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Shirley & Dolly Collins/The Harvest Years/2008 EMI Records Ltd.
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1960年代〜70年代にかけてのイングリッシュ・フォーク・リヴァイヴァルからは、多くの注目すべき才能が出現したが、その中で最良のひとつがシャーリー&ドリー・コリンズだった。彼女たちは並外れた半ダースのレコードを通じ、英国フォーク・リヴァイヴァルへ多くの革新をもたらした。1964年、シャーリーはデイヴィ・グレアムと共に、ジャズとフォークを見事に融合させたFolk Roots, New Routesを吹き込んだ。ドリーのポータブル・オルガンによってアレンジされた、典型的なイングランド南部の歌集であるSweet Primerosesは1967年にリリースされた。翌年にはインクレディブル・ストリング・バンドのマイク・ヘロンとロビン・ウィリアムソンとのコラボレーションによって、The Power Of The True Love Knotを制作した。これら全てのレコーディング作品の目的は田舎のフォーク・ミュージックの遺産を、それに対する理解と深い愛情によって、よりコンテンポラリーな音楽へと昇華させることにあった。ジョン・ピールの支援によって、彼女たちの作品はすぐにハーヴェスト・レコーズの目にとまった―これはEMIの新しい“アンダーグラウンド”レーベルであった。

シャーリーとドリー・コリンズは、トラディショナル・ミュージックを愛する家族と共にサセックスで育った。彼女たちの叔父で作家だったF C Ballは、彼女たちに幅広い音楽を聞くことを勧めたが、中でも特に奨励したのが、クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643:イタリアの作曲家、初期バロック音楽)とヘンリー・パーセル(1659-95:イングランドの作曲家)だった。1960年代半ばまでに彼女たちはそういった‘初期の音楽’と、シャーリーがフォーク・クラブで歌っていた歌をミックスさせるという試みに熱中していた。そしてMusica Reservata楽団の著名で熱心な探求者であったデヴィッド・マンローも同じ考えを持っていることが判明した。シャーリーは1988年のインタビューで回想している。“ドリーと私はよくMusica Reservataのリハーサルに出かけて行って、ミュージシャンたちと知り合うようになっていた。そこで提案されてみんなが賛成したのが、イングリッシュ・トラディショナル・チューンと初期のまだ粗野で完全な旋律になっていない古楽を結びつけるっていう素晴らしいアイデアだった。私たちはそこでこのアイデアを思いついたのよ。”

Anthems In Eden―コリンズ姉妹が1969年にハーヴェストにレコーディングした初作品―には、LPの片面を使って、第一次世界大戦で多くの若者がヨーロッパの戦場で死んだことによって、田舎のイングランド社会が崩壊したことを伝える歌が連結されて組曲として並んでいる。“かつて五月祭には、多くの村落広場の中心にその柱(メイポール:彩色して花・リボンなどで飾った柱、五月祭にその頂部にくくられたテープを持って周囲を回りながら踊る)があったけど、記念碑に取り替えられてしまったわ。”このアルバムは元々Anthems Before The Fallと名付けられ、1968年8月にBBCラジオ・ワンの‘My Kind of Folk’という番組用にレコーディングされたものだった。荘厳で聞き慣れないアンサンブル楽器―レベック(3弦の擦弦楽器)、サックバット(中世のトロンボーン)、クルムホルン(ステッキを逆にした形の古代の木管楽器)、これら全ての使用によって、この時はフォーク・ソングにギターは唯一相応しくない楽器となった。これによって、このような野心あふれるプロジェクトを引き受けたハーヴェスト・レーベルに大きな名声が与えられることになった。アルバムはフォーク・ミュージック界に大きなインパクトを与えた。いくつかの主な評論では、トラディショナル・ソングにエレクトリック楽器を使用することを想像するのは不可能であるとさえいわれたのである。フェアポート・コンヴェンションとスティーライ・スパンは、この先駆的なAnthems In Edenの力を借りることなく発展し、うまくその魅力を伝えてきたのであるが。

アルバムのB面は、シャーリーの当時のレパートリーがフィーチャーされていた。そこには再びドリーのアレンジメントによる‘通常のオーケストラ’の伴奏がついていた。彼女はのちに回想している。“私たちはほとんど‘Anthems’(A面)に力を注いでいた。振り返ってみれば、B面のセレクションはかなりランダムに集められたものね。でもどれも今でも私たちのレパートリーだし、好きな歌ばかりよ。”

彼女たちのハーヴェストからのセカンド・アルバム―純然たる美しさを持ったLove, Death & The Ladyは、彼女たちの最高のパフォーマンスをとらえている。ハープシコード、ピアノ、中世の木管楽器そして弦楽器は、シャーリーの歌唱に美しく添えられ、その豊かな音楽的情景を浮かび上がらせている。オースチン・ジョン・マーシャルのあたたかいプロデュースは、ヴォーカルと背景の間に絶美な緊張感を保持させている。シャーリーはレコーディング・セッションがほんの数日間で完了したことを回想する。ドリーはレコーディングの過程はアルバム・ジャケットが示すような重々しく厳格なものではなかったことを覚えている。“私たちはスタジオでどの曲を録る時もすごく陽気だったわ。とても悲しい歌でさえもね。”彼女たちはその頃、感情的に混乱状態にあった。シャーリーの選曲は当時の彼女たちの気持を反映している。

