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The Stranglers/Live X-cert/2001 EMI Records Ltd. TOCP-53277



私は音楽だけを聴くばかりでなくて、とてもラッキーだった(11歳から自分のアルバム・コレクションをたくさん持っていた)。私はスレイドマッドスウィートエルトン・ジョン、そしてピンク・フロイドなどに連れて行かれて見ていたから、早いうちに全てに熱が冷めてしまっていた。パンク・ロックのために私はずっと待っていたようなファンだった。私が最初に見たパンク・バンドが、ブラックバーンのキング・ジョージズ・ホールで行なわれたザ・ストラングラーズのライヴだった(奇怪なことに、私が初めて買ったパンクの海賊盤が、ちょうどその2週間後に同じホールで開かれたレコード・フェアで見つけたもので、まさに私が見たギグが入っていた!)。その時以来、私はザ・ストラングラーズのUKツアーがあると必ず最低一度は足を運んだ。グループは私に大きなインパクトを残し、その後何年にも渡って私が見た中で、最高のライヴを披露してくれた。ファンの中で統計をとれば、それはそれは多くのライヴを見た中に入るだろう。

ユナイテッド・アーチスツ・レーベルがストラングラーズの4枚目のアルバムを、なぜライヴ盤にすることに決めたのかは2つの説がある。1つはJJ(バーネル)とグループの案で、それはグループの第1章を締めくくるために、このアルバムがリリースされたということである。率直に言って法廷においてはこれで面目が立つ!たしかに最初の3枚のストラングラーズのアルバム、RattusからBlack and Whiteまでは、彼ら自身の中にあったストーリーであるが、The Raven以後はそのストーリーは完全に新しい方向へと舵をとっていた。しかしもう1つの説がニック・ケントと当時の多くの音楽ジャーナリストたちによって唱えられている。それは彼らのレコード会社が彼らの様々なライヴをレコーディングするために支払った費用を、ザ・ストラングラーズがライヴ・アルバムをリリースすることで相殺しようとしたことだ。

いずれにせよ、Live x-certは当時この種のアルバムが、チャートのトップに立つ時代の1枚であることを意味していた。実際、レーベル仲間であるドクター・フィールグッドは、1976年にライヴ・アルバムをナンバー・ワンにしていた(訳注:アルバム‘Stupidity’)。またピーター・フランプトンFrampton Comes Aliveで、シン・リジィLive and Dangerousですでにライヴ・アルバムがスタジオ・アルバムより多く売れることを立証していた。ともあれ、一定のファンたちは自分たちのお気に入りナンバーをライヴ・ヴァージョンで聴く方を好んでいたことが、70年代から80年初頭にかけてブートレグの巨大なセールスを導いていたのだ。

Live X-certは2つのギグから構成されている。1つが聖年にロンドンのザ・レインボウ(シアター)で行なわれたショー、もう1つがあの悪名高いバタシー・パーク(ロンドン南西)でのギグだ。グループはNice ‘n Sleazy演奏中に、たくさんのストリッパーたちをステージで踊らせ、うち何人かは15分間の名誉と引き換えにその後逮捕されてしまった。2つのショーは見事なオーディオ的統一が図られ、オリジナルのLP盤では11曲が収められた。今回のヴァージョンで我々は7曲のボーナス・トラックを追加した(うち2曲はEMIにより1988年以来、様々なリイシューで収録されてきた)。2曲のうちの1曲であるPeasant In The Big ShittyRattusの初回版に付いていたフリー・シングル、もう1曲のIn The Shadowsは、元々4曲入りEPDon’t Bring Harryの中に入っていた。加えてさらにアビー・ロードのテープ保管室から5曲を、当時のオリジナル・マスターを元に追加した。このことはLive X-certをさらに大きな体験として描いて見せてくれることになった。そして私の23年間におあつらえ向きの真にクラシックと呼ぶに相応しいライヴ・アルバムであり続けることになった。

Alan Parker(the Gimmick) Lost on Planet Maida Vale June 2001



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