、イギリスの労働者は初めて、賃金や雇用条件の世界的な『底辺への競争』を食い止めることができる」

まるでほとんどマルクスの「万国の労働者よ 立ち上がれ」みたいな、いかにも左派論客らしい文章ですが、たしかにそのとおりだと思います。ブレイディみかこさんがよくいっている、「今は右と左の時代ではなく、上と下の時代」は的を得た表現でした。とても気の滅入る1冊ではありますが、これからの日本の指針となりうる本だと思いました。


【ドアーズとラヴ話】

60年代後半のロサンジェルスを代表する2大バンド、ドアーズとラヴのお話です。

ブリティッシュ好きなオッサンの私でありますがどちらも大好きなバンドです。実際はラヴの方が1年ほどデビューが早かったわけですが、皮肉にもラヴのアーサー・リーが、在籍していたエレクトラ・レコードに推薦したザ・ドアーズの方があっという間にラヴを追い越して全米制覇してしまいました。

で、今回はその裏話です。実はデビュー前のジム・モリソンとレイ・マンザレクはサンセット大通りのクラブにラヴを見によく出かけていて、2人は「ラヴみたいにビッグになりてえな〜」と話していたそうです。レイによれば、“The End”、“When The Music’s Over”、ほんで“Light My Fire”の長いインスト部分なんかはラヴから触発されて作った長尺ナンバーらしいです。

ジム・モリソンはファンを通り越してアーサー自身になりたいと思うほど心酔していて、アーサーの元ガールフレンドと付き合ったり、アーサーと同じ黒のラブラドール・レトリーバーを飼ったりしていたそうです。のちにアーサーはこういってはります―

「ジムはかなり僕をコピーしていた。僕にはジムは孤独な人間のように見えた。彼は探し求めていたが、自分自身というものをもっていなかったように見えるし、ありのままの自分をさらけ出す機会を手に入れたとは思わない。あるいは彼はありのままの自分のことを好きではなかったのかもしれない。彼は他の何かになろうとしていた。それはやがて彼に悪い結果をもたらした」

私ら一般リスナーにとっては、オリジナリティのかたまりのように見えるジム・モリソンも、アーサーの目から見るとこう映るんですね。なかなか興味深いっす。残念ながらラヴの当時の映像の数はドアーズの足元にも及ばないので2人のステージングの比較なんてできないんですが、なんとなくジムはアーサーを参考にしつつ、もっと過激な演出やらアクションなんかで人気を上げていったんかなという感じはしますね。

率直にいって、ラヴのアルバム群よりもドアーズのアルバムの方がどれもポップで親しみやすいメロディをもっているので、そりゃドアーズの方が売れるだろうなとは思います。プレイヤーとしてもドアーズの3人の方がキャラが立ってますよね。しかし!自分の中では『Forever Changes』の1枚だけでラヴが別格なんですわ。おわり。


【いまモリッシーを聴くということ/ブレイディみかこ】

元スミスのモリッシー本買いました&読みましたよ。ブレイディみかこさんの本はおもしろくて出れば必ず買ってます。いちおうスミス時代から最新のモリッシー・ソロまでのアルバム・ディスク・ガイドの形をとっていますが、1枚につき10〜15ページくらい割かれていて、各項の最初にはリリース年の主な世界情勢(政治、経済、戦争など)も載せてあるので、スミスを聴いていた現在50歳前後のオッサン、オバハンにとっては当時の雰囲気がまざまざとよみがえってくるっちゅう、普通のガイド本とは一線を画した作りになっております。

ドアーズのジム・モリソンとレイ・マンザレクの関係と同じように、自分の中でもっているイメージ―作詞はモリッシー、作曲はジョニー・マー―どおり、詩人としてのモリッシーがクローズアップされていて、おそらく日本人の熱心なファンでも(もしかしたら本国のファンでさえ)知らないような深い深い詩の世界の解説が大変読み応えあります。もちろん解説といっても、あくまでブレイディみかこさんの見解であって、ダブル・ミーニングを多用するモリッシーの詩はいろんな解釈ができるところがおもしろいんだと思います。たしかにディランに共通するところはあるんじゃないかしら?

少々びっくりしたのは、メンバー全員が一致して自分たちの一番のお気に入りアルバムは『クイーン・イズ・デッド』ではなく、最後の『ストレンジウェイズ、ヒア・ウィ・カム』だっちゅうところでした。これは知らなかったです。まあでも作り手と受け手の好みのギャップというのは音楽に限らず普通にあることですから、それほど驚くほどのことではないかもですね。

それよりも個人的にはその最後の『〜カム』のレコーディング中のメンバー間の関係が最高によかったということの方が驚きでした。ほんでアルバムが出て数ヶ月後にバンド解散となったということはですよ、その数ヶ月の間にバンドが解散してしまうほどの何があったのか!っちゅうことになりますよね。そこのところはジョニー・マーは曖昧にしか答えてないんですけど、その話ぶりからすると何となくちょっといいにくいような男と男の関係があったんじゃないか?!という変な想像をかきたてられてしまいました。ウフ♪

とりあえずこれを読んで、自分の中でゴッソリ抜けているモリッシーのソロ時代の作品を何枚か聞いてみたいと思いましたね。例えば『ミート・イズ・マーダー』から『クイーン・イズ・デッド』へのとんでもない音楽的飛躍は何が要因だったのかとか、もうちょっと音楽的な話も知りたかった気がしますが、それはもうすぐ出るジョニー・マーの自伝で詳しくわかるかもしれませんので楽しみにしてます。


【不滅療法/ウィルコ・ジョンソン】

最近出たウィルコの自伝読みましたよ。ウィルコってすごい読書家のインテリだったんですね。シェイクスピアに疎い自分には、ところどころでハムレットなんかからの引用が出てきたりして、「おお〜」などとわかったフリして読んでましたが… 

最初の方でウィルコの父親の話が出てくるんですが、危険な仕事で体を壊して若くして(50代だったけか)亡くなるんですね。途中まではまるで自分の父親の人生を憐れんで称えているかのような話しぶりなのが実はとんでもないDV親父で、死んだときは開放感と高揚感しか感じなかったそうです。せっかくグッとくる用意をしていたのに笑ってしまいました。

フィールグッズ脱退の経緯については、他のメンバーの言い分も聞かないとフェアじゃないですが、たぶんウィルコの言い分が正しいんだろうなあ、と思うような説得力はありましたね。読んでいて、リー・ブリローとかジョンBの態度が目に浮かぶようでした。ひとことでいうと、バンド内のソングライターの孤独ですね。歌を作ったことのない自分も昔は同じような態度をとったことがあるのかもなあ、と思いました。

ジョン・ライドンやストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルやクラッシュの連中も出てくるので、そのへんの話もおもろいですよ。そういえば空手好きのジャンも親日派ですよね。癌の余命宣告をされてからの京都磔磔公演の話や、イギリスまで身の回りの世話にやってきた日本人女性の話なんかは涙もんでしたね。でも奥さんのアイリーンを亡くして自分も癌になったところからの日本のファンの存在って、少なからずウィルコの復活に影響を及ぼしたんじゃないかって思うくらい大きかったんだと思います。

エピローグ最後のところで、奈良(!)の東大寺にやってきて、「こんなときアイリーンが俺のとなりにいてくれたら」で締めるところがなんとも切ないっす。

やはり夫婦は男が先に死ぬにかぎりますな・・・


【Faves at 京都磔磔】

いやあ、フェイヴ・レイヴスの来日公演行ってきましたよ。ヴォーカルの青ちゃんもバンドもいつも最高のステージを見せてくれますが、今回は特に感動しましたね。

なんでか!いろいろ考えてみました。まずは大好きな"エース・オブ・スペード"(OVライト)をやってくれたことっすね。あといつもなぜか磔磔では最前列の左端にすわって見ることが多いんですが、今回はややうしろの右寄りにすわって見たんですね。このおかげでバンドのアンサンブルがバランスよく聞こえてきて、これがきもちいいのなんのって。

そしてかなりびっくりしたのが、佐田さんのテナーサックスっす。これがブリブリのホンカーと化していたんですね。このへんは青ちゃんかギターの仁見君から注文があったのかな?とにかくサザン・ソウルのサックスはこうでなくっちゃ!っちゅう下品でワイルドなサックスが聞けたのはうれぴかったです。

写真は第2部のセット・リストっす。ライヴが終わった後ステージからパクってきました。サム・クックの"Change Is Gonna Come"、アル・グリーンの"Take Me To The River"、アン・ピーブルズの"I Can't Stand The Rain"、オリー・ナイチンゲールの"Here I Am Again"、ほんでゲスト・ヴォーカル2人を迎えてのサム&デイヴ、サム・クックですよ。白眉はもちろん、青ちゃんが「次は宗教タイムです」といって始まる濃厚ハチロク3連発メドレー("God Blessed Our Love">"When A Man Loves A Woman">"That's How Strong My Love Is")っす。いやあ、楽しかったです。おわり!


【White Bicycles/Joe Boyd (2006)】

このサイトではさんざんネタにしてきた洋書のご紹介っす。7年くらい前に必死こいて全部訳しましたが、やっぱりちゃんとした本で読みたいので邦訳書として出てくれないかな〜とずっと思っている本です。

特定のミュージシャンの伝記や自伝だと、ファン以外にはアピールしなさそうなので、よっぽど人気のある人のじゃないと出せないでしょうけど、ジョー・ボイドの場合はマニアックな英フォークだけでなくて、50年代のジャズ、ブルースからザ・ムーヴ、プリティ・シングス、ジミヘン、ザ・フー、フロイド、ディラン、クラプトンといった大物らと深くかかわってきたので、そのへんのエピソード満載のこれ、出せばけっこうジワジワ売れるんじゃないかと思うんですがダメですかね?

なぜか表紙が2種類あるんですね。こちらは上と違って、一番手前にいるお姉さんの胸から下がばばん!とフィーチャーされています。残念ながら所有しているのは上のヴァージョンなんですが、このお姉さんはあのマリア・マルダ―です。真ん中のサングラスに帽子の人がジョー・ボイドで、その右にはジェフ・マルダ―もいます。

まずジョー・ボイドがボストン出身のアメリカ人であったことが、どれほど60年後半の英国のフォークロック・シーンにとって有利に働いたかを痛感しましたね。彼自身がアメリカという国の中でアウトサイダーであった(彼は64年当時、自分の国にはジェフ・マルダーら周りの友人以外にジョン・リー・フッカーを聞いていた白人は皆無だったといっています)という事実が、結果的に彼を英国へと向かわせ、両国を客観的な目と耳で判断する土台となりました。プロデューサーにとって、「客観的な判断力」は何よりも大事な要素っす。

現在、私たちがレコード/CDで楽しんでいるウィッチシーズン制作のインクレディブル・ストリング・バンドやフェアポート・コンヴェンション、ニック・ドレイクは、彼のバランス感覚が作品全体に反映されとるわけですね。

ほんで彼をアウトサイダーへと導いた一要因として考えられるおもしろいエピソードが、彼の生い立ちにありました。彼はこの本をクラシック・ピアニストだった祖母に捧げるとしています。幼年時代、いつも祖母の隣に座ってピアノを聴いていた体験が、彼の耳に大きな影響を与えたそうです。ボイドに話して聞かせていたという祖母のヨーロッパ指向も、のちの彼の展開と重なり、決して偶然ではないことが分かります。

このあたりの歴史的な音楽的裏付け、訓練は、彼が扱うことになった伝統音楽の深みと強さにつながるものです。また一方でボイドのユーモア・センスもこの本では発揮されていて、下品なジョークからハーヴァード出身のインテリらしいジョークまで、存分に楽しめると思いますよ。そういったセンスは英国のフォークロック系ミュージシャンたちと共振するものだったと思うっす。ユーモア・センス含めた彼の人間的魅力、幅広さ、教養は随所に感じられますが、特にインクレディブル・ストリング・バンドとニック・ドレイクへの思いや後悔の念は、今のミュージック・ビジネスの世界からすれば、ナイーヴ過ぎるほどのあたたかさが感じられます。

例えばニック・ドレイクのセカンド・アルバム、『ブライター・レイター』のレコーディングの出来に100パーセント満足したボイドが、アルバム完成直後にニックから次のアルバムはシンプルにしたいといわれ、はてと自分を思い返すところっす。実はオーヴァープロデュースだったのではないか、ニックはこう思ったのではないかと推測するところ、レコーディング前にジャズのセッションをしていて、頭の中にクリス・マクレガーのピアノが鳴りっぱなしだったこと、これらは先述のプロデューサーとしての客観的判断にかかわってくる部分ですね。

そのあたりは本人も自覚していて、自らもたくさん失敗するわけですが、それに伴なう反省、洞察力、想像力も読みどころだと思います。また、4〜8トラック・レコーダーの時代から倍々にトラック数が増えていき、いかに音質に悪影響を与えたか、衰退していったか、現在のミュージシャンたちや現場のエンジニアたちが落とし穴にはまる過程を力説するあたりは説得力があります。実際、60年代後半から70年代前半にかけてのサウンドに憧れを抱くようになった多くのリスナーや技術者たちが増え、現場では必死になって当時の音を再現しようとする現在の状況は久しいものとなっていますが、それでもあの時代の音が再現できない理由、ヒントが様々に挙げられています。

音楽以外で私が感じる現在と当時との大きな違いのひとつ、あの当時にあって現在の音楽業界にないもの、それが彼らの共有していた理想です。レコード会社にいた人間でさえナイーヴな理想を持っていたあの時代には、おかしなカルト教団や薬に傾倒してしまう危険性や命にかかわる危険性、ほんで実際に命を落としてしまった人たちがたくんさん存在して、その理想も結果的に敗北に終わってしまうんですが、そういった横のつながりが音楽にもたらした側面は無視できないと思います。また音楽の発展と個人の生活と社会・経済情勢の関係についても押さえられています。本当に音楽を愛する人間が何とか会社を経営していけた時代、理想と自信だけで何とか乗り切れた時代、そしてそれがガラガラと崩れていった時代、そのドキュメンタリーとして本書は格好の素材を提供していると思うっす!


【ヘロン in 京都】

いやあ、京都磔磔にヘロン見に行ってきましたよ。めっちゃよかったっす。4人のサインにTシャツにマグカップゲット!(木漏れ日ショット→)

4人のおじいちゃんたちみんな渋いルックスでめっちゃかっこよかったです。なんやかやいうて、コーラスの分厚さとかハモリの美しさは、さすが本場の人たちだけあって本物でしたね。演奏面ではキーボードのスティーヴ・ジョーンズさんが要になっていて、すんばらしい音色とプレイを聞かせてくれました。

ディランのカヴァー(曲は知らんかった)に象徴されるように、アメリカン・フォークの影響はたしかに強いんですけど、その中に「やっぱブリティッシュやの〜」と感じさせてくれるメロディやトラディショナル・フォークが顔を出すところがたまらんかったです。

メインのリード・ヴォーカルはロイ・アップスさんだったのか!と今さら判明しました。アップスさん「これは薬や薬」と何度も言い訳しながら常に缶ビール飲んでました…だからあの巨体になったんか… GTムーアさんは特にギター・プレイがかっこよかったですね。一番気難しそうなトニー・プックさんも、サインをもらう時はすごく気さくに握手してくれてうれしかったっす。

やっぱりプックさんロイさんムーアさんの三声コーラスが一番印象に残りましたね。最高のステージありがとうござんした!

あ〜それにしてもますますインクレディブル・ストリング・バンドのロビンとマイクに来てほしくなりました。生きているうちに!


【AMERICA : Over The Water/Shirley Collins】

辞書を引きつつこつこつ読み進めているシャーリー・コリンズの本は、アラン・ローマックスとシャーリーがミシシッピでフレッド・マクダウェルという黒人ブルース・シンガー/ギタリストを発見したところまできて、俄然おもろくなってきましたよ。

私は知らなかったですが、今でもたくさんのCDが手に入る人なので、たぶん日本のブルース・ファンにもけっこう有名な人だと思います。この時(1959年)の発掘がきっかけとなって世界的に知られるようになったわけですが、シャーリーによってその時の出会いが細かく描写されています。

シャーリーは13年後の1972年に(67歳か68歳で)彼が亡くなったことについてこういってはります―「私たちが不注意にも彼にもたらした新しいライフスタイルが、彼の死を早めたのではないだろうか」 で、それに対してアランはたぶんシャーリーを慰めるつもりもあったんだと思いますが、「彼はみんなに聞かれていたことを知っていたし、それで自分の富が築かれたと感じていた」といったそうなんですね。

ほんで思い出すのが、ジョー・ボイドが著書の『ホワイト・バイシクル』で書いていたアランの話っす。ジョーはこう書いています―「ローマックスはコマーシャルなレコーディング物を拝金主義にけがされたものとして見ていた。80年代後半のロンドンのディナー・パーティーで、私は彼に民俗学者とレコード・プロデューサーは、どちらもリスナーをターゲットとした録音物(レコード)によって生計を立てるプロフェッショナルだとする考えを述べたことがある。彼の返事は、サンドイッチをもって外で食べてくれというものだった」

シャーリーとアランは一時恋仲になっていたそうですし、このあとジョー・ボイドはもちろん英フォーク・シーンで彼女と大きな関わり合いをもっていきます。アランもジョーもアメリカ人、矛盾を抱えた学者と正直な業界人、いろいろ考えさせられておもろいです。


【雑談】

みなさんは生涯の1枚!死ぬまで聴き続ける!無人島に1枚だけならこれ!っちゅうアルバムはありますか?まあ、たいていは「そんなん1枚に決められるかよ」とか「その時によって変わるわい!」ってのが普通だと思います。

私もそうでした。が!どうやらこれかなあと思う作品が決定しそうです。それがLoveの『Forever Changes』っす。このサイトに似つかわしくない、英国でもフォークでもないこれがなぜに?と自分でも不思議に思うんですが、なぜかこれなんです。あ。もしかするとこの音楽の中にはソウルもブルースもカントリーもブリティッシュ・ロックもブリティッシュ・フォークも、つまり自分の好きな音楽の要素が全て入っているからかもしれませんね。

というわけで最近こんな本を発見したので購入しました。洋書で300ページ以上にわたってびっしりと文字が詰まっているので、辞書を引きながら読むのは大変なんですが、またこつこつと訳してみたいと思ってます。当時も今も(故人ですが)世界で一番ヒップな混血野郎アーサー・リーとラヴの物語、どんなことが書いてあるのか今からワクワクしてます。

立ってるだけでカッチョイイ!(ダブルネックを弾く左のジョニー・エコールズも)















【雑談】

ニック・ドレイク本届きましたよ。いやあ、デカイ厚い重いっす。ニックの伝記としては決定版じゃないでしょうか。幼少〜青年期〜デビュー〜デビュー後までの写真、手書きの歌詞、当時の広告、記事などがたくさん載っているのですごく見ごたえあります。姉貴のガブリエルさんを中心に、友人やライターらの文章もこれまたものすごい量です。またこつこつ訳してみたいと思ってます。が。これ、こつこつやってたら30年くらいかかりそうです。死んでるじゃないですか。


このように70年まではけっこうライヴやってます(見えるかい!)。70年8月のヨークシャーのフェスティヴァルのところには、ニックに似てなくもない長身の男がカメラを横切るのがYouTubeに投稿されたとあります。これ見たことありますが、たしかに似てるといえば似てましたね。



































【雑談】

ブレイディみかこさんのブログを見ていたらジョニー・マー(スミス)のことが書いてあって、そういえばジョニー・マーっていくつになったんだろうと思い、ネットで調べてみたら自分と1つしか違わなかったんですね。

で、たまたまジョニー・マー語録みたいなのにぶち当たったので何気に読んでいたら、いつのインタビューなのかわからないですけど、ザ・ジャムのことをクソミソにこき下ろしてました!てっきりジャムのことは好きなんだろうなあと思っていたので意外でしたね。曰く…

「(パンク・ロックは)今振り返ってみればいくつかいい曲もあるけど、ほとんどがクソだね。ザ・ジャムなんかクソだった。ちょうど僕が自分のプレイについてまじめに考え始めた時期だけど、連中ときたらいかにヘタクソに曲を演奏するかを競い合っているような感じだった。ほとんど得るものはなかったね」

いやあ、すごい!まあその通りだとは思いますが… でもそれより何よりこういうことが自由にいえる(いえた?)イギリスの音楽界って健全だと思います。

なんか写真の最近のマーは一時期のポール・ウェラーみたいですね?って本人に突っこんでみたいです。3つ目のボタン留めてますが!


【アウディ・カップとスーペルコパ2015】

バイエルン対レアル観ました。が!アウディ・カップてなんや!?ってことで調べてみました。2009年から隔年で始まった、ドイツの自動車メーカー、アウディが主催する4クラブによるトーナメント戦で、ホストチームはバイエルン・ミュンヘンです。なのでバイエルンは絶対出るっちゅうことです。あくまでプレ・シーズン・マッチなので、あまり気合の入った大会ではないです。他の出場クラブはどういう選考になっているのかは知りませんが、おそらく他の3大リーグからバイエルンと張り合えそうなチームが選ばれるんだと思います。

で、今回はプレミアからトットナム、リーガからレアル・マドリード、セリエからACミランの3チームでした。決勝は順当にバイエルンとレアルになったんですが、バイエルンはリベリ、ロッベン抜き、レアルはロナウド、ベンゼマ抜きにもかかわらず、ガンガンの本気モードでおもろかったです(優勝は1-0でバイエルン)。終始バイエルンが押し気味でしたが両クラブとも主力選手がいなかったことで、よりチーム力が拮抗した感じでした。


スペインのスーペルコパ・デ・エスパーニャは、国王杯(コパ・デル・レイ)優勝クラブとリーガ優勝クラブによるホーム&アウェイ対戦です。今回はどちらもバルサ優勝だったので、国王杯準優勝のビルバオとの対戦でした。これが!なんと1stレグでビルバオが4-0で勝ってしまったそうです。

まだ試合は観てないんですが、バルサはネイマールとメッシを落としてたんですかね?それにしても4-0とは・・・ほぼビルバオ優勝決まりっすね。ビルバオに関しては、数年前にWOWOWで放映していた「バスク 彼らはなぜ掟を貫くのか」という涙ものの番組(の再放送)を見て感動したばかりだったので、ある意味納得といえば納得です。

第2次大戦で日本よりも前にナチスによる史上初の無差別爆撃を受けたっちゅう、ゲルニカの町を描いたあのピカソも、キューバの英雄チェ・ゲバラもバスク人だったとは知りませんでした。

あとなるほどなと思ったのが、アスレチック・ビルバオの伝統の1つのあの闘志は、クラブ創始者がイングランド人だったことと、雨の多いイングランド同様、バスク地方も雨が多かったことで、ヌルヌルの地面を使わないロング・ボールの方がパス・サッカーよりも有効だったってことです。

もちろん今はバルサのパス・サッカーが世界中のクラブのお手本になってますから、ビルバオはパス・サッカーとあの闘志の融合でえらい強なったというわけですね。バルサとの2ndレグは明日(8/18)っす!


【村山義光】

主に難波で活動している村山義光さんというジャズ・ギタリストと、平野翔子さんというジャズ・ヴォーカリストのデュオとしてのライヴを難波の小さな音楽バーに観に行ってきましたよ。

パンク上がりの自分にとってのジャズはどちらかというと聴く音楽ではなく、見る音楽です。つい最近まで村山さんの存在さえ知らなかった自分がなして観に行くことになったかというと、ギターをやっている弟の誘いっす。

いやあ、これがすごかったです。事前にYouTubeや弟のもっている音源で知っていたパット・メセニー並みの超絶速弾きスタイルは、目の前(なんせうちら2人合わせてお客さん6人でしたから!)で見てもやっぱりわけがわかりませんでした。

あと何がすごいって、わけのわからないリズムを繰り出してくる村山さんのギターに合わせて歌ってしまう平野さんです。ちなみに全曲英語、すぐにでもデビューできるくらいの実力をもった歌い手さんです。

歌のバッキングがギターなのか、ギターのバッキングが歌なのかわからないくらいの即興バトルやってましたね。村山さんは話すと、典型的な関西の知的なオッサンという感じで、印象としては上岡龍太郎タイプですかね?根は真面目なんやが下品でユーモアがあってっちゅう… それがギターにも表れているような気がします。また機会があったら観に行きたいっすね。

最近、52歳にして初のリーダー・アルバム『Murayama's Style !!』が出たそうなので(写真)、興味のある方は買うてみたらどないでっしゃろか〜


【切ないパンク1000】

ユニヴァーサル・レコの「PUNK1000」シリーズのCDをタワレコで買うと、CD1枚につきタワレコ・オリジナルのジャケ柄マグネットがおまけで付いてきます。全5種類で内訳はザ・ジャムの1st、ニューヨーク・ドールズの1st、ザ・スリッツの1st、セックス・ピストルズの1st、そしてブロンディの1stです。

中身は開けてからのお楽しみです。これまでCD2枚買って2個もらったんですが、残念ながら2個ともジャムでした。しょうがないので写真のように冷蔵庫にペッタンコ貼って、よーし!次はスリッツかブロンディ狙ったんど!と気合入れながらまたのこのこタワレコに行ったんですね。

次に買おうと決めていたのは、ラッツというパンク・バンドの唯一のアルバム『The Crack』です。で、1080円握りしめてレジへもっていきましたがな。ところがですよ。レジのおねえさん、何も入れずにCDをタワレコの袋につっこんで封をしてしまったじゃないですか!あら?入れ忘れたのかな?と思い、めちゃめちゃ恥ずかしかったですが「あ…あの…マグネットはついてこないんですか?」と尋ねると、「は?ああ、あれもう終了しました」といわれてしまいました!がーん。「あ、そうなんですか」私はひきつったような愛想笑いを浮かべ、逃げるようにその場を去りましたよ。

冷蔵庫にはあと2枚くらいは斜め下に続くはずでした。最悪、全部ジャムでもがまんしようと思ってました。それが「終了」とは予想外でした。ジャム2個でおわりです。切ないです。おわりです。


【リチャード・トンプソン/ビルボード大阪】

先ほどリチャード・トンプソンの大阪公演から帰ってまいりました。今回はエレクトリックのトリオ編成だったので、リチャード&リンダ時代の曲を期待していたんですが、70年代のアルバムからは“For Shame Of Doing Wrong”のみ、あとは最後の2人のアルバム『Shoot Out The Lights』から“Wall Of Death”ともう1曲なんとかちゅうやつの2曲だけで、ちょっと欲求不満に陥りましたよ。個人的には『Shoot Out The Lights』は駄作や思てます。

結局自分のような古いタイプのファンは今のリチャードにとって、いいリスナーではないなということを再確認しました。いや、実は最初からあまり期待せず、リチャードのエレクトリック・ギターが聴けて姿を拝めるだけで満足しようと自分にいい聞かせていたんですが、あそこまで弾きまくられるとちょっとトゥー・マッチ感もちましたね。ギターにも歌にも美メロが出てこなくなったリチャードは、どこを楽しめばいいんだろうか?!などと理屈っぽく悩んでしまいました。

10何年か前に見たダニー・トンプソンとのデュオはすごく楽しめたし、お客さんの盛り上がりは今回の何倍もすごかったっす。どうやら、リチャードの進化に完全についていけなくなってしもたようです。


【雑談】

久しぶりにおっさんの怒りいっときます。

雨の日にたいてい1度は出くわす腹の立つ光景です。

おい!傘を横にして持って歩いとるそこのバカ者!

これでわかりますね。けっこう腹の立ってる人多いんじゃないかと思います。このどアホ、当然傘を持つ手を振って歩きよりますから、うしろを歩いていると当たるんです。子供だと顔の位置にきて危険じゃないでしょうか?

