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Slapp Happy / Casablanca Moon/Desperate Straights/1993 Virgin Records Ltd. CD0VD 441



“変人たちがずうずうしくもレコード契約” (N.M.E.見出し―1974年6月8日)

スラップ・ハッピーの不思議な世界へようこそ。このCDを一度だけでも聴いてもらえれば、ポップ・ミュージック史上最も類を見ない“カルト・マニア”の一人として名誉会員の称号を送ろう。

このCDにはスラップ・ハッピーのセカンドとサード・アルバムが入っている―73年の“Casablanca Moon”と74年の“Desperate Straights”だ。ドイツのポリドールはセカンド・アルバムの2年前、いくらかレコード会社の専門外のジャンルとして僕らのデビュー・アルバムをリリースした。タイトルは“Sort Of”だった―それは僕らのスタンスをよくとらえていた。僕らはハンブルグ近くのファウストの共同スタジオでそれを録音した。僕らはポリドールにポップ・レコードを作るとうまいことをいって、金を出させた破壊活動分子的レコードと考えていた。

アンソニーと僕は自分たちを詐欺師だと考えていたが、若さからくるうぬぼれた上っ面な自信から、僕らはリスナーがそれをポップ・ミュージックと誤解することによって何かを創り上げることができると思っていた。それがうまくいったのはダグマーの奇妙で素晴らしい声に深い関係があった。彼女はその2年前、わけがあってあの声を失って以来、歌わなくなっていたが、彼女はアンソニーと僕が再び歌おうとするのを聞いて突然回復してしまったんだ。

僕らのプロデューサーはUwe Nettlebeckという一匹狼の評論家で、おもしろい奴だった。彼は僕らの音楽の発展に協力してくれた。それは僕らが呼ぶところの“ナイーヴ・ロック、税関史ルソー・サウンド”だった。

“Casablanca Moon”は新しいプロデューサー、スティーヴ・モースと様々なセッション・プレイヤーとともに録音された。常軌を逸したレコードだ。僕らのポップ・ミュージックに対する相反する感情によって、それは陰険で奇抜な表現に向かったね。スラップ・ハッピーのトレードマークである“魔力”のおかげで、曲は単なる模倣作品にはならなかった。僕はこのレコードが廃盤になって10年後に、ニューヨーク・シティ・ヘルス・クラブのシャワー・ルームで知らない人が“The Secret”を口笛で吹いていたのを聴いたことがある。キャッチーな曲だったね。

ライヴを見て感銘を受けたヘンリー・カウに影響を受けた僕らは、シングルとして“Europa”をリリースした。それがターニング・ポイントだった。おそらくその時初めて僕ら“全員”がコンポーザー/パフォーマーとして確立されたのだと思う。

“Desperate Straights”は今でも有効だと思う、最後のトラックを無視してくれれば。ダグマー作の“In the Sickbay”を聞くと、彼女はもっと曲を書けばよかったのにと思うね。

ザ・ヘンリー・カウとスラップ・ハッピーの連携によって75年にもう1枚、“In Praise of Learning”というアルバムを作った。それからかなりとげとげしく解散した。アンソニーは脱退して、僕は事実上クビだった―(“ああ、カウはほら吹きだ!”―75年プレイボーイ誌)。ダグマーは新しい音楽を探求し続け、ヘンリー・カウの様々なラインナップの中でツアーを経験し、70年代の終わりにArt Bearsとして全盛をきわめた。

僕ら3人はお互いのソロ活動に参加しながら何枚かのレコードを作り続けた。曲を書いていた時期にスラップ・ハッピーは一度だけライヴを行なった(1982年、ロンドンの近代芸術協会本部の劇場で、きらきら光る魚のマスクをかぶり“Everybody’s Slimmin’, Even Men and Woman”を歌った。そのシングルは僕ら自身のレーベル、ハーフ・カット・レコーズから出した)。でもスラップ・ハッピーは休むことも死ぬことも拒絶するんだ。大西洋の両側でいろんなアーチストたちが僕らを称え、時には僕らの曲をカヴァーした。そして1991年、今までで最も壮大な僕らのプロジェクト、アンソニー、ダグマー、そして僕が集まってチャンネル4が制作依頼した1時間の“オペラ”をやることになった。その“Camera”は93年の終わりに放映される予定だ。

僕は時々“独学スラップ・ハッピー”(一般的に知られているような“独学”マニュアルみたいな)を作っておけばよかったと思うことがある。でも時々しなくてよかったとも思うよ。ああ、それから僕らは“Desperate Straights”に続くコンセプト・アルバムを計画していた。“Slapp Happy Salutes the United Nations”は様々な民俗音楽を投げ売りする僕らがフィーチャーされている。そんなとこかな・・・
Peter Blegvad
(アンソニーとダグマーの協力に感謝)
93年7月ロンドンにて



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