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Syd Barrett/The Madcap Laughs/1993 EMI 7243 8 28906 2 1



1968年2月、デイヴ・ギルモアピンク・フロイドに採用され、短期間、彼らは5人編成として存在した。しかしまもなくシド・バレットが‘舞台裏’で曲を書きレコーディングし、‘ブライアン・ウィルソン’的行動をとるのではないかといううわさが広まった。4月までに彼は完全にグループを追い出されていたことが明らかとなった。

「僕はあまりにぞんざいな扱いを受けたと思う」 シドはメロディ・メーカーに分裂に関してそう回想した。しかしフロイドのかつての重要人物が今やインスピレーションを剥奪されたと考えるのは、かなり無邪気なことだった。彼は‘扱いにくく’なっていたかもしれないが、解雇から1ヶ月以内にアビー・ロードに戻った。

マネージャーのピート・ジェンナーをプロデューサーとして、シドは5月13日に新曲の‘Silas Lang’と‘Late Night’でソロ・キャリアをスタートさせた。前者のタイトルは今では誤りだと思われている―かつてバレットは一度もそのようにいったことはなかった。これは‘Swan Lee’としてよく知られたナンバーだ。翌日にはさらに4曲―‘Lanky(part 1)’、‘Lanky(part 2)’、ジョイスの詩を使った‘Golden Hair’、‘Rhamadan’―がレコーディングされた。

ワン・テイクのみファースト・ネームで呼ばれたトラックが作られたが、それは1988年のアウトテイクとレアリティーズのコレクションのタイトルとなった‘Opel’と名付けられた。小品のインストゥルメンタル‘Lanky’は、心を釘付けにするような角ばったギターワークがフィーチャーされ、それはシドが依然インプロヴィゼーションにとりつかれていたことを示していた。その次のヴァージョン、7分に及ぶパーカッシヴなサウンドはそれほど興味深いものとはならなかった。一方、‘Rhamadan’は同じような流れでさらに長くなっていたが、これもほとんど効果をもたらすことはなかった。しかしながら、‘Golden Hair’のもろい最初のヴァージョンは魅力的な出来となり、哀調に満ちたスタイルで“Opel”の最後を締めくくった。

バレットとジェンナーは翌月もアビー・ロードに戻った。‘Swan Lee’と‘Late Night’にオーヴァーダブが加えられ、7月20日に2人は‘Clowns And Jugglers’にとりかかった。しかしながらこれは理由もはっきりしないまま、この時期のレコーディング・セッションの最後のトラックとなった。バレットは翌年の4月までスタジオ・ワークを再開することはなかった。

バレットは1969年4月10日にアビー・ロードに再び入り、‘Swan Lee’のレコーディングのためにジェンナーと共に作業を行なった。シドは‘Clowns And Jugglers’のもうひとつのヴァージョンにもとりかかった。シドとプロデューサーのマルコム・ジョーンズは古いマテリアルを改作することの方に同意していたが、2人はシドの最新曲を録音するために翌日スタジオに戻った。

最初に完成した新曲が‘Opel’だった。9テイク録られたが、間違いなく最後のテイクが最高の出来だった。なぜこの魅力的なヴァージョンがずっと未発表のままなのかは依然として不可解だ。その発掘は価値あるものだし、先述のレア・コレクションの中枢的なトラックとして成り立ちうるものだ。シドはその時、‘Love You’の様々なヴァージョンを試した。最初のテイクは速く、3番目はより遅く、そして4番目が“The Madcap Laughs”の基盤を提供することになった。異なる表現に基づいて採用テイクが決定されることはほとんどなく、そのムードが決定の要因となっていた―“あとで決めるのがベスト”とボックスにはあいまいに記入されていた。

これに続いたのが、‘It’s No Good Trying’の3テイクだった(スタートの失敗が5回含まれる)。最後のテイクがベストと考えられ、将来のオーヴァーダブのために残されたが、我々は‘アコースティック’ヴァージョンも収録した。それは6分40秒で正規ヴァージョンよりも長く、シドの複雑なコードと変拍子がフィーチャーされたうつろなアレンジだ。