「無神経」「モラルなし」「自分さえよければいい」「想像力皆無」 こういう奴に限って、理不尽なクレーマーだったり、列に横入りしたり、バスから降りる時に両替したり、スーパーのレジで金額をいわれてからゴソゴソ財布をとり出したり、コンビニで公共料金やなんかの支払用紙を10枚くらい平気な顔して出したりするんです。

はい?決めつけすぎ?いーえ。そうに決まってます。こないだ、あまりに腹が立ったんで、わざとそいつのうしろに回って傘に当たり、「いて!」といってやりました(当たり屋か)。傘は縦にして持ちましょう。常識っす。


【ザ・レフト UK左翼セレブ列伝/ブレイディみかこ】

めちゃめちゃおもろかった「アナキズム・イン・ザ・UK」の著者ブレイディみかこさんの新しい本が出たので、さっそく手に入れて読みましたよ。ブログの記事をまとめた「アナキズム」とは違い、今回は書下ろしです。これがまたまたおもしろくて、立て続けに2回読んでしまいました。

みかこさんがこの本を執筆した動機の一つが、彼女が英国人の友人から聞いた日本の国際空港(成田?)での話だそうです。どんな話かっちゅうと、その空港の本屋さんで右翼本がずらっと平積みになっていて、排外コーナーができていたのをその友人が発見し「日本、マジでアウト・オブ・オーダー!」と驚いたというものです。みかこさんは思わずブッと笑い「空港で排外ということは再び鎖国する日が近いのやもしれず、そんなことになったら難しくなるだろうから、今のうちに書いておこう」と思ったそうです。

半分冗談のような動機ですが、ローワン・アトキンソン(Mr.ビーンの人)の項でマジメに「社会が一斉に一つの方向に流れているときには、『でも王様、裸じゃん』と言える人間の存在は絶対的に必要である」といっているように、あくまで本気なのは間違いないです。そしてその「あまのじゃく」といわれることもあるアトキンソンさん同様、全員が「王様は裸!」と声をそろえだしたとたん、「ちょっとまてよ、王様は本当に裸なのか?」と言えることも大事だと思います。政治がもっともうまくいくのは、右と左の均衡が保たれている時であって、どっちに振れ過ぎてもダメだと思いますね。極左と極右、火傷と凍傷が同じようなものだっちゅうことです。なので明日は共産党に投票しーようっと。それではこの本でとり上げられている12人の左翼セレブを紹介しときます。

ケン・ローチ(映画監督)
J.K.ローリング(ハリポタの原作者)
ローワン・アトキンソン(Mr.ビーン)
ベズ(元ハッピー・マンデーズ)
イアン・マッケラン(俳優)
ラッセル・ブランド(コメディアン、俳優)
モリッシー(元スミス)
コートニー・パイン(ジャズ・ミュージシャン)
ダニー・ボイル(映画監督)
ビリー・ブラッグ(ロック/フォーク・ミュージシャン)
ジュリー・バーチル(ライター)
ジャスティン・ファシャヌ(サッカー選手)

前から知っていたのはローワン・アトキンソンとモリッシーとビリー・ブラッグだけでしたが、どの項も大変深いです。この中ではブレイディみかこさん、最後に敬意を表したかったのか、ジャスティン・ファシャヌさんだけが故人です。若くして自殺で亡くなった人っす。


【アナキズム・イン・ザ・UK/ブレイディみかこ】

去年出た本のご紹介です。サブ・タイトルが「壊れた英国とパンク保育士奮闘記」っす。

1965年生まれの著者ブレイディみかこさんは英国ブライトン(!)在住で、好きなミュージシャンがまず何といってもジョン・ライドン(セックス・ピストルズのジョニー・ロットン)、それからモリッシー(スミス)、ストーン・ローゼズ、オアシスあたりだそうです。最後の2つは個人的にはXでしたが、なに!歳はたったの1つ違い、ピストルズとスミス好き?!しかも保育士っちゅうことは毎日オムツ替えとんか?!(私の場合はババアのオムツですが…)というわけで、ヤフー・ニュースに載っていた彼女の記事をきっかけに読んでみましたよ。

これがめっちゃめちゃおもろかったです。英国の底辺生活者(ワーキング・クラスよりもさらに下のアンダー・クラスというそう)とともに生きる彼女の(底辺)託児所での経験を中心に、そこに出入りする幼児たちと大人たちのリアルで残酷な生活がこれでもかと出てきます。人種のるつぼと化している現在の英国(ロンドン)での差別体験は、著者本人も日本人ということで当事者ですから、これはすさまじいもんがあります。

話の内容的には気が滅入るようなのばっかりなんですが、すばらしいのはそのひどい現実を彼女独特のユーモアでひたすら笑い飛ばしてしまうところです。英国好きの方なら知っているように、それ自体英国人の1つの特徴だと思うんですが、これを読んでいるとレイ・デイヴィスのニヤリ顔とか、キース・ムーンのやんちゃ顔なんかが浮かんできて、キンクスやインクレディブル・ストリング・バンドやリチャード・トンプソンの音楽が聞こえてきます。たぶん絶望、失望、諦めの果てにある希望を決して捨てていないところが共通するんですね。英国好きには絶対的オススメ本!


【Fave Raves at Kyoto 磔磔】

2014年10月5日、はるばるメンフィスからまたまたフェイヴ・レイヴスがやってきましたよ。今回はなんと大御所金子マリの「たっぷり金子な7日間」というイベントの最終日でマリさんの前座という大役での出演でした。

ムッシュかまやつ、玉置浩二、チャボ、小坂忠、木村光輝など、他の日の出演者をあげれば、どれだけものすごいイベントだったかわかると思います。今回のOVライト・コーナーは”Precious, Precious”と”Eight Men And Four Women”と少なめでしたが、いつものバリ渋サザン・ソウルをぶちかましてくれました。バリ渋って。

フェイヴスは10月17日にも大阪、難波メレでライヴをやるのでご近所さんのソウル好きのみなさん、見逃す手はないぜ!磔磔とはバックアップ・メンバーも違い、おそらく大阪ならではのノリノリ・クレイジーなステージになると思います。

金子マリのステージは実は初めて見たんですが、ちょっと感動して涙出そうになりましたね。笑いと泣きありのリラックスしたステージ運びは、神々しさと親近感を両方同時に感じさせてくれました。そういう意味ではさすがのフェイヴスもかなわないくらいでした!以上!


【Braveheart】

最近スコットランドがもうちょっとのところで独立しかけましたが、中世時代(13〜14世紀)のスコットランド独立を描いた、メル・ギブソン監督・主演の『ブレイヴハート』観ましたよ。

いやあ、たしかに迫力はあったし、「ちっくしょう、イングランドめ」と思わせてくれたし、映画自体はおもしろかったです。けどが!観た本数はめちゃめちゃ少ないですが80年代以降の映画にどうしてもなじめない自分としては、どうしても「じゃあ、ベン・ハーとかスパルタカスと比べるとどうなのよ?」とか「過去の名作と比べて何が足りないんだろう?」とか思ってしまいました。

そりゃあチャールトン・ヘストンやカーク・ダグラスやポール・ニューマンやスティーヴ・マックイーンみたいな名優に太刀打ちできるわけはないだろうとは思いますが、どうもそれだけじゃないような気がします。スパルタカスでの「俺たちは死を恐れない。なぜなら奴隷にとっては生きることの方が苦痛だからだ」といったグッとくる名台詞が出てこないからか、あるいは予測できてしまう見え見えの展開だった、つまり脚本力の違いか(アイルランド軍がギリギリのところで寝返るシーンはミエミエでした)、映画通でもなんでもない自分としてはそのへんに何かはっきりしないもやもやとした印象をもってしまいました。

あと細かいことでは、最後の処刑シーンで斧が振り下ろされるところでスロー・モーションにするのはいかがなものか!昔の映画はこういうシーンをもっとあっさりと撮っていたような気がします。その方がより残酷だし、心に残りますから。

音楽に関しても映画に関しても懐古主義者といわれてしまえば、そのとおりかもしれません。が!映画も音楽も最盛期はとうの昔に過ぎ去ってしまったのはたしかですよね。栄枯盛衰かくのごとし!

スコットランド独立騒動でやはり余波がきましたか!となったのが、スペインのカタルーニャ独立運動です。リーガ・エスパニョ〜ラ・ファンにとってはちょっと目が離せない事件です。って目、離してますが今どうなってんでしょう?バルサにどんな影響があるんでしょうか?!


【雑談】

フェイスブックを見ていたら、ネット販売で使うセールスコピーとかセールスコピー・ライティングとかいう技術を身につけると、ものすごい収入が得られるといった広告が載っていました。

ヒマだったので「どれどれ1回読んでみようっと」と思い、1時間くらいはありそうなナレーション付きの文字動画を見ましたよ。途中で何度もやめようかと思いましたが、金の話が出てくるまでは見てみようと思ったら最後まで見てしまったじゃないすか!

あ、ここでいう金の話というのは、さっきの収入の話ではなくて「〜というわけでこの商品を買ってみてはいかがですか?」という、セールストークになっているんではないかという話です。これが最後の最後に、ある本を買えという話になりました。その時点でパソコン画面右上のバッテン印をポチって終わりました。

セールスコピーを書く人の需要が今すごく高まっていて、脱サラするならそのスキルを身につけるのもひとつの選択肢ですよという話なんですが、結局のところこれ自体がセールスコピーみたいなもので、そのスキル本を買えということです。月収が普通のサラリーマンの年収になるとか、資本金はいらんわ事務所はいらんわ時間は自由に使えるわとか、ネットが登場して以来さんざんいわれてきたお決まりの文句が並び、別にな〜んにも心を動かされることはありませんでした。

こういうのにだまされる人って、例えば占いを真剣に信じている人とか、催眠術にかかりやすい人とか、血液型と性格の因果関係を本気で信じている人たちなのかなあと思いましたね。おわり


【ハーメルンの笛吹き男/阿部謹也/ちくま文庫/74年】

京都のでっかい本屋さんで発見しました。さっそく読みましたよ。ちょっと難しかったですが、たいへんおもしろかったです。どこがおもしろかったかというと、著者の阿部さんの視点です。

グリム童話で有名なこの話が「史実」であることは何百年も前から指摘されていたそうなんですが(実はそれでさえ驚きでした)、阿部さんは中世ドイツの階級体制、社会的背景、市民の境遇、生活なんかをヒジョーに細かく分析しながら、なぜこの伝説が生まれ語り継がれてきたかを推測しています。

その庶民のありようが、それほど昔のこととは思えないような(なんせ1284年す)、根っこのところは現代とあまり変わらないような生き生きとした臨場感を覚えるんです。なので史実であった部分と装飾、付け足し部分の指摘自体よりも、そのもとになった庶民の思考の方におもしろさを感じましたね。

根っこのところは変わらないといっても、魔女の存在が信じられていた時代ですから、まず現代の常識や科学的知識を捨て去ってから、当時の人たちの目線に自分を合わせなければならないと阿部さんはいいます。これヒジョーに重要なことで、現代の高みから見下ろすだけでは見過ごしてしまうことがたくさんあるということです。たとえば「子供の十字軍」では、現代ではとても身近にありそうもないような、極限状態におかれた子供がどういう行動に移るかといった話が出てきます。けどが!これとて昨今の子供、青少年が起こす異常な事件と通じるような気もして、ゾッとするんですよね。

笛吹き男が誰だったのか、そして連れ去られた130人の子供は何のためにどこへ行ったのかという謎については、最後まで阿部さんは断定的に結論は出さず、それに近いところで終わります。阿部さんのこのスタンスと想像力とクールな視点は、レイ・デイヴィスに通じる説得力と愛が感じられて好感もちましたね。


【自分のなかに歴史をよむ/阿部謹也/ちくま文庫/88年】

ドノヴァンの主演した映画『パイド・パイパー(ハメルンの笛吹き)』をきっかけに見つけた本です。

阿部さんの著書『ハーメルンの笛吹き男』(74年刊行)はベストセラーになった名著だそうで、ムラムラと読みたくなってきて近所の書店に探しにいったところ、こちらしか見つからず、まずはと自伝的内容でもあるみたいなのでこちらから読んでみました。これが大変おもしろかったんです。もともと中高生向けに書いたらしく、自分にとってはもってこいじゃないか!と思いましたね。ただし後半は「中高生向け」を断念したためか、阿部さんタガが外れてしまい(?)、ちょっと難しくなってきます。それでも最後までヒジョーに興味深く読みました。

ヨーロッパ(ドイツ)と日本の庶民の人間関係、差別、文化、文明(ここでは文化と文明を独自に分けて定義)の違いと共通性を、ヨーロッパでのキリスト教普及以前と以後に絡めて説明しています。なぜ修道院のオバハンは蛇を殺そうとしたのかとか、なぜ院長がピストルをもっていたのかなどです。あと、自然と人間を大宇宙と小宇宙に分ける考え方が出てくるのですが、それはこの本のメインテーマっす。最後には音楽の話も出てくるので、トラッド好きにはたまらんと思います。

そういえば人間中心主義のキリスト教と、その宗教が普及する前、つまり古代からの「万物に神が宿る」信仰については、日本でもう何年も映画や音楽のテーマになっているような気がします。阿部さんのこの本や『ハメルン』の与えた影響は、もしかすると刊行以来じわじわと浸透していったんかな思います。


【雑談】

このサイトの始まりからよくコメントをしてくれていたロック師匠で親友のグレートすがちゃん(グレすが)が自殺してから、今年(2014年)の7月で3年たちました(享年46)。

この末期的な世の中、相変わらず自殺が多いです。こういう事件が起きると、バカのひとつ覚えみたいに次のようなことをいう人がいます−「愚かな行為だ」「命を粗末にしてはいけない」「親が悲しむ」「安易な選択」「自殺するなら死ぬ気で生きろ」などです。バーカ、甘いわと思いますね。それらの意見、全て本人の気持ちのかけらもわかっとらん自分勝手な考えです。

まず、本人にとっては死ぬことより生きることの方が苦痛であるほどの境地に至っていたということを少しでも理解できるなら、上のような判で押したような軽いことばは出てこないでしょうね。

自殺者の大半がうつ病であるという話を聞いたことがあります。そうかもしれないと思います。究極的には、死のうと考えている人に何をいっても無駄だし、ダメなときはダメです。

しかし一縷の望みに賭ける対処としては、本人と同じ境地に自分も立った上で説得を試みるしかないと思います。「君はうつ病という病気だ。とりあえず病気を治してから死ぬか生きるか考えてみないか?ダメだったら死ねばいい」くらいいってもいいと思います。そしてグレすがちゃんにそういってみればよかったかもしれないと今では思ってます。おわり


【雑談】

最近、弟に聞いて考えを改めた話です。みなさんはアシダカグモ(→)はどうですか?(どうですかって・・・)「気持ち悪い!」とか「ひえ〜〜、やめてくれ〜!」ってのが普通の反応ですよね。実際自分もそうでした。

しかしアシダカグモさんって、家に2匹もいればゴキブリが一掃されるくらいの益虫らしいですね。ゴキブリが一掃されるんですよ!どんな足の速さやねん!って思いませんか?

もちろん毒はないし、性格もおとなしく、普段は人目につかないように家のどこかでひっそりと暮らしてはるんです。もしかすると彼らはこう思っているのかもしれないです。

「こんな醜い姿を人間に見せては申し訳ない。我々ができるのは人間たちが嫌うゴキブリを食べてあげることだけだ。そうしていればいつか必ず人間になれる日がやってくる」

妖怪人間べムの見過ぎですが、なんて寡黙で奥ゆかしい奴らだと思いませんか。本当の「侍」の精神ですよ。以前寝ていたら顔の上をゴキブリが這っていったという凄まじい経験をもつ弟は(発狂しかけたそう)、ゴキブリが出だした最近、アシダカグモを2匹飼いたいといい始めています。

それはそうですね。家の中にゴキブリがいるのと、ゴキブリは全くいないがアシダカグモがいるのとではどっちがいいか、言わずもがなじゃないですか!彼らこそまさに「蜘蛛の上の人」です。尊敬しようと思います。マジで。


【フェイヴ・レイヴス at 磔磔 in 京都】

2014年4月14日、京都の磔磔で行なわれた例年のフェイヴ・レイヴスのギグに行ってきました。磔磔といえば、あの晩年のガリガリにやせたOVライトがステージに立ち、伝説となった会場ということで、フェイヴスにとっては特別な場所です。

今回のバックはギター、ベース、ドラムスの基本の3人に、トランペットが2本とテナー・サックスが1本という計6人の編成でした。いつもの二部構成で、第二部はもちろんOVトリビュートがメインでしたね。つかみはバーケイズの“Soul Finger”です。ペット2本なのでイントロの「メーリさんのひっつっじっ!」がバッチリはまってましたよ。ちなみに一部の幕開けは意表をつくキング・カーチスの“Memphis Soul Stew”で、そらカッチョよかったです。

フェイヴス定番の“Love Attack”は、オリジナルのジェイムス・カーとスペンサー・ウィギンスのヴァージョンを続けてやるという懲りようでした。そしてハイライトはOVの『ライヴ・イン・ジャパン』と同じく、“God Blessed Our Love”、“When A Man Loves A Woman”、“That's How Strong My Love Is”のメドレーです。今回は意表をつかれる構成でヒジョーに楽しかったです。イエ〜、また秋に大阪で会おうぜ!


【雑談】

WOWOWかどっかでやっていたヘヴィ・メタルの歴史をとりあげたシリーズ「メタル・エヴォリューション」観ましたよ。

弟が昔ヘヴィメタ・マニアだったので、全部録画して見せてくれました。これがなかなかおもろかったんです。当時は全ていっしょくたにバカにしてましたが、今見ると年月に耐えるバンドと完全にバブル80s的徒花的バンドとにはっきり分かれてしまうんですね。

80年代以降のNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)の流れの中ではやっぱりダントツでアイアン・メイデンが今でも見る(聴く)に耐えるバンドでした。ベースのスティーヴ・ハリスさんがしきりにパンクの影響を否定するところがおもしろかったです。なんとかヘヴィメタとパンクをつなげたいインタビュアーが誘導尋問的に質問するんですが、スティーヴさんは「いや、絶対にそれはない!パンクは大っ嫌いやったわ!」と。

元ダムドのラット・スケイビーズの最近のインタビューもおもろかったです―「ヒラヒラの衣装に玉なし野郎かよ」って。80年代のダムドを思い出すと似たり寄ったりのような気も・・・。

当時のニュー・ウェイヴ・バンドの紹介として、よりによってなぜかヴェイパーズの“ターニング・ジャパニーズ”の映像が出てきたり、ストゥージズやMC5、キンクスのデイヴ・デイヴィスまで出てきましたね。ダムドのキャプテンは残念ながら出てきませんでした。ってこのシリーズまだ終わってないんかな?


【雑談】

久しぶりにこのへんで怒り入れときます。市内循環のワンマンバスに乗ったときにたまにある光景っす。おい!そこのクソババア!あなたのことですよ。こんなサイト見てるわけないですが。

みなさんはバスに乗ったときに小銭がなく、千円札しか持ち合わせていないときどうしますかね?普通、自分が降りるバス停の2つか3つか手前くらいか、あるいは乗ったときすぐかに、運転手さんの横にある両替機で前もって小銭に崩しませんか。

ところがマナーのわかっとらんクソババア(もちろんジジイもあり。あ。たまに若者もあり)は自分が降りるときにそれ、やりよるんです。どう思いますね?ババアのうしろには行列ができています。みんな出社時間に遅れまいと、1分1秒を争う狂った社会に生きているんです。

崩すの忘れることだってもちろんあります。しかし常識ある人はそういうときは一番最後に並ぶか、申し訳なさそうに横によけてうしろの人たちが先に通れるように立ってくれますよ。

無意識過剰厚顔無恥クソババアたちに告ぐ!バス乗るな。


【雑談】

「帰ってきたウルトラマン」観ました(あのね)。いやあ、この2代目ウルトラマン、自分の中では68〜9年から始まったイメージもってましたが71年からだったんすね。初代、セヴンと続いてこのシリーズから一気に垢抜けたような印象があるのは、団 次郎扮する郷 秀樹の日本人離れした容姿と主題歌だったのかなと思いました。

しっかしこの主題歌のイントロ、やっぱりエタ・ジェイムスの“Tell Mama"ですよね。クラレンス・カーターの“Tell Daddy”でもいいですが。おまけに歌が入る直前にはスタックスでおなじみのホーン・フレーズにつながっていくんですよね。カッチョいいグルーヴです。

第1回で「ウルトラ警備隊」に当たるここでの「MAT」の説明がありました。MATとはMonster Attack Teamの略だそうです。怪獣攻撃隊やんけ!しかも国際連合傘下の地球防衛組織に属する(日本支部か?)いうてましたが、隊員の数少なすぎやしないでしょうか。

まずいきなりタッコングともう一匹の怪獣が東京湾かどこかの港に現れ、軽そうなビルや工場やミニカーなど破壊しまくります。子供と犬を助けようと自らの命を投げ出し、郷さんは発泡スチロール製のコンクリート片に当たって死んでしまいます。その一部始終を見て感銘を受けたウルトラマンが、いっしょに地球のために戦おうじゃないかといって、郷の体に乗り移るわけですね。このへんがなかなか感動的でした。

もちろん当時の他のヒーロー物同様、ツッコミどころは満載だしいろんなところでいわれていますが、郷さんの恋人のアキちゃん(榊原るみ)と車修理屋の坂田さん(岸田森)があっけなく殺されてしまうのは、ちょっとひどすぎる脚本だなと思いました。坂田さんとのレースの夢はもう終わりかい!しかも二郎君とともに立ち直りが早い!榊原るみは「男はつらいよ」のマドンナ役がこの頃なので撮影のため降板だったんすかね?

ただ、改めて観ると、この「帰ってきた・・・」ちょっとお涙頂戴な場面が多すぎるかな思いました。初代ウルトラマンは最後でいつも井出隊員が「われわれ人間とはいったい・・・」などと哲学的なことをつぶやくあれがよかったんですけどね。おわり!


【つボイノリオ】

→は名古屋出身のDJ、つボイノリオさんの75年のシングル「金太の大冒険」のジャケです。この放送禁止になったレコ、昔フリーマーケットか何かで安く手に入れたんですが、どうやら手放してしまったようで今ではすごく後悔しています。

問題になったのは歌詞に出てくる「金玉」です。まあ、要するに最初から最後まで言葉遊びで成り立っていて、「金太 負けが多い」とか「金太 マカオに着く」とか「金太 マスカット切る」とか延々歌っとるわけです。念のためそれぞれ「金玉 毛が多い」「金玉 顔につく」「金玉 スカッと切る」となります。つボイさん思い切り「金玉」いうてますから、そら放送禁止になるでしょうね。

大学生のころ、つボイさんのラジオ番組「ハイヤング京都」(KBS京都)を毎週熱心に聴いてました。やはり番組の内容も放送禁止ギリギリの下ネタが多かったですが、実はつボイさん、かなり博学な人でしたね。しゃべりもうまいし、ところどころ真面目な面ものぞかせていました。

一度だけKBS京都まで差し入れに行ったことがあります。「差し入れ」というのは、番組のある日の夕方にリスナーたちがラジオ局に集まって、つボイさんに何かを持ってくるという毎週の行事でした。中には犬のウンコだとか、ただのゴミだとかを持ってきて、つボイさん「お前らええかげんにせえよ」と番組の中で怒ってました!最近はずっと地元の名古屋で活躍されているみたいです。当時は自分のことを週休4日DJとかいってましたが、今はどうなんでしょうか?

リスナーたちのペンネームにもおもしろいのがたくさんありました。ワギナンシー、オナニーナ、カンジルーシャの女子高生トリオ(もうかなりのオバハンになってるはずです)、ウルトラ山田、スワッピングエモンとか・・・。番組で話題になった人には牧冬吉(白影)、藤きちさと(演歌歌手でしたっけ?)、大空テント(漫談家)などがいました。あ!そういえばディレクターのフクイさん、元気ですかね?この人のツッコミがまたうまかったんです。おわり!


【Best Albums 2013】

月並みですが、今年のマイ・ベスト10アルバムの発表です!以下ABC順でこんなです。

C.O.B./Moyshe McStiff & The Tartan Lancers Of The Sacred Heart

Dr.Feelgood/All Through The City(with Wilko 1974-1977)

Famous Jug Band/Sunshine Possibilities

Iggy Pop/Lust For Life

Incredible String Band/Live At The Fillmore 1968

Incredible String Band/Hard Rope & Silken Twine

Meters/Rejuvenation

Plasticland/Plasticland

Prisoners/Rare And Unissued

Quicksilver Messenger Service/Quicksilver Messenger Service

ソウルはミーターズだけだったので来年はソウルにもっとがんばってほしいです。って意味不明ですね。´キΔ函△笋呂螢ぅ鵐レ関係が強く、自分にとっては新たに一生モノの音楽が加わったと感じた奴らでした。自分の中で不動だったフェアポートの地位が揺らぐほどのアーチストとなりましたね。ブツとして特にうれしかったのが△任后4枚組の通常のプラケースで2000円ちょっと、そしてこのバンドに欠かせない視覚的な要素としてDVDが付いていたのが大きい!

来年は今まで見逃してきた大物アーチストたちの「過去」のアルバムを特に聞いてみたいと思ってます。といってもロックオヤジ好みのダッサいツェッペリンやパープルなんかにはやっぱり手が出ないと思います。・・・いや、わかりませんよ。いつも行き当たりばったりなので。来年もよろしくです。


【跳ぶ人ら:続き】

→はザ・フーのベスト盤「Who's Better, Who's Best」のジャケです。↓のピート跳び過ぎ写真はやっぱり合成じゃないですかね?下のはピートのうしろのギター・アンプが1段増えてるし!メンバーのポーズが全く同じなので間違いないと思います。せいぜい50センチくらいのジャンプですよね。

しっかしうまいこと作るの〜。おわり




【跳ぶ人ら】

ザ・フーの画像を探していたらよく見る→の写真に出くわしました。これ、改めて見るとピートの跳躍力って半端じゃないと思いませんか?

72〜73年ころのステージだとして、ピートは27〜28歳です。重いギターを抱えながら1メートルは跳んでますよね。よく見れば見るほど「これホントに跳んでんのかなあ?偽造写真じゃなかろうか」と思ってしまいます。

一度は試してみたギタリストのみなさんなら分かると思いますが、カッコよく跳ぶのって実はすごく難しいんですよね。ピートのジャンプは元祖&別格として、他にどんな人が跳んでいたか挙げてみると、ウィルコ・ジョンソン、ポール・ウェラー、クラッシュのミック・ジョーンズ、トイ・ドールズのオルガ、ストラングラーズのジャン・ジャック・バーネル、ポリス時代のスティングも跳んでましたね。最後の二人はギターよりさらに重いベースを持ちながらなのでそりゃ大変だったろうと思います。

「誰にあこがれてジャンプするようになったの?」と上に挙げた人たちに誰かインタビューでもしてもらって、ブリティッシュ・ジャンプの系譜と題して本を書いてもらいたいです。ブリティッシュ・ジャンプって・・・。あ。みんなピートか。5ページくらいで終わってしまいそうですね。終わっときます。


【雑談/サッカー話】

日本のバカマスコミはなぜいっこうに学習しないのかと思います。
おとといの日本vsオランダのことです。

オランダは飛車角抜き(ファンペルシとスナイデルがおらん)、客席ガラガラの国際フレンドリー・マッチです。オランダほどのチームが本気で戦うわけがありません。それで引き分けて大騒ぎする日本のマスコミは気違いちゃうかと思います。

ちょっとでも他の試合を見渡してみればわかることです。前日には韓国がスイスに勝っているし、アルゼンチンは分け、イングランドは負け、ベルギーもコロンビア(でしたっけ)に負けています。WCプレーオフで強豪国が腑抜けるのは当たり前です。しょせん国際親善試合っちゅうのはこの程度のモチベーションです。それを日本のマスコミは分かってるんでしょうか?

フランスvsウクライナ戦でファースト・レグを落としたフランスは大ピンチです。フランスがWC出場を逃しても日本は出るわけですね。おかしくないですか。日本なんかサッカーやめてまえ思います。いや、ウソです、がんばってほしいからキツイこというとるんです。さらに勘違いしないようにベルギーは日本をボコボコにしてほしいです・・・が、今日本が3-1で勝ってます。ベルギー本気でしょうか。もうええわ。マスコミとファンの無知が日本のサッカーを殺す!


