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Iggy And The Stooges/Raw Power/1997 Sony Music Entertainment Inc. SRCS 8320



なぜ今になって?

「オレが会うミュージシャンやファンたちは、いつもオレにこういい続けてきたんだ―‘リミックスしようと考えたことはないの?’ってね。オレは不満を持っていた。これがCD化された時の音は本当にひどくて、レコードとは比べもんにならないほどだったんだ。それを聴いて以来、オレの頭の中にいつも疑問があった。そしてオレはそこに低音とパワーが存在しないことに気づいた。オレはこのレコードを、今まで作られてきたどんな素晴らしいレコードよりもいいと思っていた」

「でもオレは変なまねはしたくなかったんだ。オレは過去に戻って自分自身の作品を掘り起こして、それに手を加えるって考えが嫌だった。オレはいつもそういうことは避けようとしてきた。なぜならもう済んだことだからさ!それはすでに現在ここにあるものなんだ!オレが形成外科に世話にならないのと同じ理由だ。オレの鼻は曲がっているがオレは自分の鼻が好きだし、自分の顔も好きなんだ。‘悪魔を追い出しちまうと天使まで去っちまう’ それがオレの信念さ」

「ある時、ヘンリー・ロリンズの奴らが、オリジナルのソニーのマスターが発見される前に存在したテープ・コピーを見つけた。まあ、オレはヘンリーがリミックスしたがっているのを聞いていたんだけど、すぐに忘れてしまった。そんな気分じゃなかったしね。それからオレはまたこういうことを聞いたんだ。‘ソニーはオレがいようといなかろうとやるつもりだ!’ってね(笑)。それが弾みになった。彼らはオレを呼んでオレは彼らの考えを気に入った。彼らはこういった。‘うん、君のやりたいようにやって全然かまわないよ’ってね。オレは実際たまらなく魅力的に思えたんだ」

「全てのメーターの針はレッド・ゾーンさ。まさにヴァイオレント・ミックスだ。本当のことをいえば、これは素晴らしいアルバムなんだが、その響きはもろくて壊れやすいものなんだ。バンドに関しちゃ、もろくもないし頑丈なんだけどね。このバンドは当時のどんなバンドも負かしちまったし、はっきりいってこのアルバムを手本にしたどんなバンドもやっつけちまうね。追従者たちをみな軽く平らげてしまうほどだ。聴いてみりゃ分かることだ」

ファン・ハウスのストゥージズ

ストゥージズは伝統的なロックンロール・バンドだったのか?

「当時の人々はそう思ってはいなかったな。なぜならオレたちはあまりにガレージ風だったから。ストゥージズはどんな社会構造にも当てはまらないような存在だった。オレたちはボールルームの人気者ほど甘ったるくもなかったし、でかい会場を埋めるほどコマーシャルでもなかった。ファースト・アルバム(The Stooges, 1969)でエレクトラ・レコーズは、大学生やローリング・ストーン誌を読むような人たちや、そこに書かれてあった流儀やなんかに興味を示す人々にオレたちを売り込もうと思っていた。でもそれはストゥージズにとっちゃ見当違いだったし、オレはそういった人たちがオレたちを受け入れないだろうってことは分かっていたんだ。オレは十分にあか抜けた嗜好を持っていたが、技術的にはすごくシンプルだったし、バンドの連中のスキルはオレ以上に乏しかったね。オレはそのことが不満を持った若者たちにとって、オレたちの‘魅力’だと思ったな」

「オレが大学でプレイして分かったことは、教授たちが持っているような知性とか創造性ってのは、学生たちが望んじゃいないってことだ。なぜなら彼らは精神性を重要視するか、まず第一に大学にいることを欲してないからだ。オレはドロップアウト組やドラッグ中毒者たち、そして単なるライフスタイルの一部としてではないほど音楽にのめり込んだ奴らのために、もっとプレイするつもりだったね。オレは本当に音楽漬けになった奴らが、オレたちのやっていることに興味を示すだろうってことが分かってた。それはエレクトラが把握していたような購買層じゃなかったんだ」

ザ・ストゥージズはデトロイトでなし遂げたMC5のような政治的表明は持っていなかったのか?

「エレクトラはMC5のことを漠然と何か社会に訴えかけられるようなバンドとして売り込めるんじゃないかと考えていたんだ。こういうことだ―‘ロックンロールとヤクをやりまくって国をぶっ壊しちまえって叫ぶ長髪のサックス吹き、ヤク常習者、気違いじみた前科者を手に入れて、そいつにバックバンドをつければ、ヤクの弊害について話をする大統領の横でニュースの一面に載ることができる。つまり同等の存在になれるはずだ。’ところが奴らは気づいた。‘イギー?何だこのイギーって奴は?’ってね」

「あの時、アメリカ史の中で重要な時代にさしかかっていた―ロックンロールは文字使用以前の音楽なんだ。そして60年代、ローリング・ストーン誌、ヤクがやって来た。ストゥージズが頭角を現した時のプレスを見れば分かるよ。最初ローリング・ストーン誌はオレたちに言及した時、その章の下の方にはこんな但し書きが付いていたんだ―‘このグループを取り上げたのは、ローリング・ストーン編集部側のグループ支持を意味するものではない。’」

