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The Stooges/The Stooges/1998 Warner Music Japan AMCY-2566



1968年の夏、私はエレクトラ・レコーズの出版部門を運営していた。いかした小さなレーベルだったエレクトラは、前年のドアーズの成功によって突然飛躍し、新しく登場した大胆不敵な有力アーチストたち一群を抱え、勢力を拡大しつつあった。

当時、デトロイト〜アナーバー(Ann Arbor:ミシガン州南東部の都市)は才能にあふれたホットな地域だったが、地理的、文化的にはイングランドやカリフォルニアからは遠くかけはなれていた。それは1966年の“ゴールデン・イヤー”以来、その音楽的中心の両地域に浸透していたウヌボレからかくまうことにつながっていたんだ。ミシガンのバンドで最も目を引いたのがMC5であり、彼らはリチャード・ニクソンが大統領の座についた民主党大会に関連して開催されたフェスティヴァルでプレイした世界で唯一のグループだった。MC5はレコード契約を探していたが、週末の9月22日、私は彼らと頭の切れる彼らのマネージャー、ジョン・シンクレアに会い、グランド・ボールルームで彼らのギグを見るためにデトロイトに飛んだ。

当時、エレクトラでの私の仕事は新しいバンドと契約を交わすことではなく、契約済みのアーチストを宣伝することだったんだが、その時の私の仕事範囲はあいまいになりつつあった。ちょうどその時の私のボスが、エレクトラを興した違いの分かる男ジャック・ホルツマンだったから、あらゆることが可能だったんだ。とにかく私はMC5のことが好きだった―彼らは速いテンポで、大音量で、カラフルで、全員がアメリカ人だった―そして私は彼らのマネージャーのことも気に入っていた。グランド・ショーの翌日、アナーバーにある彼らの組織するコミューンに行った私が、いかに彼らのことを気に入っているかをまくし立てると、ギタリストのウェイン・クレイマーはこういった。
「もしオレたちのことが好きなら、ストゥージズをチェックするべきだぜ。奴らはオレたちの兄弟分みたいなバンドだしな。今夜プレイするはずだぜ」

どういうわけか、ウェインは私がMC5のハイ・エナジーなギグと、そのユートピア的な政治哲学にいかに関心を持っていようと、心の奥底では私がもっとプリミティヴで真の無法地獄を探し求めていることを見抜いていたんだ。彼は私を正しい方向へ導いてくれた―その晩、私はミシガン大学学生自治会でプレイするストゥージズを目撃し、彼らは私の人生を変えてしまった。

私は自分の見たもの、聞いたものが信じられなかったね。お決まりのいい方になってしまうのは分かっているが、1968年秋のその晩が私にとって初のリアルな体験だった。私はイギーのような信じられないパフォーマーは見たことがなかったし(それは今日に至るまでだ)、その音楽について私がいえるのはこれだけだ―“ついに見つけた!”。イギーがステージを降りると私は彼のところへ行き、ショーについて絶賛し、私がエレクトラ・レコーズの人間で彼らとぜひ契約を交わしたいと思っていることを伝えた。

「オレのマネージャーに話してくれるかい?」

彼はそういうと、私を見さえせずに楽屋へ消えていった。彼のぶっきらぼうな態度は、あまりに多くのオファーにうんざりしていたからではなく、彼の持つ不信感から来ていた―彼は実際、私が本気だとはこれっぽっちも思っちゃいなかった。

「イエー、そうだ、君はエレクトラ・レコードの人間だ」

そして彼は何かひとり言をつぶやいた(あとで私に教えてくれたんだが)―それは・・・「オレはミスター・エドだ」(Mr. Ed:ロサンゼルスの新婚家庭を舞台とした米国のテレビコメディー((1960-65))。主人公ミスター・エドは人間のことばを話す馬で、飼い主のウィルバー・ポストとのみ話し、他の人々はエドが話せることを知らない)。

私は彼のマネージャー、ジミー・シルヴァーマンと話をした。彼はジョン・シンクレアと協力関係にあった。翌日、私はアナーバーからジャック・ホルツマンに電話をかけ、2つのバンドと契約したことを伝え、どちらのバンドもこれから大きな歴史と金を築き上げることを彼に保証した。しかし私は彼らに“挨拶代わりの金”をオファーしなければならず、それについてジャックの助言を必要としていた。MC5は20,000ドル、ストゥージズは5,000ドルだった―どっちのバンドにとっても見たことのない金額だった。

その後、MC5にはもうひとつの長い長い歴史が始まることになった。ストゥージズはジョン・ケイルとともにスタジオに入り、今あなたが手にしているアルバムを制作することになった。セールス的には微々たるものに終わったが、これはある世代のミュージシャン、リスナーたちに計り知れないほどの影響を及ぼした。そして20年後の今でも20年先を行っているんだ。実際、このアルバムはかつてよりも驚異的に響いてくるね。

ダニー・フィールズ
1988年3月、ニューヨークにて


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