【雑談】

リマスター復活ネタです。

概してドラムというのは、大柄で持ち運びが難しくて、日本の住宅事情では近所迷惑のため自宅で練習できないし、おまけに練習が退屈な楽器です。とりあえずはメロディ楽器じゃないですから、スタジオを借りてドカドカやったとしても一人でひたすらリズムを刻むときの孤独感といったらかなりのもんがあります。

もう20年は前のことになりますが、まだ親と一緒に住んでいたときに、何とか庭で毎日練習したいと思い、練習用のドラム・セットを購入したことがあります。そうっす、スネア、ベース・ドラム、タム、シンバルが全て黒いゴム(パッド)でできたあれです。そらもう最初はうれしくてうれしくて、仕事から帰ってきて毎日叩くぞー!っと意気込んでいたものです。

しかしですね、あれ、けっこうゴムといってもそれなりに音がデカいんです。何日間くらいでしょうか、おそらくひと月もたたないうちか、もしかするとほんの数日だったかもしれませんが、静かな夜間はやっぱり近所迷惑ちゅうことでやめにしました。で、仕方なく休日の昼間にやることにしました。

ところがですね、しばらくは続けたんですが、所詮は相手は皮ではなくゴムですからストレスがたまっていき、やっぱりスタジオを借りて本物のセットで練習したいと思うようになりました。そのうち練習キットはほったらかしにされ、ベランダで風雨にさらされるようになりました。

その結果、どうなったか・・・。↑のようになりました。うちのおかん曰く―「これ、植木鉢置いたらええインテリアになるわ」

これを見たときは我ながら情けなくなりましたが、振り返ってみると、結局そんなに根っからのドラム好きじゃなかったのかなとも思いますね。やっぱりスティックを持つだけで楽しくてしょうがない!三度の飯よりもドラム!ってくらい好きじゃないと上達しない楽器なのかもしれませんね。おわりです。


【訃報】

イタリア人俳優のジュリアーノ・ジェンマが亡くなりました(享年75)。病死ではなく交通事故死なのが意外です。映画通では全くなく、実は久しぶりにこの名前を聞きましたよ。

ジェンマといえばマカロニ・ウェスタンで有名でした。が、数々の西部劇代表作は子供のころにほとんど見たと思うんですが、内容は全く覚えてませんし、「荒野の何とかかんとか」っちゅうタイトルはクリント・イーストウッドの映画とごっちゃになってるほどです。

記憶にあるのはしょーもないことなんですが、チャールトン・ヘストンの「ベン・ハー」でエキストラとしてチラッと映るの知ってますか?たしか大浴場のシーンだったと思います。あれ?「ベン・ハー」ではなく、カーク・ダグラスの「スパルタカス」だったか?こっちの記憶もごっちゃになってきました。すんません。

古代ギリシアとかローマなんかのスペクタクル映画好きとしては、ホメロスのイーリアス/オデュッセイアを題材にしたジェンマ主演の映画があったような気がするんですが、これもどうしても思い出せません。どなたかご存じないでしょうか?ヘビ女のゴーゴン(メドゥーサ?)とか巨人とか出てくる冒険物です。あ。これもジェンマ主演だったかどうか怪しいっす。もうめっちゃくちゃですね。こうやって歳とって死んでいくのは悲しすぎるので、もっと本読もうと思います。Rest In Peace


【ゴースト・ミュージシャン/鈴木啓志 著】

マッスル・ショールズ産ディープ・ソウルの裏側の歴史を、説得力バリバリのデータと考察と本物の耳で見せてくれるエゲツない本が出ました。あまりにおもしろくて320ページを二日で読んでしまいました。もう一回ゆっくり読んでみようと思ってます。

鈴木さんといえば、20年ほど前の「USブラック・ディスク・ガイド」は自分にとっては黒人音楽のバイブル本だし、数多くのレコやCDのライナーなんかは、これもまとめていつか1冊の本にしてもらいたいほど読み応えのあるもので、日本のソウル・ファンにとっては先導者的存在の人です。

この本は書き下ろしとしてのその集大成的な内容で、目からうろこ落ちまくりでした(魚1匹分)。

まず伝わってくるのが、マッスル・ショールズの歴史がひっくり返ってしまうほどの確信に満ちた諸説以上に、鈴木さんのサザン/ディープ・ソウルに対する愛情でしたね。まあ、この愛情があるからこそ数々の説が導き出されているんだと思います。

そしてこの本の中で最も登場する名前は、当然フェイム・スタジオのオーナーだったリック・ホールなんですが、その次に多いのがフェイム・ギャングのドラマー、フリーマン・ブラウンなんです!いきなり序盤からこの名前が出てきて思わず笑ったと同時に、うれしくて鳥肌立つくらいでしたね。

これはぜひとも英訳本も出してもらって、欧米の音楽評論家にも読んでもらいたいっすね。ピーター・ギュラルニックを始めとする英米の評論家を思い切り批判した部分もあるので、あちら側からの反論なんかで議論を戦わせたりするとさらにおもしろいことになるんじゃないでしょうか?!

とにかくソウル・ファン必読の書であることは間違いなし!


【雑談(オッサンの怒り)】

オリンピックだのリニアだの、相変わらずくっだらないことばかり考えているこの国は、今世界中から笑われていることを国民は知るべきだと思いませんか?

IOC総会でのオリンピック招致のプレゼンでしゃべった安倍首相のヘッタクソな英語と、その内容に穴があったら入りたいほどの恥ずかしさを覚えなかった人、東京五輪実現を単純に喜んでいる人たちは相当神経が麻痺していると思いませんか?

オリンピックなんて毎回アテネでやりゃいいんです。4年にたった一度、ほんの2週間弱の開催のために巨額の金を投資したあげく(儲かるのは土建屋関連)、大会が終わって無用となった巨大な箱ものにかかる費用なんかで大会前より疲弊していった各都市の実情を私たちは見てきたんでなかったでしょうか?いいかげん学習したほうがいいと思います。

その時さえ儲かればいい、今さえ良ければいいといった近視眼的な考えでは、行く先はバビロンです。ああ腹が立つ。


【雑談】

内田樹さんのブログはよく読んでいて、たまに壮大な言い訳を聞かされているように感じたりすることもあるんですが、最新の2つ、『五輪招致』と『Natureから』については(内田さんにしては?)ずいぶんと分かりやすく、ヒジョーに常識的なことが書かれてあって激しく同意しましたね。

まあ、隣国との関係については相手の出方に対するこちらの堪忍袋の問題であって、「そんな理想論はもう無意味だ」という意見も分かるし、そのへんを抜きにしてはダメなのも分かりますが、もっとそれ以前の前提論としての話です。つまりそんな状況でこんなことしてる場合かってことです。

まず五輪について内田さんに共感した部分は―

『東京に招致できたら「どれくらい儲かるか」という皮算用の話しかメディアからは聞こえてこない』

『五輪招致国であることの資格は、何よりも「国籍も人種も宗教も超えて、世界中のアスリートとゲストが不安なく心穏やかに滞在のときを過ごせるような気づかいを示せること」である』

『原発事故のことを忘れたがり、隣国を口汚く罵倒する人たちが政治の要路に立ち、ひたすら金儲けの算段に夢中になっている国に五輪招致の資格があるかどうか、それをまず胸に手を当てて考えてみた方がいい』

『東電と安倍政府がどれほど国際社会から信頼されていないか、私たちは知らされていない』

『この[ネイチャー]の記事もこれまでの海外メディアの原発報道同様、日本のマスメディアからはほぼ組織的に無視されている』

です。

しかし不思議に思うのが、それでも五輪の最終候補地に東京が入っていることですね。会見で海外メディアから「IOC委員に汚染水問題を懸念している人もいる」という問いに、「日常的に放射線量も公開しているが、ニューヨークやロンドンの数値と全く変わりがない」とわけのわからない回答をした猪瀬知事ら五輪招致団はいったいどんな根回しをしてきたのか。やっぱりキーワードは金(儲け話)ですかね?


【雑談】

ボーーーー!!!

没後40年ちゅうことでブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」観ましたよ。いやあ、やっぱ凄い格闘家だったんだなと思いました。そういえば最近、「燃えよドラゴン」に出ていたジム・ケリー(アフロの黒人)も亡くなりましたね。ソウル・シンガーみたいでカッチョよかったです。

リーのカッコよさの前ではほとんどどうでもよくなってくるんですが、「死亡遊戯」のぞく主演の4作品「危機一髪」「怒りの鉄拳」「ドラゴンへの道」「燃えよドラゴン」の中では、最後の「燃えよドラゴン」以外はどれもけっこうメッチャクチャなストーリー展開でした。しかも役者は使い回し!

おまえがタンロンかっ!!

最後はたいていパトカーがリーを逮捕しにやって来て「終劇」となるんですが、「怒りの鉄拳」の場合は狙撃隊に飛び蹴りで向かっていき、「バンバンバン!」と銃声が響き渡るところでおしまいという、衝撃的で悲劇的なエンディングでした。あの飛び蹴り寸前の怒りの表情がすごいです。

おまけにこの映画、時代設定が20世紀初めの大日本帝国支配下の上海でした。卑劣な日本人道場とか「犬と中国人は立ち入り禁止」とか、完全に日本は悪者として描かれてましたね。

ブルース・リー自身は別に日本嫌いじゃなかったので大丈夫です。嫌いどころか「座頭市」のファンだったそうですし、この映画には実際に勝新も絡んでいました。

ところで↑の写真は「燃えよ・・」の時のひとコマなんですが、右に写っているヤン・スエ(ボロ)、この人見た目ただのデブじゃないでしょうか?ちょっとやりすぎな体型ですよね。


【雑談】

もう誰が書いたのかも、どんなタイトルだったのかも忘れてしまいましたが、昔々、イギリスの二大政党政治についての本を読んで「ふ〜ん、なるほどなあ〜」ととても印象に残った記述がありました。

今現在の労働党がどんな風になってるのかはあまりよく知らないですけど(だいぶ保守党寄りになった印象はあり)、一昔前までの(つってもどれくらい前なのかはちょっと・・・)まだ労働党が保守党と同じくらい力を持っていた時の英国の政治というのは、選挙で政権が変わるたびに政策が180度ひっくりかえってしまうほどの変化があったそうです。だからそのたびに国民は大きく振り回されることになるんですが、それが政治の健全性を保つのに一役買っているのではないか、ということでした。それを保つために代価を払うことをいとわないのがイギリス国民であると。

これにはすごく説得力を感じましたね。そもそも政治がうまくいくのは、左右(保守と革新)の均衡が保たれた時ですよね。どっちに傾いてもダメなのは歴史が証明していると思います。

もちろん階級社会ではない日本の事情は大きく違いますが、今の共産党に政権なんかとってもらったら国が滅びるんじゃないかと思いますので勘弁ですけど、なくなってもらってはやっぱり困るというか、ヤバいと思いますね。

実は大学の時のゼミの先生がバリバリの共産党支持者だったんです。ポリシー(口ぐせ)は「いずれ日本も社会主義国家に自動的に移行する」というものでした。担当はロシア語・・・。その教授のこんな体験談を聞いたことがあります。ある日彼は同僚の教授とテニスを楽しんでいたらしいんですが、ボーっとしていたのか転倒したかボールを顔かどこかに当ててしまったかでケガをしたらしいです。で、相手の教授にこういわれたそうです。

「いつも夢みたいなこといってるからですよ」
これは笑いましたね。

もう25年くらい前の話です。長期的には夢みたいな話でもないかもしれませんけど。


【インクレ話 その2】

マイティ・ベイビーの連中や75年頃のリチャード・トンプソンはイスラムのスーフィー教に傾倒してましたが、ISBの連中は68年から解散時の74年頃まで新興宗教のサイエントロジーにハマっていました。ということはですよ、66年アルバム・デビューのISBは10年弱の活動期間中、半分以上はこの宗教の影響下で音楽を作っていたことになるわけです。

60年代後半の英米ミュージシャンたちがLSDや大麻の助けを借りて音楽を創り上げた側面があったのと同様に、それがどんなに如何わしい宗教であろうと出来上がった音楽が素晴らしければ結果オーライじゃないか!と思うし、私ら遠く離れた日本人リスナーにとっては実際その通りなんですが、その音楽が素晴らしく感じられれば感じられるほど、ファンとしては複雑な気持ちになってしまうのも事実です。

当時は向こうのファンの間でも賛否両論はあったそうで、マネージャーだったジョー・ボイドは著書の中でサイエントロジーのことをほとんどクソミソに書いています。

で、そのボイドの分析から自分なりに想像してみたんですが、たいていは「ビジネスの成功」に的を絞ったこういう新興宗教って、アメリカという国特有の現象じゃないかということです。自由の国といっても、実際のところアメリカはあからさまに弱肉強食社会ですよね。まあ、その成れの果てが現在のあの国の極端な格差社会につながっているんだと思いますが、当時からスポーツ含めたショー・ビジネスの世界にいた人たちって常に落ちぶれることを心配しながら、強迫観念の中で日々を過ごしていたんじゃないかと思います。

人間、そういう時には何かにすがりつきたいと思うものだし、もともと宗教というのは「死への恐れ」から生れた保険みたいなものじゃないでしょうか。そう考えれば、最初は崇高な理念でもってハマったにしても、70年代に入ってどんどんとセールス的に下降していった当時のISBがすがりついたのも無理もないことなのかなあと思ったりします。

では最後にジョー・ボイドのセリフを引用しときます―「私はL・ロン・ハバード(サイエントロジーの創始者で元SF小説家)の海軍のキャリアについてのウソを暴いた『素顔の救世主』という本を読んだが、そこには1948年に彼がSF小説家の代表者集会で演説した話が詳しく書かれていた。彼はそこで代表者たちに、もし本当に儲けたいのであれば、サイエンス・フィクションのことなど忘れ、宗教を始めればよいとアドヴァイスしていた」

ジョーによれば、ハバードは三文SF小説家だったそうです。


【サッカー雑談】

コンフェデ杯はスペインを下したブラジルが優勝しましたね。実はまだ観ていないんですが、聞いたところではスペインの選手は疲れが見えたそうです。それもそのはず、イタリア戦で死闘のPK戦のあと、中2日で2000キロの移動だったそうじゃないすか(ブラジルは中3日)。

国内リーグ戦ならこういった条件の不均衡も、弱いクラブにとってはチャンスとなったり、おもしろさにつながると思うんですが、国際マッチではどうなんでしょうか?まあ、今回は格上のスペインのハンデということで、ブラジルに花をもたせてあげたということにしたいと思います(何様か)。

ところでサッカーの主審って数あるスポーツの中で、もっとも体力と運動能力と判断力と演出力が必要な仕事だと思いませんか?ボールをよけながらあっちゃこっちゃとボールを追い(スペイン((バルサ))のパス回しなんて・・・)、猛スピードで動く選手を目で追い、ファウルか不可抗力なのかを瞬時で判断しなければなりません。おまけに選手たちは主審をあざむくことばっか考えてます。そらもう大変な仕事だと思います。私、サッカーの主審ができたらたいていの仕事ができるんじゃないかと思ってます。

演出力というのはなにも八百長ではなくて、いかにゲームを壊さずに、つまらなくせずに維持していくかっちゅうセンスのことです。よく「主審が主役になってしまったゲームはつまらない」とかいいますよね。例えばちょっとしたファウルですぐに笛を吹いてしまうとか、がんがんレッドカードを連発してしまうとか、つまりゲームの流れを止めてしまうことです。でもこれが想像以上に難しいんでしょうね。

強豪同士のゲームで、開始1分に主力選手が一発レッド・レベルのファウルを犯した時に、レッドを出す主審ってのはもちろんファウルのレベルにもよりますが、やっぱり演出センスに欠けますよね?PKの判断や時間帯も試合内容によって変わってもいいし、むしろそうあるべきだと思います。つまりかなりの柔軟性がないと、頭ガチガチではとてもサッカーの主審は務まらないってことだと思います。これは他のスポーツにはあまりない要素かもしれませんね。おわり


【インクレ話】

自分が一時期狂ったように聴いていたフェアポート・コンヴェンション以上に、今ごろになってハマりまくっているのがインクレディブル・ストリング・バンド(ISB)です。

パンク・ロック上がり、ドラムを叩いていたというのもあって、それらとは対照的なISBには自分の中でどこか番外バンド的な扱いをしていたんですが、あるCDをきっかけに本格的にハマることになってしまいました。

そのCDというのが、2007年に英Huxレコードからリリースされた2枚組BBC音源集の「Across The Airwaves」です(↑)。

一般的な彼らへの評価と、まさに当事者といっていいプロデューサー&マネージャーだったジョー・ボイドの発言も少しは影響していると思うんですが、セカンド・アルバムの「5000スピリッツ」と次の「ハングマンズ・ドーター」までは聴いたことあるけど、次から先はなかなか食指が動かない人って今でも多いんじゃないでしょうか?実は私もそうだったんですが、そういった先入観をぶち破ってくれたのがこのCDっす。

マンバンドのディーク・レナードが自虐交じりに自分たちのことを「単なる消費音楽を超えた後天的嗜好音楽」と例えたように、ISBの場合もくり返し聴いているうちに、だんだんと好きになるような音楽だと思います。
ただ、一聴してカッチョいい!しかも一生聴き続ける!ような「単なる消費音楽」でも「後天的嗜好音楽」でもないビートルズやストーンズやスモール・フェイシズやツェッペリンと比べてしまうと(キンクスはこっちですね)、どうしても分が悪いです。

おまけに彼らが好まれないポイントと思われる、「バンド」と名乗りながらドラムがいない、長くて変なお経みたいなのが出てくる、真面目さが足りない(なんだそれ)といった不満って日本人が好きなプログレとは正反対の要素なんですね。

彼らも後期になってくるとアート・ロックというかプログレッシヴなことをやり始めるんですが、ストレートなジャグやカントリーやトラッドは相変わらず出てくるし、変てこヘナチョコぶり(ユーモアセンス)も失われてはいないです。よく聴けば聴くほど、一小節ごとにテンポが変わる曲にドラムはそぐわない、変なお経は笑うところ、真面目さが足りないのではなく、真面目すぎて頭がおかしくなってしまっただけなのが分かると思います。あんまりな極論ですが、それぐらいいっときます。


【男はつらいよ話】

みなさんは寅さんは好きですか?心の優しいロック/ソウル/フォーク・ファンには好きな人が多いと確信しているんですが(おめでたい?)、シリーズ全て観ましたか?

80年代に入るとさすがの寅さん(渥美清)も年をとってきて、ちょっと観ていて疲れた感じが出てくるようになるんですが、70年代までの勢いはそらもう大変なものがありました。

全48作品の中で最高傑作は?という話になると、デッドのライヴ盤と同じように、ファンの数だけ評価が分かれるほどだと思います。で、私が一番だと思うのが、マドンナがリリーでも吉永小百合でもなく、「ぼたん」の太地喜和子の「寅次郎夕焼け小焼け」(第17作 1976年)なんです。

他のキャストには寺尾明と寺尾明のおとっつあんの宇野重吉が出ています。この宇野重吉演じる名画家の池ノ内青観がまたいい味出してるんですよね。「しの」さん役で出てくる青観と同世代の女性(岡田嘉子さんという往年の大女優だそうです)との意味深な絡みもまたいろいろ考えさせるものがあるんです。それから悪役として出てくるあのほれ、昔よくドラマに出ていた名脇役のあの人、名前を思い出せませんがこれがまたムカつくんですよね。

前半がいつもの笑い、後半がシリアスな展開、最後が大ハッピーエンド、これがいいテンポで進んでいくんです。久しぶりに真剣に観ましたが、やっぱ名作だと思いました。オープニングの夢シリーズは、76年当時話題になった人食いザメ映画「ジョーズ」のパロディです。下半身を食いちぎられたげんこう(佐藤蛾次郎)がサイコーっす。最後にはさくらもサメに食われて寅さんの手に足だけ残りますもんね。このエグい演出も個人的にはポイント高しっす。おわり!


【雑談】

ちょっくら新幹線に乗って博多まで(ここ奈良です)レコでも買いに行こか〜っちゅうことで行ってきました。こう書くと、どんな金と暇のありあまった奴やねん!と思われるでしょうが、そうです、以前ここで書いたように、博多でのルースターズ再結成公演をインフルエンザで逃してしまい、新幹線のチケットだけが手元に残っていたんです。

チケットの有効期限が迫っていたので、日帰りの博多一人旅してきました。そら空しかったです。日帰りなので何時間も博多にいられません。JR博多駅に着いたのが昼飯時だったので、改札からそのまま直進し、「博多だるま」というラーメン屋で豚骨ラーメン&焼き豚ご飯のセット食いました。これはうまかったっす!

それから地下鉄に約10分乗り、天神にあるジューク・レコードへ行きました。時間がないのでこのレコ屋さんだけが日帰り博多旅行の目的です。ものすごい在庫量で、身長の1.5倍くらいある棚一面にレコとCDがびっしりでした。おかげで2時間近くじっくり掘りましたよ。

事前に京都の友人から、店長の松本康さん(めんたいロックの立役者の1人)のことを少し聞いていたんですが、いてはりましたいてはりました!掘り出し物のソウルのオリジナル・レコ(すごいまけてくれた!)と英フォークのCD2枚を見つけ、松本さんとちょっとだけ話をして店を出ました。おっとこ前で声の優しい店長さんでしたね。

はい、もう帰る時間です。新幹線に乗った時間が往復で約5時間半、博多にいた時間が約3時間、町にいた人々は普通に標準語、これでは博多に行ったのか新幹線に乗りに行ったのかよう分かりませんが、ジューク・レコードのおかげで行った甲斐がありました。おわり!


【フェイヴ・レイヴス at 磔磔 in 京都】

2013年3月23日、京都の磔磔で行なわれたフェイヴ・レイヴスのギグに行ってきました。磔磔といえば、あの晩年のガリガリにやせたOVライトがステージに立ち、伝説となった会場ということで、フェイヴスにとっては特別な場所です。

今回ギタリストはいつもの2人ではなくヒトミ君の1人、テナーとアルトのサックスが2本にプラス、リズム隊の2人でバッキングは5人でした。オルガンが入ったり、女性コーラス隊のフェイヴレッツが入ったりと、毎回ちょっとずつ違った編成で見られるところもフェイヴスのおもしろさの1つです。考えたら今回はもうちょっとのところでマーキーズの編成でした(あとオルガンとトランペットが入れば)。

ステージは1部と2部に分かれ、第2部では敬意を表してOVのカヴァーが中心となったんですが、OVの名盤「ニッケル・アンド・ネイル」からはおなじみの“Don't Let My Baby Ride”と“Ace Of Spades”が聞けました。あとタイトルは忘れましたがたくさんOVやったと思います。たっぷり2時間、ウィルソン・ピケットやオーティスなどのタテノリ系60sソウル色は薄く、どっしりとレイドバックした70年代初頭のハイ・サウンドで、じっくり聞かせる演奏が最高でした。いつもよりテンポもゆっくりめな感じで、それがバッチリはまった夜でしたっす!


【雑談】

自分にとっての「今年最悪の出来事」がすでに決定しました。

2月16日に博多で一夜限り(何度も定期的に“一夜限り”やってるそうですが)の再結成を行なったルースターズの公演を観に行くつもりで、去年末から公演チケットをとり、新幹線のチケットをとり、宿泊を押さえ、仕事の休みをとって万全を整えた挙句、公演日2日前にA型インフルエンザにかかってしまい、全てがパーとなりました。凹凹凹

大江慎也ももちろん見たかったですが、個人的には池畑潤二のドラムを一番楽しみにしていました。事前に友人から教えてもらった「博多ビート・クラブ」というドラム・ソロの映像を見てせっかく気分を盛り上げていたのに・・・。

興味のある方はYouTubeに上がっていますので、ぜひ見てみてください。「博多ビートクラブ」で検索すれば一発で出てきます。サンハウス、ザ・モッズ、シーナ&ロケッツのドラマーたちに続いて最後に叩く池畑さんの破壊的なソロといったら、ちょっと次元が違いますよ。いきなりシンバルで入るところはキース・ムーンかヴィヴ・プリンスといったところです。

新幹線のチケットは4月まで有効なので、いつか日帰りでぶらっと博多まで行ってラーメンでも食ってこようかと思ってます。


【ラジオのこちら側で/ピーター・バラカン】

つい最近出たバラカンさんの本です。74年にロンドンからシンコー・ミュージックに入社するために日本にやってきてから現在までの自身の道のりと、彼の尊敬する二人のDJ、チャーリー・ギレットとジョン・ピールの話、日本のラジオの問題点や展望なんかが書かれてあります。彼の誠実な人柄と幅広い音楽的嗜好がよく分かる大変おもろい本です。買ってきた日に一気に読んでしまいましたよ。

ブリティッシュ・フォーク関連の話は出てこないですが(ちょっと期待してましたが・・・)、ワールド・ミュージック関連でチロッとだけジョー・ボイドと会った時の話が出てきます。

笑ったのは深夜のラジオ生放送中に、ある曲をかけたところ、あまりにつまらなかったので「これはちょっと・・・」と、途中でフェイドアウトさせてしまったというエピソードっす。そんなことがあったんですね。なんちゅうアナーキーなDJやねん!

CBSドキュメントは昔よく見ていたんですが、あのピーターと女性司会者とのいかにも台本通りな会話のやり取りの裏側の話もおもろいですよ。各章最後には10年ごとの彼のベスト10曲が選ばれていて、それぞれのデータも載っているので資料性もありです。

どうでもいいことですが、タイトルに関してはやはり本人としては「レディオ(かレイディオ)のこちら側で」にしたかったところなんでしょうかね?