「少しずつ明るみになっていったね。ほとんどの人々はストゥージズのソングライティングの質を認めちゃいなかった―本当はすごく繊細なんだ。オレは雑誌かなんかで知ったんだけど、唯一プロのミュージシャンの中でそれに気づいていたのが、デヴィッド・ボウイだった。彼はオレたちにすぐに反応して、音楽誌でオレたちのことをお気に入りとして取り上げたんだ。誰かがそれをオレに見せたがオレはこういった。‘いったい誰だ?聞いたこともないぜ彼のことなんか!’ってね。最初のストゥージズのアルバムが出た時に、ローリング・ストーン誌でレビューしたのはレニー・ケイ(訳注:のちのパティ・スミス・グループのギタリスト)だったと思うけど、その時に初めて‘パンク’って言葉が使われたと思う。そこから始まったと思うね。別の言い方をすると、‘バーガー屋をうろつくチンピラ(パンク)たちの音楽’だって。オレは自然食信奉者だったから怒り狂ったね(笑)。でも彼は分かってたんだ―オレはバーガー的精神を持った自然食主義者だって」

「1970年にFun Houseを出した時、エレクトラは‘何だこれは?!このバンドはくだらん!’といった(笑)。それに比べりゃ、ファースト・アルバムはちょっとポップだったんだ。曲の構成もしっかりあったし。‘No Fun’、‘I Wanna Be Your Dog’、‘1969’みたいな曲は少なくともわずかに受け入れられたんだ。好き嫌いはあるだろうが、少なくともそれは分かるだろう?‘まあ、2つか3つのコードのつまらん歌が1曲入っているが、これはヤクのことを歌ってるんだ。’ってことさ。でもFun Houseはジャズやファンクみたいなもっと音楽的なアルバムだったんだ―オレはファンクやジャズをずっと聴いていたからそれが反映されたのさ」

実はあなたが最初の2枚をプロデュースしたというのは本当?

「最初の2枚のプロデューサーは、The Stoogesではジョン・ケイル、Fun Houseではドン・ギャラッチだったけど、彼らは本当にプロデュースしたよ―つまり自分たちは君たちの仲間だっていう雰囲気を作り出して、オレに寛大に自由放任主義の立場をとったんだ。でも彼らは音楽的には全く影響を及ぼすことはなかったから、そういう意味では2枚ともオレのレコードだな。他のプロデューサーはオレがスタジオに入るのをビビッてたね。最初のレコードでそうだったんだけど、たまに彼らは違うやり方をオレに提案するんだが、いざ本番になるとオレは完全に自分の世界に入ってやりたいようにやってしまうんだ」

「エレクトラはFun Houseのあと、ストゥージズをお払い箱にした。何が起こったかっていうと、彼らはサード・アルバムを作れるかどうか見極めるためにデトロイトにやって来たんだ。ギャラッチ、ビル・ハーヴィー、ジャック・ホルツマンはオレたちのデトロイトのリハーサル・スタジオにやって来た。そこで彼らが聴いたのがRaw Power初期のバンドの音だった。だがそれはRaw Powerのサウンドとはとてもいえないものだった。当時出回っていた数種類のブートレグに入っていた‘I Got A Right’とか‘Fresh Rag’に、より近かったね。あのブートレグの数々は実際Raw Powerへ移行する過渡期のサウンドだ」

「それで彼らはジェームズ・ウィリアムソン、ロン・アシュトン、スコット・アシュトンそしてオレのバンドを聴いて、その音楽にもバンドにも馴染まなかったんだ。当時オレたちはすごくワイルドで荒くれたライフスタイルだったから、彼らはそれにも馴染まなかった。‘分かった、私たちには用無しだ!’ってね。そんなわけで彼らはFun Houseのことも気に入らなかったから、オレたちをクビにしたってわけさ。ホルツマンは気前良く別れの品としてニコンのカメラをくれたよ。そしてオレは立ち去ったんだ」

野蛮なならず者

あなたはあの時点でストゥージズを解散させたけど、すぐには町を出て行かなかったよね?

「何人かのメンバーは怒り狂ったね。アシュトン兄弟はギグを続けたがってたから、オレに不満をぶちまけたよ。それで彼らは‘イギー・コンテスト’と銘打ってギグをやった(笑)。彼らは第2のイギーのためにオーディエンスから志願者を募ったんだ!(笑)うさんくさい奴らが次々とステージに上がってきては、目も当てられないようなパフォーマンスを繰り広げた(笑)。うまくいくはずもなかったね。なぜなら奴らはオレ抜きじゃ水槽の手入れもできないような連中だったからな」

「俺はしばらく体を休めてから、再びいっしょに何かを始めようと思ったんだ。オレはウィリアムソンを中心にバンドを作りたくて、デトロイトで彼のところへ何度も足を運ぶようになった。ある日の午後、オレはウィリアムソンの母親の家で‘Penetration’を書き上げた。あのリフとヴォーカルからオレは思い描くことができた―‘OK、これだ、このサウンドを続ければいいんだ!’ってね。オレはアルバムの残りは直感的にどうなるか分かったよ。‘この歌はこう歌って、あの歌はああ歌って’ってね。オレは再び仲間と協力すべき時が来たと考えた」

あなたはどうやってニューヨークにたどり着いたの?

