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Wizz Jones/Right Now/2009 Cherry Tree Records CRTREE004



はバート・ヤンシュによって、“これまでで最も過小評価されたギタリスト”といわれてきた。これまでエリック・クラプトン、キース・リチャーズ、ロッド・スチュワートといった大物たちが、自分たちの初期のキャリアに影響を受けた人物として、彼を引き合いに出してきた。コーンウォールのビートニク現象を取り上げたBBCテレビの番組、Tonightの中のアラン・ウィッカーによる1960年のリポートで、ニューキー海岸にたたずむ、とんでもない長髪とつぎはぎのリーヴァイス、ボロボロのギター、そしてビート詩人に大きな興味を持つボヘミアン姿の彼が映し出されたことは、“ブリテン初のヒッピー候補”としての彼を定着させることになった。しかし40年以上にも渡る彼の仲間による敬意と素晴らしい作品にもかかわらず、ウィズ・ジョーンズは大きな成功を収めたことがない。我々がここにお届けする彼のCBSからの1972年の素晴らしいアルバム、Right Nowは、今やコレクターの間で重要な1枚となっている。さらに重要なのは、これが彼の長く数え切れないほどの影響を与えてきたキャリアの中でも、最高かつ最も首尾一貫したアルバムだということだ。

クロイドン(大ロンドン南部)で生まれ育ったウィズ・ジョーンズ(本名:レイモンド・ジョーンズ―彼は幼年時代に魔法に興味を持ち、彼の母親が漫画雑誌ビーノに出てくるキャラクターのWizzy the Wuzからとって彼のことを‘Wizzy’と呼んだことから、このニックネームがついたそうだ)は、シリル・デイヴィスとアレクシス・コーナーが運営していたウォーダー街のラウンドハウス傘下の会場、ブルース&バレルハウス・クラブで、ビッグ・ビル・ブルーンジー、ランブリン・ジャック・エリオット、デロール・アダムズらを見たのち、1957年に最初のアコースティック・ギターを手に取った。

故郷のクロイドンに戻った18歳のウィズは、Wranglersというスキッフル/カントリー・バンドを結成した。バンドはクロイドンのAddiscombにあるパブ、レズリー・アームズで週1回プレイした。また彼らは全国的に開かれていた‘Battle of the Bands’のコンテストに出演したが、優勝者にはレコーディング契約が待っていた。ラングラーズは最終選考まで残ったが、Spacemenに負けてしまった。そのグループはリード・ギターに若き日のジョー・ブラウンを擁していた。激励賞として、それぞれのグループは自らのコンテスト演奏曲の78回転レコードを受け取った。それはラングラーズがハンク・ウィリアムズの‘Mind Your Own Business’をプレイしたアセテート盤が数枚存在したことを意味するが、現存はしないと考えられている。

ロング・ジョン・ボルドリーとデイヴィ・グレアムに教えられ、ウィズはソーホーのコーヒー・バーでソロとしてプレイし始めた。1960年までに、彼は初期の先輩たちやアレックス・キャンベルが先鞭をつけた道をたどり、ヨーロッパ中をバスキング(路上演奏・大道芸)して回り、時にはミック・ソフトリィ、クライヴ・パーマー、そしてロッド・スチュワートという名の新米ブルースマンと共に一列に並んで演奏した。

60年代初頭に英国に戻ったのち、ウィズと数人の友人たち―アーチスト/ソングライターのアラン・タンブリッジとマック・マッガン― は、レスター・スクエアのパブ、ポーキュパインで、週一度フォーク・クラブを運営した。マッガンはLevee Breakersとうトリオの一員としてポーキュパインでプレイした。そのグループはギタリストのジョニー・ジョイス(続いてヴェルヴェット・オペラのElmer Gantryのあとを引き継ぐ)とシンガーのべヴァリーを加えて落ち着いた。ベヴァリーはのちにジョン・マーチンと結婚することになる。しかしレギュラー出演者は、ウィズ、バンジョーイストのピート・スタンリー、そしてフィドラーのデイヴ・ワイズマンで、このトリオは著名なフォークソング収集家のピーター・ケネディに、アルバムを作らないかと話を持ちかけられた。Music For Moonshinerと名づけられたLPはリリースの機会を逃したが、‘Billy Grimes The Rover’は寄せ集めアーチストのサンプラーLP、Folk Sceneに収められた。

それからウィズはバンジョーイストのピート・スタンリーと共にブルーグラス・デュオを結成し、彼らはフォーク/ブルース・クラブ・サーキットで大きな人気を集めるようになった。この4年間のパートナーシップは1965年のシングル、‘The Ballad Of Hollis Brown’と、その翌年にリリースされたアルバム、Sixteen Tons Of Bluegrassとして結実した。どちらもEMI/コロムビアからのリリースだった。2人は1967年に袖を分かち、ウィズはソロ・キャリアへと進んだ。ソロ・アーチストとしての初のレコードが、ユナイテッド・アーチスツからリリースされた1枚のLPだった。「僕はバンジョー・プレーヤーのクライヴ・パーマーといっしょに、ソーホーのグリーク・ストリートにあったLes Cousinsのようなところでギグを行なった。僕はそこでロイ・ハーパーと出会ったんだけど、彼はその頃ファースト・アルバムのSophisticated Beggarを、ピエール・タブズのプロデュースでレコーディングしていたんだ。ピエールはロイにリバティ・レコーズとユナイテッド・アーチスツでオリジナルの曲をレコーディングするアーチストを探していることを告げていた。それに対してロイはずっとこう言い返していた。‘ピエール、ウィズ・ジョーンズとクライヴ・パーマーみたいなオリジナルな人たちをレコーディングすりゃいいじゃないか’ってね」 ウィズは回想する。