【雑談】

「無理が通れば道理が引っ込む」、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」、「天災は忘れた頃にやってくる」、「暑さ寒さも彼岸花」、「地震雷家事手伝い」、最後の2つはふざけましたが、何のことかというと原発のことです。

小出裕章さんを始めとする反原発派の問題提議のひとつひとつに、真っ向から反論して論破した推進派政治家が1人もいないまま、なあーんもなかったようにクソ安部政権は原発再稼動の道を復活させようとしています。

結局のところ、日本の政治家とメディアを動かしているのは産業界なんですね。金さえもらえれば、当選さえさせてくれれば自分のスポンサーが誰であろうとご機嫌を伺うこの構造・・・この国の情けない構造です。

なぜ選挙投票率が低いか?一番の理由は、選挙によって国の政策が(根本から)大きく変わる可能性が全く感じられないからだと思います。あとよくいわれることですが、この国の選挙は消去法でしか選べない、つまり「あの党はダメだからこっち」とか「あいつよりこいつの方がマシ」といった思考でしか選べなくなっていることです。これって選挙制度以上に末期的だと思いませんか。

さらに「あんな何も考えてないオバハンの1票と自分の1票の重みが同じやと思うと、投票に行く気なくしてまうなあ」などと思ってしまう自分が末期的です。


【雑談】

内田樹さんのブログを見ていたら、内田さんの友人(らしい)の平川克美さんによる日本の人口減少/少子化についての話が出てきました。

経済オンチの私でさえずっと何となく感じていて、おそらく多くの人たちが感じていると思うのが、今の世界的不況は資本主義経済の必然的な到達点、成れの果、飽和点だということです。ぜい沢品が売れなくなりました。お金持ちでない私らにとって、高価なもので是が非でも欲しいものなんて特にないし、そんなものなくたって生きていけるし、自分に限っていえば、買いたいものといえばやっすいCDか少々高価なものでもレコかオーディオ関係くらいっす。

平川さんは今の少子化について、歴史人口学者のエマニュエル・トッドという人の統計を引き合いに出しています。それによれば、民主主義の進展プロセスの中で女性の識字率が向上し、社会的な地位が向上すると結婚年齢が上昇し、少子化傾向になる、つまり人口減少は経済成長の結果であり、民主主義発展の歴史的帰結だそうです。不況と同じく、経済成長の結果として少子化も起きるというのは説得力ありましたね。

それで思い出したのが、一昔前によく聞いた「男女雇用機会均等法」っす。私この法律、「男女間差別」と「男女の区別」をはき違えたバカ法律だと思ってますが、基本的には女性の社会進出を促すこの法律によって職場に女性が増えるってことですよね。

経済成長の原理のように、女性参画によって全体の「パイ」が大きくなればいいんですが現実にはどうか・・・。これ以上は恐くて(情けなくて)よういいませんので、途中を端折って考えをいわせてもらえば、男女雇用機会均等と同時に男性が家庭に入る、「主夫」になることも同時に促進しないと、そりゃバランス崩れるでしょうってことです。つまり全体のパイの大きさは変わらないっちゅうことです。


【魂(ソウル)のゆくえ/ピーター・バラカン】

写真は数年前に加筆されて新しい表紙となって再発された単行本です。

自分が所有しているのは初版の文庫本の方で、たしか90年代初めに読んで大変おもろかったので、久しぶりに読み返してみようと本棚を漁ったんですがこれが出てきません!まさか捨てるわけはないので、ちょっと実家へ探しに行こうかと思います。

振り返ってみると、自分のソウルへの関心の出発点はこの本だったような気がします。たしかサザン・ソウルの話にけっこうページが割かれていて、ジェイムス・カーやスペンサー・ウィギンスなんかも登場してませんでしたっけ?この本から始まって、次は鈴木啓志さんの「ブラック・ディスク・ガイド」へとさらにディープにディープ・ソウルの世界にハマっていきましたね。

著者の2人とも嫌いなものは嫌いとはっきりいうし、その分好きな音楽、レコに対する愛情がより伝わってくるんですよね。この本に書いてあったかどうかは忘れてしまいましたが、バラカンさんはツェッペリンが嫌いだそうで、そこは自分と同じっす。

ゼップは昔何度か挑戦したんですがやっぱりダメでした。で、最近その理由がやっと分かりましたよ。ゼップはリズム隊は最高なんですが、ヴォーカルとギターがダサすぎなんです。そんな簡単な理由を今さらになって分かったのか・・・灯台下暗しっす。ちょっと違いますか。


【オッサンの怒り】

去年の原発事故直後に、バカみたいに「直ちに影響はない」とテレビでくりかえしていたバカ丸出しの枝野現経済産業相がまたわけのわからんことをいってます。 これです↓

枝野幸男経済産業相は30日、閣議後の記者会見で、従来の電気料金には原発事故のコストなどが含まれていないことから「今までが安過ぎた。間違った料金を取っていた」との認識を示した。2030年代の原発ゼロを進める中で、電気料金は今後上昇するとの見方を示した。[時事通信 11月30日(金)12時17分配信]

こいつの思考回路はどうなってんでしょうかね?事故のコストが含まれていないから今までが安過ぎた?じゃあ、原発コストは化石燃料より高いのを認めるのか?どっちだコラ。そして前々回の【オッサンの怒り】でいったように、電力会社が電気料金を上げたい第一の理由が福島原発の後始末にかかる金のためってのを認めるんだな。

もうそこでコストの一番安い原発を稼動させるまでは、化石燃料コスト分の電気料金を上げなければならないという、電力会社の言い分と矛盾するじゃないですか。我々はどういう国に住んでいるのだ。おわり


【オッサンの怒り】

すんません、今回は単なるストレス発散の場として口汚くなることをお許しくださいませ。

いまだに「コストの一番安い原発を稼動させるまでは、化石燃料コスト分の電気料金を上げなければならない」という、電力会社の言い分をそのまま信じるバカが多いのに絶望的な気持ちになります。特にこういう人たちは福島の惨事を他人事だと思っている関西以西に多いような気がします。私もバカですがそこまでバカじゃないっす。

いいすか?電力会社が電気料金を上げたい第一の理由は、福島原発の後始末にかかる金のためです。電力会社(と電通)に骨抜きにされたクソ民放はこのことをあまり伝えないようですが(地デジに移行してないので2011年7月以降、テレビ見れません&かえってせいせいしたわ)、ちょっと調べれば分かることです。日本は中国と北朝鮮にえらそうなことをいえない立派な情報操作国家ですね。

原発と電気料金値上げはエネルギー問題などではなく、一企業の経営問題であることは周知の事実だと思っていたんですが、どうもそうじゃないみたいっす。この国の人々はどこまでお人好しなのか。電力会社は原発(経営)を維持するために、今あの手この手を使って国民に脅しをかけています。独占企業、殿様商売の典型的なやり口ですよ。

若狭湾の原発が事故を起こして福島以上の被害が出て初めて、つまり手遅れになってからしかこっちの人たちは自分の問題として認識することができないんでしょうか?できないんでしょうね。ほんまバカかと思います。

終わりじゃ!

PS:終了した毎日放送ラジオの「たねまきジャーナル」に続いて始まった「報道するラジオ」のオープニング・テーマ曲が、「あーーーヤア!」の“Cissy Strut”(ミーターズ)になっていたのには笑いました。


【バート・ヤンシュ話】

髪の毛にくしを入れたことがないんじゃないか(写真見てください)、と仲間のミュージシャンにいわれたバートの話です。思いつくままに書きます。

英フォーク界でもっとも寡黙で天才でおまけに男前といえば、このバート・ヤンシュかニック・ドレイクだったでしょうね。今の時代に生きていたとしても、バートがブログやツイッターやミクシィやフェイスブックをやったりする姿はあまり想像できません。

バートに関する話の中で「そうか〜なるほどな〜」と思ったのが、元奥さんのヘザーさんの印象的な回想です。彼女はこんなことをいってました―
「バートは60年代に名声を築き上げたけど、彼は60年代の外側に立っていた。彼は謎めいていたし今でもそう。彼は何かもっと古いものに属した人間だったから。何よりもまず、彼は昔の吟遊詩人的な要素が大きかった」

特に「彼は何かもっと古いものに属した人間だったから」ってところにすごく説得力を感じませんか。80年代か90年代以降には、たまに政治や環境問題なんかに言及した歌を書いていましたが、そういった関心事がもっとも盛り上がっていた60年代に、なぜバートがそれにほとんどかかわらなかったのかの答えの1つが、このことばに表われているような気がします。

例えば政治に無関心に見えたのは、いい方を変えれば達観(あるいはある種の諦め)していたともいえるし、それは幼少時代の過酷で孤独な生活環境と深い関係があるのかもしれないし、バートからすればまず自分を保つのにいつも精一杯だったのかもしれないと思います。

プロのミュージシャンである以上、レコを売らなきゃいけないし、プロモーションもしなけりゃ生きていけません。そんなことは百も承知なのにどうしても積極的になれない、でしゃばりたくない、作り笑いができない、演技ができない・・・結果いつも貧乏くじを引いてしまう。この傾向はサンディ・デニーやニック・ドレイクにも感じられるんですが、彼らのファンたち(私も)はそこに誠実さや信頼感、シンパシーを感じてしまうというパラドックスがたしかにありますね。あっちが立てばこっちが立たず状態です。困ったものです。
今さらこんなこといっても、もう3人ともこの世にはいないんですが。


【雑談】

認知症が急増しているらしいですが、なんとか呆ける前に死にたいものです。呆けてしまってからでは遅いですから、これは非常にタイミングが難しいと思います。

オランダでは尊厳死が法律で認められているそうですが、例えば遺書かなんかに「俺が呆けたら飲み物に青酸カリを入れて毒殺してくれ」というようなことを書けば、それを実行した親族や友人は罪に問われないということでしょうか?事例が恐ろしすぎなので、メチャクチャに聞こえるかもしれませんが、冷静に考えればとても有用な法律だと思いますが。

いぜれにせよ、マリファナ合法とかプリティーズの人気が高いとか、オランダという国は先進的なのか過激なのか分からない興味深い国っすよね。

近年、音楽関係ではバート・ヤンシュや加藤和彦さんや中村とうようさんやキヨシローなど、割とこれまで自分にとって生きてて当たり前だと思っていた人が病気や自殺でたくさん亡くなりました。

たしかに悲しいし残念す。しかし最近の老人問題を見ていて特に思うのは、呆けてウンコ食ったり投げたり周りに迷惑かけまくって挙句の果てに死ぬよりはるかに幸せな・・・はいいすぎですね、はるかにマシな死に方だということです。オランダ並みの法律が一番必要なのは、実は日本じゃないでしょうか。おわり


【オッサンの怒り】

ここのところゆるいネタが続いていたので、引き締める意味でこのへんで「怒り」入れときます。

何度もいっているように、世の中はどんどんと気持ち悪い方向へ向かっているような気がしてならないです。あいかわらずコンビニでは「1000円からでよろしいでしょうか〜」いうとるし、オマケにつり銭を渡すときにこちらの手を上下から包んできよります。気持ち悪いんじゃい!!

スポーツ選手の試合後のコメントは9割が、「まあ、下を向いていても仕方がないので、悪いところを修正して次につなげたいと思います」です。これ見事にみなこういいます。気持ち悪いんじゃい!

先日若い人にAKBのメンバーの名前を一人も知らないというと、まるで「信じられない、恥ずべきことだ」というようなリアクションをされました。でも考えてみてください、こんなオッサンが彼女らの名前を知ってる方が恥ずかしいと思いませんか?

とにかくまだまだあるので、あとで更新かけるかもしれません。


【雑談】

うちの親父がものすごいことを言い放ちましたよ。

「日本も核持つべきや、原発も持つべきや、フランスなんてちゃんとしとるやん、使用済核燃料も北アルプスとか人の住んでないところに埋めたらいいやん」
っておい!ついに認知症でしょうか。

核武装については議論の余地があると思っていますが、現実的にはどうでしょうか?素人から見ても、まずそれをするにはアメリカと完全に国交断絶せなあかんと思いますが。それで日本が生きていけるでしょうか?

それに核実験する場所が日本のどこにあるんでしょうか。地下だろうが海だろうが、これ以上放射能を撒き散らすわけにはいかないでしょうね。それより何より、今の日本に核に回す予算なんてあるのかしら。

おまけに未だ核兵器に必要な純度のプルトニウムを作る技術を日本は確立していないっちゅう話があるんですが、これは本当なんでしょうか?あ。その前に日本人に核の管理ができるのか?日本人に危険なおもちゃを与えるのが一番危ないんじゃないかっちゅう話もあります。どうも日本は核技術後進国のような気がしてならないです。


【雑談】

昨日友人と話をしていたら、久しぶりにタワレコに行ったそうで、店内を見て回って色々と吟味するのがそらもう楽しかったそうです。

現在、レコ/CD屋さんは書店とともに全国からどんどん店舗が消えていっています。地方なんかでは自分の住む市や町にとうとう一軒もなくなってしまったなんて話をよく聞きます。しかしこの状況はこのままどんどん加速していくのか?というと、たぶん生身の人間のサガとして、CD屋はブックオフのみ!ネット上ではアマゾンと数店のウェブ・ショップのみ!なんてことにはならないと思います。

東京や大阪や名古屋や博多や、もしかすると京都なんかのわりと音楽文化の盛んな大都市圏では、中古レコ屋さんや輸入レコ/CD屋さんの大再編成・統合なんて動きが出てくるんじゃないですかね?ない?小さな専門店が集まって「脱原発」ならぬ「脱アマゾン」っていう・・・。まあ、原発とは違ってネット・ショップをゼロにしようってんじゃなくて、あくまで共存ですね。この時代、地方ではやはり店舗は難しいでしょうから、大都市での話ですけど。

あと電子書籍すか?アホかですよ。古代エジプトのパピルスに始まったとして、少なくとも紙は3000年の歴史があります。レコの歴史は100何十年、CDはせいぜい30年弱っす。最終的にCDがアナログに勝てないのと同じように、紙に勝てる本なんてあるかい!世の中はどんどんと気持ち悪い方向へ向かっています。え?このサイトが気持ち悪い?ほっとけ!


【雑談/基本に戻る】

YouTubeの原発関係の動画にコメントしていたら、先日自分のチャンネルに「顕正新聞に出ていたカルトの回し者の小出裕章に洗脳されてるの?いつか目が覚めるといいですね」というコメントが投稿されてきましたよ。

原子力村か関係者の巻き返し運動の一環なのかわかりませんが、白痴に反論しても時間の浪費になるだけなので「そうですね」と答えました。

「絶対安全な技術など存在しない」 そんなものは維持・推進派にいわれなくとも分かりきったことです。ミスをする人間が作るものに完璧などありえないのは当たり前のことですよ。

その100%完璧でない建造物の土台が地面であるかぎり、地震に勝てる建物など地球上に存在しないというのも分かりきったことです。原発に反対するもっとも基本的な根拠のひとつが、その地震にやられた時に取り返しのつかない事態を招いてしまうのが原発だというシンプルな「事実」です。どう考えても原発50基をもつ地震大国の日本というのは、国自体が自爆テロ状態すよね。

再稼動に向けた国や電力会社や原子力規制委員会のいいぐさを聞いていると、「人間は自然に勝つことはできない」という小学生でも知ってる認識を、どうやら彼らはもっていないようです。バカかと思います。よくこういった人種が「人間の英知」などという恥知らずなことばを使いたがるんです。


【マイ・ベスト・ジャム15】

レコ妖怪のコーナーでジャムの「ザ・ギフト」をクソミソにけなしてしまったので、こちらでフォローします。お気に入りのジャム・ナンバー・ベスト15の発表です!なぜ15曲かというと・・・ジャムが発表したアルバムは全6枚で、音楽的傾向含めて都合よく2枚ずつ初期、中期、後期と分けることができると思います。なのでそれぞれの期間での自分のベスト・トラックを5曲ずつ選んでみたっちゅうわけです。当然順位まではつけられまへん!

初期:アルバムIn The City〜This Is The Modern World期

Sounds From The Street
I've Changed My Address
Life From A Window
I Need You
London Girl

中期:アルバムAll Mod Cons〜Setting Sons期

Thick As Thieves
The Tube Station
In The Crowd
Private Hell
The Eton Rifles

後期:アルバムSound Affects〜The Gift期

Different Now
Dream Time
Boy About Town
Beat Surrender
The Bitterest Pill

以上です。Going UndergroundとかWhen You're YoungとかTo Be Someoneも入れたいところっすね。やっぱり中期が音楽的な全盛期です。


【ベスト・ベーシスト/ドラマー10】

ほんで、自分のベーシスト/ドラマー・ベスト10を選んでみましたよ。ソウル系、フォーク系、パンク系のミュージシャンではそれぞれ全くスタイルが違うし、どの人も同じくらい好きなので順位はつけられませんでした。

ベーシスト

Paul McCartney
Donald 'Duck' Dunn
Ashley Hutchings (Fairport/Steeleye)
Dave Pegg (Fairport)
John Entwistle
Jean Jacques Burnel (Stranglers)
Leroy Hodges (Hi)
Ronnie Lane
Richard Sinclare (Caravan)
David Hood (Fame)

ドラマー

Al Jackson Jr.
Ringo Starr
Howard Grimes (Hi)
Freeman Brown (Fame Gang)
Dave Mattacks (Fairport)
Skip Alan (Pretty Things)
Levon Helm
Keith Moon
Rat Scabies (Damned)
Terry Williams (Man/Rockpile)

ジャズとプログレは限られたものしか普段聞かないので、リチャード・シンクレアくらいしか出てきませんでした。JBのドラマーはみんな好きですが、ファンクも普段ひんぱんに聴くわけではないので外しました。まあ、要するに好きな曲のプレーヤーってことですね。おしまい!


【レココレ2012年6月号】

7〜8年ぶりにレココレを買いました。90年代のほとんどは欠かさず毎月買ってたんですが、今のレココレ読者層の分布ってどうなってるんでしょうね。やっぱり年齢層高くなってるんでしょうか。

いかにもオッサン層に絞ったミエミエの洋楽雑誌とは違う(と信じたい)レココレの場合は、私らみたいなオッサンが主流じゃなくて、新陳代謝で常に20〜30代の人たちが読者の中心でないと、読者といっしょに歳をとってしまっては必然的に先細りとなって、どんどん日本の洋楽人気はすたれていくし、ますます黄金時代の洋楽CDは売れなくなってしまうような気がします。なんとか若い人たちに引き継いでもらって、懐メロでない日本の洋楽ファン・シーンを維持していってもらいたいもんです。

で、今回特集がベスト・ベーシスト/ドラマー100だったので興味がわき、立ち読みで済まそうと思ったんですが、これがかなり読み応えがあったので久しぶりに買いましたよ。2位にリンゴ・スター、3位にキース・ムーン、4位にアル・ジャクソンてのがうれしかったすね。

そしてなんと38位にフェアポートのデイヴ・マタックスすよ!46位のクリムゾンのマイケル・ジャイルズより上ってのがすごいっす。


【無意識パンク】

以前「無意識過剰」をテーマにバート・ヤンシュとジョン・レンボーン(と高田渡)の笑える話をしましたが、今回はそれ以上に可笑しかった話を紹介したいと思います。ジョンによる回想で、もしかすると天国のバート自身、未だに知らないかもしれない話です。

1979年のエピソードなんですが、場所はウェスト・コーストです。70年代後半サンフランシスコの音楽シーンの出来事の1つに、78年のセックス・ピストルズのウィンターランド公演がありましたが、多分少なからずパンクはその地の若者に影響を与えていたんだと思います。

79年にバートはその地にあったレーベルの主催者エド・デンソンとかかわりをもつようになって、カリフォルニアを訪れたそうです。デンソンには20代前後の息子がいて、どうやらその息子がパンクにかぶれてしまったらしいんです。

で、反抗期のお決まりのパターンとして、たまたま親父の事務所か家にいたその子と仲間のパンク一団は全員がブスッと押し黙ったまま不機嫌そうにたたずんでいたらしいです。「チッ、クソおもしろくもねえ毎日だぜ」なんていってたんでしょうね。

そこに現れたのがバートっす。そのころのバートといえば、常に完全へべれけ泥酔状態、おそらく常に焦点は定まらず、ろれつは回らず、片手には缶ビールかボトルでも持っていたんじゃないでしょうか。

それを見た一団はどうやらバートのことを完全にジョニー・サンダースのようなジャンキーと見なしてしまったようです。実際はただの酔っ払い親父だったんですが、時と場所がマズかったようです。バートは一団から崇拝されるようになってしまい、その時点から一団に慕われることになりました。バートがパブへフラフラと向かうときは、一団があとについてくるわけです。しかもさらに凄いのが、なんとバートはその一団に気づいていなかった!

ジョンは何年後かにサンフランシスコのインタビューを受けたときに、バートの伝説がその地で「ザ・バート」としてまだ生きていることを知ったそうです。すごい話です。バート・ザ・ジャンキー!


【雑談】

悲しいことに、全国からCD/レコ屋さんがどんどんなくなっているみたいです。最近も1つ身近なCD屋さんが姿を消しましたし、近くにはヒィヒィいっているお店もあります。最後にはアマゾンとそれに競合する数社だけになってしまうんでしょうか?

音楽の配信や違法ダウンロードがこんなことになった要因としてよくいわれますが、どうなんでしょうね?たしかにそれもあるとは思いますけど、あくまで副次的な要因のような気もします。やっぱり世界的不況と音楽自体の問題の方が圧倒的に大きいんじゃないかしら。なんとなくそう思っただけですけど。でも不況になれば、みんなまず衣食住以外から切り詰めるでしょうし。

しかし一方で、ネット通販の普及のおかげで、もともと地元にレコ/CD屋さんなんて一軒もなかった地方の人たちが何でも買うことができるようになったのだから、好景気につながりそうな気もします。が、結局これも行き着くところはネット上での独占企業の出現と事業格差なんでしょうね。

音楽自体の話になると、これはもう鶏と卵みたいな問題になりそうです。音楽以外の娯楽が増えたから音楽人口が減ったのか、音楽がつまらんから音楽以外の娯楽が増えて音楽人口が減ったのか・・・

あと全く確証なく漠然と感じるだけなんですけど、レコからCDに本格的に移行した80年代後半くらいから音楽の衰退が始まったような気がどうしてもします。ロビー・ロバートソン風にいうと「終わりの始まり」っす。終わりっす。


【原発維持推進派の方々 その2】

あとですね、いまだに原発事故と自動車事故やタバコの害を同列で語る人や、「でも今回の事故でまだ誰も死んでないよね」といっている方がいるのには驚きます。

アホらしいのでわざわざ反論は書きませんが、いっさい周りが見えないほどのバイアスがかかっているか、よほどの無知かそれを通り越して白痴か、あるいは「無理が通れば道理が引っ込む」型の電力関係者による工作かもしれませんね。

小林よしのりも書いてましたが、維持推進派の中には放射線の低線量被爆は体にいいという「ホルミシス効果」を本気で信じている方たちがいらっしゃいます。つまりある値以下の被爆なら安全どころか体にいいという「しきい値あり説」のさらに上をいく説です。

「じゃあ、スワブよ。ホルミシス説が誤りだという証明をして見せろ」といわれても困ります。私ら素人がその説を信じるか信じないかは、メディアの双方の情報を仕入れてどちらに説得力があるかを個々人が判断するしかないからです。私が決定的だと思ううちの1つは、原子力の推進機関であるICRP(国際放射線防護委員会)でさえが、「被爆線量にしきい値はない」という結論に至ったというシンプルな事実です。

小林さんはホルミシス説を「カルト」としてこき下ろしてましたが、カルトはこのサイトに出てくるようなわけのわからない音楽の世界や他の趣味の世界だけにしてほしいもんすね。おわりじゃ!


【原発維持推進派の方々】

最近、原発を全廃しても電力供給に余力があることが少なからず浸透してきたからかどうかは分かりませんが、よく維持推進派が口にするのが、火力の原料である石油に依存(=中東依存)することのリスクです。

例えば彼らは、戦時中のABCD包囲網なんかをもちだして反論するのですが、2010年時点での日本の火力発電の原料は、石炭が27%、天然ガスが26%、そして石油はわずか13%です。これはABCD包囲網の教訓というより、1973年にオイルショックを経験したことによるリスク分散政策だそうです。

なので中長期的に火力メインに切り替えるとしても中東依存になるわけではないと思うんですが(石炭はたしかアメリカからメインに輸入)、なにか維持推進の人たちは火力=石油という固定観念をもってませんかね?

あと、やたら反・脱原発運動を反日左翼と結びつけたがる人たち。概してこの系統の人たちが一番どアホだと思うんですが、20〜30代の男にもっとも多そうなのが、小林よしのりにかぶれたのかどうか知りませんが「にわか保守」または「にわか右翼」っす。この方たちの多くに当てはまるだろうと確信するのは、左翼・革新=反原発、よって右翼・保守=原発推進という短絡思考です。まあ、要するに単純バカっす。ちなみに小林さんは保守で反原発ですし、私は小林さんを支持しています。

反原発運動の中には、たしかに反日組織が絡んでいるケースがあります。在日の中国、朝鮮系の全ての団体が当てはまるわけではないし、事実を突き止めるのは容易ではないと思いますが、実際にこの中には日本人の過去の加害者意識や、それぞれの国の反日感情を逆手にとって利益を得ている団体があるのは間違いないです。にわか保守らはこういった団体と反原発運動をいっしょくたにして攻撃するわけですが、それがどアホやちゅうんです。そういった悪徳組織も原発も両方とも認められないという選択がなぜ彼らにないのかということです。だから単純バカだというんです。おわりじゃ!


【無意識過剰】

ソウル好きの特殊漫画家、根本敬さんいうところの無意識過剰話です。「無意識過剰」というのは、そのまま自意識過剰とは正反対の性格のことで、一番わかりやすい人が根本さんの大好きな故・JBでしょうね。

今ひとつピンとこない人のために他に例を挙げると、日本人では内田裕也さん、故・赤塚不二夫さん、寺内タケシさん、サッカーの三浦カズ、ある意味ショーケン、ちょっと外れますが佐野元春さん、海外ではオジー・オズボーン、レミー、バディ・ガイ、ある意味ロイ・ハーパーと歳をとってからのボブ・ディランあたりですかね。

まあ、厳密にいえば根本さんの定義とはちょっと違うのかもしれませんが、私の中ではマイ・ペースでいい意味で周りが見えていない愛すべき人物て感じです。で、写真の故・高田渡さんも見事に当てはまっていて、有名な逸話に、ステージ上で寝てしまったというのがありますよね。

実は英国フォーク界にも高田さんとほぼ同世代のある2人が、やはりステージ上で寝てしまったことがあるそうです。それが故・バート・ヤンシュとジョン・レンボーンです。ジョンは違うと思いますが、バートはたしかに無意識過剰なところありますね。

ほとんどペンタングルが解散間近だった72年頃に、2人はギターの前に手を組んで思い切りステージで寝てしまったそうです。やはり酒の量はすごかったらしく、バンドに対する意欲はほとんど消え失せ、おまけにライヴでのそれぞれのメンバーのソロ・パートがやたら長かったのが原因らしいです。つまり自分のパートじゃない時に寝てしまったと。でも1人でステージを務めていて寝てしまった高田さんには勝てないっすね。

高田さんとの共通点を考えれば、無意識過剰、酒、そして椅子に座って演奏、この3つが揃うとかなり高い確率で眠ってしまうのかもしれません。


【ジョー・ボイド話 その4】

今回はジョーがサウンド・エンジニア(PA)を担当した65年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルの話です。

この年のニューポートといえば、ディランとバターフィールド・ブルース・バンドが史上初の大音量ロックをプレイしたことで伝説になっています。ジョーはあくまで当時の基準からすればの話で、今の感覚では大したヴォリュームではなかったといってます。

もうひとつ神話となったのが、その場に居合わせたピート・シーガーがディランの演奏に腹を立て、斧でスピーカー・ケーブルをぶった切ろうとして止められたという話です。

今では単なる当時のシーガーの発言か、それに尾ひれのついた作り話だったということになっているようですが、ジョーはそういう話になった経緯を推測しています。

フェスティヴァル出演者の中には、プロのフォーク、ブルース、ゴスペル、カントリーのミュージシャン以外に、テキサス・プリズン・ワークソング・グループという囚人らによる出し物があって、その目玉が「クロス・カッティング・ソング」という労働ソングでした。それは4人の男が木の幹の周りに立って、対角線上にいる2人が交互にリズムをとって木を置きかえつつワン・フレーズを歌いながら斧を振り下ろすという、まあ、餅つきみたいなもんです。

で、その最中に偶然、マイク・ケーブルが斧が振り下ろされる通り道に近いところにぶら下がってしまいました。ジョーは囚人たちと同じリズムをとりながら、斧が振り上げられた瞬間にさっとケーブルをつかんで安全なところへもっていき、事なきを得たそうです。シーガーは満足げにジョーに向かってうなづいて見せたらしいです(自画自賛弁当持参してます)。

ジョーはこの時の出来事が、ディランの音量に怒ったシーガーとごっちゃになったんではないかと推測しています。この事件が頭に残っていたシーガーが、そういう発言をしたというのも考えられますが、なかなかおもろい話っす。続く!


【石原慎太郎のバカ】

都知事の「原発に関するセンチメントの愚」読みましたか。元作家だそうですが、説得力皆無のまさに「センチメントの愚」といえる薄っぺらい論文でした。

巷ではいろいろ反響を起こしていますので全文引用はしませんが、次の二つにその浅はかな考えが象徴されています。

「福島の原発事故以来かまびすしい原発廃止論の論拠なるものの多くの部分が放射線への恐怖というセンチメントに発していることの危うさだ。恐怖は何よりも強いセンチメントだろうが、しかしそれに駆られて文明を支える要因の原発を否定してしまうのは軽率を超えて危険な話だ」

「ある期間を想定しその間我々がいかなる生活水準を求めるのか、それを保証するエネルギーを複合的にいかに担保するのかを斟酌計量もせずに、平和の内での豊穣な生活を求めながら、かつての原爆体験を背に原子力そのものを否定することがさながらある種の理念を実現するようなセンチメンタルな錯覚は結果として己の首を絞めることにもなりかねない」

このオッサンも中野剛志も含め原発推進・維持の人たちに共通するのが、ど素人並みの放射能の知識(ど素人の私でもツッコめる)と、いまだに捨て去ることのできない原発への「過信」です。すでに原発なしでも電力供給には余裕があることは判明してますし、この期に及んで「文明を支える要因の原発」とは一体いつの時代の認識なのか・・・。

去年の暮れにこのオッサンは何かの会見か声明で、「この贅沢な暮らしを維持したいのであれば、原発をなくすことはできない」とはっきりいってました。そういう生活、社会を見直そうというのが、原発に反対する大部分の人たちの意見だと思いますが、どうもこのオッサン、ホリエモンと完全に同種のようです。って今さら気づきましてすみませんでした。とんだ老害を都知事にしてしまったようです。ナベツネと同じだったか〜。


【ジョー・ボイド話 その3】

今回はジョーによる2人のオッサンの話です。本当は「2人のオッサン」なんていうとばちが当たりそうな偉大な人たちです。1人がイワン・マッコール、もう1人がA. L. ロイド(アルバート・ランカスター・ロイド)という英フォーク・リヴァイヴァルのゴッドファーザーであり、二大巨頭です。英フォーク・ファンなら、必ずどこかで名前を見かけたことがあると思います。

この2人が手を組み協力して英国のフォーク・リヴァイヴァル・シーンを牽引したといっても過言ではない!・・・といいたいところですが、実は全然違っていて、お互いを嫌っていたほど全く対照的な性格の2人であるところがまたおもろいんです。

簡単にいうと、マッコールはガチガチの共産主義者、ロイドも思想的には同じですが、もっと自由でゆるい発想の持ち主だったらしいです。ジョーは60年代当時、実際にロイドといっしょにカレー食ったそうなんですが、ロイドのことを、りっぱな眉毛をした背の低い丸々と太った男で、いつも喜びと驚きの表情を浮かべていたといっています。そしてメシの間に、ニヤッと大きく口を開けて歯を見せながら、ハイ・テナーで舟歌や猥歌やラヴ・バラッドを歌ってくれたそうです。

一方のイワン・マッコールについては、いつもひどく尊大で厳格に見えたそうで、ジョーはこの2人を同志として考えることに違和感をもっていたといっています。「バートもエゴはもっていたが、彼は自分自身を真剣に受け止め過ぎないようにしているかのようだった」そうです。フェアポートら若いフォーキーたちと交流があったのはロイドの方でした。

何か2人の違いが目に浮かぶようですね。私のもっているA. L. ロイドのイメージは、「インテリ・エロオヤジ」なんですが、多分当たってるんじゃないかと思ってます。続く!