それからシドは‘Late Night’で最初のヴォーカル・テイクを入れて完成させる前に、スライド・ギターのためにタバコのライターを使用した。またそれと同じく、新曲の‘Terrapin’では、完璧な歌とギターがマスターテープに保持されることになった。そしてバレットはまだ装飾を必要としていた‘Golden Hair’にとりかかった。テイク5は卓越したハーモニー・ラインをフィーチャーしていたが、のちに破棄された。しかしその興味深いヴァージョンは今回このCDに収録された。

日々の仕事は生産的なものとなっていた。ジョーンズは翌木曜日(4月17日)にシドと会う約束をし、シドは2人の知り合いのミュージシャンであるベーシストの‘ウィリー’ウィルソンとドラマーのジェリー・シャーリーを紹介した。前者はデイヴ・ギルモアと共に活動していたジョーカーズ・ワイルドの元メンバーで、後者はその時ハンブル・パイに在籍していた。彼らは基本的なリハーサルとウォーミングアップを行ない、‘No Man’s Land’を5テイク録音した。‘Here I Go’も同テイク数録られ、どちらも最後のヴァージョンがベストとされた。‘No Man’s Land’のための種々さまざまなオーヴァーダブを除いて、これらは“The Madcap Laughs”のためにミックス・ダウンされたヴァージョンだった。

5月4日、バレットは‘No Good Trying’の後方のギターを加え、それから‘Terrapin’と‘No Man’s Land’へ進んだ。この時にデイヴ・ギルモアが参加した。

「デイヴは最後の方のセッションではほとんど表面的な興味しか示していなかった」 マルコム・ジョーンズは‘The Making of “Madcap Laughs”’のブックレットでそう説明していた。「彼とロジャー・ウォーターズが何曲かをプロデュースするという彼の提案も大した前進にはならなかったな」

バレットはかつての仲間たちとはまだ親しい間柄だった―彼らのそれぞれのフラットは近くにあったし、シドはクロイドンでのピンク・フロイドのギグでは楽屋に現れてさえいた。残りのセッションは6月13日、14日そして7月26日の3日間集中で完了した。ひとつの理由にはギルモアとウォーターズの“Ummagumma”のミキシング作業とオランダ・ツアーがあったためだった。最初のセッションでバレットは‘Clowns And Jugglers’の新ヴァージョンにとりかかった。その時には‘Octopus’と新たに名付けられていた。マスターを完成させるために、スタート・ミスを含む11テイクが録られ、最後のテイクが“The Madcap Laughs”に採用された。

‘Golden Hair’もまた11テイク録られ、最後のヴァージョンがアルバムに収録され、6番目のテイクが“Opel”のために発掘された。2つの新曲、‘Long Gone’と‘Wouldn’t You Miss Me’(別名‘Dark Globe’)もこのセッションでレコーディングされた。後者は2テイクしか必要としなかったが、同テイク数の‘Long Gone’と共に適さないと考えられ、完成ヴァージョンは翌月となった。

最後の日のセッションは非常に活発だった。シドは‘Wouldn’t You Miss Me’の新ヴァージョンを試み、以前のセッションのテイク2は採用せず、これが“Opel”に収められた。手のつけられていなかった3つの曲―‘She Took A Long Cold Look At Me’、‘Feel’そして‘If It’s In You’も完成した。‘Feel’は1テイクのみで終了、‘If It’s In You’は5番目がベストとされ、‘Long Cold Look’も同テイク数録られた。このCDにはスタート・ミスのある4番目のテイクが入っている。

“The Madcap Laughs”は1970年1月にハーヴェスト・レーベルからリリースされた。その前の月(1969年12月)にはシングル、‘Octopus’(アルバム・タイトルにインスピレーションを与えた詞の一部)と‘Golden Hair’がリリースされた。レコードは称賛され、2月24日、自信をもったバレットはジョン・ピール‘トップ・ギア’のライヴ・セッションに出演した。5曲を披露したうちの1曲、‘Terrapin’だけが“Madcap Laughs”収録だった。残りは全て新曲で、‘Gigolo Aunt’、‘Baby Lemonade’、‘Two Of A Kind’が含まれ、最後のトラックはシドがアルバムには収めなかったものだった。5番目のトラック、‘Effervescing Elephant’はリスナーにやがて届けられることになるシドのスタイルが示されていた。

Brian Hogg


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