前作とは根本的に違ったムードの漂っているLove, Death & The Ladyは、それでもAnthems In Edenに入っていたミュージシャンが何人か参加している。クリストファー・ホグウッド(ハープシコード)、アラン・ラムズデン(サックバット)、アダム・スキーピング(ベース・ヴィオルとヴァイオリン)、ロデリック・スキーピング(ベース・ヴィオル)そしてエリナー・スローン(レベック)は、デヴィッド・マンローの草分け的アンサンブル―Musica ReservataとEarly Music Consort of LondonとEarly Music in Britainの中心的メンバーであった。ペンタングルからはテリー・コックスが参加し、パーカッションを担当している。ドリーの見事なアレンジメントがピアノとハープシコード中心に配置されている。

ドリー・コリンズは高名な英国の作曲家アラン・ブッシュの下で学び、シャーリーの作品に加えてピーター・ベラミーの風格あるバラッド・オペラ‘The Transports’と、彼の未レコーディング作品‘We Have Fed Our Seas’のアレンジャーとなった。彼女の特徴的なアレンジメントはまた、インクレディブル・ストリング・バンド、イアン・マシューズ、マーク・エリントン、クリス・ダロウ、そしてトニー・ローズその他多くのレコードで聞くことができる。

1971年、シャーリーは25名ものアルビオン・カントリー・バンドのメンバーと共に、壮大なNo Rosesをレコーディングした―これはさらなる実験の成功と、もう一方のブリティッシュ・フォークロックの基準点となった。1970年代中頃、シャーリーとアシュリー・ハッチングスは、テリー・ポッター、イアン・ホルダーそしてヴィック・ガモンと共にオール・アコースティックのエッチンガム・スティーム・バンドを結成し、フォーク・クラブとフェスティヴァルのサーキット活動を始めた。バンドのレパートリーは、シャーリーの愛したサセックスのトラディショナル・ミュージックから成り立っていた。そしてレパートリーは次第にダンス・チューンへと移行していき(何人かのミュージシャンも加えながら)、エッチンガムはジ・アルビオン・ダンス・バンドへと発展していった。このバンドはモダン楽器(エレクトリック)と中世楽器の奇妙なミックスによってトラディショナル・マテリアルを演奏する十字軍的な勇士によるダンス・バンドであった。彼らはハーヴェストにThe Prospect Before Usを吹き込んだ(76年)。

ハーヴェストが1976年にAnthems In Edenをリイシューすることを決定した時、シャーリーは新しい歌を組曲としてレコーディングしたいと申し出た。そのAmaranthの新たな曲は、アシュリー・ハッチングスがプロデュースし、アルビオン・ダンス・バンドのミュージシャンの多くと‘Anthems’のHarmonious Sweet England Bandからクリストファー・ホグウッドが参加した。ある辞書によれば、Amaranthとは永遠にしぼむことのない想像上の花だ。園芸家なら間違いなくamaranthus caudatus(アマランツス・カウダツス:和名ヒモゲイトウ)というだろう。一般的にはlove-lies-bleeding(英名)として知られる花である。当時シャーリーはAmaranthを最後に引退するつもりであり、彼女が愛した音楽全てをカヴァーする新しい選曲を行なっていた。

イングリッシュ・フォーク・リヴァイヴァルの中で、シャーリー・コリンズほど多くのレコードで実験を試みたシンガーはほとんどいないだろう―彼女の声はもろさとパワーが素晴らしく融合されたものであり、アレンジメントは常にストーリーへの好奇心をあおるような魅力を放っている。“私は本当に率直でシンプルな装飾のある音楽が好きね。芝居じみたパフォーマンスなしで歌うことは、思っていることを伝えるんじゃなくて、歌について想像させることを可能にするのよ。”シャーリーとドリーにとってトラディショナル・ソングは常に過去の平凡な労働者の人々と直接に結びつくものだった。彼女たちのレコーディングはいつもフォーク・ソングに対する愛情とコンテンポラリーなアレンジメントが一体になったものだった。このThe Harvest Yearsは、シャーリーとドリー・コリンズがハーヴェスト・レーベルに残した全作品を寄せ集めた初のCDだ。

残念ながら1978年のFor As Many As Willがコリンズ姉妹最後の作品となった。シャーリーは80年代の初めに歌手を引退した。ドリーは世俗的なミサ曲を含む作曲活動を続けたが、1995年にこの世を去った。彼女たちの遺産は続く世代のミュージシャンたちに影響を与え続けてきた。のちに出版された彼女の自叙伝America Over The Waterでは、アラン・ローマックスと共に米国南部で収集したフォーク・ソングについて語られており、シャーリーは現在でもフォーク・トラディション全側面の語り手として引っ張りだこの存在だ。彼女は通信制大学の名誉職修士号を取り、New Year’s Honours Listにおいて2007年にMBEを授与された。また2008年にはBBCラジオ2が、彼女のフォーク・ミュージックへの優れた貢献に対しFolk Awardを送った。

デヴィッド・サフ、2008年5月



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