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Steve Ashley/Stroll On Revisited/1999 Market Square MSMCD104



あらゆる知覚体験が存在する―そこには偽りのない人生の移り変わり、ジェイムス・ジョイスのユリシーズの中でのモリー・ブルーム(主人公)による最後の長い好色な独白を読むような、あるいはピカソの「アヴィニョンの女たち」、あるいはカールハインツ・シュトックハウゼンのテープ・コラージュによるGesang der junglingeのように、私にとってはホロコースト(破局)の原型的な記憶であり、それはルイ・アームストロングがWest End Bluesで数知れないジャズ・ミュージシャン(ロックも)の道を開いたコルネット(トランペット)・ソロへ突入するような、またサンディ・デニーが血の凍るような古いバラッドを現代に甦らせるようなものである。そしてこのスティーヴ・アシュリーの独創的なエレクトリック・フォーク・アルバムの冒頭、Fire and Wineがまさに同等なのである。25年の時を経て再発されたこのアルバムは、願わくばその重要性を改めて認めるよい機会となってほしいものである。

私はスティーヴを威厳ある友として、その地位を引き上げてしまうことに対して詫びようとは思っていない。“スティーヴ?誰?”あなたはいうかもしれない。あるいはあなたの‘その道’に通じた友人は、“ああ、Fire and Wineの奴だよ。”というかもしれない。

30年前、スティーヴはその素晴らしい歌を我々に届け、それがフォーク・クラブのスタンダードとなったのは事実である。しかしこのアルバムは彼が単なる一発屋ではないことを証明している。コンセプト・アルバムとなることなしに、断絶なく曲が流れる様に目を向けてみてほしい。

私は1974年にFolk Reviewの中で1章を使って概略を述べた。我々はその時リリースを心待ちにしていた。“彼のソング・ライティングを特徴づけているのは、その驚くべき季節感覚である。レコーディングは実際の季節順には行なわれなかったが、アルバム収録曲のほとんどは紛れもない‘季節の循環’を描写している。11月にFire and Wineで始まり、Springsongで真の目覚め、Silly Summer Gamesの楽しみ、そしてFarewell Green Leavesの秋だ。常にそこには時の儀式としての季節の周期感覚が存在する。その中にある死と再生、そして慈悲の変遷、それもより大きなパターンの一部である。”

あなたは今回のリイシューで補修されたある省略部分に気づくかもしれない。収録スペース上の理由から省略されたのは(そしてプロデューサーがオリジナルのアルビオン・バンドのラインナップによるスティーヴのLord Batemanを収録することを決定したことによって)、スティーヴがDave Mendayと共にThe Tinderboxというデュオを組んでいた時にレコーディングされた愛らしいSpirit of Christmasだ。これは以前The Electric Muse(Castle CommunicationsからNew Electric Museとして数曲の追加と省略がなされて最近リイシューされ、スティーヴの曲も入っている)というLPボックス・セットでのみ聴くことができたナンバーである。

オリジナル・セッションからさらに追加されたのが、スティーヴがGullレーベルに残した1枚のシングル、Old Rock ‘n’ Rollだ。これは基本的にフェアポート・コンヴェンションのアルバム‘Nine’のメンバーに、偉大なコンサルティーナ奏者Lea Nicholsonが加わったバッキングだ。この曲はあるいは言葉よりもよくスティーヴを示しているかもしれない。つまりスティーヴのキャリアをくじけさせ、時には永遠に音楽の世界から身を引くことを彼に促したとっぴな考えのことである。Kid OryからShirley Collinsに至るまで、多くの人が私の言っていることを分かってくれるだろうと思う。

スティーヴは初期の頃、不遇な時期を送っていた。次から次へとレコード会社から契約を見送られていた―高名なヴァンガード・レーベルは私に、“彼は英国的過ぎる”といった。私が何年にも渡って悩まされてきた“ディランを水で薄めた”アーチストたちと比べれば、それこそがスティーヴを偉大たらしめていることだ。このことについては先見の明ある頑固な一人の男、オースチン・ジョン・マーシャルに敬意を表したいと思う。

同じFolk Reviewの章の中で、私は彼の貢献を述べた。“オースチン・ジョンの話をしよう。人々をじらし、いらいらさせるが、人の才能を何年も前から見抜く力を持った偉大な能力の持ち主だ。” “デイヴィ・グレアム、ヘンドリクス、インクレディブルズ(ISB)、クルムホルン(訳注:木管楽器だがこれはよく分からない。この楽器が流行ったということか?)、彼は誰についても常に我々よりも早くから知っていた。たとえ彼の熱狂ぶりが度を超えたものであったとしても、必ず時が彼は正しかったことを証明した―いつも彼が見抜いた後に他の誰かが持っていってしまい金儲けしてしまうのであるが。” “ブリティッシュ・ミュージックは彼の発掘能力がなかったら全く違ったものになっていたはずだ―彼の頑固なハード・ワークと落胆にもめげない力がなければ、スティーヴ・アシュリーの才能はレコード上に残らなかったと確信する。”

それがロバート・カービーの見事なアレンジメントとスティーヴの天才的作詞能力を結びつけ、アルバムを完璧に近い出来に仕上げたプロデューサーとしてのオースチン・ジョン・マーシャルの才能である。確かにいくつか未完成な部分も存在する。例えばLord Batemanの粗雑さであるが、これはほとんど・・・なんというか・・・ハプニングによるものだ。この時ミュージシャンたちは未知の領域に踏み出していた。彼らは時々その荒々しいクレバスの中をよろめきながら進んでいた。まあ、これも魅力の一部というわけだ。晩年のベニー・グッドマンのクラリネット・ソロ同様、洗練されず磨きのかかっていない偽りのない本物の作品である。