【原発】

去年の暮れにこんなニュースがありました。

読売新聞 2011年12月23日(金)20時15分配信

「日立製作所は23日、リトアニア北東部で計画されているビサギナス原子力発電所の建設について、リトアニアのエネルギー省と仮契約を結び、暫定合意したと発表した。来年2月中旬に最終的な契約を結ぶ予定だ。ビサギナス原発は、2020年の運転開始を目指している。日立は21日に、リトアニアのエネルギー省に対して原発建設で導入する技術について詳細を報告し、承認を得たことで仮契約に至った。日立は今後、ラトビアなど周辺国を交え原発建設への出資額などを協議する。日立は今年7月中旬、最新型で出力も大きい改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)の建設で、優先交渉権を獲得していた」

去年の7月中旬にそういうことをしてたんですね。リトアニアとラトビアですよ。斜陽の原子力産業が生き残りをかけて他に輸出を企んでいるのが、ベトナムやトルコらしいです。核廃棄物をモンゴルにもっていくというニュースもありました。全て見事に途上国じゃないですか。このクソのような分かりやすい構造はいつまで続くんでしょうか。暗い気持ちになってきませんか。


【ジョー・ボイド話 その2】

フェアポート・コンヴェンションが初代ヴォーカリストのジュディ・ダイブルを解雇して、サンディ・デニーが加入することになった時の話がおもろいのでご紹介します。

サンディは初めの頃から下品なことばを使っていたそうで、ジョーはそのことだけが気がかりだったそうです。そういうことばを使うことが許せなかったのでは全然なくて、礼儀正しくて上品なフェアポートのメンバーと協調していくことができるかが心配だったようです。ジョーはこんなことをいっています。

「彼女は早い時期から何かうまくいったことを表す時に私に向かって、“ちっくしょう、なんてべらぼうに天才的なのよ”といっていたな」

サンディのセリフ部分の原文は「Jesus Christ, what a fucking genius」です。もっと崩せば「クーッ!クソバリいかすじゃん!」とか「マジかよ!クソたまんねえぜ!」でしょうか。

実はサンディの加入が決定したのは、ジョーがアメリカに一時帰国していた間だったそうで、その話を聞いた時のジョーはこう思ったそうです。

「私は彼女が気まぐれで、彼らとは全く違う性格だと感じていた・・・サンディは声が大きくて露骨で、かなり下品なユーモアをもった騒々しい女の子だった。時には汚いことばを使ったし、分別をもった酒飲みとして知られているわけでもなかったしね。一方で当時のフェアポートはとてもおとなしくて、礼儀正しい郊外の若者たちだった。私は何とかしてサンディが彼らといっしょにいるところを思い描こうとしていたね。私はサンディが朝食で彼らを軽く平らげてしまってから、また吐き出すんじゃないかと恐れていたんだ」

最後の「朝食で〜」部分は直訳なんですが、こういう言い回しがあるんでしょうか?ジョーのユーモア・センスはとてもおもしろいので、彼独特の表現なら最高すね。続く!


【雑談】

紙ふうせんの「冬が来る前に」の鼻歌など歌いながら平城宮跡の近くをチャリで走っていたら、宮跡の原っぱの方から「ピ〜〜〜ヒャララ〜〜」とチャルメラの音が聞こえてきたんです。

え?ラーメン?今どきこんなところでこの音が聞けるなんて珍しいなと一瞬思ったんですが、すぐにバグパイプの音だと分かりました。これは見に行かない手はないと思い、吸い寄せられるようにチャリで音のする方へ向かいましたね。

現場に着くと、白人の30代くらいのお兄さんがバグパイプを吹いてましたよ。横にサイクリング用のカッチョいい自転車が置いてありました。原っぱに1人で練習しにきていたんでしょう。観客は私と同じくらいにやってきた1人のおじいさんとその孫風の男の子だけでした。演奏が終わって私たちがパチパチパチと拍手をすると、「サンキュー」と照れながらお礼をいってましたね。スコットランド人のようでした。

あの高音部の音は確かにチャルメラに近いんですけど、それと同時にブーンとなっている低音のドローン音がカッコいいというか、気持ちいいですね。そして音がデカい!おそらくまだ小型に属するバグパイプだったと思いますが、平城宮跡はこういう音のデカい楽器の練習にもってこいです。そういえば、前にもバンドで練習している人たちも見かけたことがあります。

世界で一番達人の多い楽器はエレクトリック・ギターでしょうね。一番練習に場所を選びませんから。アコギだって部屋で鳴らすとけっこうな音なので夜中にはできないすよね。パイパーの兄さん、また見てみたいですなあ。


【ジョー・ボイド話 その1】

60年代後半にクラブやプロダクション/マネジメント会社を経営していた現実的なビジネスマン、プロデューサーでありながら、同時に今から見れば青臭いとも思えるような理想主義者だったジョー・ボイドは、当時のアーチストにかかわった人たちの中で特に大好きな1人です。

客観的で冷めた視点をもちながらも、この人には人間的なあたたかみを感じるんです。会ったこともないのに。

ジョーには、当時の生き証人ならではのさまざまな名言がありますが、今回はその中からちこっとご紹介してみたいと思います。まずはロンドンのトテナムコートロードで経営していたUFOクラブを振り返っての発言です。

「UFOは観光客と週末ヒッピーで満杯になっていた。しかし私たちはテディ・ボーイズ、ロッカーズそしてモッズに続く最先端のイングリッシュ・スタイルの種族をも超越した何かであっただろうか?私たちはもっと大きなものを望んでいた。それは権威が過去、恐れていたものと同じくらいの、社会の立派な序列に脅しをかけるような存在になることだった」

「権威が過去恐れていたもの」って、考えようによってはバリバリのマルクス主義者かい!ってくらいのセリフですよね。まあ、もちろんそんなことはあるはずないんですが、流行としてのヒッピーやフラワー・ムーヴメントの薄っぺらさ、幼稚さに言及したことばじゃないでしょうか。

「俺は本気だったんだけどなあ・・・ほとんどの人にとっては道楽に過ぎなかったのね・・・まあ、薄々勘づいてはいたけどさ」といった心境が見えるような気がしますね。続く!


【恨み末代までスカーバラ・フェア事件】

ポール・サイモンとマーチン・カーシーの間ではもう何年も前に和解済みではありますが、例の「スカーバラ・フェア(スカボロー・フェア)」の話です。ディランでいうと「北国の少女」に当たる、トラディショナル・ソングの著作権登録事件です。

マーチンによれば、サイモンから「著作権を主張したことはないし印税も受け取ったことはない」と聞かされ、それを信用して解決となったそうなんですが、例えばウェブのAll Music Guideなんかを見ても、やっぱりコンポーザーは今でも“Garfunkel, Simon”となってるんですよね。そのへんはどやねん!?と思いますが。

何とか著作権を取り消させようと、60年代当時から英国のフォーク・ミュージシャンたちが協力して法廷にもちこもうとしていたそうですが、もともとが作者不明の伝承曲に盗作行為の罪を当てはめようとしても、「じゃあ誰から盗んだの?」という話になれば、それは永遠に分からないし、著作権フリーの共有財産として考えられている伝承曲に著作登録したって法的問題なんてないだろ?ってことになってしまったわけです。

結局のところ、成り立ちのあいまいなトラッドを法的問題にしようとしたからややこしくなったんでしょうね。これは法的な問題ではなく、単なる個人の「良心」に任された問題なんだと思います。つまりソースに対する「リスペクト」があるかないかです。

乱暴にいいますと、“総じて”商売っ気がなく自分たちの祖先に敬意をもっていた英フォークの人たちは、「Trad. arr.」とクレジットするのが当たり前の感覚であったのに対して、“総じて”商売っ気満々で法的問題がなければ何でもやったるで感覚の米フォークの人たちは、著作権登録するのが当たり前の行為だったという単純な話だと思います。でももともとの祖先は同じなのに、このお国柄の違いは不思議といえば不思議ですね。

オマケの話として、65年頃に頻繁にポール・サイモンとともに同じクラブのステージを務めていたバート・ヤンシュは、ことあるごとにサイモンに「今に大成功してやる」「今に大成功してやる」と聞かされ、うんざりしていたそうです。意地悪なオマケ話でした。おわり


【訃報】

2011年10月5日、癌のためバート・ヤンシュが亡くなりました(バート・ジャンチが正しい発音だそうです)。67歳でした。70年代のバートのアルバムは特に最近よく聴いていて、ますます思い入れが深くなっていたので本当にショックです。みんな70歳まで生きてくれません。

ペンタングルの仲間だったジョン・レンボーン、ダニー・トンプソン、ジャッキー・マクシー、テリー・コックス、スコットランドの仲間だったアーチー・フィッシャー、クライヴ・パーマー、ロビン・ウィリアムソン、アル・スチュワート、ドノヴァン、親しかったウィズ・ジョーンズ、アン・ブリッグス、

共に英フォーク・シーンを築いた現フェアポートのメンバーたち、それからマーチン・カーシー、リチャード・トンプソン、アシュリー・ハッチングス、デイヴ・スウォーブリックたちはあと何年生きてくれるかなあ・・・
R. I. P.


【ラビリンス/英国ロックの深い森】

おそらくブリティッシュ・フォーク/ロック・ファンの間ではセットといっていいんではないかと思う2冊の本の紹介です。上が「ラビリンス/英国フォーク・ロックの迷宮」、下が「英国ロックの深い森」です。

先に出たのは「ラビリンス」で97年、で、たぶんこの本に触発されて「深い森」が出たのが2001年でした。それぞれを一言でいえば「ラビリンス」は思い入れ本、「深い森」はデータ本です。なので読み物としては圧倒的に前者の方がおもろいですが、後者はあえて役割分担というか、うまく棲み分けできるような方針で出したのだと思います。

特にフォーク系の場合は、「ラビリンス」のレビューを読んで、「おお、この人、気になる〜」と思い、「いったい何枚レコ出してんのかな〜」となった時には、たいてい「深い森」に全ディスコグラフィーが載っていたりするので、大変使い勝手がよいです。このあたりのジャンルを扱う輸入/中古レコ/CD屋さんには、当然データ本の「深い森」が必須でしょうね。

「ラビリンス」はジャケ違い(表紙違い)の改訂版がのちに出ましたが、今は廃盤、もとい絶版なんでしょうか?写真のやつはもちろんオリジナル盤、もとい初版です。個人的にはこっちの表紙が好きっすね。

しかしこうして並べてみるとよけいに思いますが、「深い森」の表紙のデザインってあまりに安易じゃないですか?適当に金髪のモデルさんを引っ張ってきて森と合成させただけのように見えてしまいます。


【訃報】

ウェールズの元祖ジャム・バンド、マンのオリジナル・メンバーでキーボード/ギター・プレーヤーだったクライヴ・ジョンが、2011年8月24日に亡くなりました。ソロ・アルバムまで追いかけるほどのマニアではなかったですが、マンではアルバム「Be Good To Yourself」まで欠かせないメンバーでした。

死因はマンバンドが敬愛していたクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのジョン・シポリナと同じ肺気腫だったそうです。年齢は40年代半ば〜後半生まれとすると60歳台前半〜半ばでしょうね。

ディーク・レナードが追悼のことばの中で、フランスで大ヒットした「エロチカ」を演奏した時に披露したクリント(クライヴの愛称)のいやらしいキーボード・プレイの思い出を語っています。R. I. P.

Deke Leonard said of John (who was also known as Clint Space): “He was vital, the face of Man. He wasn’t the greatest keyboard player but he sounded like he did on the record, which was crucial - his offerings were pungent, and when he left that was diluted. I remember we played our Number 3 hit ‘Erotica’ in France at a rich man’s party. None of us wanted to do the (female) moans and groans (on the record), it would have seemed too masturbatory. So Clint saved the day by climbing on his organ and fucking it - switching it on and off to get the sound required. I’ll always remember that”.


【2011年8月14日】

いい〜感じの写真を見つけました。左は今年の来日公演が残念ながら流れてしまったリチャード・トンプソンです。そしていっしょにいるのが、故サンディ・デニーと故トレヴァー・ルーカスの娘ジョージア・ルーカスです。たしか76年か77年生まれですから、今33〜34歳くらいだと思います。

これは2006年のBBCフォーク・アワードで、フェアポートの「リージ&リーフ」が「空前のフォーク・アルバム」大賞を獲得した時に、授賞式にサンディに代わって出席するためにオーストラリアから飛んできた時の写真です。見事にサンディとトレヴァー・ルーカスを足して2で割ったルックスすね。なかなかの美人ではないか!

お父さんのトレヴァーもジョージアさんが子供の時に亡くなったという、(あくまで一般のファンから見れば)壮絶な生い立ちでした。ちなみにジョージアさんは、20歳前後で双子の女の赤ちゃんを産んだそうです。ということは今15歳くらいですね。おばあちゃんの才能を受け継いだ天才双子フォーク・シンガーとしていつかデビューするかもしれませんよ!


【2011年7月30日 原発話】

最近、長野県の松本市で核兵器国連軍縮会議というのがあって、その開会式でIAEA国際原子力機関の事務総長の天野が、「原発事故はあったが、これからも世界的に原子力の利用は何10年と広がっていくだろう」と述べたそうです。

小出裕章さんはその感想を聞かれてひと言「あきれます」といっただけですが、今まで何100回とラジオや取材や講演でIAEAのことを「実体は国際原子力推進機関だ」と訴え続けてきた人ですから、今さら感想を聞くまでもないだろうという受け答えでした。

そりゃそうすね。IAEAの実体を知れば、天野のことばは希望的観測どころか、最後のあがきにすら聞こえます。しかしこれからあの手この手を使った推進派の巻き返しが激しくなっていくでしょうね。いきなり連続で「やらせ工作」が発覚して尻尾出してますが。

IAEAと電力会社は、メシの種である原発を失うのが怖いのかもしれませんが、小出さんがいっているように原発を全廃にしたところで、その後の廃炉、核廃棄物管理という仕事が山のように残るので、それをメシの種にするわけにはいかんのでしょうか?この際、IAEAは名前を改称して国際原発廃炉機関にするとかすれば、仕事はワンサカあると思うんですが。まあ、これは素人考えですけど。

推進派のぼろが露呈する中で、一方の小出さんも汚染食物の対処法や政府の発表に対する見解に、これまでのようには満場一致の支持を受けなくなってきた部分があります。でもこれは逆にいいことだと思います。1人の人間を盲信する方がヤバイですからね。現在、小出さんと基本的立場が同じでも、違った角度から政府と電力会社を糾弾する指導的立場の人たちがどんどん出てきていますので、心強いことだと思います。

小出さんに関しては、前からここに書いているように、どうしても歴史認識のことが残念で残念で・・・。例えば東京裁判でインドのパール判事が主張したこと、天皇が終戦直後、マッカーサーに向かって「私の命はどうなってもいい、国民の命だけは助けてください」と訴えたことをどう思っているのか聞いてみたいものです。原子力に関してはあれだけ的確で説得力を感じるのに、こと歴史認識に至ると急に中学生並みのセリフになってしまうところが残念で残念で。


【ロニー・レーン来日秘話】

写真は、ロニー・レーン・バンド90年の来日公演のフライヤー(左の緑のやつ)と、以前取り上げたポール・ウェラーが運営していた出版社から出ていたスモール・フェイシズの本です。

残念ながら私はこの時の公演を見逃してしまったのですが、20年前のこのライヴを見に行った京都の友人から、先日おもしろいエピソードを聞きました。

その友人も写真の本を当時買っていて、彼はライヴが終わったあとにその本にサインをもらおうと楽屋に訪ねていったそうです。この頃のロニーはかなり衰弱していたそうで(亡くなったのは96年)、彼は主にスペシャル・ゲストとして共に来日していたイアン・マクレガンと話をしたそうです。

そして彼がサインをもらおうとマックにその本を差し出すと、マックは
「おお!何だこの本は!」と仰天し、いきなりむさぼり読み出したそうです。「うわああ!なっつかしいなあ!」とか「へええ!こんな場所の写真まであんのか〜」などと、感激しながら読んでいたそうです。

スモール・フェイシズのステージ写真のページ(上の写真)にきた時、彼は「おお!!これこれ!ここにいるのがオレの最初の奥さん!」と、うしろに写っているダンサーたちの真ん中の人を指差したそうです。そして挙句の果てにマックは友人に向かって、「君!この本ワシにくれへんけ?!」といったそうです!

さすがにサインをしてもらった本をあげてしまっては意味がないので、友人は断ったそうです。しかしマック・・・かわいいすね。って20年前の話でした。おわり


【原発のウソ/小出裕章 その2】

2011年6月22日現在、福島原発は相変わらず悪化の一途をたどっています。

IAEA(国際原子力機関ですがわかりやすくいうと国際原子力推進機関)は、原発事故の国際評価尺度の最大だったレベル7のもうひとつ上にレベル8を新たに設定するかもしれないということです。

原発推進機関でさえ、そういう認識をもつに至ったんでしょうが、もうそんなものどうでもいいですよね。7だろうが8だろうが最悪は最悪なんですから。

海外からは今の日本はどう映っているんでしょうか。放射能はとっくにアメリカ西海岸に到達しているし、今は太平洋を毎日汚染しまくっています。特に北半球の国々は、日本列島ごと石棺したいくらいの気持ちじゃないでしょうか。おまけに現在、福井の高速増殖炉「もんじゅ」のおかげで関西が死にかけています。

この本の続きということで、この中に指摘されていることであまりネット上では簡単に見つからなさそうな部分を挙げてみたいと思います。

まず日本の原発は「コピー製品」にすぎないということです。世界的に見れば、原子力はあまりのリスクの高さから斜陽産業となっていて、窮地に陥った世界の原子力産業は、アジア、中東などの新興国に原発を輸出する作戦に出ているのが現状だそうです。で、日本もそれに倣ってベトナムやトルコに売り込みをかけているわけです。

しかしこれが悲しいことに、敗戦後、日本は原子力の開発を禁じられてきたので、技術的に戦勝国の何周も遅れをとっています。なのでイギリスやアメリカから技術だけを買ってきて、それを海外に売ろうとしているわけです。土地転がしかい!

元の技術がコピーなので、トラブルが起きても自力で対処できず、死者まで出すおそまつな事故がこれまで何度もくり返され、しまいには今回の事故で致命的な大失態、世界中に大迷惑をかけることになってしまいました。つまりそんな「原子力後進国」の原発をどこが買ってくれるのかということです。

ヨーロッパやアメリカの真似をした日本のハリボテのような町並を見ても分かるとおり、まだほんの140年前まではちょんまげ結ってた国です。海外からは、「おのれらガキみたいな国に原子力など扱わせるのは怖くてしょうがないわ!」といわれているような気がします。

原発先進国が手に負えないといって撤退傾向にある原発を原発後進国の日本がこの地震列島に54基も作りまくったことに対して、海外の学者からは愚の骨頂といわれています。日本人はもっと痛い目に会わないと分からんのでしょうか?バカは死ななきゃ直らないということばが昔ありました。


【原発のウソ/小出裕章】

以前載せた「隠される原子力・核の真実−原子力の専門家が原発に反対するわけ」は、今回の震災の数ヶ月前に出版されましたが、これは震災後初の書き下ろしです。

最新で5月中旬時点の原発情報も載っています。内容は先の本と重複するところもかなりありますが、素晴らしいのが小出さんの講演やラジオでの話と同じように、非常に分かりやすく説得力のある文章だということです。おそらく小学校高学年のガキンチョでも読めるんではないでしょうか?そのへんは小出さん、念頭に入れて書いたんでしょうね。

クールで飾らず簡潔でストレートで、まるでブリンズリー・シュウォーツのような分かりやすさがあります。この例えが分かりにくいですけど。何か原発本をこれから1冊読もうと思っている方には、まずこれをオススメしやす。アマゾンではベストセラーだそうですし。

あと個人的によかったなと思うのが、故意かどうかは分かりませんが、先述の「隠される原子力〜」で数ページ分割いてあった憲法9条や思想的な記述がなかったところです。これは賢いやり方だと思いましたね。誰か先生に助言したのかなあ。この本の出版元がフジサンケイ系列ってのも、逆に吉と出たのかもしれませんね。

自分の中では、ぜひ先生と小林よしのりさんがタッグを組んでほしいと思ってるんですが。ザ・バンドとクラッシュが合体したような最強のコンビネーションが出来上がるんじゃないかと・・・すぐ解散か・・。とにかく歴史認識にうるさい人にも今回の本はオススメできます。


【ドラッカー】

ドラッカーって何ですか?というくらい本当は全く興味ないんですが、本屋さんにいったらある一角にこの「ドラッカー」本の大群がどっさりと積まれてあって、とても気持ち悪くなりました。

昔、会社に入った時に、カーネギーの「人を動かす」という本を読んで感想文を書いてきなさいといわれたことがあります。強制だったのでしかたなく読みましたが、それはそれは胸クソ悪かったのを覚えています。この類の本の気持ち悪さはいったいどこからくるんでしょうか。自分なりに考えてみました。

「自己啓発」が昔から大嫌いでした。「自己啓発」自体ではなくて、あくまでそのテーマを扱った書物のことです(本当はそのことばも嫌いですけど)。その理由を考えてみますと、多分私の場合「自己啓発」は自己で啓発することであって、「文字」なんかに表して人に勧めるもんではないと勝手に自分の中で定義づけているからだと思います。だいたい矛盾してませんかね、「自己啓発」を勧める(売る)行為は、どちらかというと「啓蒙」に近くないですか?啓蒙ほど胡散臭いものはないです。

そんなものは子供のモラル教育みたいなものであって、金を払って文字を読んで頭で理解するもんではなくて、体で日々覚えていくもんだと思いませんかね。そして大人同士の問題の対処法は、個々の育った環境や条件(あるいは思想)の違いで何パターンにも及ぶもんだと思います。

なので、一元的な理屈で偉そうに講釈をたれる人はどうも信用できないっす。そういえば、そういった本の特徴として、各ページがほとんど「箇条書き」で成り立っているような気がします。ひとつ!何々・・・、ひとつ!何々・・・とか。

東の堀江貴文と同じくらい大嫌いな西の島田紳助の本に、まさにそういうのを発見してゲンナリしてしまいました。あれ、ページの余白を詰めたら5分の1くらいの厚さになるんじゃないでしょうか。詐欺にしか思えんです。


【原発問題2】

思うんですが、まず原発を国策として掲げる政府関係者や、原発で飯を食っている電力会社の人たち以外の原発を推進/容認する一般人の考え方が、概して一面的で思慮に欠けるようです。

推進/容認派のいう「原発は二酸化炭素を出さない=環境にやさしい=クリーンエネルギー」「火力、水力よりコストが安い」「資源のない日本では不可欠」などは、つまり政府と電力会社が今まで何十年も宣伝してきたことをそのまま鵜呑みにした意見であるにすぎません。そして今回至るところで化けの皮がはがれたわけです。

これからも原発をやっていくか、あるいは原発をやめて火力/水力その他をメインに、代替エネルギー(太陽熱やメタンハイドレート)を開発していくかは、双方のメリット、デメリットを総合的に判断して決めるのが筋ですよね。つまり、どちらがよりデメリットが少ないかという問題です。

原発が二酸化炭素を出さないというのは、あくまで発電時においてであって、燃料のウランを加工し、発電所を建設し、運転するために大量の化石燃料の使用を必要とするし、コストも多大にかかるわけです。資源としてのウランは石油の数分の一、石炭の数十分の一だそうです。考えつく限り、原発のメリットは、中東から石油を買わなくて済むことくらいでしょうか。

火力、水力も二酸化炭素を出しますし、中東の石油に依存しなければならないデメリットがあります。しかし原発の決定的なデメリットとして、今回のようにいったん事故が起きれば、人的にも経済的にも取り返しのつかない事態に陥ってしまうことと、使用済み核燃料の最終処理法が確立されていないことがあります。後者は「トイレのないマンション」といわれるように、原発を運転すればするほど国中に行き場のない核廃棄物というウンコがあふれていくということです。これはある意味事故より怖いことかもしれません。
例えば、「まだ誰も死んでいないじゃないか」という推進派の人たちは、チェルノブイリ周辺に住んでいた人たちの間で、現在までどれほど癌患者が発生したとか、これまで公にされてこなかったドイツでの原発事故(子供の白血病が急増した)のことをどれほど知っているでしょうか。

小出さんは科学者の立場から、そもそも原発など人間の手に負える代物ではないのだから、必ず事故は起こると反対してきました。まして地震国の日本です。少なくとも推進側のいうことよりも説得力を感じるし、彼らよりも放射能の恐ろしさを知っているのは確かです。

こんな理不尽なものが何故これほど推進されるようになったのかといえば、つまるところ、核兵器製造のためのプルトニウム確保のためだろうというのは本当でしょうね。ここで憲法9条という厄介な問題が出てくるんだと思います。

私なんて全国に原発を54基も作ってしまった現在、有事に原発が攻撃されれば日本なんてひとたまりもないと思うし、防衛上からいっても好ましいとはとても思えないです。であればいっそのこと、原発を全て廃止するかわりに東京と大阪のど真ん中に核兵器でも配備した方がよほど潔いと思いますが。戦略上ど真ん中がダメなら東京湾と大阪湾でもいいです。


【隠される原子力・核の真実−原子力の専門家が原発に反対するわけ/小出裕章】

京大原子炉実験所助教の小出さん(61)の本を読みました。

大学の原子炉実験所で働く研究者が原子力発電に反対するわけですから、普通は職場を追い出されるか村八分に会うんじゃないかと思いますが、助教(=助手―やはりスタンス的に教授/助教授にはさせてもらえない)ながらも、40年間ずっと籍を置いてきたことは、京都大学の懐の深さというか京都という土地柄というか、東大とは違う反権力志向が表れているような気がします。

これを読むと、「原子力はクリーンエネルギー」「原発を止めると停電になる」「二酸化炭素が地球温暖化の原因」「核燃料(プルトニウム)を新たに作り出す高速増殖炉」全てが、メディアを通じて国と電力会社が何10年にもわたってタレ流してきたウソだったことが分かります。そしてどうやら地球温暖化自体が怪しい説のようです。見事に国民は騙されたわけです。

こうなってくると、原発を推進しようとしている人たちは、どう考えても死に急いでいるような気さえしてきます。彼らだって使用済み核燃料を100万年も管理できるとは思っていないはずです。だいたい100万年後に人類が存在しているとはどうしても思えません。読んでいるとどうにもやり切れなくなってきます。

しかし!腹の立つ気持ちを静めるいい方法があります。まず、いっこうに解決の糸口の見えない地球環境問題ですが、その解決法としては、地球上から人間がいなくなることがベストであるのは間違いありません。もしかすると彼らは原発を推進することによって、人類という種の根絶を促進させ、放射能の寿命がくる100万年後に向けての地球環境再生を考えているのではないか!?

