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Trader Horne/Morning Way/2008 Cherry Red Records ECLEC 2088



世界中のオーナーたちが、その1970年のリリース以来、トレイダー・ホーン唯一のアルバム『Morning Way』のヴィニール盤を用心深く守ってきた。
もちろんその理由は、ロックなのかどうか分からない詞を伴った歌から滲み出てくる驚くべき音楽の才、唖然とするような叙情的な発明の才、そして抗しがたい異質性にある。

この“失われた名作”であるという指摘は、彼らがささやかれる前に豊富にあったし、アルバムは単にすばらしすぎて重要すぎるのである。あなたが今手にしているのは、彫像のように立ち、あまり人の訪れない音楽的道程と、その人をMellow Candle、Mourining Phase、Forest、Comus、Fan Dukes de Grey、その他多くへとみちびく、独特で刺激的な道への入り口の門を守るレコードだ。もしこのアルバムが歴史から誤解を受け続けてきたのなら、それは作り手たちのキャリアの重要性と、彼らの与えた影響力が見落とされてきたからだ。もちろん時の経過は歴史を正してきただろう―何10年も忘れ去られたさらにマイナーな音楽家たちのそれも。

そこでこの『Morning Way』だ―無類のデュオによる無類のマジックの1枚は、消え去ることを、あるいは静かに闇に向かうことを拒否した。

ジュディ・ダイブル(本名:ジュディ・アイリーン・ダイブル、1949年2月13日ノース・ロンドン、ウッド・グリーン生まれ)は、1964年から66年にかけて自身のバンド、ジュディ・アンド・ザ・フォークメンを率いていたが、翌年、彼女はアメリカの音楽に影響を受けた売り出し中の新進ロック・バンド、フェアポート・コンヴェンションへの加入の誘いを受けた。

しかし長くは続かず、その翌年に彼女はメロディ・メーカーの広告欄で働き口を探していた。このとき同じくあぶれていたのが、彼女のボーイフレンドだったイアン・マクドナルドで、2人はあまりぱっとしないネーミングのジャイルズ、ジャイルズ・アンド・フリップという奇妙で不思議と人をひきつける一団に雇われた。それは彼らのキャリアが進路を変える前の第一段階だった。男たちがキング・クリムゾンへと発展した一方で、ジュディはそれにあまり満足せず、マクドナルドとも別れ、再び彼女は自身の道を進むことになった。

しかしこのとき彼女が残したキング・クリムゾンの裏伝説は、今日までファンによって崇められている。クリムゾン・クラシックの“I Talk to the Wind”のジュディ・ヴァージョンはただただ最高であったし、あるいはバンドの比類なきデビュー作、『In The Court of the Crimson King』を飾るべきだったかもしれない。脇役としての彼女の風変わりフォークの実績を強調すれば、ジュディは傑出した神話的変わり者一団へゲスト参加した―インクレディブル・ストリング・バンドの傑作、『The Hangman's Beautiful Daughter』収録の“Minotaur's Song”だ。

ジャッキー・マコーリーは、ジュディがよく訪れていた世界、すなわちジ・エレクトリック・ガーデンやUFOクラブとは全く違う世界で名を上げていた。アイリッシュの出自をもつジャッキーは、1965年の1年間をヴァン・モリソンの初期の“ゼム”でピアノの鍵盤を叩いて過ごしていた。そしてヴァンが大物となって去ったあとに再びバンドに戻り、リード・ヴォーカルとハーモニカを担当した。マルチ奏者で才能あるソングライターだったMcCauleyあるいはMcAuleyあるいはMacauley(どこで調べても違う綴りが出てくる)は、その音楽的背景の違いにもかかわらず、多くの意味でダイブルにとって理想的なパートナーだった。ゼムのあと、彼はバンドの残りのメンバーたちとともに“ベルファスト・ジプシーズ”として懸命に活動を続け、その後、彼の音楽的方向性はまずヨーロッパへ、それからモロッコへ向かった。

このデュオの成り立ちは、UKフォークロックの聖典の中で申し分なく語られているとはいえず、おそらく近いうちに改正されるだろう。ジャッキーは60年代の終わりに流行していた子供向けのアルバムを作りたがっていたし、ほとんどの歌はすでにできあがっていた。ダイブルがもちこんだのは、タイトル・トラックとゴージャスな“Velvet to Alone”(スティームハマーのマーチン・クイテントンとの共作)を除けば、UKフォーク最高の美しい永遠の声だった。彼らの奇妙な名前は、DJジョン・ピールのおばあちゃん、フローレンス・ホーンのニックネームだったらしい。彼女は象牙商人のアルフレッド・ホーンを描いた1931年の冒険映画に捧げ、“Trader”(商人)という名を加えていた。その映画の撮影は誰に聞いても大失敗だったらしく、最終編集版が作られたものの、何人かの不幸な死と牛の角によって死んだキャストの1人を含んでいた。

危険な牛の角から逃れたトレイダー・ホーンは、1969年までにうまく事を運んでいた。彼らの初のリリースは、1969年にパイ・レコード傘下のドーンと契約を交わした結果、標準的に1枚のシングルとなった。B面に“Morning Way”を配した“Sheena”は幸先のいいスタートを切り、実際のアルバムへの糸口となった。

