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Small Faces/Small Faces/2003 Artistry Music Limited SNAP 149 CD



名作とはこのアルバムのことさ。名作、名作、名作!理由を話そうか?なぜかってぇと、だんな、これはイースト・エンド・モッズの紋切り型イメージとしてのスモール・フェイシズの終えんと、1960年代後半のブリティッシュ・ポップ/ロックの一端を担った先駆的、創造的な音楽集団として奴らが敬意を集める第一歩となったからなんだぜ。

このような言い方は奇妙に思われるかもしれないが、英国においては彼らが存在した短期間の影響力は、もっとずっと長く活動していたビートルズ、ローリング・ストーンズと同等のものだったのである。

スモール・フェイシズ―伝説的ヴォーカリスト/リード・ギタリストのスティーヴ・マリオット、無類のヴォーカリスト/ベーシストのロニー・レーン、キーボードの巨匠イアン・マクレガン、達人ドラマー/パーカッショニストのケニー・ジョーンズ―は、1967年にこの独創的なアルバムをリリースするまでは、1965年以来、カーナビー・ストリート・ファッションとスタックス/モータウンの音楽的影響のもとモッド・ムーヴメントのリーダーとして、そしてデッカからの一連のヒット・シングルによって最もよく知られていた。

しかし1967年、彼らはデッカを去り、英国音楽界の異端的レーベル、イミディエイトと契約を交わした。そのレーベルの創設者が、世界一悪名高いロック・バンド、ザ・ローリング・ストーンズを手がけていた大胆で物議をかもすマネージャー、アンドリュー・ルーグ・オールダムだった。彼はスモール・フェイシズのことを称賛していた。

スタジオ・クリエイターとして成長する機会を与えられたスモール・フェイシズは、以前のマネージャー、ドン・アーデンのもとでのハードなツアーから自由の身となり、ただの3分間ポップ・シングルではない音楽を創り出す環境に身をおいた。

“サマー・オブ・ラヴ”として永遠に刻まれる1967年、それは自主性あるアルバムを創り上げるシリアスで自尊心あるバンドの意思を示す年だった。

そのアルバムが、クリエイターたちの名をそのまま付したSmall Facesだ。だらしなさ、思慮深さ、慈悲深さが代わるがわる顔を出し、コットンのソックスを賛美し、そしていくらかサイケデリックだ。

そのサウンドはポップ・グループがロック・バンドへと変身したことを示している。

それは少年が男へと成長する姿だ。

それはより大きなキャンバスに描かれた休日のスナップだ。

彼らの猛烈なファースト・シングル、What’cha Gonna Do About Itが1965年の後半に堂々の14位につけた直後から、スモール・フェイシズは成功を約束されていた。彼らが目指したのは、アメリカのブルース、R&Bと英国ミュージック・ホールの生意気さとキャッチーさをミックスさせた音楽的熟練と、非の打ちどころのないセックス・アピールに包まれたキュートさで固められたイメージだった。そこにはポップな感性がふんだんに取り入れられていた。

彼らの4枚目のシングル、ルール無用のAll Or NothingがビートルズのEleanor Rigbyを蹴落とし、チャート・ナンバー・ワンに輝いた時、バンドが単なる個々のメンバーの才能の総和以上になっていたことは明らかだった。マリオット/レーンのソングライティング・コンビは、あと少しの成長があれば高くそびえるレノン/マッカートニーにさえ立ち向かえるほどの才能を見せ始めていた。

しかし彼らは依然プロモーション活動、へとへとに疲れるツアー、急場しのぎのレコーディング・スタジオ入り、そしてロンドンの最先端クラブでのおつきあいのくり返しの中に閉じ込められ、それは彼らのキャリアの見通しを阻んでいた。

彼らと同じ展望をもつ同世代のアンドリュー・ルーグ・オールダムが、彼らの閉じ込められた創造性をあふれるままに解き放してやろうといった甘いことばをささやいた時、彼らはすぐに飛びついた。彼らのレーベル、デッカも彼らのマネージャー、ドン・アーデンも守旧派であった。旧派たちは、ポップ・バンドが昔ながらの慣習の中で、言われるままにハードで単調な仕事を遂行するよう求めていた。

対してオールダムは因襲打破主義者だった。彼は、自分たちの娘を出歩かせないようにする親たちの不安に気を配りながら、そのポップ界のバッド・ボーイズのイメージを発展させるべく、ローリング・ストーンズをマネージメントしていた。彼は10代のマーケットで人の心に触れる巧みなことばとイメージを備えていた。そのマーケットには、モダンなライフスタイルを過ごすための刹那的な消費が増大しつつあった。

彼は1966年半ばに自身のレーベル、イミディエイトを設立し、1967年までにその筆頭となるポップ・バンドを探し出し、その帝国の重要人物となっていた。その目的は、“喜んで人類幸福の産業の一部となる”ことだった。