強固で冒険的な装飾が施されているのが、二人の偉大なジャズ・ホーン奏者、Kenny WheelerとHenry Lowtherによるフリューゲル・ホーンがフィーチャーされたのどかなLove in a Funny Wayだ。これは今回オリジナル・セッションからボーナス・トラックとして復活した。

なぜ私はこのアルバムを人生の変遷と述べたか?そう、これは私の人生を変えたのである。最も偉大なトラディショナル・ソングというのは、シェイクスピアのように決して社会性を失うことはない。いかなる芸術形式においても最高にコンテンポラリーな作品は、我々をその時代のロックへと収束させていくのである。それはつまり我々の住むシェルター(避難所)である。

ディランがいうように、トラディショナル・ソングは我々に嵐から身を守るシェルターを与えてくれるのだ。そして再びごたごたとした世の中へ立ち向かうための英気を養わせてくれる。つまり力を得るわけだ―そう―変身するのだ。

そんなわけで、スティーヴ、ありがとう―カール・ダラス

カール・ダラスは1957〜1981年にかけてメロディ・メーカーにフォーク、ジャズ、ロック、そしてコンテンポラリー・ミュージックについて記事を書いてきた。今なお時折The Independentに寄稿している。彼は4枚組のベスト・セラー・コンピレーション・アルバムを編纂した。アイランド/トランスアトランティックのThe Electric Muse : the story of folk into rockだ。現在彼はThe Internet Review of Booksの編集長である。


Steve Ashley/Stroll On
All Music Guide Review by Dave Thompson


リリース時、このスティーヴ・アシュリーのデビュー・アルバムはThe Sunday Telegraphのフォーク・アルバム・オブ・ジ・イヤーに選出され、あのアメリカのモータウン・レーベルとの契約さえも実現し、アメリカでは1975年に大きな称賛を受けてリリースされたのである。大西洋を越えてアシュリーは大きなキャリアを築いたかのように見えた。しかしながらそのいらいらさせるような不規則なアルバムのリリースであったStroll Onは、その重要性を過小評価する“幻の1枚”として宣告されていた。彼はそれまでほとんどシーンから消滅していたのである。Stroll Onは元々1971年にレコーディングされていたが(アシュリーは所属レーベルのGullが受け入れるまで30のレーベルから蹴られていた)、時代を超越したその内容は遅きに失することはほとんどなかったのである。

点在するバンド演奏はドラマーのデイヴ・マタックスを中心に、それをタブラ、コンサルティーナ、ペダルスチール(名手B. J. コールだ)、フレットレス・ベースが取り囲み、そして1曲のみthe Albion Country Bandの演奏によって様々な表情を見せている。それらはアシュリーの思慮深く、ほとんど予言めいたヴォーカルに見事な背景を提供し、嬉々として脇役に徹している。例えばオープニングの隠遁的な歌唱“Fire and Wine”は、エレクトリック・ギターのリフによって長く耳に残る印象的なナンバーになった。

一方“Candlemas Carol”は、どんなにあたたかなロバート・カービーのリコーダーがその音を増そうとも、かつての禁じられた古代の儀式を思わせる真冬の冷気の響きがある。アルバムの多くは季節に関連しているように見える―冬のさなかの感触、束の間の夏の楽しみ―これもまたアルバムのムードに一役買っている。それは天気の話をすることが一般的な時間の過ごし方であるからではなく、季節の移り変わりが永遠であることに誘発されるムードだからである。そのことをリスナーに時々思い出させるよい機会をこのアルバムは与えてくれるのだ。

※ ※ ※

UKフォークのスペシャリスト、Market Squareレーベルが1999年にリマスター作業に取りかかり、やっとベールを脱いだその時まで、スティーヴ・アシュリーのデビュー・アルバムのCDリイシューは長く待望された1枚だった。しかしながらこのリイシュー実現にあたってとりわけ目を引くのは、単なる3曲の素晴らしいボーナス・トラックだけではなく、リスナー同様、初期アシュリーの支持者であったカール・ダラスも、全ての英国フォーク愛好家の心の奥底に長く占めていた1枚のアルバムを再び体験できる機会に恵まれたことである。ライナーノーツでの彼の再評価にあるように、ダラスのこのレコード対する愛情、主張は、生命の移り変わり、変遷を表した“Fire and Wine”が幕を開けてから25年間変わっていないことが分かる。

リスナーによっては、オリジナルLPに予定されながら結局収録から漏れてしまった“The Ghost of Christmas Past”のスリル(と冷気)を再び楽しむことができるだろう。このナンバーは画期的なフォークロック・ボックス・セット、Electric Museに収録されていた。この傑出したアルバムに収録されている同様に素晴らしい楽曲群においてアシュリーは、暗い霧の中で呪文を唱え、奇想天外なイメージをあなたの目の前に浮かび上がらせる―詞自体はきわめてコミカルだ。しかし“ヘッドスカーフを巻いたずうずうしいこそ泥”という詞でさえも超自然的な畏れを感じさせる。

初お目見えとなったのが、当時のフェアポート・コンヴェンションと共にレコーディングされた1974年の素晴らしいシングル、リー・ニコルソンのコンサルティーナがバックに流れる“Old Rock’n’Roll”だ。荒波の水夫の歌と傷心の哀歌の中間にあるような見事なパフォーマンスだ。これはアルバムStroll Onの古いセッション風景(1971年の)を示すものであり、また1975年の皮肉なタイトル、Speedy Return(セカンド・アルバム)の要素となった。


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