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The Stranglers/Black And White/2001 EMI Records Ltd. TOCP-53276



ストラングラーズが3枚目のスタジオ・アルバムを発表するまでに、彼らはすでにロック界のトップ・レベルに達していた。ユナイテッド・アーチスツからリリースされた前の2枚―Rattus Norvegicus – Stranglers No More Heroesはブリティッシュ・パンク・ムーヴメントの中で、黒服のワルの一団としての彼らを存分に見せつけていた。しかしこのアルバムはパンク・サウンドから大きく離れ、さらに新しいヴィジョンに向かって大きな一歩を踏み出すきっかけとなった。初期のグループの友人でコメディアンJohnny Rubbishとしての名を持つJohn Gatwardは回想している。“最初に彼らと会った時、彼らはオレが会ってきた中で最もありきたりなスターだったね。彼らはすごく愛想がよかったし、‘オレたちゃ普通だよ。パブで一杯やろうじゃないか’って感じだった。Black and Whiteが出た後に全てがシリアスになり始めたんだ。初めの頃、パーティーでの彼らはでかいガキのようだった。”

事実上、サード・アルバムのリリースからザ・ストラングラーズは元々の目標を超えて先を想い描き始め、スタジアムへと向かって行った。Black and Whiteのスリーヴのための写真撮影の時だ。今やRuan O’Lochainnによって撮影されたロック写真の古典の1枚となったが、ジェット(ドラマー)は極めてひどい二日酔いで、そこにいた彼ははっきりいってゾンビ状態だった(歩く死人)!しかしニュー・アルバムのための1ヶ月間のプロモーション・ツアーの最初は、写真撮影のみだった。どこかの誰かがBlack and Whiteを売るための戦略を十分に練ることを怠ってしまった。その始まりがアイスランドに酒を持ち込みプレスを全て集め、72時間飲み続けるものだった。アイスランドなどというばかな考えはそうすぐに思いつくものではない。はっきりいって商業的観点から見れば音楽産業の中心地どころではないし、アイスランドで大ヒットを飛ばそうが第二のビートルズになれるわけではない。しかし地球上の国の中で唯一アイスランドが主張できるのは、国が自分自身の力で再生できるということだ(訳注:2009年現在アイスランドは破綻し、そういう国ではなくなった)!アルバム・リリース時、アイスランド出身の唯一のカルト的人物はマグナス・マグナスンだけだった(英国のアイスランド系タレント・著述家・テレビ司会者)。

ザ・ストラングラーズによる1978年のメーデーでのそのあまりに長いパーティーでは、3日間飲み続け、浮かれ騒ぎ、プレスをめちゃくちゃにしてしまった。事実、彼らはこうやってその時最高の仕事をしてきたが、ある者にとっては浮かれ騒ぐことにほとんど何も根拠などなかった。めちゃめちゃになったかわいそうなある者は、レイキャビクで確かにジャーナリストとしてのキャリアを終えることになってしまった。その旅は写真撮影(ストラングラーズは今にも爆発しそうな脅威を与え続けていた)、プレスの呼び出し、酒盛り、酒盛り、あるいはさらなる酒盛りで成り立ち、彼らが市の高官と会った時、ついにはライヴをもくろむほどだった。

プロモーション・ギグはレイキャビクのエキシビション・センターで行なわれたが、そこに集まったのは大人の全人口の3パーセントほどだった。ジェットはかなり強いビールがそこいら中に充満していたことを覚えている。“16か17のガキのうち何人かは少なくともそれぞれスピリットのボトルを1本持ってきていた。オレたちがギグを始めると、こいつらは本当にオレたちに会って喜んでいると思ったね。すごく盛り上がったんだが、最後には戦争状態になってしまった。奴らは互いの頭でボトルを叩き割り始めやがったんだ!”

全くの惨たんたる光景を経て、ストラングラーズは責任を負うべきだったと考えていたが、あの凄まじい一団が毎晩やって来るという知らせが飛び込んできた!アイスランド滞在中には、グループと数少ない親しいジャーナリストとの間にいい関係が築かれることにもなった。JJバーネル(ベーシスト)は回想する。“たくさんの奴らに仕返しするいいチャンスだったね。オレはTim Lottがヒューに嫌な思いをさせたことを覚えている。そこでヒューはオレたちが開いたレセプションに集まったジャーナリストの前で、そいつに恥をかかせてやったんだ(私は外に出ていてその光景を見逃してしまった)。それからオレたちは乗馬をやった時に、一人のジャーナリストの鞍のひもを緩めておいたんだ。すると奴は落っこちて怪我しやがったぜ。もう一人のジャーナリストは間欠泉(温泉)の中に落っこちていった―不思議な手がどこからか現れて奴を押したんだ。”

Black and Whiteはしかし、素晴らしい新曲群のための発射台となっていた。優れたシングルNice ‘N Sleazyを含み、それはバカラック/デヴィッドWalk On Byの見事なカヴァー・ヴァージョンに先がけてリリースされた。スリーヴはアルバム・カヴァーの秀逸なパロディが採用され、初回プレスのLPにはこの7インチ・シングルのホワイト・ヴィニール盤がおまけとして付いていた。一方アルバムは限定で白と黒のマーブル状になった盤がプレスされた。