そう考えれば、この期に及んでまだ生き延びたいなどと願う反原発派の人たちよりも、よほど崇高な理念をもった人たちに思えてきます。まあ、本当のところ、奴らは未来の危険よりも原発による飯のタネを失うのが怖いだけなんですが、ジャンキーどころではない、なんと刹那的でタチの悪い生き方なんでしょうか。


【原発問題】

2011年4月29日現在、原発は依然、予断を許さない状態が続いています。今日、東京の明治大学では反原発の小出裕章さん、広瀬隆さんの講演があって1000人以上の人たちが集まったそうです。たしかに反/脱原発の意識は、86年のチェルノブイリ以来の盛り上がりを見せているようです。

原発が危険なのは事実だと思うし、ないに越したことはないと思います。しかし個人的にどうしても拭えない危惧というのがあって、日が経つにつれ、また徐々に原発は人々の意識から忘れ去られ、小出さんの40年間の活動は結局実を結ばず、いつの間にか状況は元通りになりやしないかという思いです。実を結ぶとすれば、それはさらに状況が悪化し、本当に終末的な事態にまで陥った時じゃないかと思うほどです。つまり手遅れになって始めて気がつくという・・・。だとすればそこまで日本人はバカだったのかってことなんですが。

今回は自国で起こった事故なので、20数年前とは違い、本当に自分たちの問題として考える人々は増えているとは思います。しかしこれは全くの想像ですが、果たして国民のどれくらいの割合が真剣に考えているかといえば、まだまだマイノリティではないかと思います。「反原発=ナイーヴな左翼/反体制」という図式は、いまだに多くの人たちのイメージに結びついているんではないかと思いますし、実際そういう側面もあると思います。私も実際、今でもそういうイメージを持っていますし、「だからいつまでたってもダメなんだよ!」と考えているくらいです。

たしかに原発が日本で推進されるようになった発端は、米ソの原子力開発競争の時代に、ソ連に先を越されまいとアメリカが日本に持ち込んだのが事実でしょうし、イデオロギー的な問題とは切っても切れないのだいわれるかもしれません。しかし世界的に社会/共産主義はおろか、資本主義も破綻した現在、もうそういう視点では説得力を持たないんじゃないでしょうか。

科学的な立場から40年間も活動してきた小出さんから、「天皇誕生日という嫌な日に、チェルノブイリ事故のニュースを知った」や「日本は昔、アジアで多くの人々を殺した」という判で押したような稚拙な左翼的発言が出てくるのは残念だとは思います。しかし多分、今は大同小異ということで共に脱原発の声を上げるべき時なのは間違いないでしょうな!おわりじゃ!


【Small Faces/All Our Yesterdays】

今となっては珍しい洋書のご紹介です。

スモール・フェイシズは90年代半ば近くになってから再評価され、レココレで2回目の特集が組まれたり、本国では「The Young Mods’ Forgotten Story」や「Quite Naturally」といったカラー含むカッチョいい写真をふんだんに使った分厚い本が出ました。

もちろん出た当時は大喜びで購入しましたが、もっとずっと前、ポール・ウェラーのザ・ジャムを通じて彼らにハマり出した80年代初頭は、初期ザ・フー、キンクスとともに彼らの写真など望むべくもない時代でした。唯一写真を拝むことができたのは、中古レコ屋さんでせっせと漁って見つけた彼らのレコくらいでしたね。

そんな中、忘れもせん梅田の輸入レコ屋さん「ワルツ堂」で見つけたのがこれです。実はこれ、ウェラー兄貴が当時設立した出版社ライオット・ストーリーズから出た本なんです。82年とありますから、ザ・ジャム解散直前のころで、兄貴が髪型から音楽から何までスモール・フェイシズにハマっていた時期です。

ホチキス留めの50ページにも満たない全白黒の小冊子みたいなものなんですが、見たことのない写真ばかりでそらコーフンしながら毎日眺めてましたね。状況が状況でしたから、ある意味90年代に出た先述の2冊よりも喜びは大きかったです。ちなみにその2冊にも載っていない写真がほとんどです。

考えてみると、日本ではその後フーやキンクス(レイ・デイヴィス)の翻訳本やムックが出たのに、スモール・フェイシズ単体では依然出てないですよね。やっぱり日本ではセールス的にキンクスがギリギリの線なんでしょうか?ここはぜひキンクス、フー本にも絡んでいたスモフェ好きの小松崎健郎さんにふんばってもらいたいっす!って今さらですか、このご時世・・・切ないです。おわり


【汚い話】

久しぶりにウンコの話で恐縮です。でも人間のウンコではなくて鹿のウンコの話なので大丈夫だと思います。

近くには鹿で全国的に有名な奈良公園があります。鹿煎餅を持っていようものなら、奴らは半狂乱になりながら人間を追い回したりしてムカつくところもありますが、たしかにかわいいし、癒されます。

この奈良公園は通称「鹿公園」と呼ばれたりしますが、実は正確にいうと「鹿のフン公園」なんです。普通、このたぐいの大きな公園だと、ポカポカ陽気の休日やなんかには、芝生の上にシートでも敷いて家族でお弁当を食べる姿がちょこちょこ見られるものです。しかしそういう光景が一切見られないのは、そこいらじゅうに鹿のフンが転がっているからなんです。

一見分かりませんが、よく芝生を見てみるとほとんどフンで埋め尽くされているのが分かります。芝生にフンがあるのか、フンの間に芝生があるのかわからなくなるほどです。昔一度だけ行ったロンドンのハイドパークでは、鹿のフンの100倍くらいありそうなデッカイ馬糞を見たことがありますが、鹿公園ほどそこいらじゅうに転がっているわけではありませんでした。

目をつぶって「ワー!」といいながら芝生にヘッドスライディングしろと命令されたらどっちの公園を選びますか?究極の選択です。顔面直撃する確率は圧倒的に鹿公園の方が高いですが、直撃した時に死ぬほどのた打ち回りそうなのはハイドパークです。私は鹿公園ですね。馬糞よりも鹿糞の方が匂いはマイルドだと思うし、ちょっと見チョコボールみたいだし、食べてみたら意外とコリコリしてうまそうな気さえします。間違いなく世の中で一番臭くてとても食えそうもないのが人間のウンコでしょうな!


【訃報】

2010年10月8日、ジ・アクションのヴォーカリストだったレジー・キングが亡くなったそうです。65歳でした。今年は1月に同じアクション〜マイティ・ベイビーのベーシストだったマイク・エヴァンスも64歳で亡くなってますから、残されたメンバーたちの悲しみはさらに深いんじゃないでしょうか。

若い頃のクスリの体験と多少関係はあるのかもしれないし、酒好きな人も多そうですが、それにしても本当に60代の若さで亡くなるミュージシャンが多いです。
R .I .P .




【ガブリエル・ドレイクさん】

故ニック・ドレイクの姉貴ガブリエルさんは英国の中堅女優です(多分現役)。彼女の最も有名な配役は、70年から71年にかけて英国のテレビ・シリーズとして放映された「謎の円盤UFO」でのゲイ・エリス中尉役でした(写真)。とえらそうにいいつつ、実際に番組を見たことはないのですが、不自然に露出度の高いコスチュームで出演していて、かなりのお色気路線(死語)というか大人向けドラマの側面があったようです(YouTubeで少し見られます)。しかしこのコスチューム、今でも秋葉原にいそうです。あ、それで思い出しました。しかも以前どっかで書いたような記憶がありますが、昔いっしょにバンドをやっていた友人が、漫画のお店「まんだらけ」近くの食堂で昼食をとっていたら、となりで古代進が飯食ってたそうです。

20代の頃のガブリエルさんの写真を検索していたら(ヒマか)、これが一番ニックに似てました。おわり










【ビル・グレアム ロックを創った男/ビル・グレアム、ロバート・グリーンフィールド共著 その2】

以前、取り上げた本なんですが、この中で特におもしろかったビルとオーティス・レディングのエピソード部分をご紹介したいと思います。

オーティスのライヴ前の楽屋での二人のやり取りなんですが、最初に読んだときは思わずカッカッカと笑ってしまいました。でもこれがいい話なんです。

ライヴ前、ビルがオーティスに何か必要なものはないかと尋ねると、オーティスは「容器に氷を入れてもってきてくれないかな。あとセヴンアップを何本か」と要求しました。ビルは「お安い御用だ」といって、カウンター係に氷とセヴンアップをもらいに行きました。ところが係に、飲み物はオーケーだが、製氷機が壊れていることを告げられました。

そこでビルは会場を抜け出し、マーケットまで氷を買いに一目散に走り出しました。無事、氷を買い、息を切らせながら戻ってきたビルは、コップに氷を入れセヴンアップを注ぎました。その時点でおそらく彼の呼吸はすでに整っていたんでしょう。こっからがさすが元役者志望の彼の本領発揮です。

ビルはふとこう考えたそうです―「どうやったらオーティスに何もいわずに、わざわざ氷を買ってきたことがわかってもらえるだろうか?」 そして彼はわざと肩で息をし始め、4分間で1マイルを走ってきたような感じでハアハアいいながら、「セヴンアップだ」と、オーティスにコップを差し出したそうです。以下二人の会話です。

ビル:「氷は足りてるか?」

ビルの様子を見たオーティス:「ん?どうしたんだい?」

ビル:「いや・・なんでもない。ただ私が・・・私たちが・・・いや、気にしないでくれ」

オーティス:「おい、何があったんだ?!」

ビル:「いや・・・別に大したことじゃないんだ。私が・・・うちの・・・ふぅ・・・製氷機が壊れたんだよ。だからひとっ走りして、氷を買ってきたというだけのことさ。いや、別に大したことじゃない・・・」

するとオーティスはビルのシャツをつかみ、「何だって?!おれのために氷を買いに行ってくれたのか?!」というと、ビルをぎゅっと抱きしめ、こういったそうです。

「これだけはいわせてくれ。この先、おれがこの街で演るときは、いつだってあんたのために演る」

「ふぅ」って!!
いやあ、サイコーです。
まるで「飛び出せ!青春」の村野武範じゃないすか。
後年、ビルはモンタレーをもう一度だけ見られるとすれば誰を一番見たいかと尋ねられた時、「オーティスだね」と答えたそうです。


【80s】

夜中のNHKで80sの洋楽をなつかしむ番組を見ました。司会はプログレ好きの高嶋政宏さんとゲストにジョン・カビラさんでした。

特にこの番組を見ようと思って見たわけではなくて、テレビをつけたらちょうど始まったんす。80年代は10代後半から20代半ばまで過ごした時代なのでそれなりに懐かしかったですが、プロモ・ビデオで登場したのは当時大嫌いだったメインストリームの大ヒット曲ばかりだったので、我ながら暗い青春時代だったなあと思いましたね。

一発目がバグルスの「ラジオ・スターの悲劇」でした。これはまだよかったですが、次からがいけませんでした。シンディ・ローパーにデュラン・デュランにプリンスです。いやあ、特に当時から恥ずかしくて見てられなかったのが、曲に合わせて口パクしながら進んでいくあのオーヴァーアクションの演技です。今見てもやっぱりシンディ・ローパーの寒さといったらありませんでした。プリンスの「パープル・レイン」のブレイクで出てくる「アノ〜!アノ〜!アノ〜!」部分は当時から思ってたんですが、志村けんぽくないすかね?エイジアもキツかったす。唯一今でも聞くに堪えたのは(見るのも)、故ロバート・パーマーの何とかちゅうヒット曲でした。バックだけはどうしようもない80sの大仰サウンドでしたが。

司会が渋谷陽一さんとか小林克也さんだったら、ニュー・ウェイヴも取り上げてくれたかもしれないですよね。でもそれはそれで、これまたさっむいのがけっこうあるんです。やっぱり80sロックの主流はいつの時代と比べてもダサい!これはもう絶対的にダサいと確信しました。こうなったら音楽もファッションもバブルな時代も含め、80s全否定です(西尾幹二さんは全肯定)。趣味の合う友人も少なく、下校部だった私の個人的恨みも入ってますけど(これもまたダサい!)。


【ビル・グレアム ロックを創った男/ビル・グレアム、ロバート・グリーンフィールド共著】

サンフランシスコのフィルモア・ウェスト、ニューヨークのフィルモア・イーストなどのコンサート・ホールを主催していた有名なプロモーター/ツアー・プロデューサー、ビル・グレアム(91年ヘリコプターの墜落により死亡:享年60)の本です。グレイトフル・デッド、ザ・バンド、ディラン周辺で必ず名前の出てくる人なので、聞いたことのある人は多いと思います。

本人と当時のスタッフたち、キース・リチャーズ、ピート・タウンゼンド、ロビー・ロバートソン、クラプトンその他大物ミュージシャンたちの証言から成り立った本で、全てがそれぞれの主観による話しことばなので、いまいち意味がよく分からなかったり、前後関係が矛盾したり、他の人の意見と対立したりするところがたくさん出てきます。どの証言を信じるかは読者の判断に委ねられているような本で、そこは本書の面白さのひとつだと思います。

60年代中〜後半のヒッピー・ムーヴメント時代から80年代のライヴ・エイド、アムネスティ(人権救援機構)まで、多くのチャリティ活動の中枢に関わってきた人なので、内部のドロドロした利権がらみの証言の中には、多くの真実があるんじゃないかと思います。

ライヴ・エイドに代表される大規模なベネフィット・コンサートについては、以降、様々な負の要素が表に出てくるようになりましたが、グレアムのいうとおり、ベネフィットは金を集めてから使い道を決めるのではなく、主旨を最初にもってくるのが最も効率的なのは間違いないですよね。例えば、エチオピアのどこそこに何という施設を作るための金集めだとかいった具体的な計画を最初に提示してから開催すれば、それが失敗に終わるか成功するかは明快な形になって表れます。実際、60年代の彼は地元でそういうやり方をしていたわけですから。

もともと俳優志望だった彼は、あの恐い顔でマフィア映画にも出たことがあったり、興行プロモーターにつきまとう先入観のせいで、悪者的イメージを持たれがちな側面がありますが、この本を読めば、悪徳ビジネスマンどころか、当時の大物ミュージシャンたちよりもはるかに理想主義的で本当に音楽を愛する1人の人間だったことがよく分かります。

こいつはホンマもんのワルだなと思ったのは、ツェッペリンのマネージャーだったピーター・グラントでした。あと、70年以降のビッグになったストーンズ、CSN&Y、ディラン、ツェッペリンらのわがままぶりは反吐が出るほどですよ。こういった人たちを相手に仕事をしなければならなかったんですから、そりゃあタフじゃないと音楽が好きなだけではやっていけないだろうなと思いました。量的(900ページ!)にも質的にも重い重い1冊です。


【スタックス・レコード物語/ロブ・ボウマン著】

オススメ本の紹介です。数年前に邦訳されたサザン・ソウル・ファン必読の名著、470ページに及ぶ大作です。

ジム・スチュアートと姉のエステル・アクストンが二人でサテライト(スタックスの前身)・レーベルを興すところから始まって、ルーファス/カーラ・トーマス、マーキーズ、ウィリアム・ベル、オーティス・レディング、ブッカーT&ジ・MGs、サム&デイヴらに絡んだ興味深いエピソード満載の初期、スタックスが68年にアトランティックとの配給契約を解消し、ガルフ&ウェスタン(G&W)に身売り、70年に買い戻して独立、さらにCBSレコーズとの失敗に終わる配給契約、そして裁判を経て76年についに倒産するまでの道のりが書かれてあります。

その間には、65年に入社したアル・ベル(共同経営者となる)とジム・スチュアートの確執、スタックスに融資していた銀行との争いがあり、ファミリー的な風土を持った小さなレーベルがアル・ベルの急激な拡大政策によってどんどんと大きくなるにつれ、ミュージシャン、スタッフら人間関係の希薄化、モラル/仕事の質の低下、取締りの強化などを招き、チャート上の成功の裏で会社が急降下していく過程が詳細に描かれています。

印象に残ったのは最後の方の一文―「小さな会社が巨大企業との争いに巻き込まれると、まず間違いなく小さな会社が敗れ去る。事態が紛糾すると、CBSは容赦なく自らの利益のみを追求。(中略)スタックスを追い込み始めた。企業国家アメリカにおいては珍しくもない行為。敵対的買収である。面白くないと思う向きもあるかもしれない。確かにフェアとは言えない。しかしフェアプレーを期待するのは、資本主義の本質を理解していないのと同じである」でした。

ジェシー・ジャクソン牧師と親しかったアル・ベルが当時の公民権運動と連動していたこと、68年にアトランティックと決別した時に、全てのスタックスのマスター所有権がアトランティックにあったことが判明したという事情を考慮しても、スタックス衰退への全ての引き金は、やはりアル・ベルの強引な拡大路線だったんでしょうね。

もうひとつ皮肉だなと思ったのが、初期のスタックス・サウンドを最後まで守ろうとしていたジム・スチュアートが、モータウンを意識しながら洗練化を図っていったアル・ベルに押し切られた結果、会社を潰すことになっただけでなく、根城であるスタックス・サウンドまで失ってしまったことです。本末転倒てやつです。

そこにはよくいわれる、黒人音楽をめぐる保守の白人(スチュアート)と革新の黒人(ベル)のスタンスの違いがよく表れてますよね。これは現在にまでつながることですが、ある一時期の黒人音楽に入れ込む頑固で研究家肌の白人(日本人も)と、新しもの好きの黒人との間のギャップです。もっと分かりやすくいえば、いまだに60年代後半のスタックスやゴールド・ワックスを愛してやまない英国白人/日本人と、最新のヒップホップ、ハウスに熱中する黒人とのギャップです(最新の黒人音楽といえばヒップホップ、ハウスしか思いつかない私もまさに前者に入りますね)。

どちらが正しいかではなく、両者のバランスの問題でしょう。初期の短期間、スタックスはそのバランスがうまくとれていたんでしょうね。そのあたりの事情がよく分かる本です。オススメ!


【訃報】

2010年6月23日、キンクスのオリジナル・ベーシスト、ピート・クウェイフが亡くなったそうです(享年66)。

60年代組の中では、オリジナル・メンバーが全員健在の数少ないグループのひとつでしたし、何度かそのメンバーでの再結成の話が浮上しては消えたりしていました。これでそれもかなわなくなってしまいました。RIP




【ホントは仲良し兄弟】

おもろい写真があったのでご紹介します。右の写真は80年代に出たある洋書に載っていたものです。1953年当時の写真なんですが、左端の男の子と真ん中に写っているオバハンの右下にいるかわいい男の子は誰だか分かるでしょうか?

そうです、キンクスのデイヴィス・ブラザーズです。これがまたどっちがどっちだか一目瞭然なところが可笑しくてしょうがないです。オバハン右下の弟(デイヴ)は1947年生まれなので6歳です。かわいいじゃないですか。そのまま素直に育ってキンクスのギタリストとしてデビューしたんすね。

一方、左端にいる兄貴(レイ)の左口角の上がり具合は、すでに9歳(1944年生まれ)にしてヒネたガキじゃないすか!しかもオッサンみたいに手を前で組んでいます。この頃から変に擦れたガキだったんすかね。いずれにせよサイコーの表情で写ってます。

「けっ、かくれんぼとか鬼ごっことかつまらん遊びなんてせえへんし」

こちらもそのままキンキーに育ったというわけでしょうか。でものちに「ヴィレッジ・グリーン」で描写したような世界を考えると、子供の頃からオッサン並みの洞察力を持っていたのかもしれないですね。おわり!


【訃報】

2010年3月10日、ウェールズの元祖ジャム・バンド、マンのギタリスト/ヴォーカリスト、ミッキー・ジョーンズが亡くなりました。63歳でした。

脳腫瘍再発でマンを再度脱退し、代わりに息子さんがバンドに加入していたことはバンドのホームページで知っていたので、もしかすると近いかもしれないなとは思ってました。

日本ではほとんど無名ですが、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスの好きな人は一度聴いてみて損はないと思います。きっとニヤッとさせられると思います。
合掌



【ブリティッシュ・ソウル・シンガー話】

スティーヴ・マリオット話から発展して、英国産ソウル・シンガーの話です。昔々、あれは桜井ユタカさんだったかどうかはもう覚えていないのですが、たしかワーナーから出た国内盤のアトランティック系ソウルのライナーにはおもしろいことが書かれてありました。

有名なアメリカの黒人ソウル・シンガーそれぞれに対応する、英国産ソウル・シンガーの羅列です。つまりヴォーカル・スタイルのそっくりさんです。例えばこんな感じです。

サム・クックのそっくりさん→ロッド・スチュワート
オーティス・レディングのそっくりさん→ポール・ロジャース
レイ・チャールズのそっくりさん→スティーヴ・ウィンウッド
ドン・コヴェイのそっくりさん→ミック・ジャガー

といった具合です。実はスティーヴ・マリオットの場合も、この人はメイヴィス・ステイプルズのそっくりさんなのか!とこれで知ってステイプル・シンガーズを聴くようになりましたよ。そしていろいろとレコを集めていくうちに、上に挙げた人たちはそれぞれたしかにそっくりで、妙に納得したのを覚えています。

というわけで他にもいないかといろいろと考えてみました。そういえば名前は忘れましたがジャミロクワイの何とかさんはスティーヴィー・ワンダーのそっくりさんだとか言われてましたね。無理あり!の人もいるかもしれませんがこんな感じです。

エタ・ジェイムスのそっくりさん→ルル
スモーキー・ロビンソンのそっくりさん→ボーイ・ジョージ(懐)
マーヴィン・ゲイのそっくりさん→ポール・ヤング(同上)
サム・ムーア(サム&デイヴ)のそっくりさん→ピーター・フランプトン
アレサ・フランクリンのそっくりさん→ジュリー・ドリスコール

あとイギリス人ではないですが、ダリル・ホールもマーヴィン・ゲイ似ですよね。エリック・バードンとヴァン・モリソンは癖ありすぎなのか何なのか分かりませんが、誰にも似ていませんよ。

以上そっくりさん大会でした!


【スティーヴ・マリオット話】

スモール・フェイシズ(以下SF)ばかりで、ろくにハンブル・パイも聞いたことがなかったりしますが、それでもこの人は白人ソウル・シンガーとしては自分の中で別格の存在です。

概してヴォーカリストというのは、デビュー後、歌を磨いていくうちにある時期をさかいにキーが高くなるものなんでしょうか?訓練によって声域が広がることと関係があるんでしょうかね?例えばスティーヴの場合、SFでの65年のデビュー・シングル、“ホワッチャ・ゴナ・ドゥ・アバウト・イット”のB面だった“ホワッツ・ア・マター・ベイビー”でのヴォーカルと、67年のヒット曲、“ティン・ソルジャー”でのヴォーカルを聞き比べてみると、えらいキーが高くなっているような気がします。そしてハンブル・パイではさらに大変なことになりますよね。彼の大好きだった(はずの)ステイプル・シンガーズのメイヴィス・ステイプルズどころではない声の高さです。

マリオット狂だったザ・ジャム時代後期のポール・ウェラーも、5枚目のアルバム、‘サウンド・アフェクツ’から急にキーが高くなって歌が上手くなりました。“マン・イン・ア・コーナーショップ”で特によく分かると思います。スティーヴの場合はデビュー時から並外れたブルー・アイド・ソウル・シンガーでしたが、ポールの場合、スタート時はパンク・シンガーに近かったですから、当時はよく分からなかったですが何年も経って改めて聞いてみると、その上達ぶりには驚くべきもんがあります。自分の崇拝する人に近づきたくてそら努力したんでしょうなあ〜。

個人的には、スティーヴはハンブル・パイのような音楽的路線に進むのではなくて、もうSF抜けた時点で、「オレはソロのソウル・シンガーになるんや!」と決心してもらって、あとはアラバマのリック・ホールのところへ行くなり、メンフィスのハイに行くなりしていれば、長い目で見れば、ヴォーカリストとしてのその後の展開はもっと彼にふさわしいものになっていたんじゃないかと思ってしまいます。あれだけの声を持っていたシンガーだけに、周りに先の読めるプロデューサーかマネージャーがいたらよかったのになと今更ながら思います。ビートルズでいえばジョージ・マーチン、フェアポート・コンヴェンションでいえばジョー・ボイドのような。

上述したように、スティーヴのヴォーカル・スタイルはファミリー・ゴスペル/ソウル・グループのステイプル・シンガーズのメイヴィス・ステイプルズにそっくりなところがあるので、スティーヴ・ファンにはオススメっす。アルバムでいうと、スタックスからの‘Be Altitude : Respect Yourself’('71:何となく顔まで似てます)、‘We’ll Get Over’('68)が特にいいと思います。その前のCBS/コロンビア時代も素晴らしく、ついでにそのまた前のゴスペル時代も、スティーヴなヴォーカルを堪能するならハズレなしです!


【訃報】

2009年12月24日にスティーライ・スパンのオリジナル・メンバーだったティム・ハートが、癌のため亡くなっていたことを知りました。まだ61歳でした。

去年初めに亡くなったジョン・マーチンも60歳だったし、ニック・ドレイク、シェラ・マクドナルドなどのアレンジャーだったロバート・カービーもハートと同じ61歳でした。今年に入ってすぐにウィリー・ミッチェルも亡くなってしまい、自分の好きな音楽が加速しながらどんどんと過去のものになっていくような気がしますよ。

あと20年ほど経って60年代、70年代に活躍したミュージシャンたちがほとんどいない時代が来たら、今以上にあの時代が懐かしがられ、持ち上げられるようになるんでしょうか。といっている自分もすでにいないかもしれませんが。まあ、仕方のないことです。結局ポピュラー・ミュージックは70年代初頭が頂点だったすね。


【訃報】

2010年1月5日、ハイ・レーベルの偉大なプロデューサー、ウィリー・ミッチェル氏が81歳で亡くなりました。70年代前半〜半ばにかけてのアル・グリーン、アン・ピーブルズ、オーティス・クレイ、O.V.ライト、クワイエット・エレガンス、シル・ジョンソンその他多くのディープ・ソウル・シンガーのレコードで聞ける彼プロデュースのハイ・サウンドは、スタックス・サウンドを受け継いで発展させた完成型といってもいいほどの発明品でした。

自分の中ではモータウン、フィリー、JB以上に、ソウル史上最高のサウンドだと思ってますが、それらほどメジャーな存在ではありませんでした。アル・グリーンを除けば、一般的にはオーティス・レディング、サム&デイヴ、アレサ・フランクリンら大物によるスタックス、フェイム・サウンドよりも認知度は低いかもしれません。だとすれば明らかに過小評価なので、ミッチェルの残した偉大な音楽を受け継いで行く担い手としてフェイヴ・レイヴスを応援していきましょう。


【ニック・ドレイク】

レコ妖怪コーナーのロニーに続く「いい奴に限って早死にするんだよな、悪い奴に限って長生きしやがる」第二弾をこちらでやります(レコでもCDでもないので)。74年に26歳の若さで死んでしまったニック・ドレイクのふるさとめぐりです。ニックの実家はイングランド、ワォリックシアのタンワース・イン・アーデンという小さな村にあります。位置を大ざっぱにいうと、あのシェークスピアで有名なストラトフォード・アポン・エイヴォンと、バーミンガムの中間くらいです。今も村の教会の墓地に両親といっしょに眠っています。まずはタンワースの眺めです。いやあ、ど田舎です。実際、村の周りは果てしない丘陵地帯が続いています。

ニックの育った家です。上流中産階級らしい大邸宅です。いったい何個部屋があるんでしょうか?
家族4人にこんなでかい家が必要かい!と、ウサギ小屋住まいの日本人としては文句の1つもいいたくなります。





村の教会、パリッシュ・チャーチ・オブ・セント・メアリー・マグダレンです。建立時期はなんと14世紀初めらしいです。ということはその頃からこの小さな村があったというわけでしょうか?それとも昔はもっと大きな村だったのが、過疎化が進んで小さくなったんでしょうか?過疎化って・・・完全に日本人感覚で想像してますが、なんとなく民族性から推測するに、何世紀にもわたって脈々と続いてきた村のような気がします。






教会となりの墓地にあるニックのお墓です。墓石の裏側にはアルバム‘ピンク・ムーン’のラスト・トラック、“From The Morning”の歌詞「Now we rise/And we are everywhere(僕たちは生き返る 僕たちはどこにでもいる)」が刻まれています。おそらく今でもヨーロッパ中のファンが参拝してるんじゃないでしょうか。ニックの音楽はCD/レコが入手可能な限り、永遠にファンが生まれ続けるような普遍性がありますよね。その音楽と彼のイメージとは正反対に、音楽自身のもつ力強さといったらないですな!
以上タンワース訪問でした。


【訃報】

また偉大な人がこの世を去りました。ニック・ドレイク、シェラ・マクドナルド、スパイロジャイラ、ヴァシュティ・バニヤンなどで有名なアレンジャー、ロバート・カービーが10月3日に亡くなったそうです。まだ61歳の若さでした。ケンブリッジ大学時代からニック・ドレイクとは知り合いだったそうですから、友人の中ではジョン・マーチン、リチャード・トンプソンよりも一番ニックに近い人だったのかもしれませんね。トンプソン、ジョー・ボイド、そして姉貴のガブリエル・ドレイクさんらは寂しい思いでしょう。ニック聞いて追悼しますわ・・
合掌


【フラワー・トラヴェリン・バンド at 京大西部講堂】

京都にフラワー・トラヴェリン・バンドを観に行ってきました。このバンドは全く聴いたことがなく、唯一昔FMか何かで、内田裕也&フラワーズの“ファンタジック・ガール”を聴いたことがあるだけでした。しかも覚えているのは、「ファンタジック・ガ〜ル」というナレーション部分だけです。やたらエコーが効いていたような記憶があります。

西部講堂は全て座席が設置してあって満席でした。お客さんはオッサン(おじいさん)、オバハンばかりでほとんど若い人が見当たらず、大半が50〜60代に見えました。平均年齢はバンドと同じくらいだったんではないでしょうか。初めて見たFTBは、日本の民謡なのかヨーロッパの民謡なのか分からないようなメロディとリズムに、ハードロックが混じったようなつかみどころのないサウンドでしたが、大変個性的でした。ジョー山中はとても60代には見えませんでしたね。赤いスリムのジーンズをはいて曲の最後で必ずジャンプしてました。石間秀樹のギターがルックス、プレイともに一番独特でしたね。

いろんな意味でおもしろかったですが、実は個人的に一番おもしろかったのは、友人から聞いた内田裕也話です。昔、誰かが裕也さんに尋ねたそうです。

「裕也さん、なぜ指を口に当てて歌うんですか?」

すると裕也さんはこう答えたそうです。

「こうするとステレオになるだろ?」

降参!


