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The Youngbloods/Get Together : The Essential Youngbloods/2002 RCA/BMG Heritage 07863 65117 2



ザ・ヤングブラッズの”Get Together”はどんな状況にも当てはまる歌として、その今日性あるいは痛切さを決して失うことのない穏やかなアンセムとなった。ヤングブラッズのRCAレコード時代のマテリアルから構成されたこのコレクションの最初のトラック(”Get Together”)を聴いてみよう。そしていかにポスト9.11の世界にふさわしい歌であるかを感じとってみよう。

「グレイトな歌、神聖な歌だね」 ジェシ・コリン・ヤングは2001年春のツアーで、”フィラデルフィア・シティ・ペーパー”のリポーターにそう語っている。「僕は宗教的ドグマを歌ったわけじゃない。それはライヴという形で歌われる時に起こる単なるスピリットみたいなものだ。僕が書いた曲じゃないけど、この歌に貢献した一人として僕は誇りに思っている。僕はこれに新しい解釈をもちこむことに喜びを感じたね−歌詞的に、そのメッセージは当時と同じくらい今でも有効だ。この歌は僕が簡単には関連づけることのできない、あらゆる人々の心に響くんだ。これを歌うときの僕は、そのスピリットから触発されて歌っている…」

これまで人々を鼓舞させ、高揚させようと多くの曲が書かれプレイされてきたが、”Get Together”の控え目なパワーに匹敵するものはほとんどない。これほどシンプルな方法で心をかきたてる歌はもう何年にもわたってお目にかかっていない−そしてこれこそがヤングブラッズの魅力に欠くことのできない要素だ。

”Get Together”は波乱に富んだ歴史をもつに至った−まだ若き有望なニューヨーク・フォーキーだったクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのディノ・ヴァレンティが書いたこの曲を最初にレコーディングしたのは、ヤングブラッズではなかった。ヴァレンティの仲間だったデヴィッド・クロスビーは、初期のザ・バーズでこれを録音していた。同じく、グレイス・スリックが加入する前のジェファーソン・エアプレインも録音していた。2度の麻薬所持で法に触れていた困ったヴァレンティは、著作権さえも手放していた。その著作権により、彼には莫大な金銭的報酬がもたらされていたかもしれなかった。不幸なことに、彼は法的費用のためにその権利を売り払わねばならなかった。

ヤングブラッズはまんまと決定的ヴァージョンを録音し、そのことでこれは彼らの代名詞的な歌となり、ポップ・ヒストリーに名を残すこととなった。しかしバンドも彼らのレコード会社も、”Get Together”が1967年に最初にレコーディングされたときには、その圧倒的なポテンシャルには気づいていなかった。

1969年にこの歌がクリスチャンとユダヤ教徒の全国協議会により、公益事業TVの宣伝のために使用が許可されたときに初めて、レコード購買層とラジオ番組が反応を示した。タイミングはぴったりだった−それはウッドストックの年であり、ヒッピーの最盛期であり、政治的にも社会的にも事態が険悪になろうとする前の段階だった。歌の初めから終わりまで、ヤングブラッズはその精神−もしくは少なくとも一つの時代の希望−をうまく定義づけていた。さらにそのイースト・コースト・スタイル、つまりシンガーソングライター的なギターの爪弾きとウェスト・コースト・スタイルの騒がしさの夢のようなコンビネーションを伴った”Get Together”は、ヤングブラッズ自身のストーリーと彼ら自身の音楽的、地理的移動を表現していた。初期のバンドはボストンとニューヨークのフォーク・シーンを拠点としていたが、結局、サウンド/感性において熟考を重ねた結果、北カリフォルニアをベースとすることを採択した。サンフランシスコとマリン郡のアーチストたちは、ルーツ・ミュージックとサイケデリック・ロックを融合させていた。