「アメリカ人で、ジョニー・ウィンターやリック・デリンジャーやなんかの興行主だったスティーヴ・ポールのおかげさ。スティーヴはダニー・フィールズの友人で、ダニーはエレクトラの広報部のボスだった時にストゥージズを発見したんだ。スティーヴは漠然と興味を持っていて、オレにニューヨーク行きの切符をくれた―誰もこのぞっとするようなバンドのことは知りたいとは思っていなかったが、人々はオレに関心を持っていたんだ。彼はオレが何か興味深くてカリスマ的なものを持っていると考えていた―具体的にはいえないが、何か発掘されるべき新しいものを持っているようなね。必要なのはオレに‘本物の’ミュージシャンたちをつけることだった。彼はもしオレがリック・デリンジャーといっしょに組むなら、オレと契約したいと考えていた。当時リックはマッコイズのメンバーだったんだが、鳴かず飛ばずだった。リックはスティーヴのところの一団の中では基本的にバンドのフロントマンとして働いていた」

「オレはリックみたいなことをやろうとは思わなかったけど、リックと何回かミーティングした時には少なくとも礼儀正しかったし、彼のことを軽蔑するような態度はとらなかったぜ。オレは1人の人間としてリックのことが好きだったし、ミュージシャンとしての彼を尊敬していたね。これがフェアってもんだろ?オレたちは彼の家で話したんだけど、オレは単刀直入に相性が合わないってことを告げたんだ。彼は1人の素晴らしいミュージシャンだが、彼のヴィジョンはオレのヴィジョンとは相容れなかったんだ。で、オレは断ったのさ」

どういう経緯でデヴィッド・ボウイとトニー・デフリーズにかかわるようになったの?

「オレはストゥージズはデトロイトでそれ以上大きくならないだろうって思った。オレたちはデトロイトのバンドとして出来うる限りのことはやったし、それを達成して解散したんだ。もしオレたちがまたデトロイトで集まって、そこを拠点に何かを始めたとしても、人々はついて来なかっただろう。オレたちの勢いはなくなってたしな。オレは全国的、可能なら世界へ打って出るべきだと感じていた。そこへトニー・デフリーズがやって来たんだ。オレがスティーヴ・ポールのおごりでニューヨークのダニー・フィールズのソファに寝ていた時に、デフリーズがボウイといっしょに町にやって来たんだ。彼らはアメリカ人の過激な人材を探していた。オレはその連中にぴったりの候補だったんだ」

「ボウイはオレのことを知っていて、オレは自分がたまたま町にいた偶然を喜んだね。こりゃイカれた偶然だ!ってね(笑)。オレはたまたま町にいて、フィールズはたまたまマックス・カンザス・シティの楽屋のいつもの彼の居場所にいた。そこにはボウイと彼の仲間たちもちゃんといたんだ。フィールズはオレに電話をかけてきてこういった。‘こっちへ来るんだ。いいことがあるぞ!’ しかしオレはこういった。‘ああ、今“Mr. Smith Goes To Washington”を観てるんだ。今ジミー・スチュワートが真剣勝負中だから、テレビに釘付けになってる。’ 実際オレはジミー・スチュワートが堕落した悪者たちと戦っているシーンなんかで感激していて、その場を離れられなかったんだ。フィールズは約1時間半後にまた電話をかけてきてこういった。‘早く来い!ちくしょうめ!’ オレはいった。‘映画が終わってからだ!’(笑) オレは映画が終わってから向かったんだが、連中はまだそこにいたよ」

「オレは連中と話して、すぐさまボウイとデフリーズは変人だと悟ったね。スティーヴはずる賢い奴だった。彼は最初、Popular Mechanics紙の裏ページを通じて、玉を抜いた鳥を売る商売を始めたんだけど、まだ十分に現実的な奴だったね。狡猾者らしく‘さっさとひと儲けしようぜ’なんていってた。だがボウイとデフリーズは英国のミュージック・ホールやヴォードヴィルの雰囲気を強く持っていた。オレはいつも何かでかいことをしでかす騒がしい連中には鼻が利くんだ。オレはそれを感じたから‘やろう!’っていった。直感が働いたんだ。オレは直ちにこれはモノになると思ったね」

「デヴィッドは手抜かりなくこう提案した。‘よし、君たちは僕たちに任せてくれ。グレイトなアイデアがある。実はイングランドには素晴らしいバンドがいるんだ。エドガー・ブロートンのいるWorld War 3だけど、彼らのことを聞いたことがあるかい?彼らはイングランドの中じゃ、すごくでかい音を出すバンドだから、君のバック・バンドにぴったりなんだ。’ ボウイとデフリーズは今までのキャリアを通じて、すごくポップな思考力を持っていた。‘君はバンドを率いるんだ。僕たちは30分と経たないうちにやり遂げちまうかもな!’ってな。もちろん曲を書くのはオレじゃなかったんだ!」

「しかし彼らのことを正当に評価すれば、ボウイもデフリーズも全てのMainManマネージメントの連中もみな失業中の俳優みたいなもんだったんだ―アートに対する確かな眼を持ったね。それはボウイにとってもデフリーズにとっても長期化していった。デフリーズがボウイと契約したのは何の問題もなかったし、その次はオレ、その次はメレンキャンプと契約を交わした。オレがデフリーズに人生と舞台と音楽についての自分の理想とイカれた考えを話すと、彼はちゃんと聞いてくれたね。彼は好意を持ってくれたし、尊重しようと努めてくれた」

「ボウイはオレのレコードを聴いていたが、彼は知性があってフレンドリーで礼儀正しくてスマートだった。オレにはそれが分かったし、‘こいつはかなりクールだ’と思った。話のできる奴だと思ったね。デフリーズはキャラの立つ変わり者だと思った。オレはみな彼に魅せられるんだと思ったね。彼はでかい葉巻を吸っていた。でかいとんがった鼻にでかいアフロに顔はおつにすました感じで、しゃべる言葉はイングリッシュ・アクセントだ。それにでかい毛皮のコートにでかい腹だ!(笑) アメリカの音楽界を動かす連中にとっちゃ、それは‘やり手マネージャー’を意味するんだ!彼はヴィジョンを持っていたし、それはうまくいったし、よく売れたね」

「オレがやりたかったのは、彼らのおごりでストゥージズを再編することだったんだ!(笑) しかしオレはまだそのことは彼らにいいたくはなかった。オレはこう考えた―オレが足がかりを得られるかどうか彼らは見極めているんだとね。そしてオレはストゥージズを再編するために自分の計画を実行に移していった―彼らに感づかれないようにね。それが事の経緯さ。その翌朝、彼らはオレと契約を結んだ」

赤ゲット旅行記

あなたはその時すぐにイングランドには行かなかったよね?