タブズはハーパーのアドバイスにしたがい、クライヴ・パーマーのフェイマス・ジャグ・バンドのレコーディングを行い、ウィズにソロ・アルバムを作る機会を与えた。デビューLPの大半はウィズの旧友アラン・タンブリッジの手によるナンバーで、ウィズはそのうちの1曲、‘A Common Or Garden Mystery’をアルバム・タイトルにすることを考えていた。しかし最終的に1969年6月にリリースされたアルバムは、単にWizz Jonesと名づけられていた。初期のウィズの仲間、ロング・ジョン・ボルドリーがスリーヴノーツを書き、ユナイテッド・アーチスツは伝説的キャッチフレーズ、‘先駆的ブリティッシュ・ブルース・ギタリスト’を使ってアルバムをプロモートした。

しかしウィズ・ジョーンズは“世界をあっといわせる”ような言葉を発する人間ではなかった。彼の次のアルバムは、ブリストルを拠点とする独立フォーク/ブルース・レーベル、ヴィレッジ・シングでレコーディングされた。このレーベルはジェフ・ラシーナ(Gef Lucena)とギタリストのイアンA.アンダーソン(近年ではフォーク・ルーツ・マガジンの記者として知られているかもしれない)によって経営されていた。ブリストル郊外の教会ホールで2トラックのレヴォックス・テープレコーダーによって録音されたThe Legendary Meは、哀愁を帯びたタイトル・トラック含む、さらに多くのタンブリッジ・ソングをフィーチャーし、バッキングにはクライヴ・パーマーのフェイマス・ジャグ・バンドからピート・ベリーマン、そしてラルフ・マクテルが含まれていた。後者はピート・スタンリーがイタリアにいた1965年の夏の間に、ウィズと共にコーンウォールのパブやホテルでプレイしていた。なるほど確かにウィズは、ラルフにステージ・ネームとして名字のメイ(May)の代わりに、ブラインド・ウィリー・マクテルの承認をもらってラルフ・マクテルと名づけていた。ブラインド・ウィリー・マクテルの‘Statesboro Blues’は、2人の大のお気に入りだった。

1970年12月にリリースされたThe Legendary Meは優れたアルバムだったが、独立レーベルとしてのヴィレッジ・シングには、このアルバムに見合うだけの人々の目を集める力はなかった。放浪のスーパースター、ドン‘ロージー’パートリッジ率いるフォークロック・バンド、アコレードのセカンド・アルバムに参加したのち、ウィズは巨大レコード会社CBSから次のソロ・アルバム、Right Nowをリリースした。これが実現したのは、彼が長い付き合いのあったペンタングルのメンバーたち、とりわけギタリストのジョン・レンボーンが関係していたからだった。「ペンタングルはジョー・ラスティグのマネージメント下にあって、彼はペンタングルに仲間のアーチストたちのアルバムをプロデュースする権限を与えたんだ。バート・ヤンシュはアン・ブリッグズをレコーディングした。ダニー・トンプソンはバート・ヤンシュの最高のアルバムの1枚、Moonshineをプロデュースした。ラルフ・マクテルは契約を結んでやって来て、クライヴのCOBをプロデュースした・・・そしてジョン・レンボーンがRight Nowをプロデュースしたんだ」 ウィズは説明する。

1972年5月にリリースされたRight Nowは、多くの者がウィズ・ジョーンズの決定的アルバムとしてとらえている(ウィズ自身がこの作品に対し、それほどの評価を持っていないとしてもだ。彼はスタジオであまり時間がとれなかったことに不満を表している)。それでも称賛に値する彼のアコースティック・ギター・ワークと、永遠に過小評価されるヴォーカルは、常にアルバムの魅力の中心にあり、サポート・ミュージシャンたちのクォリティは最高級だ。ピート・ベリーマンのエレクトリック・ギター・プレイはウィズのアコースティック・ギターの見事な腕前を完璧に補完している。他の素晴らしい名演としては、フィドル・プレーヤーのスー・ドレイム(彼女はリチャード・トンプソンのデビュー・ソロ・アルバム、Henry The Human Flyとともに、ジョン・レンボーンのアルバム、Faro Annieでもプレイした)、ピアニストのアンディ・ファーンバック(Fernbach)とアコレードのかつてのリズム・セクションであったベーシストのマルコム・プールと、ドラマーのイアン・ホイルのプレイが含まれている。またジョン・レンボーンはタイトル・ソングでハーモニカを吹き、‘The Raven’と‘American Land’でシタールをプレイした。「これはジョンがシタールを実験していた頃だね。彼は床の上にあぐらをかいて雰囲気を作り出していた。スタジオではお香を炊いて、その香りが部屋中に漂っていた!」 ウィズは回想している。