ヤングブラッズが1967年にアルバム『Earth Music』をまさにリリースしようとしていた頃、シンガーでギタリストのジェシ・コリン・ヤングはローリング・ストーン誌の記者に語っている。「僕たちはすてきなメロディーとハーモニーが好きなんだ。グッド・ミュージックをやりたいね」 誰もジェシのいったことに異論はないだろうが、ヤングブラッズの作品にはもっと隠れた資質があった。その魅力の多くは、ジェシの鋭さを覆い隠すソフトなヴォーカル・アプローチにあった。彼の声にはあたたかさと瞬時に感じる親しみやすさがあったし、彼がそっと歌うと誰もがスピーカーに向かって前かがみになり、そのサウンドを聞きとろうと体を丸めたくなるような魅力があった。そしてジェリー・コービットがバンドの一員だったときによく見られたように、ジェシとギタリストのコービットがいっしょに歌うとき、彼らの声は互いに大いに補足しあっていた。ローリング・ストーン誌の評論家のことばを借りるとこうだ−「一人の人間が歌っているように聞こえる」 バンドの演奏はこのハーモニー・ヴォーカルとともに非常にうまく機能していた。そのメローなスウィング感は、ジャグ・バンド・ミュージック、カントリー、ジャズの要素、そしてブラジルのグルーヴさえも含まれていた。

バンドはジェシ・コリン・ヤングがソロ・アーチストとしてレコーディングしていた1965年のアルバム『Young Blood』から名前をつけた(名前といえば、ジェシは彼を有名にするあだ名を採用する前は、”ペリー・ミラー”として知られていた)。ジェシはボストン−ニューヨークのサーキットで自身のキャリアを打ち立てる途上にいた。彼はキャピトルとマーキュリーからそれぞれアルバムをリリースした。ジョン・セバスチャン(ラヴィン・スプーンフルのリーダー)は『Young Blood』に参加したプレーヤーの一人だった。しかし60年代半ばまでに、ビートルズとブリティッシュ・インヴェイジョンに触発された元フォーキーたちはバンドを結成し、ジェシもボストンで自身のバンドを結成した。リード・ギターにジェリー・コービット、ドラムスにジョー・バウアー、そして”バナナ”の愛称で知られるローウェル・レヴィンジャーがピアノとギターを担当した。ジェシはこのラインナップのためにギターからベースに持ち替えた。

しかしヤングブラッズが評判を打ち立て、最盛期の”カフェ・オ・ゴーゴー”でレギュラーのギグを務めたところはニューヨーク・シティだった。最終的に彼らのプロデューサーとなったのが、故フェリックス・パパラルディだ。彼はクリームとともに働き、マウンテンの創設メンバーだった。彼はロンドンのジグザグ誌のインタビューで、70年代初頭に当時のことを回想している−「僕は本当に彼らのことが好きだったし、彼らは当時ものすごくエキサイティングなバンドで、ロック・クラブの”ビター・エンド”から通りを一つへだてた”カフェ・オ・ゴーゴー”でよくプレイしていた。ジェリー・コービットの声とジェシの声が一つになるとそれは美しかったな」

バンドはマーキュリー・レコードとともにデモ・テープを作成したが、結局彼らはRCAと契約を結んだ。その契約は前例のないものだった−なぜなら、従来の業界では見られなかった創造的自由をヤングブラッズに与えていたからだ。また彼らには気前のいい予算が保証されていた。パパラルディはジグザグ誌に説明している−「あのときまでは、みんな急いでスタジオに入って、急いでスタジオから出ていった。昔のエレクトラ・セッションを除いてはね。そこで働いていたミュージシャンたちは一晩中スタジオに入っていた。そして僕たちがアルバムでほしがっていた音を正確にプレイしていた。ヤングブラッズが契約で手に入れた2つのユニークな条項というのは、無制限のスタジオ使用と、プロデューサーを自由に選べることだった…。当時としちゃ前代未聞だったし、レコード会社からもぎとった勝利みたいなものだったから、町中にうわさが広まった。僕がプロデューサーに選ばれて、僕は好きなように時間を使った…RCAの重役たちのことは気にせずにね」