「彼らはまずオレをデトロイトにやった。なぜかっていうと、オレがイングランドのバンドをすぐに受け入れなかったからさ。オレは彼らにオレといっしょに連れて行ってほしい男が1人いると告げた―ウィリアムソンだった。それがオレの魂胆だったのさ。これが彼らがオレをデトロイトに向かわせた理由だ。デフリーズはいったね。‘え?君は2人一組ってことをいっているのか?’ってね。よし!もうひと仕事だって思った。オレはいった。‘そう、オレたちは2人で1人なんだ。’ それで彼らはイングランドに向かうためにウィリアムソンをオレに連れてこさせたんだ」

どうやってストゥージズ再編にもっていったの?

「オレたちはしばらくの間、これといって何もせずに新しい環境に慣れていった。それからイギリス人のリズム・セクションを使ったらどうかって案が浮上した。例えばボウイのスパイダーズ・フロム・バーズの連中とか、ピンク・フェアリーズで叩いていたトゥインクとかね。あとモット・ザ・フープルのオヴェレンド・ワッツとかね。だがみんなオレたちが考えていたようなアグレッシヴなミュージシャンではなかった。それでウィリアムソンがこういった。‘スコッティ・アシュトンを連れてこよう。彼はパワフルで凶暴なドラマーだよ。あんな奴は他にいないって。’ オレは考えた。‘もしオレたちがスコッティを連れてきたら、奴はおんなじようにとんでもない兄のロンも連れて来て厄介なことになるぞ!’ってね」

「ある日、久しぶりにボウイがやって来てこういった。‘ねえ、僕にレコードをプロデュースしてほしいかい?’ オレはいった。‘ありがとう、でもいいよ。やりたいことがあるんだ。’ 話はそれでおしまいだった。プレッシャーみたいなのは全くなかったね。オレは自分の思い通りにイングランドにやって来てバンドを作って拠点を持ち、デモを作り始めたんだ。たくさん練習したね。ブートレグに入ってるやつでその時期の音楽性が分かると思う。‘I Got A Right’、‘I’m Sick Of You’、‘Scene Of The Crime’、‘That Pants’はRaw Powerの‘Shake Appeal’よりも前の段階のナンバーなんだ」

「数ヶ月後のセッションでは‘Search And Destroy’の初期ヴァージョンが生まれた。それはR.G. Jones At Wimbledonていう8トラックで録られたセッションだった。オレたちはデフリーズのために、自分たちのやりたいようにデモを作った。デモを聞いた彼は完全に取り乱してしまった。‘こんなものを作れなんていった覚えはないぞ!こんなの音楽じゃない!あーどうしよう!’ってな。彼の耳には前のストゥージズよりもさらにひどいサウンドに聞こえたんだ。彼はどうしたらいいのか分からなかったようだった。ボウイはモット・ザ・フープルのアルバム、All The Young Dudesのプロデューサーとして大成功していた。多分自分たちは機会を逃してしまったんだとオレは思っていた。彼はオレたちのためにビッグ・ヒット・ソングを書いていたかもしれなかった。それでもオレたちは自分たちの曲を書けたし、それは確固たるサウンドを持っていたんだ。素晴らしいサウンドをね。オレはデフリーズがデヴィッドに‘この男とどうやって働けばいいんだ?’って聞いていたと思う。多分デヴィッドは彼にこういったんだ。‘聴いてりゃいいんだよ。ベストなのは奴の好きなようにやらせることさ。そうすりゃ万事うまくいくさ。’ってね」

この時期にメインマンとの関係がこじれたのはなぜ?

「それが今日に至るまで分からないんだ。オレはなぜオレたちがツアーすることを許されなかったのか、全く理解できないね。デフリーズはこういった。‘君らには需要がないからさ。’ しかし彼がボウイとモット・ザ・フープルのツアーを始めた時、オレは彼らのオープニング・ギグに足を運んだんだけど、そこには100人ちょっとくらいしかいなかった。ボウイたちはいっしょになって宣伝していたね。デフリーズはCBSレコーズから、オレの雇用のために100,000ドルを受け取っていた。それはプロダクション会社としてのメインマンに支払うべき金だった。オレは雇用契約を結んでいて、それにビタ一文触れる権利は持っちゃいなかった。1972年当時としちゃ、とてつもない大金だった。デフリーズは漁夫の利を得ていたってわけさ。ボウイは彼にこう尋ねたはずだ。‘ところでオレの金はどこ?’ そしてデフリーズはこういう。‘ああ、イギーが歯医者に行くのに必要だったんだ。’ そしてボウイはカッとなっちまう。そのうちオレも‘オレの金はどこにあるんだ?’って思う。そしてオレはツアー中のボウイとモット・ザ・フープルに会いに行くと、彼らがツアーで全く金を稼いでないのを知るんだ。それからオレはメインマンのオフィスで5〜6人の従業員を発見した。‘ああ、オレの金はここに回っていたのか。’ってね(笑)。事態は袋小路にはまっていたね」

「それからオレたちはスタジオに入ってレコードを作った。どえらく厄介なレコードだった。オレはデフリーズが一度たりともスタジオに訪ねて来たことは覚えてないし、メインマンの人間に関してもそうだ。全てオレたち自身でやり遂げたんだ。10日か12日で完成させたね。ボウイもスタジオには来なかったし、誰も一切かかわってはいなかったよ。あの時期の気分はこんな感じだ。‘よし、オレたちには災難が降りかかったが、奴らの好きなようにやらせておこう’、‘奴らとの関係なんて知ったこっちゃないね’ってね」