1970年にリリースされた『Morning Way』は、2人のプレーヤーの才能を完璧にとらえ、そのときまでに彼らが成し遂げていたいかなるものにも似ていなかった。大人の世界への通過儀礼について漠然としたコンセプトをもったアルバムは、リスナーがコンセプト・アルバムに対して期待するような叙情的な一節やインストゥルメンタル・テーマがふんだんに使われていた。しかしながら、そこには何かとても蝕知できないような、なぞめいた捕らえどころのなさがある―それがこのアルバムを何度聞こうが、あるいはその良さを分かっていようが、依然謎に包まれている所以だ。この特徴は、ISBの『The Hangman's Beautiful Daughter』、あるいはメロウ・キャンドルの『Swaddling Songs』と通低している。

いぜれにせよ、13曲のアルバム・トラックと2曲のボーナス・トラックがすばらしいのは聴けば分かるし、なぜこれがコレクター好みとなり、愛されるようになったか分かるだろう。トルキーン(この時点で誰も読んでいなかったとしても)風の“Three Rings for Elven Kings”と“Children of Oare”から、並はずれた“Mixed Up Kind”まで、さらにベッシー・スミスの“No-one Knows When You're Down and Out”のカヴァーである“Down and Out Blues”まで―これは私たちを驚かせ、魅了し、楽しませ、そしてハッとさせ、あるいはそれらを一度に体験させてくれるレコードだ。アルバムに手を貸しているのは、フルートとベース・クラリネットに“ゼム”からレイ・エリオット、ベースにジョン・ゴドフリー、そしてドラムスにアンディ・ホワイトだ。

バンドは、彼らを世に送り出すためだけに設定された、あるフェスティヴァルでスタートするはずだった―ニューカッスル・アンダー・ライム(イングランド西部)の今では有名な“ハリウッド・ミュージック・フェスティヴァル”だ。しかしたまたまもう1枚のシングルが出たのち、ジュディはかんしゃくを起こしてこのプロジェクトを取りやめてしまった。偉大なホワイト・ハンター(アフリカ猛獣狩りの案内役白人)同様、トレイダー・ホーンは軽率に命名され、歴史上に残った。

『Morning Way』は人気のあるレコードではなかったし、これからもそうだろう。もちろんそれは残念なことであるが、それでも影響を与え続ける1枚である。ここ数年のネオ・フォーク・リヴァイヴァルにおいて、【“人々”(Folk)のためのゼロ年代】は1960年代のアルバムだったが、この良さが見過ごされることはなかった。そこにはこのレコードを称え続ける多くの人がいるし、それは当然のことだ。それらの1枚の中に加わることに祝いの言葉を送りたい。あなたが失望させられることはないだろう。

ジョン・ライト


オリジナル・ライナーノーツ

喜びの歌、争いの歌、そしてストリート・ソング:トレイダー・ホーンが奏でるこれら歌の数々は無邪気で純粋、時に刺激的だ。彼らに誇大宣伝は不要だけど、ぜひとも知ってもらいたいことがある。聴いてみてほしい。荒涼とする一方で、詞は逆に生き生きとそんな歌を綴っている。僕は(おんぼろ車の中で酔っぱらった耳で聴いたんだけど)、フルートやハープシコードなんかを使ったこれらの曲は、僕を取り巻く環境から完全にかけ離れていると思ったことがある。穏やかさなんて微塵もない現実からね。でもここにある歌は優しさにあふれている。彼らはその優しさのための偽りの受け売りをすることもないし、そんなことを知ろうとも導こうとも思ってはいない。ここにあるのは単に素晴らしい歌だ:それは君が起きている間に枕の下にあるのかもしれないし、君が食器棚を開けるとそこにあるかもしれない、あるいは公園で見つかるかもしれない。新鮮な歌、暖かい歌、喪失と喜びの歌。嫌われ者のための、人魚のための歌。Jenny Mayはストリートで永遠にスキップする。
ブライアン・パッテン



ジュディ・ダイブル
歌のレッスンと引き換えに、傷ついたブラックバードを空へ返すために手当てをする幾分おとぎ話のようなキャラクター。彼女はフェアポート・コンヴェンションのファーストLPでシンガーを務め、一躍ポップ界で注目を集めたあと様々な仕事を体験した。今や彼女の声とソングライティングはフェアポートの日々よりも成熟した。彼女のオリジナル作品はこのアルバムに多く含まれている。

ジャッキー・マコーレイ
ギター、ハープシコード、ピアノ、オルガン。作詞と作曲どちらにも関心を持っている。アイルランドに生まれた彼は、ギターとオルガンで(ヴァン・モリソンの)‘ゼム’に参加する前に伝統音楽に熱中した。ジャッキーはゼムが解散した後、アコースティック志向に立ち戻り、彼の作品の音楽的領域は着々と拡がっていった。彼はヨーロッパ周辺とモロッコにしばらく滞在し、その土地の気候と風土が彼のフルートに影響を与えた。そして彼はイングランドに戻り、ついにジュディ・ダイブルとめぐり会った。


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