【ウィルコ・ジョンソン・バンド at 磔磔】

京都にウィルコ・ジョンソン・バンドを観に行ってきました。ベーシストは元ブロックヘッズのノーマン・ワット・ロイ!ドラマーは前に見た時とは違う人で、他の二人よりかなり若く見えました。

もう何度も来日していますが、私にとっては20年ぶりのウィルコ・ジョンソンでした。ウィルコは現在62歳なので、さすがに20年前に見た時ほどの元気なステージは見られないだろうなと思っていたのですが、驚いたことに全く同じステージングを見せてくれました。相変わらずギターのカールコードは宙に浮いていたし、目をむきながらステージ左右動きまくってくれました。エロじじいパフォーマンスも見せてくれましたし、ちゃんと機関銃にも撃たれてきましたよ。唯一20年前と違ったのはツルッパゲだったことだけ!

ワット・ロイと若いドラマーのぶっといリズム隊も鉄壁でしたね。彼らあってこそのウィルコのプレイっす。最後はおなじみの“Going Back Home”〜“She Does It Right”のメドレーで締めましたが、大喜びの満員のお客さんはそのまま終わらせてくれず2回のアンコールを強要し、“Route 66”と“Bye Bye Johnny”で終了となりました。いやあ、最高のギグでした。お客さんの異様な盛り上がりに3人とも満足そうでした。


【パブ・ロック革命/ウィル・バーチ著/シンコー・ミュージック】

ブリンズレィ・シュウォーツ、ニック・ロウ、デイヴ・エドマンズ、イアン・デューリー、コステロ、ドクター・フィールグッドらに代表されるパブ・ロック好きにとって大変興味深い本です。また、これら代表選手をきっかけにさらに奥へと進んでみたい人にうってつけの本ですよ。80年代までの英国ロック界でのパブ・ロックが果たした役割の大きさと、スタジアム級のバンドを除く英ロック・シーンというのは、ほとんど=パブ・ロック・シーンみたいなものだったんだなということがよく分かります。

印象に残ったのは、デザイナーのバーニー・バブルスの人柄でした。何とか助けてやれんかったのかなと思います。あと、ライターのチャーリー・ジレットの次の言葉は核心ついてると思いました。「・・・(アメリカ人の作品)に比べて、英国サウンドってのは何か抑鬱されていて、小じんまりしているんだ。英国映画とアメリカ映画の違いみたいなもんさ。英国には、野心的なものを抑え込む何かがあるんだ」

そういえば以前紹介したオススメ本「200CD ブリティッシュロック」の著者のイアン・サウスワースというイングランド人のオッサンは、「何で日本人はパブ・ロックみたいなショボくれた音楽が好きなんだ?」といってました。なんとなくいいたいことは分かりますが、彼らにとってはあまりに身近な音楽だからかもしれませんね。英パブ・ロックがアメリカン・ミュージックに対して持つ憧れとスタンスに日本人としては親近感を持ってしまうんですかね? まあとにかくオススメ!


【ザ・バンド:軌跡/リヴォン・ヘルム著】

ザ・バンドのドラマー、リヴォン・ヘルムが94年に出版したリヴォンの目から見たグループの歴史です。大変興味深い話がたくさん出てくる名著です。他のメンバーは全員カナダ人、リヴォンのみアメリカ人で米中南部アーカンソーの農家育ちでしたから、子供の頃の綿畑での辛い仕事の話なんかがよく出てきます。

そういった出自と日本でのザ・バンドの人気ぶりに、彼は日本に好意を持っていて(寿司にも)、日本の貨幣に稲の絵がついているのを知った時から日本を好きになるのがわかったそうです。「農民は崇敬の対象であるといってもよかった。あの国の人たちは、何が一番大切なものなのか、それを知っている」 なんて嬉しいこといってくれてます(現状の日本としてでなく、日本の原点としての話ですが)。

一方で、ロビー・ロバートソンに対してはかなり辛らつです。メンバー全員で作り上げた曲が全てロビー・ロバートソン一人のクレジットになったこと、ロビーの主導によって強引にバンド解散と「ラスト・ワルツ」の企画が進められたこと、「ラスト・ワルツ」には演出的要素が少なからず入っていることなどが細かく書かれています。

ザ・バンド・ファンにとっては複雑な思いになる本ではありますが、ザ・バンドの精神を体現していたのはどちらかといえばロビーよりも、むしろリヴォンの方だったのかなと思いました。ただ、これはあくまでリヴォンの言い分ですから、ロビーにもぜひ自伝を書いてほしいっすね。これだけ言われて死ぬまでだまっているわけにはイカンでしょう!リック、リチャードも生きていればガースも含めて全員の自伝が読みたかったバンドですね。


【ブリックヤード・ブルース/ブルース・インターアクションズ】

オススメ本の紹介です。ブリティッシュ・ビート好きにとってはロン・ウッドの兄貴のバンド、アートウッズのドラマーとして、ブルース・ロック好きにとってはジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズ、キーフ・ハートリー・バンドとしてその筋では知られるキーフ・ハートリーの自伝です。

実際に書いたのは、「200CD ブリティッシュロック 1950-2003 リアル英国音楽ディスクガイド」と同じくイアン・サウスワースで、彼がキーフから話を聞いて一人称で自伝を書き下ろしたものです。キーフの出身地がロンドンではなく、リヴァプールの北、プレストンという町だったということで、ビートルズ登場前からのリヴァプールのシーンが細かく描写されているところが大変おもしろく、マージー・ビート好きにも楽しめるんではないかと思います。アートウッズはロンドンのバンドということで、勝手にメンバー全員ロンドン出身のイメージを持っていたのでこれは意外でした。

共感できるのはキーフの自伝を通して、ちゃんとイアン・サウスワースのメッセージが伝わってくるところです。ミュージシャンたちからのレコード会社による不当な搾取は伝統的な話ですが、現在さらに音楽そのものまでも殺そうとしている状況を、半端でない怒りを込めて訴えています。読んでいて、プリティ・シングスのフィル・メイが著作権/印税奪還で戦っていた話を思い出しました。音楽/エンターテイメント界も結局のところ、ボクシング/格闘技と同じく興行の世界ですから、根っこのところはヤクザ、マフィアなのですが、だからといって公正さを欠くこと(契約なんかの)が許されるはずはありませんよね。

あとがきでイアン・サウスワースはレコ会社に対する怒りをパンク少年のようにあらわにしています。

「・・・キーフだけでなく、数多くのミュージシャンが同じ搾取にあっていることは、ここで明らかにしておきたい。ぼくとキーフはギョー界のクソ野郎がプレストンにおでましになったら、アルマーニをズリ降ろして、強欲野郎のケツの穴に火のついたタバコ突っ込んでやると言っているのだ」

オススメ!


【2009年6月15日の日記】

2ヶ月近く知らなかったのですが、ポール・ウェラーのお父さんでザ・ジャムがデビューする前からずっとマネージャーを務めていたジョン・ウェラーが、4月22日に亡くなっていたんですね(78歳)。京都のウェラーズ・クラブのマスターから聞いたんですが、少なからずショックです。

実際に見たのは、ジャムの3度の来日でした。バンド登場前の威勢のいいMCも担当していたお父さんのガラガラ声は、いかにも無骨な労働者階級のオヤジ臭がぷんぷんでした。いつもステージの下手で、バンドの演奏を聞きながら最後まで両手で自分の腿のところでリズムをとっていた姿が目に焼きついています。おそらく死ぬ直前まで現役のマネージャーだったと思います。35年前後お父さんといっしょに働いてきたわけですから、ポールの悲しみは半端でないのは間違いないですよね。ああ・・息子とともに日本好きだった名物親父・・合掌


【200CD ブリティッシュロック 1950-2003 リアル英国音楽ディスクガイド/立風書房】

このサイトを始めた頃に日記に書いたのですが、ここにリマスター再発します。オススメ本の紹介です。もう6年ほども前に出た本なので読んだ方もいると思います。一応ガイド本ですが、ガイドとしてあまり真に受けてはいけない本でもあります。読み物として大変面白いです。洋楽ファンならお馴染みの作品も多く取り上げています。著者はイギリス人のイアン・サウスワースというオッサンで、日本人のために書き下ろしたにしては自分の視点でかなり好き勝手な事言ってます。ただその視点が面白く、一人のイングランド人が自国の音楽を語っている訳ですから、確かに説得力あります。

イングランド人らしい猛毒もありです。スタイル・カウンシルをゴミだと断言したり(大賛成)、バーミンガムをイングランドの恥部都市だと言ったり。波長が合う人には楽しく読めると思います。私はかなり楽しめました。ただスタカンをクズだと言っておいてオアシスを絶賛するあたり、これは本気なのかな?と思いました。2003年当時のポール・ウェラーはもうスタカンとはかけ離れた音楽で大活躍していたので、スタカンをこき下ろしても大して影響はないが、オアシスをこき下ろしては本の売上に響くとか・・。スタカンがクズならオアシスはもっとクズです。ネットで見たか雑誌で見たかもう忘れてしまいましたが、数ヶ月前、なんとかギャラガー(兄貴の方か?)がこういうことを言っていたのを読みました。「もっと不況になればいいんだよ。そうすればいい音楽が生まれてくるから」 死ねと思いました。


【サザン・ソウルにノーザン・ソウル】

最近、米南部アラバマ出身の黒人女性シンガー、キャンディ・ステイトンに関する記述を読んでいて、改めて60年代のソウル事情は興味深いなあと思いました。特にアラバマ、マッスル・ショールズの白人プロデューサー、リック・ホールが所有していたレーベル、フェイムで当時録音したことのあるシンガーたち―ステイトン、ローラ・リー、アーマ・トーマスらがみな一様に回想するのが、当時のレコーディング現場の奔放さで、ステイトンによれば、そのへんでミュージシャンたちがおしゃべりしながらピザを食っていたり、ビールを飲んでいたりと、その雰囲気はのんびりと自由で開放的でファミリー的だったそうです。いかにも南部的な光景だなあと思います。そしてその中には黒人シンガーと白人、黒人のミュージシャン、スタッフたちが入り乱れていました。

ステイトンは幼い頃から白人のカントリー・ミュージックを聴いて育ってきたそうですし、一方で白人ミュージシャンたちはレイ・チャールズら黒人R&Bを聴いて育ってきたそうです。つまり60年代後半、黒人たちの公民権運動が盛り上がるはるか前から、人種関係なくいいと思った音楽をただ素直に聴いて育ってきたということです。

昔リンクにあるフェイヴ・レイヴスというソウル・バンドにいた最初の頃、ヴォーカルのアオちゃんから「マッスル・ショールズのバッキング・ミュージシャンはほとんどが白人だよ」と教えてもらい、それは驚いた記憶があります。それまでは私の頭の中で、モータウン同様、南部のソウルも全員黒人!というガチガチの先入観を持っていたためでした。スタックスのブッカーT & The MGsは半分白人であることは知っていましたが、ドラマーは黒人だし、あれは例外!という都合のいい解釈で片づけていました。それ以降、いろんな書物を読んだり、レコのライナーを読んだりして納得していくわけですが、その中で印象的なコメントがあったのを覚えています。MGsのダック・ダンだったかクロッパーだったか忘れましたが、60年代後半、南部の公民権運動の高まり以降、なにかスタックス・スタジオの中での黒人と白人たちとの間にギクシャクした雰囲気、溝のようなものが生まれてしまったというものでした。

私たち日本人にはせいぜい書物を通してしか当時の南部の状況を知る由はないのですが、断然、人種差別が激しかったのはアメリカ北部より南部だというイメージがありますから、考えてみれば不思議なことです。悪名高き白人至上主義者団体であるクー・クラックス・クランは南部発祥のはずだし、人種差別が幅を利かせていた時代には違いないですが、どうもその分布の仕方や地域的濃淡にはかなりの格差があったのかもしれませんね。人には遠い外国の事情は十把ひとからげにイメージしてしまうクセがありますから。メンフィス出身のエルヴィス・プレスリーは白人だったわけですから、黒人音楽をレース・ミュージックとして隔離したり、最初ラジオから流れてきたエルヴィスは黒人だと思われていたり、黒人が成功するにはスポーツか音楽しかなかったという経緯はあるにせよ、その世界の中では実質、差別意識は希薄だったのかもしれません。

そして一方で思い当たるのが、北部のモータウンがスタッフ、シンガー含め全てが黒人だったということです(注)。昔何かで読んだ覚えがありますが、つまりモータウン・レーベルは、黒人がいかに白人社会の中に解け込んでいけるか、同等になれるか、という今の私たちには大げさに聞こえるような「白人への挑戦」、もっと大げさにいえば「人種/政治闘争」そのものだったということです。概して南部より北部の方が思想的、産業的に先進的だったのは間違いないですから、あからさまな人種差別があった当時の状況からすれば、大げさでもなんでもなく、大真面目だったはずです。

おもしろいのが、その結果出来上がった両者の音楽です。黒人のみによるモータウン・ソウルが聴覚上、白人音楽(白人ポップス)と何ら変わらないサウンドと楽曲、つまり比較的ブルース/ゴスペル色薄い(薄めた)音楽だったのに対し、白人/黒人混合のサザン・ソウルが、ブルース/ゴスペル色濃い泥臭い音楽だったという逆転現象です(サザン・ソウルにはカントリーの要素も入っていますが、ブルース/ゴスペルほど前面に出てこないのは、リック・ホールら白人の制作サイドによる意図的なものでした)。高校の頃、初めて聴いたシュープリームスはしばらく全員白人だと思っていましたよ。まあ、これはあくまでモータウンを洗練されたノーザン・ソウルの象徴として捉えた場合ですので、厳密にはモータウンにもゴスペル色強いシンガーはたくさんいたし、北部出身のサザン(ディープ)・ソウル・シンガーもいれば、音楽的にはモータウン的手法で成功したサム・クックは、サザン・ソウルに圧倒的な影響を与えたという複雑な経緯があります。

好みの問題なので、どちらが優れているかという論争は無意味だし、どちらも優れているし大好きな音楽には違いありません。ただ60年代に限っていえば、規律、作法、教育でがんじがらめだったらしいモータウン・ソウルに表われた戦略的で装飾的なサウンド、ギミックに比べれば、先のシンガーたちのコメントに対する心情的なもの含めて、サザン・ソウルのその体質であるノンポリで、むき出しで、いい意味では自然体で自由、悪くいえばいい加減なサウンドの方に共感してしまうのは事実です。

「独善説コーナー」らしく極論をいえば、「歌」を歌うのは絶対黒人!「演奏」するのは黒人白人関係なし!場合によっては全員白人でもオーケー!といった棲み分けを、本能的に分かっていた南部人たちが作り上げた素晴らしい融合音楽が、いわゆるサザン・ソウルだったということです。おわり!

注:実際はモータウンに白人スタッフ、ミュージシャンが多数絡んでいたという話をネット上で発見しました。全く真実らしくけっこう衝撃でした。
(2011年3月7日)


【訃報】

2009年1月29日、ジョン・マーチンが亡くなりました。まだたったの60歳でしたよ。イギリスではヴァン・モリソンと並ぶほど孤高の人で、国民的人気もあったそうです。日本ではどちらかといえばリチャード・トンプソンの方がメジャーなイメージがあるような気がしますが(フォーク界で)、本国では逆にロック界でのクラプトン、フィル・コリンズなどとの交友関係からいえばマーチンの方がメジャーだったかもしれません。

過去の傑作、Stormbringer, Bless The Weather, Solid Airの3枚は何度聴いたかわからないし、つい最近3枚ともリマスターCDも手に入れた思い入れのあるアルバムです。それだけにかなりショックでかいです。晩年、体が不自由になっていたので、来日は無理かなあとは思ってましたが、あのロニー・レーンも来ましたから生きてる限り可能性はあると信じてたんですが。かなりショックでかいです。


【The Who/Amazing Journey】

ちょっと前になりますが年末にザ・フーのストーリー映画Amazing Journeyを観に行ってきました。来日公演に行かなかったことをちょっと後悔していたので、これで穴埋めじゃ!とばかりに無理矢理こじつけて臨みましたよ。

YouTubeでも観られる64年ハイ・ナンバーズ時代の映像以外に、65年頃と思われる観たことのない映像もけっこう出てきて楽しめました。以前初期のザ・フーばかりをYouTubeで漁り倒し、夜が明けてしまったというアホな経験をしたことがありましたが、それでもまだ観たことのない貴重な初期のライヴ映像ありでした。なのでファンなら見て損はないと思います。

こうなったら残る夢はザ・フーとついでにスモール・フェイシズ、キンクスの初期(66年まで)のカラー映像ですね。ビートルズ、ストーンズ、アニマルズら大物だと、エド・サリヴァン・ショーなどアメリカの番組なんかで65年のカラー・ライヴ映像なんて見ることができますが、フー・スモ・キンとなるとまだTV用カラー・フィルムを採用していなかった英国では難しいようです。66年のスモール・フェイシズ・デッカ時代のカラー・ライヴ映像なんて観ることができたらもう狂喜乱舞ですな!

映画の中で、ピートがギターの壊し方についていろいろと話す場面もおもしろかったです。破壊の美学といいますか、「ああ、さすが美学のかたまりだなこの人は・・・」と思いました。10代の時に初めてピートのギター破壊を映像で見て以来、今でもあの動きにはゾクゾクするもんがあります。ジミヘンもリッチー・ブラックモアも全く寄せつけない、いちいちカッコいい壊し方の裏には、やっぱり怒りや厭世の表現があったんだなあと思いました。まさにパンクのゴッドファーザーですな!「キッズ・アー・オールライト」のビデオなどで、ギターをアンプの裏側に放り投げたあとの「ケッ!」というようなうんざりした表情によく爽快さを覚えたもんです。

【天国は〜ない〜】

12月13日、豊橋までチナ・キャッツ・トリップス・バンドのライヴを観に行ってきました。去年11月、京都で初めて見て以来2回目です。

京都から友人の車で向かい、途中、岐阜県多治見で信濃屋という創業100万年かと思うほどの老舗のうどん/ラーメン屋さんで、うどんと支那そばを食べました。寅さんの団子屋「とらや」を小さくしたような昭和初期な作りの店内で、座敷に座って食べる味は感動的でオススメです。メニューは3品のみ!水木金土日のみ営業!売り切れ御免!時代に逆行するかのような理想的な地域密着型のお店です。こういった地に足の着いたお店は流行りすたりや不況にも強いです。クソ大型デパートの進出で地域密着型の商店街をどんどんと破壊していく日本に未来はないと思いました。

そのあと近くにある職人の友人のギャラリーに寄り、名古屋で知り合いの古着屋に寄り、目的地の豊橋ラグドールに着いたのはライヴ開始ぎりぎりでした。

去年見て以降、彼らのルーツの一つであるデッドや、彼らのライヴ・アルバムを聴いて予習していったので前回以上に楽しめました。オリジナル中心にデッド、ニール・ヤング、ディラン、ジョン・レノンのカヴァー含む2ステージ、トータル2時間40分、お腹一杯ごっつあんです。凝りまくったリキッド・ライト・ショー(モンタレーで見られるようなサイケなやつ)、ファイヤー・ダンス、押しと引きの絶妙な年季の入った演奏で、満員の会場は大盛況のうちに幕を閉じました。視覚的に何が一番印象に残ったかって、ライト・ショーよりファイヤー・ダンスのオネーサンです(あのね)。


【訃報】

2008年11月13日、元エクスペリエンスのミッチ・ミッチェル氏が亡くなりました(享年61)。筑紫哲也氏、デイヴ平尾氏に続いてショッキングなニュースが飛び込んできました。そしてエクスペリエンスはとうとう天国で3人揃ってしまいました。

個人的にはバンドの映像を見る時、ジミヘンよりこの人に目が行ってしまうほどカッコいいドラマーでしたよ。上手い版キース・ムーンか、ロック版エルヴィン・ジョーンズみたいなイカしたドラミングでした。

合掌


【ブリンズレィ話 おまけ】

イアン・ゴムによれば、ザ・バンドにハマっていたブリンズレィ(ギタリスト個人の方。あー紛らわしい!)は、いつもロビー・ロバートソンのようなサウンドを出そうとあーでもないこーでもないと、新しい機材をあれこれと試しながらもがいていたそうです。このようなことはギタリストに限らず、ベーシストでもドラマーでも誰もが一度は通る道だと思います。そして誰もが同じ結論に至るものだなあというお話です。

ある時ザ・バンドがツアーのために英国を訪れ、ブリンズレィズの連中がいたリハーサル・スタジオに実際にやって来たそうです。そしてロビー・ロバートソンがブリンズレィのギター・アンプにプラグを差し込んでギターを弾き始めました。すると何と驚いたことにそのサウンドは日頃欲しい欲しいと思っていたロビー・ロバートソン・サウンドそのものだったそうです。

当たり前じゃい!!

いいえ、当たり前ですがこれすごく気持ち分かるし大事なことです。この当たり前のことに気づくのに、アマプロ問わずバンドマンたちはみんな長い長い時間をかけて回り道するんですな!しかしこれに気づいてしまえばあとはパーッと道が開けるってなもんです。おしまい!


【ブリンズレィ話 その3 最終回】

パブ・サーキットでの精力的な活動と草の根のファンの拡大、そしてあのポールとウィングスのツアーの前座までも務めたのになかなかレコード・セールスにつながらないブリンズレィズは、自虐的な変名バンドThe Hittersで、レゲエのシングルを出しましたが、やはりこれも売れなかったそうです。その自分たちを茶化したようなネーミングも「これもどーせ売れねーだろうし。なあボブよ」という前提で付けたんじゃないかと思ってしまいます。

そろそろ悲しくなってきました。救いは3枚のライヴ/コンピレーション・アルバム“Greasy Trucker’s Party”、“Glastonbury Fayre”、“Live At The Paradiso”に参加したことでかなり評判になったことでした。去年(2007)“Greasy Trucker’s Party”の3枚組CD完全盤が出ましたが、ディスク1のマンと、ディスク3のホークウィンドに挟まれると、余計に彼らの特異性が際立って聞こえます。1曲の簡潔さ、演奏の小気味よさ、ユーモアとクールさ、本当に最高さ。これは1枚ものとしてバラでリリースしてほしい程出来のいいライヴですよ。アルバム未収カヴァーもたくさん入っています。

結果的にラストとなるアルバムが、デイヴ・エドマンズのプロデュースによる‘The New Favourites Of…’でした。この頃彼らはアルバムのトップに入っている“(What’s So Funny ‘Bout) Peace, Love And Understanding”で、なんとテレビ音楽番組TOTP(トップ・オブ・ザ・ポップス)への出演依頼がきたそうです。しかし実現しませんでした(断ってしまった)。なぜか。それは・・・

この曲をライヴで出来ないことが判明したから

そ、そんな。何もレコードと同じにできなくても、この頃のバンドの一体感をもってすれば全然問題ないと思うんですが。あのアルバムのプロフェッショナルな完成度を考えれば、当時の彼らのプロ意識が許さんかったんかもしれません。そしてもうここまでくると「それでこそブリンズレィズや!」と納得してしまうほどの芸当が、二度目のTOTP出演依頼拒否です。今度はなぜか?!今度はTommy Roeという人の“Everybody”という曲を口パクで演奏することを拒否したためだそうです。もうええわ・・・

このアルバムもセールス的に失敗したことで、バンドはついに店じまいとなりました。しかし相変わらず内容的には充実していて、ある意味アルバムの完成度としては最高傑作かもしれません。さすがエドマンズの手腕です。“Ever Since You’re Gone”なんて、彼らに本来似つかわしくないような‘大名曲’という言葉を使ってしまいたいほどの、涙ちょちょ切れる大名曲な出来の大名曲です。そしてオーティス・クレイのカヴァー“Trying To Live My Life Without You”でとどめじゃ。それでは最後にイアン・ゴムの深い深い言葉で締めです。

「僕らが結局成功できなかったのは、僕らがいつも自分自身でなく他の何かになりたがっていたからだ」

今となってはそれを言ってしまうと身も蓋もないようなセリフですが、裏を返せば好きな音楽だけをプレイして楽しんできたということで、それがほとんどパブ・ロックの定義みたいになってしまったんですからもういいです!解散後の元メンバーたちの活躍、大成功は知ってのとおりです。はっぴいえんどです!


【ブリンズレィ話 その2】

デビュー・ギグが大コケした後、それに拍車をかけてしまったのが、数週間後にリリースされたデビュー・アルバムでした。今聴くと、フェアポート・コンヴェンションのデビュー・アルバムと同じくらいグループの中では番外編的な作品に思えるほど、冗長で重い作りです。少しシリアス過ぎて息が詰まるようなところがあります。のちにニック・ロウはこう例えてはります。「オレたちはどんどん小うるさいバンドになっていった。‘今から始めるから、さあ、みんな座ってくれ’っていうようなね」 まるで反戦フォーク・コンサートの弾き語りシンガーのようではないか!

デビュー・アルバムでとどめをさしたかと思われた、かどうかは当時のことは分かりませんが、開き直った彼らは「んなもん知ったこっちゃあるかいな!」というようなタイトルの‘Despite It All’でついに浮上します。ただ浮上したといってもそれは音楽的な話で、セールス的には相変わらず低迷していたそうです。しかし迷いの無くなった彼らは忠実なファンを獲得していくようになりました。デビュー時に影響が顕著だったバッファロー・スプリングフィールドやCSNの次に彼らが目指したザ・バンドとヴァン・モリソンは見事に彼らにはまり、‘Despite It All’に続いて‘Silver Pistol’、‘Nervous On The Road’そして‘Please Don’t Ever Change’と素晴らしい作品を立て続けにリリースしていきました。ただ、ザ・バンド、ヴァン・モリソンといってもこれらのアルバムを聴いてわかるように、決して全編に渡ってそれらの影響が色濃いわけでもなく、例えばロジャー・モリスのファーストやアンドウェラの‘People’s People’に比べればもっと音楽的振幅は広いし、好きなものを全てブチ込んだという印象の方が強いです。

のちにイアン・ゴムは「当時僕たちはザ・バンドにハマりすぎていた」というようなことを回想してますが、アルバムを聴く限りあまりそんなふうには感じません。しかしそこが逆に面白いところで、本人たちは大真面目にザ・バンドを目指しているのに、出来上がったものは英国産としか言いようのない作品で、しかも本人たちはそれに気づいていないという・・・・。そこのところが自分たちのやっていることに意識的だったフェアポート・コンヴェンション(うちらはザ・バンドの英国ヴァージョンを目指すんや!という明確なヴィジョン)との違いだったのかもしれません。

ともあれ、結果的にはその泥臭ごった煮的な音楽性が、当時ロンドンで広まりつつあったパブ・ロック・シーンに大歓迎され、そのジャンルのパイオニアとなっていくのでした。しかし。クドいですがセールス的には・・・でした。つづく!