裸のヴォーカルと剣の闘い

セッションはメインマン不在によって全く被害を受けなかったように思えるけど

「なぜ彼らがあそこにいなかったかって?はっきりいってどっちみちオレはいてほしくなかったのさ。オレは自分に集中したかったんだ―オレたちはあそこで裸でヴォーカルを録っていたんだ。いろんな意味でね!(笑) でもオレは自分のやっていることだけに集中していた。スタジオにはガールフレンドやヤクの売人も来なかったし、芝居じみたことや感情の起伏も存在しなかったね。困った習慣はあった。ドラッグ使用だ。それからベルモット(白ぶどう酒)もね。オレは当時、自分の声を高く保つためにそれを飲んでいたし、2〜3本のたばこも吸っていた。ベルモットはのどによく効くんだ。しかしそれからオレはベルモットもたばこもほとんどやらなくなったね」

セッション中にあなたが直面した最大の技術的問題は?

「このレコードを聴けば、そのサウンドは新鮮に感じられるだろう。ヴォーカルは最高の出来だ。オレは1人のシンガーとして仕事をしたから、メンバーはオレのヴォーカルを注意深く理解してレコーディングしたんだ。的外れな箇所なんてどこにも存在しないね。ただ唯一、オレがこのレコードで問題ありだと感じているのがベース・サウンドだ。オレはいく分気配りに欠けていたか、あるいはレコーディングの仕方なのかもしれない。しかしロンのプレイに関する限りでは、全くグレイトなのは間違いないぜ!仕方がなかったんだ―彼はドラマーの弟と互角に渡り合った。彼らの絡み合いなしには、このどえらいサウンドはあり得ないんだ。だがオレはもっといいサウンドになったと思うね」

限界を超えてしまってから自分を抑えなければならなくなったことはある?

「もちろん。オレは‘Search And Destroy’のレコーディングで8人の野郎たちと剣を持って闘ったんだ。オリジナル・ミックスを聞いてもそれは分かるだろう。基本ラインのタムタム・ドラムの背後には、猛烈なノイズを作り出すおかしなメタル・サウンドが聞こえる。オレは剣の闘いとブーツを踏み鳴らす音がほしかったんだ。オレが本当にほしかったのは、特別な訓練を受けた行進部隊とストンプ・サウンドさ!素晴らしいサウンドだったが、オレはこれをうまくまとめることができなかった。オレはいったね。‘ちくしょう!自分たちだけでやらなきゃいけないのか!’ってね。そこでオレたちはアンティーク・ショップで何本か古いサーベル(軍刀)を手に入れて、剣の闘いをやったんだ。オレたちが新しいミックスを作ったことを考えれば、あるいは不必要なプロダクションだったのかもしれない」

「例えば‘Penetration’にはチェレスタが使われているが、そういう雰囲気のことさ。ブラック・サバスはいいバンドだが、彼らがああいったチェレスタのサウンドを使うことは想像できないだろう?それが当時のオレたちの図った差別化であり、オレのコンセプトだったんだ」

曲については?

「‘Search And Destroy’のタイトルはタイム誌に載っていたヴェトナム戦争についてのコラムの見出しからつけた。オレは教養あるメリーイングランドのある夏の日に、ケンジントン宮殿にあるケンジントン・ガーデンのでかいオークの木の下で、チャイニーズ・ロックス(香港から輸入される結晶状のヘロイン)を鼻から吸いながら、それを読んでいた。オレはよく晴れた日にそのオークの木の下に行って曲を書いていた。チーターのレザー・ジャケットにレザーのパンツをはいてサングラスをかけてね。いったんタイトルを思いつけば、すぐに書き上げてしまったな。ほとんどのヴォーカルはワン・テイクで、オレの能力は最大限に発揮されていた。ウィリアムソンはあのR.G. Jonesの8トラックでリフを弾いたが、彼はプレイし始めると、笑いながら‘東洋人をぶっ殺せ’なんていってた。オレは‘ヤクを打つんだ、ヘドが出るぜ!’っていった。実際東洋人とは何の関係もなかったんだ!(笑) ザ・ストゥージズはマジでひどい連中で、奴らはオレなんかよりずっと政治的に間違ってたし、完全にアメリカのアーチー・バンカー(頑固で保守的なブルーカラー)だったね。奴らはみんな本当のろくでなしだった」

「‘Gimme Danger’はオレがこの時ヘロインを断つと誓っていたことを表している。なぜならオレはもし自分が本当にグレイトなアルバムを創り出さなければ、ヘロインがオレの音楽にどんどん入りこんでくると考えたからだ。そう、ヘロインは邪魔なもので、オレはそれに反対の立場をとるようになっていたんだ。オレが本当に関心をもっていた事がオレに害をもたらすことになった。オレはそういうことについてこの曲を書いた。だが次にやって来た奴は、またしてもオレに問題を持ち込みやがった!・・・」

「‘Your Pretty Face Is Going To Hell’はオレが彼女に言った決めゼリフだ。‘君は美しいが、ちょっと待てよ。君はずっとその武器を持つことはできないんだぜ!’それは20代半ばの男にとっちゃ、なかなか洞察力のある考えだ。なぜならその年代のほとんどの男たちは、そんなことを考えないからさ。彼らは若さと美は永遠のものだと考える。しかしオレは違った。‘いや、待てよ。彼女は10年間その美を保てないだろう。それってどういうことかって?ハッハッハ!そんな思い上がった曲をさえずってんじゃねぇ、メス犬め!’ってことさ。彼女はいい女じゃなかったな」

