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Tomorrow/Tomorrow featuring Keith West/1999 EMI Records Ltd. 7243 498819 21



キース・ウェスト・インタビュー

アルバムのほとんどの曲はHOPKINS/BURGESSとクレジットされているけど、詳しく説明してくれるかい?

KW:多くの人が知っているように、僕の本名はキース・アラン・ホプキンズで、大昔たしか1965年か1966年に違いないと思うけど、名前を変えられたんだ―EMIが僕の本名をあまりに中流階級ぽいと考えたんだと思う。それでキース・ウェストになった。ケン・バージェスはクラス・メートでソングライティング・パートナーだった。僕らが14か15の頃だった60年代初頭に一緒に曲を書き始めた。僕が最初のバンド、Four + Oneに入った時はカヴァーをやっていたから、ソングライティング・パートナーは必要なかったんだ。クレジットにHopkinsを使った主な理由は、僕の家族がWestだと本当に僕かどうか分からないからだ。

ソングライターのコンビは一方が詞を書いて、一方が曲をつける関係だった?

KW:僕らがThe Teenbeatsというバンドをやっていた初期の頃は、ケンがギタリストで僕はヴォーカリストだった。その時は僕が詞を書いてから彼の家へ出かけて行って、彼がそれにコードをつけていたね。のちになってスティーヴ・ハウからギターの特訓を受けてから、もっと曲をつけるようになったんだ。でも詞はほとんど僕が書いたものだよ。

グループ外から入ってきてバンドの一員として曲を表現するのに何か問題はなかった?

KW:そう上手くはいかなかったな。過渡期の頃だったから。僕らは1965/66年にFour + Oneとして契約していた。そしてレス・ジョーンズが去ってスティーヴ・ハウが入った以外は同じラインナップでIn Crowdに改名した。そこから全ては変わり始めたね。スティーヴは僕らに大きな自信をもたらしてくれた。何曲かは昔の曲で、それを改作していった。アルバムはトラックごとに進められて行って、僕らはアルバム1枚分の曲を“これがアルバムだ”っていう具合に持っているわけじゃなかったんだ。ちょっと不思議な気がしたね。当時EMIはヒット曲がなければアルバムを作らせてくれなかったから。でも彼らは‘My White Bicycle’がチャートインしなかったのに僕らにレコードを作らせたんだ。今日に至るまで僕らがアルバムを作った理由は分からない。その間に僕は‘Teenage Opera’をヒットさせたけど、アルバムは作らなかったからね。

その頃君はギグをやっていた?

KW:うん、アルバム収録曲がライヴの中で大きな部分を占めていた。‘Why’(バーズのカヴァー)はIn CrowdTomorrowのクロスオーヴァー的なナンバーで、僕らが最初にやったサイケデリック・ナンバーだった。

マーク・ワーツと組むようになったきっかけは?

KW:当時の僕らのマネージャー、ブライアン・モリソンは最初ノーマン・スミスとあと二人を僕らがリハーサルに使っていたサウス・ケンジントンのBlaiseに連れてきた。ノーマンは僕らを気に入って、僕らは一緒に仕事ができるかどうかアビー・ロードで試してみたんだ。でも僕らが彼を嫌ったのか、彼が僕らを嫌ったのか一体何が起こったのか分からないんだけど、僕らはうまが合わなかった。個人的な問題じゃなくて単に通じ合わなかっただけなんだ。

スティーヴ・ハウはマーク・ワーツと一緒にセッション・ワークをいくつかこなしていて、彼は‘My White Bicycle’と他の何曲かに興味を示したんだ。その頃はまだシングルのA面とB面のための3時間セッションというのがあった。彼が引き出した僕らのサウンドを除いて決め手になったのは、‘My White Bicycle’の出だしの見事なコンプレッサー・サウンドと逆回転テープなんかだった。彼の得意分野だったね。曲に入ってるホイッスルは、僕らがアビー・ロードの前の通りに出てマイクの前で警官に吹いてもらったんだ。トゥインクはぐでんぐでんになってスタジオ中を走り回ってるし、僕らは大麻を吸ってたからすごく用心しなきゃならなかったよ。

‘The Incredible Journey Of Timothy Chase’や‘Three Jolly Little Dwarfs’なんかの詞のアイデアはどこから?

KW:‘Three Jolly Little Dwarfs’は基本的に僕らがLSDやなんかを体験していた時の曲で、ある晩、誰かの家から外に出た時に幻覚でウォルト・ディズニーの漫画みたいなものを見たんだ。ちょっと気が狂ったような感じだったから、うちに帰って僕は急いでいくつか詞を書いてみた。誰もこんなことはしないだろうと思ったからちょっと楽しかったね。僕がバンドでこれを披露した時、みんな気に入ってくれたし、ジョン・ピールも取り上げてくれたよ。

ラジオ・セッションはした?

KW:ほんの少し。でも僕らは当時とにかく忙しく働いていたバンドだった。僕らにはライヴに来てくれるファンがいたから、EMIはそういったファンの人たち全てにすぐにアルバムは売れるだろうと考えていたと思う。でもそううまくはいかなかった。EMIはリリースするのが遅すぎたし、アルバムを完成させるのに時間をかけ過ぎたんだ―なぜだか僕には分からないけどね。68年の頭にリリースされた時、サイケデリック・シーンはほとんど終わっていた。人々はそんなものが存在した短期間のことなんて忘れていたね。

君たちは海外ツアーはしたの?