スモール・フェイシズは重要なことに、ローリング・ストーンズと彼らの若きマネージャーと友人同士だった。彼らはみなセント・ジェイムズのスコッチのようなクラブのスウィンギン・シーンの住人だった。そこにはミュージシャン、モデル、映画制作者、そしてサッカー選手が集まり、上流社交界の一端を担っていた。その社会はロンドンの中心地から現れ、英国中の大志を抱く若者たちへと広がっていった。

スタジオの時間とソフト・ドラッグの刺激的なミックスを体験したスモール・フェイシズは爆発した。イミディエイトからのデビュー・シングル、Here Come The Niceは、強靭さ、キャッチーさ、そしてサイケデリック色がそれぞれ等しく保持されていた。これはペイズリー模様の高波に世界中をさらっていく作品として格好の1曲となった。

わずか4人のスモール・フェイシズゆえに、アルバムSmall Facesが生まれた。

ある意味、アルバムのシンプルなタイトルは、デッカに声高に向けた侮蔑だ。一枚岩のレーベル(デッカ)からのデビューLPもまたSmall Facesというタイトルだった。イミディエイトからこのタイトルでリリースしたことは、彼らがこれを真のファースト・アルバムだといわんばかりだった。

デッカとの戦いが始まり、金のなる木を失ったことに怒ったデッカは、自らスモール・フェイシズのLPを急ごしらえし、愛想よくFrom The Beginningと名付けた。

小競り合いから決してしりごみしなかったオールダムは、音楽紙にウィットと創造性ある一連の宣伝に打って出た。それはデッカの平凡なマーケティング・アプローチを浮き彫りにし、彼らの面目を失わせることになった。

“君がどっちを向こうがそこには4人のスモール・フェイシズがいるだけだ。そしてそこには1枚のスモール・フェイシズのLPがあるだけだ―そのレコードはイミディエイト発だ。”―イミディエイトの宣伝文句はこのように声を上げていた。

デッカは予想通りの親しみやすいフレーズ、“スモール・フェイシズの全盛期”によってFrom The Beginningをプロモートし始めていた。

もちろんグループのファンたちはどちらのLPも買ったが、イミディエイト盤はかなりの差をつけてデッカ盤より多く売れていた。

しかしアンドリュー・ルーグ・オールダムの先見性を証明した彼のレーベルへの移籍にもかかわらず、Small Facesからは1枚のシングルもカットされなかった。守旧派―この場合デッカとアーデンだ―であれば、最新ヒット・シングル、Here Come the Niceをアルバムに収録するよう主張するだろうし、少なくとももう2枚のシングルをアルバムからカットするよう要求するだろう。

ルーグ・オールダムの権威ある方向づけによって、グループは自分たち自身の独立性を示していた。

アルバムは、バンドのイミディエイトからの2枚目のリリース、不朽のOgden’s Nut Gone Flake同様、首尾一貫してはいないが(ある者は一貫すべきではないというかもしれない)、それは完全にふさわしい時と場所で、完全にふさわしい行動をとっていた。

冒頭のトラック、(Tell Me)Have You Ever Seen Meは荒いエッジのあるポップ・ソングであり、バンドがどこからやって来てどこへ向かっているかについての重要な表明である。My Way Of Givingまでアルバムを聴き進めるまでに、スモール・フェイシズの作品に豊富に染み込んでいたR&Bによる多大な影響が再創造され、彼ら独自の英国的コンセプトへと昇華されていることが分かるだろう。

次のトラック、Green Circlesは、巧みにサイケデリックな味付けが施され、唯一“サマー・オブ・ラヴ”の時代精神に呼応している。もう少し進んでいくと、そこには流行遅れのミュージック・ホールと最新の手法が結合されたAll Our Yesterdaysに行き着く。

そしてたっぷりのおまけ風なフィナーレ、Eddie’s Dreamingは、圧倒的でも無秩序でも、みなを扇動するものでもないが、奇妙に曲がりくねり、何かをほのめかしているようだ。これはその核心部に、ドラッグによってもたらされた高揚感が存在している。

ボーナス・トラックの数々はバンドの遠い過去と、すぐあとの未来を洞察するヒントを与えてくれる。キンクスのYou Really Got Meと荒々しいMoney, Moneyのカヴァーは、ザ・モーメンツの一員としてのポップ・ロッカー志望のマリオットの初期の姿を伝えている。また1969年初めにリリースされたバンドの遺作となった2枚組のアルバム、The Autumn Stoneに収録の哀愁を帯びたRed Balloonの別テイクは、未来を一べつすることができる。

なるほどそこにはたった4人のスモール・フェイシズが存在しただけだった。もしスティーヴ・マリオットが、ザ・ハードのピーター・フランプトンを加えて5人編成にすることに失敗したのち、バンドを去る決意をしていなければ、スモール・フェイシズはさらに多くのアルバムを作っていたかもしれない。

しかしその代わり、我々の手元には短期間のものであるが、人類幸福へのポップの最高の貢献である貴重なカタログが残ることになった。我々の財産―それは少なすぎず、多すぎず、そして早すぎず遅すぎないどんぴしゃりベスト・タイミングの音楽だ。

それはまさにスモール・フェイシズをプレイするSmall Facesである。

Bill McAllister



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