【ブリンズレィ話 その1】

「ブリンズレィ・シュウォーツ/挫折と栄光の5年」ならぬ「ブリンズレィ・シュウォーツ/栄光の挫折また挫折の5年」と題した書物があるとすれば、かるく上中下巻はできてしまいそうな愛すべきパブ・ロック・バンド、ブリンズレィ・シュウォーツ(以下ブリンズレィズ)のお話です。

5年間でリリースしたアルバムは6枚、お蔵入りになった‘It’s All Over Now’を含めると7枚、このデータと個々のアルバムの内容からすればなんと充実した5年間の活動だったのか!と思いがちですが、先述のとおり活動期間中は挫折の連続でした。
なんといっても最大の失敗がデビュー作でなく、デビュー策だったところが笑うに笑えません(笑)。

それはあるアイルランド人によって画策されたデビュー策でした。のちにスティッフ・レコーズを立ち上げることになるデイヴ・ロビンソンという人なのですが、あのニューヨーク・ドールズ、セックス・ピストルズを手がけたマネージャーあるいはロック詐欺師のマルコム・マクラレンのような人と考えればいいと思います。彼が計画したのは、バンドをニューヨークのロックの殿堂フィルモア・イーストに飛ばし派手にデビュー・ギグをさせ、同時に送り込んだ飛行機一機分の英国のロック評論家たちに大絶賛させ、結果でっかいレコード契約を獲得するというものでした。この時にロビンソンと組んでいたのが、ユナイテッド・アーチスツというレコード会社のアンドリュー・ローダーというオッサンだったそうなのですが、ロビンソンはさらにでっかいレコ会社を狙っていたということなのでしょうか?

果たしてロビンソンとローダーの目論見は見事にはずれ、ライターたちはこの一大イヴェントをけちょんけちょんに酷評、主役のブリンズレィズは大失策の犠牲となってしまいました。しかしニック・ロウによれば、ライヴ自体は悪くなく、当時集まった聴衆はライヴを楽しんでいたそうです。ライターたちを乗せた飛行機がエンジン・トラブルで18時間遅れ、機内かどこかで足止めを喰らい、中にはライヴにさえ間に合わなかったライターもいたそうですから、長旅でクタクタになったライターが酷評したといっても、どちらかといえばそれはバンドに対してではなく、主にこのずさんな計画に対してだったというのが真相のようです(バンドを称賛した少数派ライターもいたそう)。そうです、まさにブリンズレィズは犠牲者だったのでした。

精神的肉体的にヘトヘトになった状態では、それがツェッペリンだったとしても感動できないと思います。例えばウンコが漏れそうな時に音楽が楽しめるでしょうか?それと同じです。まして初めて観る新人バンドです。そこは大人になってですよ、デビューしたての若造バンドに対してもっと愛情持って書いたらんかい!と38年後になって思います。一番の名誉挽回策は当日のライヴ音源をリリースしてショー自体は素晴らしかった!と証明することです(ある意味今となってはとっくに名誉挽回されてますが)。ライヴ・レコーディングされてないはずはないと思います。もちろん当時、事前のバンドの触れ込みに対して実際はどうだったかは、今の耳で聴いても分かりませんし、印象はまるっきり違うと思います。でも今聴いてよければそれで十分じゃないですか!ただし、よければの話ですが・・・ つづく!


【そもそもキャラクターなど不要】

童子に鹿の角が生えた奈良平城遷都1300年のマスコットキャラクターに、挙句の果てに「せんと(遷都)くん」という愛称がつけられました。よりによって日本版ダミアンのようなキャラクターにセント(聖:Saint)です。日本国内でさえ賛否両論どころか否否両論なのに、海外(キリスト教圏)にまでケンカ売るつもりでしょうか。役人どものカッペ丸出しセンスはとどまるところを知りません。

それにしても頭髪に埋もれた666を探すのが大変なダミアンに比べて、せんとくんは一目瞭然のヒジョーに分かりやすい悪魔です。

そもそも全ては人間に‘角’というコンセプトが全くナンセンス、配慮に欠けているのですから、この際そのまま鹿に袈裟着させればよかったんです。いや袈裟も要らないかもしれません(宗教を軽く扱うといろんな意味で恐ろしい)。そして手には鹿煎餅。

先日も奈良公園で草をむしゃむしゃムシりながら、同時にポロポロとクソをタレている鹿を見ながらあくびなどしていましたが、「ちくしょうめ、奴らいったい何様のつもりだ」と腹が立ってきました。あの「うちら国に守られてんだもんね」という親方日の丸的態度が気にくわないです。煎餅だって人に買わせないで自分で買いに行けばいいんです。

鹿そのままのキャラクターでは芸がないというのであれば、鹿が車のハンドル握って携帯電話をかけているという図はどうでしょうか?このほうがよっぽど交通マナーゼロ低民度県奈良を象徴していると思います。


【訃報】

2008年4月5日、名優チャールトン・へストン氏が亡くなりました。享年84歳だそうです。映画はほとんど名作しか知らない私にとって、彼が主演した「ベン・ハー」、「猿の惑星」、「エル・シド」は小学生の時に観て以来、ずっと心に残る映画となりました。今でも数年に1回は観るほど好きな映画です。モーゼ役の「十戒」は別として、先の三つはどれもエンディングが衝撃的で、やや悲劇のヒーロー的な役どころでした。

特に「猿の惑星」のラスト・シーンは小学生ながらもの凄いショックを受けたものです。そしてあの「人間なんかみんな滅んでしまえ!」という最後のセリフにもかかわらず、68年に上映されたこの映画の中の世界にさらに近づいていっている今の世界の現実というのは一体何なのだろうかと思ってしまいます。68年というアメリカン・ニュー・シネマ全盛時とはいえ、あの頃のアメリカ映画の果たした役割は西洋世界(資本主義体制)内にとどまり、結果的にエンターテイメント以上のものにはなり得ませんでした。

ヘストンといえばどうしても気になってしまうのが、70歳を越えてから超タカ派として「全米ライフル協会」の会長を務めたことです。ローマ人に反抗したユダヤ人奴隷ベン・ハーを演じた「ベン・ハー」と、冒頭で人間の愚かさをつぶやくテイラー役を演じた「猿の惑星」での彼はどちらかというと、思慮深いリベラル的な役どころとして描かれていました。「ベン・ハー」での戦車競争のシーン(戦車といってもローマ時代なので馬車です)では、仇敵メッサラが鞭で馬を打つのに対して、ベン・ハーは鞭は使わずひたすら手綱だけを使って馬を走らせていたのが象徴的です。

あくまで彼はプロの俳優でそれが仕事ですから、本人の思想と仕事は普通分けて考えるべきでしょう。しかし60年代の彼は、40歳を過ぎてマーチン・ルーサー・キングのワシントン大行進に参加したほどの人種差別反対論者だったそうです。本当にリベラリストだったのだとすれば、晩年あまりに極端に正反対の超保守派に至るまでの間、一体何があったのか、どういう変遷を遂げていったのか、彼が亡くなった今ヒジョーに興味あります。

マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」でインタビューの途中席を立った彼は、今にして思うと心の中で「君に話したところで分かってくれないだろう・・・」と思っていたのかもしれません。なにかかわいそうな後姿でしたなあ・・・
合掌


【考察:80sドラム・サウンド】

1982年のディキシーズ・ミッドナイト・ランナーズのセカンド、‘Too-Rye-Ay’は大変な名盤であるのは間違いないんですが(注:右のジャケは単なるベスト物です)、長い間聴いてきた60年代後半から70年代前半にかけてのロックやソウルと比べて圧倒的につまらないと思ってしまうのが、このアルバムに代表されるような80年代のドラム・サウンドです。

エレクトリック・ベース、エレクトリック・ギターと違って、原則、生楽器でしかありえないドラムスは、レコーディングの現場においては曲の土台として最も重要かつ最も難儀な代物です。マイク・セッティング→チューニング→音決め→バランス→ウォーミングアップ→本番→OKテイクまで、こだわりだすと一生終わらないほどの難物です。そしてある意味ドラムスによってその曲の最終型が9割方決まってしまうといっても過言ではありません!

ビートルズが始めた(といわれる)ベース・ドラムのヘッドにビーターが当たるアタック音を接近したマイクが直接拾うやり方から始まって、スネア、ハイハット、シンバル他全てのパーツにマイクを立てる方法から(ロックでは今もこれが主流?)、挙句の果てに今やパーツごとのみ録音しそれをエンジニアが組み立ててオシマイ!という世界まで来てしまいました。リズム、ミスの修正やテンポの変更なんてチョチョイのチョイです。

しかしその結果100%ノーミス、寸分の狂いのない一定のリズム以上に特徴的に表れてくるのが、全く強弱のない平板なサウンドであるということです。90年代に出会った元ドラマーのエンジニアの言葉、「ドラムは思いっきり叩くもんだ」にはいろいろと考えさせられるものがありました。思うにこの考えが平板サウンドにつながっているんじゃないかということです。音質を追及するあまり、プレイした音は全てはっきり聞こえなければならないという考えが基本にあるような気がします。

概して70年代半ばまでのドラム・サウンドは、そのドラマーの強弱のつけ方によっては他の楽器の中に埋もれて全く聞こえない部分があったとしても、そこをリスナーの耳が自動的に補う、言い換えればそこまでの流れによって聞こえてしまう部分が少なからずあったんではないでしょうか?それがいわゆる味であり、想像力をかきたてる要素であったんだと思います。明らかに音楽の世界ではドラムスはテクノロジーの犠牲になったのだといえます。テクニックを排除したパンク・ロックの弊害だというのは一部にしか当てはまらない話だと思います。今考えるとそのエンジニアも80s平板ドラム・サウンドに頭が支配されていたんかなと思います。


【おそろしい体験話】

大昔、バンドで京都へ行った時に体験したウソのようなホントのおっそろしい話です。おっそろしいといっても心霊系などではなく、生身の人間系です。しかしこれが実にコワかった。
(→のサム・ムーアもかなりコワい)

ライヴが無事終了し、一緒に来ていた他のバンドの人たちや、東京、大阪から見に来てくれた友人たちと居酒屋で盛大に打ち上げをやっていました。

総勢20名近くはいたと思います。ワイワイガヤガヤと、音楽話やバカ話で盛り上がり数時間かそこら経過した頃、東京から来ていたあるバンド仲間の友人が、見た目30代半ば〜後半くらいのオッサンと丸刈りの高校生野球部風兄ちゃんの二人組をその場に連れてきました。友人がいうには、居酒屋のトイレで隣になったオッサンに話しかけられたかして少し話が弾み、じゃあ一緒に飲みましょうかということになったようでした。

おそらくこの二人組にとっては、大勢の楽団の人たちが物珍しかったんじゃないかと思います。二人組との会話の内容はさすがにほとんど覚えてませんが、それなりに仲良く飲み始めました。ただちょっと気になったのは、なぜこんなオッサンと高校生風の兄ちゃんがコンビを組んでいるのかということと、なぜやたらとオッサンは自分の子分のように兄ちゃんを手荒く扱い、荒い口調で命令するのかということでした。ヤーサンにしては兄ちゃんが真面目で大人しそうな感じだったし・・・ まあ、酒も入っていたのでそれほど気にも留めず、とりあえずワイワイと一緒に盛り上がってました。

さて問題はここからです。話は自然に音楽的方向に向かっていきました。「ほぉ、で君らはどういう音楽をやっとんの?」オッサンは私たちに聞いたんだと思います。私たちは答えました。「えーっとソウルですソウル!」
すると、なんとオッサンは一瞬ムッとした表情になり、ありえない反応が返ってきました!

「ワシはソウルやなくてピョンヤンやけどな・・・」

さあ、ここからが大変でした。オッサンは酒が入るにつれ、語気が荒くなっていき、かなりコワい人と化していきました。後から思うに、“ソウル”が完全にオッサンの“ハートに火をつけて”しまったようです・・・。いや、あの、その、韓国のソウルじゃなくて音楽の・・・ 言い訳したところでおそらく音楽ジャンルとしての“ソウル”さえ知らなかったと思うし、時すでに遅しでした。どうやら私たちは北朝鮮ピョンヤン出身(在日朝鮮人)のオッサンにかなりマズい言葉を浴びせてしまったようです。本当は全然マズいはずがないのですが。もし「ソウルが大好きなんです!(northern soul)より(southern soul)の!」なんていってたらと思うとゾッとします。恐ろしい偶然でした。しかもオッサン(と子分)は、私たちが店を出た後も延々と何やら大声でまくし立てながら(卑猥語もあり)、私たちについてきたんです!そしてさらに事件が!・・・ 長いので続く・・・かどうか迷い中です・・・


【ブリブリブリー】

久々に汚い話でまことに恐縮です。昔、本屋に行くとウンコがしたくなる人の話を聞いたことがあります。多分それと同じ類だと思うんですが、最近なぜかタワレコや中古レコ、CD屋さんに行くとウンコがしたくなることが多いです。CDを漁っていると、急にお腹がキューッと痛くなり、ケツの穴がムズムズしてくるんです。あれは辛いですね。あの瞬間はもうCD、レコはおろか、音楽なんて何の興味もなくなります。頭の中がウンコでいっぱいになりますね。

腹イタの場合って急を要しますから、思わず速足でトイレに駆け込みウリャッとひねり出すと決まってビチグソです。シャー!本屋とかレコ屋というのはなにか浣腸効果があるんでしょうか。謎です。まあ私の場合偶然なんでしょうが。タワレコのような大型店ならトイレがすぐ近くにあるし、また売り場に戻ってきても誰もわからないのでいいんですが、この間、小さな中古CD屋さんで猛烈な腹痛と便意に襲われ、いてもたってもいられず必死で何食わぬ顔をしながら、ゆっくり店を出た瞬間、引きつった顔で300メートルくらいダッシュしてデパートのトイレに駆け込みましたよシャー!

そして用を足すと現金なもので急にまた音楽に興味が出てきます。しかし小さな中古屋さんには一度冷やかした以上、また戻るのは気が引けて行けませんでした・・・(店主:あら、さっき青い顔して出て行った奴またきたぞ。ははーこいつさてはウンコに・・・) ああまだ見たいコーナーがあったのに・・


【ゲイ&テリー・ウッズ話】

スウィーニーズ・メンに始まって、スティーライ・スパン→ウッズ・バンド→ゲイ&テリー・ウッズ→ポーグスで大ブレイク!と、考えてみればアイリッシュ、ブリティッシュ・フォークロックに偉大な軌跡を残したテリー・ウッズという人は、ロック界でいえばバーズ→クリエイション→ジェフ・ベック・グループ→フェイシズ→ローリング・ストーンズと渡り歩いたロン・ウッドに比類します。

あまりに違いすぎるセールス規模と知名度は度外視して、二人はそれぞれのシーンに大きく貢献し、影響を与え続けてきました。2000年代の再編ウッズ・バンドは都合よく置いといて、この二人の最後のグループ(ロンは今のところ)、ポーグスとストーンズでのそれぞれの役割、その後のシーンへの影響力という点で見れば、圧倒的にテリーの方が偉大に見えてきます。あくまで主役はミックとキースである孤高の自己完結バンド、ストーンズのロンに対し、ポーグスの影のボス、ウラ番を張っていたテリーは実にカッコよかったです。

ただ・・・実はセールス的な不成功によって、あまり好ましくない方向に転換することを余儀なくされてしまったのが彼の音楽でした。最近ゲイ&テリー・ウッズのショート・ストーリーのようなものを読んでいてそれを痛感しました。スウィーニーズ・メンではアルバム2枚、スティーライではファーストのみに参加、ウッズ・バンドも1枚で解散、そしてゲイとのデュオ、ゲイ&テリー・ウッズではついに音楽的高みに達し、やっとこさ4枚、それまでで一番長い活動期間でしたがそれでも3〜4年、やっぱりどれも売れませんでした。

デュオになってからはトラッドを基調としながらも、シンガー/ソングライター的側面を押しだしていきました。ダブリンの北にあるミーズというど田舎に隠遁して二人で書いた曲は、特にセカンドの‘The Time Is Right’で見事に結実、奇跡的な楽曲集となりました。その中の1曲“Winter Poem”についてゲイは、まるで自分に神が降りたかのように、一度限りのフレーズ(詩か節かわかりませんが多分詩)を使って書いたようなことをいってはります。このアルバムの収録曲には確かにマジックを感じますよ。ほんとに。

しかしプレスからも大絶賛された大傑作にもかかわらず、やっぱりセールス的に失敗したことで、二人には徐々にフラストレーションがたまっていったそうです。次のサード・アルバム‘Renowned’を聴くと、そのあたりのジレンマがよく分かります。セカンドと同じ76年リリース、“ラスト・ダンスは私に”のカヴァー、耳辺りのいい活気あるアップテンポなカントリー・ポップのオンパレードに、なにか焦りのようなものを感じます。“Radio Man”でのゲイのバック・コーラスは、少々作為的に聞こえてしまいます。前作と比べて深みがなく、安易さが露呈してしまっているような気がします。救いはファーストの‘Backwoods’並みに素晴らしいジャケと、まるでフェアポートの“Sloth”のような“Van Dieman’s Land”(トラッド)でしょうか。

リチャード&リンダのリンダ・トンプソンは、当時からポップ・スターになりたくてしょうがなかったらしいという話を、以前トラッド好きの知り合いから聞いたことがあります。おそらくゲイ・ウッズもそうだったんではないかしら。それはデュオ解消後、オランダに移住し、Auto Da Feというニュー・ウェイヴ風グループを結成したことからも想像できます。ニック・ジョーンズやウィズ・ジョーンズのような、売れなくても時流には絶対に乗らない、好かんことは絶対にやらん!というスタンスを持っていたら、二人の離婚もなかったかもしれませんね。レコード会社との関係も大変重要ですから、二人がもしアイランド・レコード所属だったらどうだったかなあと想像してしまいます。

ポリドールを去って地元アイルランドのレーベルからリリースしたラストの‘Tenderhooks’は、前作どころではない、もう売れさえすれば何でもやったるで!色濃厚で、BGMとしても通して聴くのはちょとつらい軽すぎる内容になってしまいました。このようにポップになればなるほど聴いている方は切なくなっていく彼らのアルバムですが、スウィーニーズ、ウッズ・バンドから‘The Time Is Right’までのテリーの功績は大げさでなく、アイルランドのリチャード・トンプソンですよ(ロン・ウッドじゃなかったのか?)。ゲイテリ最後のアルバム含めて、その奥にある人間臭さまでも無理矢理嗅ぎ取って聴いてみましょう。彼らの気持ちが分かります。
おしまい



【永ちゃんどころではない無意識過剰ぶり】

最近友人から聞いた“エレキ・ギターの神様”寺内タケシさん(以下テリー)ネタです。「エレキはオレが発明した」とか(?)彼には限りなく名言がありそうですが、私が唯一遭遇したもの凄い名言は、大昔“徹子の部屋”(黒柳徹子の雑談番組)にゲスト出演した時に聞いた

「エレキの悪口を言う奴は殺す」

です!この人の場合、目の前で「エレキなんてガキのおもちゃだぜ」なんて言おうものなら本当に殺しかねません!

友人によれば、ベンチャーズが来日した時にテリーがリハーサルかなにかに参加し、あの“急がば回れ”を一緒にセッションした時の事件だそうです。彼にとっても何千回とプレイしてきたであろうこの曲は、目をつぶってでも弾けたはずです。ただ・・ひとつ大きな問題がありました。テリーはAだかEだかわかりませんが、どうやら本家とは違うキーで長年弾いていたらしく、セッションを始めたところ当然ベンチャーズの人たちと音が合わなかったそうです。するとテリーさん・・・なんとベンチャーズのメンバーにこう言ったらしいです。

「君たちコード間違ってるよ」

完全に“オレがルール”。(私テリーに殺されるかもしれません)


【世界陸上】

競歩って見ていて面白いですね。わーっ!とかいいながら発狂して走り出す選手がいたらもっと面白いんですが。いかに速く歩くか、なんてスポーツよく根づいたものだと思います。どういう経緯で生まれたのか気になります(自分で調べなさい)。

モンティ・パイソン軍団のジョン・クリーズのバカ歩き(写真→)を競技に取り入れてほしいです。距離は競歩と同じです(50キロ?)。それはそれは過酷で、やたらと時間もかかり、関節外れる選手が必ず出てきます。何十人もの選手が一斉にあの歩き方です。そらもう気持ち悪いでしょうなあ・・・

この前電車からだだっ広い平城京跡を眺めていたら、後ろ向きにマラソンしているオッサンが見えました。一瞬フィルムの逆回しに見えましたね!
やるなああのオッサン。

走り低飛びとか棒低飛びなんてどうでしょう。ゼロミリは反則です。いかにゼロに近づくか。セコいスポーツになりそうです。世界記録0.0002ミリとか・・・まあ結論としては私はヒマなんじゃないのか!ということです。まだまだ暑いんです。


【裏の裏をかいたら表になってしまいました】

ブリティッシュ・フォーク/トラッドは、多くの人がそうであるように、フェアポート・コンヴェンションから入りました。このバンドからは、枝分かれしていったグループやSSWが数多くいるので、いったんハマると必然的に興味もどんどんそちらの方へ向かっていきます。

興味はほとんど誰にも知られていないアーチストにまで及んでいき、半分意地になってきますが、フトある時点で気づくことがあります。これは特にフォークロック系のバンドに多いような気がします。マニアにありがちな、あまりに些細な共通点ばかりに目が行き過ぎ、ニュートラルな耳を失った状態です。しかしBGM程度に何気なく聴いている時に思うことがあります。
それは・・・

「ん?これはただのポップスじゃないか?」

です。こういう経験をした人は結構いると思います。コンテンポラリーなポップスでもロックでも底流にはアイルランドやイングランドの民謡が受け継がれているというのが今では定説になっていますから、日本人だって昔から馴れ親しんできた要素なのでした。その当たり前の事に気づくと、ここまで掘り下げてきた自分は一体何だったのだろうかと、一瞬むなしくなる・・・わけではありません!多くの金と時間を使って、大きな回り道をしてやっと辿り着いた王道ポップスに今度はハマッていくわけです。

ただやっぱり、そればかりでもじきに飽きてきますし、最後にはレコとCDで生き埋め、圧死してしまうので程ほどにしましょう!


【それは痛そうでした】

30〜40代のサラリーマンは、基本的には腰が低くて、日ごろ腹の立つ対象にはなりにくいです。絶対一番疲れてる日本人のはずなのに、電車に乗っても座席確保のために先を争っているのを見かけたことはないし、基本的に列にはちゃんと並ぶし、なにかと「すいません」を多用するし、口の効き方だって大阪の恥、亀田ファミリーみたいなのはいないし。あまり必要以上に腰の低い人は、逆に裏がありそうで用心してしまいますが。

昔“おれたちひょうきん族”のタケちゃんマンで、さんまの悪役の中にほとんど一瞬、ヘタをすると2〜3回でボツになった怪人がいました。それが“サラリーマン”でした。黒か紺のスーツを着て髪は七三、黒縁のめがねというそのままの出で立ちで、「お早うございます!サラリーマンです!」といって登場してました。あれ凄く面白かったと思うのですが、短命に終わったのが残念です。

まだサラリーマンらしいサラリーマンだった頃、目の前で笑うに笑えないある光景を見たことがあります。私は、会社の入っていたビルの玄関近くのベンチに座って休憩を取っていました。すると目の前で二人のサラリーマンが向かい合って話をしていました。そして別れ際の挨拶を交わしていました。

「本日はお忙しい中ありがとうございました」
「いえいえこちらこそありがとうございました」
「どうぞお気をつけて」

二人ともその間中、とにかくお互いひたすらペコペコペコペコとお辞儀をしていました。二人が立っていた場所は、玄関を出た横のガラス張りになっているところで、一人はガラスをすぐ背にしていました。その人おそらくお辞儀のしすぎと緊張で頭はもうろうとなり、もう自分がどこに立っているのか分からない状態だったのでしょう。

「それではまた後日」

とかいって、くるっと振り返り一歩踏み出した瞬間、ガラスにゴーン!!と激突してました!頭から。それは凄い音がしましたよ。いきなり相手が激突していったのを目撃したもう一人は、とりあえず駆け寄って「だ、大丈夫ですか?」と気を使っていましたが、相手がかわいそすぎて笑うに笑えない状態だったと思います。何ともいえないひきつった表情でした。一方激突していったおっさんは、頭を抱えて痛そうにはしていましたが、完全に痛さより恥ずかしさの方が勝ってたはずです。気持ちとしてはこうです。

「頼む!なぐさめてくれなくていいからはやく行ってくれ!」


【オッサンの怒り&くっさあ〜】

っていつもイカってるような気がしますが、右のミリー・ジャクソンのジャケは史上最悪ですね。

何年ぶりでしょうか、ファーストフードで他人のウンコを流しました。情けなくて臭くてそれは屈辱的でした。

おい!自分のウンコくらい責任持って流さんかい!!

というわけで久しぶりに(?)汚い話です。ちょっと今回はハンパじゃない汚さなので、苦手な人は本当に読まないほうがいいと思います。といったら読みたくなりますよ。

人間と同じ数のウンコにまみれた世の中、一昔前までは身近で一番汚い便所といえば、断トツで駅だったでしょう。理由は最も不特定多数の人間が利用する便所だからです。今まで様々な信じられない光景を見てきましたが、かなり上位にくるのが、ウンコが和式の便器の後ろにデン!ととぐろを巻いているというものでした。一体どういう目測でひねり出したんでしょうか?!しかもそれを放置する感覚も許せないです。せめてトイレットペーパーでもってズズッと便器に落とし込むという気配りを持ってほしいです。あ、もちろんそこまでしたのなら流すように。

しかし最近は昔と比べてこのような光景は見かけなくなりましたね。洋式の便器が一般的になり、さすがに老人でも「わしゃあ未だに和式じゃないとウンコした気になれんのじゃあ」といった人も少なくなってきたからでしょう。

加えて、駅のトイレはウンコだけでなくゲロもありです。私はいい歳こいて駅で吐くオッサンが信じられません。いや、学生でも許せませんが、便器以外で吐いた者には、本人かその仲間に責任を持って後始末をさせる社会的マナーを確立するべきだと思います。これが車内だと罰金も課していいんではないでしょうか。

と、ここで大昔友人から聞いた凄い話を思い出しました。以前書いた気がしないでもないですが、15年以上昔、その友人が満員電車に乗っていた時の話です。彼は一番前か一番後ろか忘れましたが、端っこの車両に乗っていました。すると向こうの方から、もの凄い形相で人をかき分けながら一人の黒人が近づいてきたそうです。どうやらどうにも我慢できないほどウンコがしたかったようです。その黒人は運転室をドンドンと叩き、車掌さんを呼び出し、身振り手振りで自分の窮状を訴えていたそうです。

「オレは今すぐウンコがしたいんだ!電車止めてくれ!頼む!」

とか言っていたのでしょう。その電車は各停ではなかったのかもしれません、そのために電車を止めることなどできるはずもなく、困り果てた車掌さんは、車内の棚から新聞紙をかき集め、その黒人と一緒に運転室に入っていきました。

約10〜15分後、電車は駅に到着しました。運転室のドアが開き、車掌さんが出てきました。彼の手には、風呂敷で包んだような状態になった新聞紙がぶら下がっていたそうです。そしてその後ろから本人が恥ずかしそうに頭を掻きながら出てきたのでした。

友人の言葉を借りれば、黒人は苦笑いを浮かべていたそうですが、
“ニガ(nigger)笑い”とはあまりによく出来たオチだったので、私は思わず「それ作り話だろ!」とツッコんでしまいました。しかし友人はダジャレのつもりではなかったようです。

以上です。それにしてもさぞ車内には異臭が・・・
書いている本人も気分が悪くなってきました。おわります。


ホームへ