パパラルディは1968年にクロウダディ誌のポール・ウィリアムズに打ち明けている−「バンドのデビュー作『The Youngbloods』には長い時間をかけたんだ。28,000ドルか29,000ドルかけたと聞いている。信じられない額だ」

その契約を今日の水準から見れば、ヤングブラッズの1967年のデビュー作は当時としては費用のかかった1枚だったが、バンドもレコード会社も2年間、自分たちの手にしていたものを知らずに、そこにはたまたま”Get Together”が収録されていた。またラヴィン・スプーンフル風の陽気さと、ほとんどいっしょに歌うことを要求する昔ながらのコーラスの際立つ文句なしのヒット曲で、コービット作であった”Grizzly Bear”も入っていた。フォーク・レジェンドのフレッド・ニールが書いた”The Other Side of This Life”は、バンドが身を起こしたシーンへの賛同であり、ジェファーソン・エアプレインが取り組んだ曲でもある(ヤングのヴォーカル・アプローチは、不安を隠しもったマーティ・ベイリンの解釈より少しだけ感受性強く、考え抜かれている)。ヤング作の”Foolin' Around (The Waltz)”は、このときのセッションの中でより野心的な1曲だ。これはヴァースの中で少し”Get Together”のジャラジャラ鳴る感触をもち、ワルツとなるコーラスでハーモニーに作用し、全体的に美しいストリングスがかぶせてある。続く”Merry-Go-Round”はさらにいっそう喜びの度合いが増す。もともとはシングルで、アルバム未収のB面だったこれは、快活で早口言葉の歌詞と単なるばかげたスローガン(「世の中は混沌としている/僕たちは新しいサウンドを作っている」)を伴ったAMラジオ・スタイルのサイケデリアだ。

次のヤングブラッズのLP、『Earth Music』も67年にリリースされ、”Euphobia”や”Wine Song”といった、より楽しげなナンバーを含んでいた。その他にティム・ハーディン作の”Reason To Believe”の簡素でわずかにひなびたカヴァー、本物でゆるやかに足を踏み鳴らすようなカントリー・ロックの”Sugar Babe”−これはヤングの最高に人の心を引きつけるヴォーカル・パフォーマンスがフィーチャーされた1曲だ(芸術家気取りなイタリアの映画監督ミケランジェロ・アントニオーニは、『Zabriskie Point』のサウンドトラックで”Sugar Babe”を選んだ。これはアメリカの物質主義とそれに対抗するヒッピーの姿勢を考察した高度に様式化された映画で、グレイトフル・デッド、ジョン・フェイヒ、ピンク・フロイドの曲もフィーチャーしていた)。

チャーリー・ダニエルズ−そう、あの(カントリー・ミュージシャンの)チャーリー・ダニエルズだ−がプロデュースした『Elephant Mountain』で、ヤングブラッズは評論家とファン両方がバンドの最高傑作とみなす1枚をものにした。ジェリー・コービットはアルバム・セッションが完了する前にすでに脱退していたが、残りの3人のメンバーはジェリー抜きで続行した。ヤングは全てのリード・ヴォーカルを担当し、アルバムは”Sunlight”や”Quicksand”などでの彼の最高に美しい成果を含んでいる。伝説のロック・ライター、故レスター・バングズは大いに感銘を受けていた−「このレコードは簡単にそれぞれがラグタイム・ロック、ボサ・ノヴァ、イースタン・ロック、モダン・ジャズなどというように分類できるかもしれないが、ここでは3人の説得力あるオリジナルな個性によって、全ての曲が明確な特質を生み出している。それは今日のグルーヴを固定化する芸術家気取り、合成品、まがいもの折衷主義、まがいものロックの先を行くべく、このレコードの水準を押し上げている」 彼はローリング・ストーン誌のレヴューでそう述べた。「しかしそれだけでなく、このアルバムは暗くうんざりする破壊的な時代の中で、この上なく貴重な価値、つまり喜びを表出させている。この男たちは明らかに自分たちのしていることを愛しているし、彼らの音楽は私たちに対するのと同じくらい、彼ら自身をも魅了している」

