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Shirley Collins/Sweet England/2010 A Wing & A Prayer Ltd. FLED3080



姉妹アルバムのFalse True Loversとともに、Sweet Englandは私が22歳の時の1958年春にレコーディングされた。私はその前の2年間、アメリカの民俗学者アラン・ローマックスといっしょにロンドンで過ごしていた。私は彼の著書The Folk Songs of North Americaの編集アシスタントとして彼のもとで働き、アメリカ、イギリス、イタリア、スペインでの彼のフィールド・レコーディングを手伝っていた。アルバム2枚分の37曲が、ピーター・ケネディとアランによって2日間でベルサイズ・パークのピーターのホーム‘スタジオ’で録音された。アランは7月にはアメリカに帰国しなければならなかったから、あるいはこのレコーディングは彼の置き土産だったのかもしれない。

イングリッシュ・フォーク・ダンス&ソング協会の当時の重役だったダグラス・ケネディの息子のピーターは、1950年代のほとんどをブリテン諸島全域でのフィールド・レコーディングに費やしていた。この2人の男性が行なった録音は圧倒的に名誉なことだったけれど、ふり返ってみれば、少し時期尚早だったような気がする。芽吹き始めていたフォーク・シーンはまだ幼少期だったし、私のような若いシンガーたちは道を探し求めていたところだった。

Sweet Englandの何曲かは、私が子供の頃にヘイスティングスの家で母親とグレース叔母さんが歌っていたもの(The Tailor & the Mouse, The Lady & the Swine, Blackbirds & Thrushes, The Keeper Would Be A Hunting Go)。母親はそれらの歌をイースト・サセックスのバトルにあった学校で歌っていたのを覚えているといっていたから、私はセシル・シャープのFolk Songs for Schoolsが基になっているとほとんど確信しているわ。彼らは大人になってからも家で歌い続けていたから、第二次世界大戦中の危険と恐怖の私の子供時代に、シンプルで親しみやすい歌として、私の生活に欠かせないものになっていた。The Bonny Labouring Boyはおじいちゃんが歌っていて、Barbara Allenはおばあちゃんが歌っていた(このメロディじゃなかったけど)。

The Cuckooは曾おばあちゃんからで、Hori-Horoはジョージ叔父さんからだった。これはヘブリディーズ諸島のラヴ・ソングで、ジョージ叔父さんは第二次大戦の脱出作戦で第8師団に従事していたニュージーランドの兵士が歌うのを聞いたそうね。戦後、彼はヘイスティングスで毎年ボクシング・デー(クリスマスの贈り物の日)になると、家族全員が集まったところで、ドイツ語で歌うLili Marleneとともにこれを歌っていた。あと彼のパーティーの出し物がヒンディー語の歌だった。ブリキのトレイをコンコン叩きながら、体にはほとんどタオル1枚だけしか身につけてなくて、歌っているうちにそれがずり落ちそうになるたびに、笑い声と「危ない!」っていう悲鳴が上がっていたわ。

私たちはヘイスティングスのクライヴ・ヴェイルにあった小学校でTurpin Heroを歌っていたけど、私が初めてイングランドのメロディの特徴に意識的になったのが、その時だった。7歳か8歳の時に、私は何者?ってね。私たちがこれを歌っていた時に、私はちょっとGreensleevesぽい響きがあると思っていた。その時に感じたことは今でも思い出すことができるし、私は学校の大きな時計を見て、校舎に戻らなきゃいけないことを心配していた時の気持ちをまだ覚えているわ。私はまだうまく時計が読めなかったけど。

のちになって私がロンドンのEFDSSにあるセシル・シャープ・ライブラリー(1958年にラルフ・ヴォーン・ウィリアムズ・メモリアル・ライブラリーに改名された)で見つけた他の歌が、つまりSweet England, Hares on the Mountain, The Bonny Irish Boy, The Cherry Tree Carol, Polly Vaughan(これらは私が曲をつけた)、そしてSweet Williamだった。他の2つ、Omie WiseとPretty Saroはアングロ-アメリカン(イングランドとアメリカ共通の)伝承からで、これもセシル・シャープ(とモード・カペルズ)の素晴らしいコレクションで1916〜18年に編纂されたEnglish Folk Songs From the Southern Appalachiansから。Charlieは私がとても称賛するケンタッキーのシンガー、ジーン・リッチーから。

フォーク・ソングに伴奏をつけるのは1958年時点ではまだ珍しかった。私はアランにもらった5弦バンジョーで自身に伴奏をつける練習をしていた。何曲かではまあまあのプレイができていると思っているけれど、アランは残りはジョン・ヘイステッドとアメリカから英国に来ていたガイ・キャラワンとラルフ・リンツラーがバンジョーとギターでバックアップしたと主張していたわ。今アルバムを聞いてみると、自分がいかに未熟だったかを聞き取ることができる。時々とても自信なさげで、ある時はがんばりすぎているところがある。それからたくさんのサセックス特有の声門閉鎖(声門の一時的完全閉鎖またはその開放において生ずる音:bottle, waterなどの“t”の音)がはっきり聞こえる!

アメリカン・マーダー・バラッドの甲高いOmie Wiseを録音したのは、あるいは失敗だったかもしれないと思うけれど、その改訂ヴァージョンはもっと古いバラッドのThe Two Sistersの要素が入っていて、The Berkshire Tragedyとして気軽に歌われていた。そのタイトルでアルバム、False True Loversに入っている。

私はここから再び7曲をレコーディングすることになった。1964年のFolk Roots, New Routesでは、3曲がデイヴィ・グレアムのユニークなアレンジメントが施された―Hares on the Mountainはもっと洗練されて、Sweet Englandのそれよりも落ち着いた雰囲気になった。あとはここでは無伴奏のPretty SaroとHori Horo。Polly VaughanとBarbara Allenは、67年のアルバム、The Power of The True-Love Knotで再登場した。そのアルバムは姉のドリーがアレンジメントを担当していて、The Bonny Labouring Boyの彼女のアレンジメントはSnapshotsと、The Holly Bears The CrownのThe Cherry Tree Carolに表れている。

私は成熟するにつれて、陽気でありふれた歌を自分のレパートリーからはずしていって、自分自身の判断と本能を信頼するようになった。私はピーター・ケネディとボブ・コッパーがフィールド・レコーディングした古いトラディショナル・シンガーたちの歌をさらに学んでいった。それから偉大な印刷物のコレクション(ブロードサイドのこと)に載っていた歌からもね。でも私は初期のキャリアに力を貸してくれ、信頼してくれたアランとピーターには常に感謝している。彼らは私に最初のチャンスを与えてくれて、私の未熟でナイーヴな歌の資質を認めてくれた(私はその欠点をしみじみ分かっているけれど)。アランは気前よくオリジナルのライナーノーツを書いてくれた・・・‘ここにあるのは若い女の子の芸術を超えた切なく繊細なマジックだ’。

全盛期のイングリッシュ・トラディショナル・ミュージックは、その歌の中に音楽的にも感情的にも私に必要なものを全て提供してくれる。Sweet Englandは、私の人生の最初に踏み出した不安定な旅路の第一歩を示している。今でもその時の喜びを感じることができるわ。次のことばを心にとめて聞いてみてもらえたらと思う。シェイクスピアのヘンリー5世のプロローグから引用させてもらうと・・・

「わたくしコーラスがご案内致します どうか辛抱強く私どもの芝居をご覧いただけるよう お願い申し上げます」

シャーリー・コリンズ、2010年ルイスにて


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