「‘Penetration’にはウィリアム・バロウズを思わせる‘爆発したチケット’とか‘ソフト・マシン’といった詞が出てくると思う。もちろんオレの頭に浮かんだことばには、いろんな意味があるんだ。これはオレたちのオリジナルのリフで、ウィリアムソンが創り上げた最初のものだ。‘Your Pretty Face’はストーンズを、より最新型にしたウィリアムソンのオリジナルだ。キース・リチャーズ風だがもっと先進的でファンキーじゃなくて、リフがすごく複雑なんだ。ほとんどブレイクみたいなのはなくて、かなり入り組んでいる」

「‘Raw Power’は基本に戻った真のロックだ。オレたちが書いた‘Gimme Danger’、‘I Need Somebody’もそうだと思うが、多くのナンバーはリハーサル中にできた。ギタリストといっしょにスタジオで4時間過ごせば何か思いつくもんだろ?普通はウィリアムソンが最初のリフを思いついて、オレがそのリフから最初のヴォーカル・ラインを思いつくんだ。そしてオレは彼のプレイに熱気が帯びてくるのを感じる。オレはすぐにメロディを思いついて彼に提案する。‘ちょっと待った、聞いてくれ、こうしよう。’ってね。すると彼はそのとおりにやる。オレは、‘もう1つのパートができたらやってみてくれ’っていうんだ。そして彼が新しいパートをプレイするとオレはこういう。‘OK、グレイト、そうしよう。これがパートAで、そこからパートBに行く。まだCには行かなくてAに戻る。それからBを2回やってCに行くんだ’ってね。オレたちはそうやって曲を組み立てていった。オレはギタリストやピアニストといっしょにそうやって働いてきた。基本的にオレが好むことを彼らがプレイして、オレがそれを聞いて構成を固めていくんだ。そうやって曲が出来上がっていたね」

「‘I Need Somebody’―オレはスローなブルースを求めていた。これと‘Gimme Danger’は、‘レコード1枚に2曲のバラッド’っていう伝統的なパターンなんだ。もちろん当時はレコードだから、サイド1とサイド2があった。それぞれのサイドには1曲ずつスローなやつがなきゃいけなかった。‘Gimme Danger’と同じように、ウィリアムソンは少しのイントロと4つのコードを使った。それから彼はリフを思いついたからオレはこういった。‘変化をつけるために4つのコードをそれぞれ倍の長さにしよう。’そしてオレたちはある地点に達した。オレはいった。‘よし、真ん中にブレイクを入れよう、やってみてくれ。’それから違ったアウトロが必要になったから、全く違う曲になったってわけ」

「‘Shake Appeal’は説明するまでもないだろ?これはいつもオレにとっちゃ魅力的なナンバーなんだ。なぜならオレはいつも、ブリティッシュ・インヴェイジョンが始まった1962年以降の途方もない数のロックンロールに、とてつもなくうんざりしていたからだ。あれは気を滅入らせるものだ。高揚させてはくれないね。オレは改造自動車みたいな‘叫び’がないとダメなんだ!ジェリー・リー・ルイスとかリンク・レイとかリトル・リチャードみたいなね。ゲイリーUSボンズとかオーロンズとかな。イエー!ここでやっちまおうぜ!みたいなさ。今じゃクソみたいな扱われ方しかされないようなカンニバル&ザ・ヘッドハンターズみたいなのがオレに火をつけるんだ。突然何もかもが学者的になっちまった。それが本当にアカデミックなものなら素晴らしいさ。だが偽のアカデミックはダメだね」

「大衆と業界が求めるあらゆる種類の音楽としての今のロックンロールってのは、過去に大衆がすでに手に入れてしまったものなんだ。今の音楽はそのロック・ミュージックを土台として積み上げられたものだ。しかしそれを維持することはできないだろう。なぜなら、その積み上げられたものは崩れつつあるからだ。今のように産業がでかくなればなるほど、人々に本当の娯楽を与えることはできなくなる。オレは本当に何かをしたい人々ってのは、そんなにいないと思う。たいていの人々は見たいものをちょこっと出て行って見てしまえば、あとはうちへ帰るだけさ。それでおしまいだ」

「‘Death Trip’―これをアルバムの最後にもってきた理由は、オレがここで起こっていることについて歌っているからだ。オレはこのアルバムの運命を分かっていたし、マネジメント会社との関係も終わることを知っていたし、こういう音楽がオンエアされないことも分かっていた。誰もこれをプロモートしないだろうってことも分かっていた。俺はラジオに出るつもりもなかったし、多くの人々がそんなことを好まないことを知っていた。しかし一方で、これが最高の音楽だと確信していたから、オレはやったし、そのことについて歌ったんだ」

仕上げの感触

それであなたはレコーディングを彼らに引き渡した?