KW:ノー。でも僕らはショート・ツアーをしたよ。Larry ParnesのためにBilly Furyと一緒に2〜3のツアーもやった―一体誰の目論見なのか・・・神のみぞ知るだな。それはビリーを見ようと古い世代の年金受給者が喜ぶ‘最後のとりで’的なものだった。僕らは自らその企画から降りることにした。そこにはThe MoveAmen Cornerも出演していた。最初のライヴで僕らが思い切り大音量で演奏したら、Larry Parnesが飛んできて、“次のセットでそんな音を出したらクビだぞ。”と言った。それで僕らはもっとでかい音でプレイしてクビになったね。The Moveも同じようにしてクビになったよ。Amen Cornerはそうはしなかったから、彼らとは仲良くはならなかったね。

物事がばらばらになり始めたというのを読んだけど・・・

KW:‘Teenage Opera’がすごく売れたことが、バンドを台無しにすることにつながったんだ。それは本当に僕の過ちだった。僕はそんなことをすると君のトゥモロウでのキャリアがだめになるからやめろって言えるようなマネジメントを持っていなかった。僕はちょっとした楽しみとしてシングルを作ったつもりだったけど、突然Tomorrow featuring Keith Westになってしまった。プロモーターは僕の名前を使って、より多くのチケットを売ったが、バンドは僕のバッキング・グループに成り下がってしまった。それはあり得ないことだった。僕らはアイルランドでその忌まわしいギグをいくつかやった。そこのプロモーターは僕にスティーヴ、トゥインク、ジュニアと一緒に‘Teenage Opera’をやることを主張した。そのギグには大金がかかっていたから、僕らはやらなきゃならなかった。僕らはノーといえるほど恵まれていなかったんだ。僕らはお金を平等に分けて少しはうまくいったけど、みんな自分たちがどこに向かって行くのか見えてなかったし、サイケデリック・シーンはほぼ終わっていたんだ。

マーク・ワーツは僕のことを諦めてしまったから、スティーヴと僕はエインズリー・ダンバーとロニー・ウッドと一緒にバンドを結成しようとした。僕らは僕をプロデュース作業に導くことになる偉大なエンジニア、ケン・スコットと一緒になった―でも何にも起こらなかったね。

最後に。スリーヴ・ノートを書いたロジャー・フェニングスって誰?

KW:知らない!一度だけ彼とは会ったけど、マーク・ワーツの友人だったはずだ。僕らはスリーヴや曲順や写真なんかに口を出す権利なんてなかったんだ。彼らが使った裏ジャケットの写真は嫌いだね。メンバーの誰もレコードが出る前にスリーヴを見たことなんてなかったんだ。


彼らの時代の行く手には

Tomorrow:啓示

66年秋から67年の夏は、あるいはビートルズが63年に登場して以来のポップ・ミュージックにおける最大の激変期だったかもしれない。‘Psychedelic’は世界中で口にされた。ほとんどの者はその意味も綴りも知らなかった―それは狂気であり、支離滅裂であり、エキサイティングな時代であった。

シド・バレットはミドル・アースのステージで扇動者となり、アーサー・ブラウンは毎夜、頭の上に火をかざし、この国のあらゆるポップ、ソウル・バンドは名前を変え髪をカールさせ、自らを青色に塗り変えてしまった。

ストーンズでさえ(今も売られている“サタニック・マジェスティーズ”によって)落ち着かない様子だった。ズート・マネーのビッグ・ロール・バンドは“神秘”へ向かい、ダンタリオンズ・チャリオットは一夜にして臭覚を養い、無名のタムラ・モータウン・バンドのジ・イン・クラウドはトゥモロウになった。

一言でいえばトゥモロウはボウイよりもずっと前に、物真似バンドから演劇と一風変わった身振りを身につけた最初のバンドだった。

会場とステージ照明全てが消灯し、ベース・プレイヤー(ジュニアとして知られていた)の顔に一つのスポット・ライトが当てられ、彼はステージ上をゆっくりと歩き、ベース・ギターはバントゥー族の槍投げのごとく高く持ち上げられる。顔はグロテスクにペイントされている。

この時点で田舎者の女たちはきまって悲鳴を上げる。その後は速やかに残りのメンバーが巧妙に計算されたポートベロー・ロードのあか抜けたベルベットのズボンと銀のバッジをたくさんつけたけばけばしい衣装で登場し演奏を始める。シンガーのキース・ウェストはライヴの半分以上ステージにいることはほとんどない。彼はいつもカッタウェイの黒のレザーの手袋をはめている。そしてスティーヴ・ハウは銀のバックルのついた交互に色違いの革を重ねたスタックヒールのくつの第一人者だ。

トゥモロウは通常バーズの‘Why’でオープニングを飾り、続いて‘My White Bicycle’(グループのファースト・シングル)がプレイされる。あるいは‘Revolution’だ。

スティーヴ・レイク メロディ・メーカー ‘75

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アビー・ロードの地下貯蔵庫で最近発見されたトラック、‘Now Your Time Has Come’は、アルバムに収録の曲とは完全に別の曲であるが、元々レコーディングされた中に含まれるこれは大きな問題を引き起こした。アルバムのトラックは‘now your time has come’という詞は全く出てこない。つまり最近発見されたこれが正真正銘のこのタイトルである。バンドのメンバーたち(マーク・ワーツはそうでないが)はこの‘new’ヴァージョンがサード・シングル用(実現はしなかったが)として途中でアルバムから外されたと考えている。しかしスリーヴとレーベルはすでに印刷に入っていた。その1曲(最終的にアルバムに収録された方)は急いでレコーディングされ、そのすでに存在するタイトルのところへ差し込まれた・・・これで解決?ん?ではしかし当時彼らはそのサード・シングルを何と呼んでいたんだああああああ?!


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