前2作同様、Right Nowはアラン・タンブリッジの手による一握りの作品に基づいていた。見事な‘Which Of Them You Love The Best’は素晴らしい幕開けを飾り、その味わい深くメローな内観は、穏やかに組み立てられたバンド演奏によって埋め合わされている。ムーディーな‘City Of Angels’でくり返される巧みな言葉は、ロサンゼルスの塑性(そせい:変形しやすい性質)に対するエレガントで雄弁な攻撃だ。‘Mary Go ‘Round’はさらにいっそう物憂く、ほとんど夢遊症患者のようだ。一方で全く陽気な‘Find A Man For You Girl’は、スー・ドレイムの見事に効果的なフィドル・ワークがもっぱら目を引くものとなっている。

またアラン・タンブリッジは2曲でウィズと共作し、どちらもアルバムのハイライトとなっている。アンディ・ファーンバックのピアノと共に、ウィズとピート・ベリーマンによるアコースティック/エレクトリックの優れたインタープレイ(相互作用)がフィーチャーされたラグタイム・ブルースの‘Deep Water’は、ふさわしくアルバムを締めくくっている。一方、ゴシック調メロドラマ風な‘The Raven’は、アラン・タンブリッジがエドガー・アラン・ポーの同名の詩(1846)から当てはめたものだが、1959年に彼とウィズが最初にコーンウォールで季節労働をしていたホテルのことだ。

‘The Raven’とほとんど同じように憂鬱な雰囲気を持つのが、ジョン・レンボーンのシタールをフィーチャーしたピート・シーガーの‘One Grain Of Sand’だ。ジョンのシタールはピートの異母姉妹(そしてイワン・マッコールの妻)であるペギー・シーガーのアレンジメントを引用したトラディショナル・ソング、‘American Land’でも同様のプレイだ。怠惰でユーモアあふれるフォーク/ブルース・シャッフルの‘Right Now’は、ゲイリー・デイヴィス牧師のレコードからだ。一方、ほろ苦いブルース、‘No More Time To Try’はウィズの珍しい単独作だ。「僕も何曲か書くよ。でもどっちかっていうと他の曲を選んで違った解釈を加える方が好きだね。多分その方が僕には合っていると思う。自分の解釈を投影する方がね」 彼はかつてそう説明した。

Right Nowは1972年5月にリリースされ、ウィズは同時にフォーク・クラブ・サーキットでプロモーション活動を行ない、それから彼とクライヴ・パーマーのCOBは、1972年11月、ペンタングルの最後の英国ツアーでサポート・アクトを務めた。それから彼はバート・ヤンシュをゲストに迎え、When I Leave Berlinをレコーディングするためにヴィレッジ・シング・レーベルに戻ってきた。見たところ、そのアルバムがヴィレッジ・シングの中でのベスト・セラー・アルバム(もちろん他のレコードと比較すればの話だが)となったが、重要な点となったのが、4曲でフィーチャーされた5人編成のバンド、レイジー・ファーマーだった。メンバーはヴォーカルとギターにウィズ、5弦バンジョーに彼の妻サンディ、バンジョーにドン・コギン、そして元COBのメンバーだったジョン・ビッドウェルがフルート、ジェイク・ウォルトンがギターとダルシマーだ。このラインナップで1975年にドイツのレーベル、ソングバードにアルバム、Lazy Farmerをレコーディングしたが、バンドはへとへとに疲れるツアーの末に解散した。

それからウィズはもう1枚ドイツのみのリリースである1976年のソロ・アルバム、Happiness Was Freeをレコーディングし、その後スティーライ・スパンとつながりのあったレーベル、プラネット・ライフでMagical Flightをレコーディングした。さらなるアルバム群はそれからも散発的にリリースされた。1981年にはRoll On River(ドイツのみのリリースでギタリストのヴェルナー・ラマーハルツ((Lammerhirt))とのデュオ)、1987年にはThe Grapes Of Life、1995年にはDazzling Stranger、そして2001年にはLucky The Man(ジョン・レンボーン、ジャッキー・マクシー、クライヴ・パーマーらがゲストに迎えられた)が、気まぐれなアーカイヴ・リリース/リイシューと共に発表された。
現在70歳のウィズはアコースティック・フォークとブルース・クラブでツアーを続け、今でも高い評価を受け、パフォーマーとして大きな敬意を集めている。あなたの近くに彼がやって来たら見逃す手はないだろう―それはともかく、ここにあるのが彼の人生前半に届けられたサウンドだ・・・

デヴィッド・ウェルズ
2009年8月


ウィズ・ジョーンズに感謝する。さらに詳しいキャリアと現在の活動はwww.wizzjones.comで。

謝辞;ギャラクティック・ランブルとコリン・ハーパーのDazzling Stranger:Bert Jansch and the British Folk and Blues Revival.


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