一人のうぬぼれたジャーナリストが空港に戻るバスの中で、JJバーネルにビールの早飲み競争を挑んだ。当時のJJの酒の摂取量によって(女主人の匂いを嗅ぎつけると彼は一目散に破滅の道へ走り、それはいつも誰かの涙を導くことになった)、この挑戦はとても勝ち目のない様相を帯びてきた。JJは彼に先に飲むように言うと、彼を押さえつけ彼の喉にVat69のボトル1本分を流し込んだ。

Alan Edwardsは回想する。“やつはろくでなしだったよ。馬鹿の上流階級だ。やつは片めがねか何かを持っていたと思う。とにかくやつはパンクスには負けないと思っていた。‘オレはパンクスなんて飲み負かしてやるぜ!’っていってたな。それでJJは彼にレッスンしてやったんだ。” 先述の事件のあと一台の車椅子が用意されたが、そのジャーナリストはパスポートを失くしたために飛行機に乗ることができなかった(たしかに彼のスーツケースにあったはずなのにだ)。3日後、イングランドに戻ると、ゲロがまき散らされる前のグループが撮った写真は1枚もなかった。車椅子はフォト・セッションのために半分に折りたたまれていた。

Ian Grant(元ストラングラーズのマネージャー)は後日談を取り上げている。“オレとAlan(Edwards)はそのあとブライトン・ビーチで彼がふらふらと歩いているのを見たんだ。彼はあの事件のあと職を失っていた。ブライトン・ビーチをのろのろと歩いているだけだったね。オレたちはさすがに罪悪感を持ったね!”

この頃のJJは危険人物だった。彼の暴力行為はすでに語り草になっていた。Jon Savageはアルバムに対し、星3つのレビューを載せたというだけで彼らに襲撃を受け、それはSavageがパンクのエキスパートとして復活した時に必ずストラングラーズの亡霊がつきまとうことになり、いつもテレビ、ラジオ、雑誌に招かれ、伝説の人物として扱われることになった。ザ・ストラングラーズは他のほとんどのパンク・バンドよりも多くのレコードを売っていたのにもかかわらず、そのことが記事になっても姿を現すことはなかった。ある一人のファンはサインを求めただけで空手キックを見舞われた(訳注:JJバーネルは空手の師範となっている)(ついでというわけではないが、シングル5 Minutesを買った若きマスター、Nick Reynoldsはそのシングルにはピクチャー・スリーヴは付いていないと知らされていたが、それをグループの出版社に送って新しく1枚を入手してしまった。それはJJが丁寧な援助を差し伸べ、彼に完品をプレゼントしたものだった。まあ、話はそれるが)。The Paradisoの楽屋でぐでんぐでんになった彼は、ギグにいた不快な者たちを散々殴りつけ、グラスゴーの楽屋ではジャーナリストのMike Nicholasの頭にワインのボトル1本のゲロをぶちまけた。こういった事件はあげればきりがない・・・ JJとヒュー、そして今や二人ほどではないにしてもデイヴまでもが楽屋で繰り広げられるいじめや騒ぎに加わるようになった。のちにストラングラーズを取り巻くことになる狂気、騒動はこのアルバムのリリースから現れるようになった。

このBlack And Whiteのニュー・ヴァージョンで我々は6曲のボーナス・トラックを追加した。うち2曲は1988年にアルバムがリイシューされて以来、様々なCDに収録されてきた。それはWalk On By(もう一度ここに収められるべきシングルに違いない)とMean To Meだ。それ以外に我々はTitsを収録した。これはアルバムの初回プレスにおまけとして付いていたホワイト・ヴィニール盤シングルのB面だった(前述のMean To Meも同様)。Shut Upは我々のお気に入りでこのコレクションにピッタリだ。Sverigeはスペイン語ヴァージョンのSwedenだ(ドイツ語で再レコーディングしたビートルズの2曲が上出来だとすれば、これは全く味な作品だ)。Old CodgerのヴォーカルはGeorge Mellyで、彼はストラングラーズのシングルのジャケットにも登場していた。これは全く見事なコラボレーションであり、事実、私の親父(生涯ジャズ・ファン)は純粋にこの強力な出来に感動して私にシングルを買ってくれた。素晴らしい1曲だ。JJ、ヒュー、デイヴそしてジェットのちょっとしたアイデアは完璧にうまくいったと私は思っている。

ザ・ストラングラーズは私がライヴを見た中で、そしてまさに最初期に私の世界に飛び込んできた最初の本物のパンク・バンドだった。その時以来(そしてバンドの頑固なファンでさえこれには感心するが)、2つのギグを除いて私は一つのUKツアーも見逃したことがない。本当にたくさんのライヴがあったことは認めてくれると思う。しかしもっと重要なことは、オリジナル・ラインナップによるBlack And Whiteが私のフェイヴァリット・アルバムだということだ。そう、これは確かに名誉なことである・・・ ストラングラーズの全行程は今や伝説となった。あとは時が証明するように、アルバム制作の歴史であった。さしあたり、Black And Whiteは全く容易ならざるを得なかったのである・・・

Alan Parker(The Gimmick) Lost On Planet Maida Vale, June 2001


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