あるいはデイヴ・マシューズは若い頃、どこかでこのアルバムを研究したのかもしれない。ヤングによるわずかにファンキーで、即席風のヴォーカル・パフォーマンスを備えた”Beautiful”のような歌は、デイヴ・マシューズのトレードマークとなったし、インストゥルメンタル・ワークはジャム・バンドのグルーヴを保持している。その独特なジャムで有名なアイリッシュ・アメリカン・グループのSolasは、間違いなくこの曲を聴いていた。彼らは最近、ヤングブラッズの有名曲としては二番手に位置する”Darkness, Darkness”をケルティック・ポップへと変形させた。そう、フィドルはすでにもともとあったし、曲中のブレイクに出てくるファズトーンのギターと手拍子のような、意外な肌触りをもつドラマチックなアレンジメントの一つだった。そしてドラマといえば、ヤングは静から動へのありのままのエモーショナルなヴォーカルをふんだんに提供している。

このCDはFMロック向きの幻想曲である”Ride the Wind”で幕を閉じる。もしかするとこの中で最も洗練された曲かもしれないし、間違いなく最も魅惑的だろう。レスター・バングズは述べている−「最も近い存在はセルジオ・メンデスかもしれない。しかしヤングブラッズはメンデスがすばらしく乗りに乗った堅実な音楽的才能による完全に新しい領域に、全くありふれて取り組んでいるのと同じラテン・リズムを使っているわけであるから、それはアンフェアというものだろう。とりわけすばらしいのが、ロックの世界で長らく無視されてきた楽器、ヴァイブラフォーン(鉄琴)だ。ここでの彼らは断然魅力的だ」

”Ride the Wind”はアルバム『Elephant Mountain』でも最終トラックではあるが、それは映画のスクリーン上で美しく最後のイメージが消えていくように、だんだんと聞こえなくなるようなアルバムの締めくくりにはあまりなってはいない。これは60年代の終わりであり、ヤングブラッズは最高点へと達し、彼らはワーナー・ブラザーズとともに自身のレーベルを立ち上げ、まい進しようとしていた。しかし70年代はグループにとってすばらしいものではなかった。ヤングブラッズはグループとしては1972年までしか続かなかった。メンバーたちはそれぞれソロ・プロジェクトやニュー・バンド結成に動いたが、その紛れのない声をもつジェシ・コリン・ヤングだけが、70年代の10年間を生き残った。彼は今日に至るまでのソロ・キャリアに乗り出したが、ごく最近では息子のシャイアンと名付け子であるイーサン・ターナーがバッキングを受けもつ”Jesse Colin Young & Sons”としてのツアーを発表した。小さな山火事が彼の北カリフォルニアの家を焼いたのち、90年代半ばにハワイに移住して以来、ジェシは妻とともに小さなコーヒー農場を経営し、ウェブサイトでCDとともにコーヒー豆を売っている。80年代半ば、彼はバンド仲間だったコービットとバナナといっしょにヤングブラッズの再結成ツアーに参加した。残念ながら、バウアーはその数年前に脳腫瘍により他界していた。

”Get Together”についていえば、トム・ハンクス主演のアカデミー賞受賞映画『フォレスト・ガンプ』の60s傾向強いサウンドトラックの1曲として、90年半ばにラジオと国民の意識の中へ戻ってきた。私たちは必ず再びこれを聴くことになるだろうし、私たちの兄弟に微笑みを戻し、互いに愛するために、今度は私たちが思い出される必要があるだろう。
今こそふさわしい。

マイケル・ヒル


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