「次に起こった問題は、多くのアーチストたちが抱えるようなものさ。レコードを完成させると、アーチストはへとへとに疲れ果ててしまう。アーチストは多くのセッションをこなし、精神的にも肉体的にもくたくたになってしまう。曲を書き、思いつき、それをリハーサルしレコーディングする中で、その曲に一心を傾け、いろんな意味でバランス感覚を失ってしまうんだ。しかしアーチストは他の誰かにその曲をいじられたくはないのさ。そう、自分の子供みたいなものだからだ。この時点でアーチストはキレるか取り乱してしまう。オレが経験してきて分かったベストな方法は、レコードが完成したらすぐに一切を投げ出して、数週間その場を離れることだ。それから戻ってきてまた仕事にとりかかるのさ」

「しかしオレは再び聴き始めてこう思った。‘これはどんなに高音を上げても十分じゃないし、どれだけ低音を出しても十分じゃないし、どれだけテンポを速くしても十分にハードじゃない。’ってね。オレは2つのミックスを作ったが、それはすごく極端だった。ちょうど80年代のインデペンデント・レーベルのハードコア・パンク・ロック・ムーヴメントで聞けるようなミックスだった。中音と高音が極端に出ていて、うわー!完全にアマチュアの音じゃないか!と思ったね。オレはこの時点で、デフリーズがオレを遠ざけたがっていたことを理解した。オレは寝る時にくり返しくり返しそのテープを聴いた。そしてこう思ったんだ。‘まてよ、もっとよくなるはずだ。もっとクレイジーにできるはずだ!’ってね。

「デフリーズは最初きっぱりとそれをリリースすることを拒んだ。それから彼はこういった。‘OK、リリースしよう。君はどこかへ行っててくれ。’ってね。彼らはオレをロサンゼルスへ押しやった。オレはロスには行きたくなかったし、オレにとっちゃそこは最悪の場所だった。それから彼らはオレに電話をかけてきてこういった。‘私たちはある方法でリリースしようと思う。つまりデヴィッドがリミックスするんだ。’ってね。オレはOKといった。なぜなら他の人選は考えられなかったからだ。デフリーズはオレに、CBSがそのままではリリースを拒否するんだといったと思う―わかんないけどね。まあ、本当の話なんて誰にも分からないのさ。デヴィッドと当時の彼のボディガードで使い走りのスティーヴィーとオレは、ハリウッドのウェスタン・スタジオに入った。オレの記憶する限りでは、一日で仕上げてしまった。二日もかけなかったと思う。すごく古いコンソール卓だった。つまりエルヴィス時代のやつで、技術的に旧式で性能が低くて、当時としても珍しいくらい安っぽくて古いスタジオだったんだ」

デヴィッドのミックスにあなたが満足したところはあった?

「デヴィッドの名誉のためにいっとくが、彼は自分の耳で1曲1曲を聴いて、オレと徹底的に話し合って進めたんだ。オレは彼に自分の考えを伝えて、彼はそれを正しく反映させた。彼はいつも最新テクノロジーを好んでいた。当時Time Cubeっていう、あるシグナルを送るエフェクト装置があった。それはマリファナの水パイプみたいなやつで、2箇所でカーヴしたプラスチックのチューブだ。音を出すと、それにメガホン・ノイズみたいなエコーの効果がかかるんだ。彼は‘Gimme Danger’のギターにそれを使用したけど、そのエコーは究極的に美しかったね。‘Your Pretty Face Is Going To Hell’のドラムスも同様だ。彼のコンセプトはこうだ。‘君はとてもプリミティヴだから、君のところのドラマーは丸太を叩くような音にすべきだよ。’ 彼の仕事は悪くなかったさ。以来、ある奴はRaw Powerをもじって、このサウンドをRough Powerなんてからかったが、デヴィッドとオレが創り上げたサウンドはそんなんじゃないと思うな。オレは彼がいい仕事をしたと思っているし、風変わりでちょっと変てこなこのレコードを誇りに思うね」

「これだけ言い尽くしても、このレコードの中に隠されたものと、この新しいレコードが出たのにはまだ理由があるんだ。それは当時オレはぶったまげるようなスーパーヘヴィで最高のジェット・ロック・バンドを持っていたってことさ。当時世界中の他の誰もこんなロックなんてできなかったね。こんなバンドなんてどこにもいなかった。オレたちが一緒に音を出した時は、ワオ!こいつはパワフルだ!って思った。しかしふさわしいサウンドを出すためのテクノロジー、予算、時間、設備の欠如によって、それがレコードに刻まれなかったんだ。それはリズム・セクション、とりわけギター・パートをふさわしいサウンドにするためのね。サウンドが貧弱なんだ。でもあのレコードのサウンドは美しいし、オレは新しいヴァージョンがあのレコードに取って代わるものとは思わないね。つまりそれは今のテクノロジーに慣れた人々の耳を満足させるために過ぎないものなんだ。たしかに耳で聴いて分かりやすいサウンドだが、それはもはやオリジナルのレコードじゃないのさ」

メインマンとの接触はあなたのアーチスト的本能とは完全に一致しなかったんだね

「文化的衝突が起こったんだ。彼らはオレにジャケットについて指示してきた。オレはレコードが出るまでジャケットを見たことがなかったんだ。オレは気に入らなかった。彼らはジャケットにしたたるような文字を使って、奇怪さを出してオレをからかっているんだと思ったね。だが自分が十分に理解してからは、からかっていようがいまいが彼らはオレのために尽くしたし、写真は美しかったし、あの文字は忘れられないものになった。誰もあんなことをやるガッツなんてなかったんだ―オレさえもね。オレは自分のことをシリアスに考えすぎていた―あんなジャケットで出すにはね。彼らはオレに信頼をもたらしたんだ」

「ふり返ってみれば、オレはボウイがミックスに施した肌ざわりは有効だと思うし、メインマンがやってくれたことは他の何よりも役立ったと思う。それら全ての経験によって、オレはデトロイトを飛び出して世界の舞台へ向かうことができたんだ。それからオレはイングランドへ行ってとてつもなく多くのことを学んだし、違う見方をするようになったね。それはオレに熱意をもたらしてくれたし、素晴らしいことだ。ただ実際には、ボウイによるミックスもオレのミックスも、バンドのパワーを伝えきれないでいたんだ。ヴォーカルの分かりやすさって点でもね」

遺産

それじゃニュー・ヴァージョンについて全て話してくれるかい?

