Welcome to my homepage


The Slits/In The Beginning-A Live Anthology 1977-81/1997 Jungle Records MTCD-1034



バイオグラフィー

20年が生み出した違いがこれほど大きいとは。現在でくわすオリジナル・パンク・バンドのほとんどは、取るに足らない音のように聞こえてしまう―激しいだけで薄っぺらい長く忘れ去られてきた革命のガキどもだ。もし彼らが今日始めたとしたら、その中でなおも価値あるサウンドを聞かせることができる者はほんの数えるほどだろう。そしてザ・スリッツは確実にその中に入る。なぜならパンクは男たちが守ってきた音楽のつまらない名声を破壊し、ザ・スリッツがその状況をほとんど一変させたからだ。驚くほどの巧みさによってではない、なぜなら彼女たちはそれぞれのパーソナリティを野生のほとばしりへと向けた生の一撃によって、魅力を放ったに他ならないからだ。ザ・スリッツを目撃することは、かつて出くわしたことがなかった体験に出くわすことであり、容易に忘れられるものなどではなかった。

彼女たちには手本となるものなどなかったから自分たち自身で創り上げねばならなかった。周りにいる男たちはみな、三脚のようにいかめしく仁王立ちになり、ギターを傷めつけ、マイク・スタンドをつかみ、ねじ曲げていた(ああ、苦悩のポーズ!)。ザ・スリッツははしゃぎ回るのが専門だった。なぜなら彼女たちは楽しんでいたからだ。たいていは上機嫌で楽しそうにしていたが、しかし彼女たちは悪意に満ちた爆発のスペースを用意していた。

ベーシストのテッサはほとんど視覚に入ってこないが、あとから1曲で歌うために解き放たれる。グレイトなパルモリヴは手足を伸ばし、ひたすらブッ叩き、くり返し、ドスンドスンとストンプする―普通ではない危険な獰猛さで。その襲撃の中を押し分けて入ってくるのが、ほとんどとりすました顔で奇妙にだらけた荒っぽいギターをプレイするヴィヴだ。それは勢いを台無しにするか、あるいはかきたて、落ちつかないアリがさらに手足を伸ばし、ことばを発するための十分なスペースを創り出す。よれよれの格好をした彼女の独特な佇まい、彼女たちのヴォーカルは質のいい消火器か、牧羊犬にしか聞こえない首を絞めたようなオクターヴを発する。その人目を欺くコーラスを真似るバンドが急増する中で、ザ・スリッツは“食い逃げ”のシュプレヒコールで名を上げた。

彼女たちの崇高さはライヴ・レコーディングの内側に潜んでいる―今まで未発表だったが、2つのセットのうちの1つは、カムデンのディングウォールズである晩に彼女たちが行なったギグだ。その時、シド・ヴィシャスは群衆の中でケンカをおっぱじめ、バンドから叱りつけられてしまった。

‘Vindictive’はその神々しい詞、‘このクソったれ’とともに騒音を立てて進み、アリののどは‘A Boring Life’ではなばなしく粉砕する。全ては障壁に向かって疾走するが、一方で見事な‘Newtown’は、彼女たちがすでに存在する境界線をいかにして引き伸ばし、ぞっとするようなものになることなしに好奇心あおるムードを創り上げたかを示している。

このギグを聴くと、全てのライオット・ガール・バンドが束になってかかっても、ザ・スリッツがやすやすと楽しみ費やした野生の喜びに匹敵しないことが分かるだろう。なぜなら彼女たちはありのままの彼女たちだったからだ。

残念ながら、彼女たちは77年と78年のピール・セッションを除いて、レコード会社の監視の中で責務を負っていた。彼女たちはデビュー・アルバム‘Cut’と79年半ばのシングル‘Typical Girls’を作ったが、これがアイランド・レーベルとの全契約だった!それから何でもありの時代に突入し、発狂した彼女たちは1980年の9ヶ月間に3枚のシングルをリリースした。彼女たちはリズムの冒険に這うように乗り出した。これがアメリカでのライヴ・レコーディングによる‘ダブ期’だ。

そういった伝統的領域へと入っていったことで、彼女たちのアイデンティティは(ダブに)呑みこまれる危険にさらされることとなり、パルモリヴの脱退に続いて野性味は減退していき、制限されるようになった。エルヴィスが軍隊に入ったのなら、ザ・スリッツはワイン・バーの中へとさまよい歩いていた。その結果が巧みなレゲエとこむずかしいファンクだ。‘In The Beginning’には、不必要なキーボードの注入の他に、よりグレイトで自信に満ちたヴォーカルが聞ける。‘Newtown’は過剰な称賛を受け、今でも神々しく響くが、彼女たちの以前のカリスマ性はおぼろげとなった。今でも外観上は‘Man Next Door’も一瞬の‘Grapevine’も自らが招いた‘Fade Away’も永遠であるが、めちゃくちゃとなった音楽的方向性の中で常にきっちりプレイされた‘Typical Girls’は、愛らしく輝かしいことに気づくだろう。振り返ってみれば、この曲が彼女たちの最も刺激的で冒険的な作品であり、彼女たちの発明の才のピークを示していた。

このあと、彼女たちはCBSとの短期間契約によって、セカンド・アルバムで最終作の‘Return Of The Giant Slits’をリリースし、ハマースミス・オデオンでフィナーレに向かってつばを飛ばし早口でまくし立てた。1981年、部族音楽はそこかしこにあふれていた。アダムのポップ論争から実験的な23スキドゥーの猛進まで・・・。ザ・スリッツはついに熱意の失せたバンドの行列の1つとなっていた。彼女たちは解散した。

アリは今ジャマイカに住んでいる。彼女のことばは、もしDr. Alimontadoがドイツ語をまくし立てたとしたら、それと同じくらいのおもしろさだ。テッサはラドブルック・グローヴで何らかのアーチストだ。パルモリヴはマサチューセッツで宗教的なビート追い求めている。ヴィヴはチャンネル4のドキュメンタリー制作へと進んだ。

しかし伝説は生き続ける。多くの者はインスピレーション源としてクリッシー・ハインドあるいはエラスティカのジャスティーンの名をあげるだろうが、たいていの者はスリッツが創り上げた王者の騒音を聞いたこともないし、このコレクションに対して奇異の目を向けるに違いない。彼女たちが残した突飛でやつれたかに見える作品群は、質的に評価は変動しやすいのかもしれないが、ある‘ガール・パワー’の一時代の中で、彼女たちの革新者としての名声は否定しようがないし、我々は今にも核反応を起こしそうなここでの彼女たちに喝采を送るのである。

ザ・スリッツはその見事な功績に見合うだけの輝かしい痕跡を残しはしなかった。しかしここで彼女たちが起こした粗く無邪気な小地震の記憶を再び燃やすことができる。ありきたりな日常の中へ少しでも引きずりこんでやれば、その中心にある火花を今も垣間見ることができるだろう。

これは生まれつきのカオスだった。

ミック・マーサー


ミック・マーサーは1976年にパンク・ファンジン‘Panache’をスタートさせ、続いてZig Zagの編集とメロディ・メーカーへの寄稿、そして‘Gothic Rock’、‘Hex Files’含む様々な本を書いている。


ホームへ