「プロジェクトの段取りはオレに伝えられた。コロムビア/レガシー・レーベルからリリースされることになって、そのキーワードは‘遺産’だ。オリジナルのレコードでは分かりにくいが、ミュージシャン一団としてのストゥージズは、しっかりとやるべきことをやっていた。今回それがはっきりと示されたんだ。オレはその目的を遺産として考えている。オレはこのヴァージョンを、バンドをやっているミュージシャンたちへの興味をうながすものとして聴いている。と同時に、全西洋世界のバンドは、あるひとつのバンドの中に生まれたんだってこともね!(笑) あるいはギターか他の楽器を手にとれば、彼らは自らミュージシャンだと思うようなね。これはミュージシャン・ミックスだし、オレはそういう風に作ったんだ。‘ギターをプレイするこの男は何者だ?’と思ってウィリアムソンのAC-35から出てくるギター・サウンドがどうなっているのか真剣に聞いたり、ドラムをプレイする男が気になって、リズム・セクションを真剣に聞いたりとかね」

「オレは30年間ロックンロールを作り、ロックンロールを歌い、その前には5年間ドラムを叩いていた。オレは人生真っ盛りの時にとてつもなく多くの経験を積んだ。そしてオレはまた始めなきゃならない時に来たと思っている―オレ自身が歴史になったんだ。‘OK、この作品の手の内を分かりやすく見せてやろう’ってね。オリジナル・ミックスにはクセのある妙な魅力があった。エンジンを始動させなきゃならないような車さ。それは美しさがあったし、オレは好きだね」

「これは90年代ヴァージョンみたいなものだ。ミレニアム・ヴァージョンさ。オレができる最良の方法だ。人々はこのヴァージョンを知るようになっていくだろう。オレは素晴らしいことだと思う。なぜならこれを君のスピーカーから鳴らせば、パワフルなバンドが君をノックアウトするだろうから。君のお気に入りのスマッシング・パンプキンズ、パール・ジャム、ニルヴァーナとともにトップの仲間入りをするだろう。でもその中でヘロイン・シンガーのいるバンドなんてあるかい?ストーン・テンプルって名の奴がいるとしてもさ」

マスター・テープはどうだった?

「最高!特にギターとドラムのトラックはね。ベースはとてもうまくプレイされていたが、そのサウンドにもっと効果を加えた。リズム・ギターのサウンドは気違いじみてるね。ヴォーカルは全く度肝を抜かれるくらいさ。信じられなかったな―うわあ!こいつは凶暴だぜ!どえれえ奴だ!完全にイカレちまってるよ!ってね。全体に渡ってギェーッ!!って感じさ。オレはダニー・カーダールっていう最高のエンジニアと働いた。彼はオレの曲にすごく愛情を持ってくれたし、最高の仕事をしてくれた。テープはいい状態で素晴らしいサウンドだった。ロンドンのオリンピック・スタジオのテープ保管室に大事に保存されていたんだ」

「オリジナルのミックスに関しちゃ、それはボウイの落ち度でもセンスのなさでもないんだ。彼のセンスは素晴らしかったし、ミックスもよかった。金と時間の問題さ、ただそれだけだ。設備がクソみたいだったから多くの良さが失われてしまったんだ」

あなたはデジタル・リマスタリングにもずっと立ち会っていた?

「ああ、オレは全ての段階に加わっていた。彼らはオレの信じられないほどの執拗な要求をマスターに焼き付けていった。終わりに近づいたところで、マスタリングしていた男は怖気づいてこういった。‘ダメだ、僕たちにはこんなことはできない!’ そしてオレはこういう。‘だまれ!やるんだ!ガオーッ!’ そしてオレは満足して家路に着いたが、彼らはパニック発作を起こしちまった。彼らがこれを聴いた時は、完全にパニック状態に陥っていた。スピーカーは爆発を起こし、血を流し、溶けてゆがんでしまうようなサウンドだったから。それから彼らは‘上品な’ヴァージョンを作ったんだが、オレは聴くことさえ拒否したね。彼らはそれを聴いたが当惑してたな。気に入らなかったらしい。結局、オレのヴァージョンを半デシベルほど落とすことになった。それは実際、元のオレのより良かったんだ。オレは全てのメーターが常にレッド・ゾーンに達するようにしていて、それはオレがオリジナルのミックスでやろうとしていたことだった。オレはいった。‘おい、レッド・ゾーンに入ってないぞ。何でメーターはレッドまでいかないんだ。全部のメーターがレッド・ゾーンまで行かなきゃダメだ!’ 多分それは麻酔薬のせいだな、分かんないけど」

人々がこのヴァージョンを永久に聞くことになるのは喜ばしいこと?

「今のオレはこの音源のサウンドに対する、必要な資金力と地位と判断力を持っていると思う。それは以前のオレにはなかったものだ。オレはこれを完結させたような気分だ。だがデヴィッドのミックスを叩くことはできないと思うね―すごくクリエイティヴだから。しかしこれはパワフルなバンドのシンプルでストレートなミックスだ。これについては終結を迎えた気分さ。素晴らしいことだ」

「オレは70年代のほとんどを不平をいって過ごしたと思う。たしかにオレはこれにかかわる人間を探すことはしなかった―自分以外のね。オレはあの時デヴィッドに助けられて救われたと思うし、オレの承認なしで作られたジャケットで利益を得たと思う。当時オレは自分でうまくできることもあったが、ミックスの役割は向いてなかったんだ。今オレはこれを遺産として、ひとつのバンドがプレイした歌と音楽の描写として、そして本来の姿として考えているよ」

イギー・ポップ・インタビュー by アーサー・レヴィ


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