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Shirley Collins & Davy Graham/Folk Roots, New Routes/1964 The Decca Record Company Limited, London. LK 4652



英国に訪問するアメリカのフォークシンガーにとって欠かせない参拝のひとつが、ロンドン南東のモダンな住宅地にいる‘番人’のところだ。そこで訪問者はたいてい玄関のスクーターに絡まってつまずくか、乳母車につまずく。そしてシャーリー・コリンズと会うことになる。彼女は英国同様、アメリカでもシンガー、伝統歌の収集家として高い名声を確立している。

夕食後、彼あるいは彼女はシャーリーによる穏やかな古いラヴ・ソングのもてなしを受ける。それは彼女のレパートリーである、あまり知られていない英国の歌に加え、アパラチアン・ソングを南イングランドのイディオムを使ってシャーリーが‘翻訳’した歌だ。

ぼろぼろの広場と西ロンドンのベイズウォーターの住宅街でデイヴィ・グレアムを見つけ出そうとする訪問者は、あるいはラッキーとはいえないかもしれない。ギターを持ったデイヴィは、町のいたるところで見つかりそうではある(あるいはもっと可能性があるのはギリシャ、ペルシャ、モロッコかもしれない)。しかしもし彼を突き止めるなら、熱心なファンの小さな一団の中で見つかるだろう。彼はそこでしゃがんで自分の感情を操りながら、完全無欠な流麗さでギターを弾いているだろう(たいていはブルースだ)。ビッグ・ビル・ブルーンジー、レッドベリーに続く彼の‘フォーク・ヒーロー’は、セロ二アス・モンク、チャールズ・ミンガス、ソニー・ロリンズ、ジミー・ジュフリー、ボビー・ティモンズだ。彼はシャーリーと同じく、一般的に容認された伝統的規範内でその音楽的解決に取り組んできた。

このごろの彼は中極東のリズム、ハーモニーとブルースのフレーズ、音の発出をミックスさせてきた。旅の途中で彼の耳は、伝統的なアイルランドの主旋律と、インドのラーガ音楽の曲がりくねった音階の間の類似性をとらえていた。彼の実験的成果によって、私はシャーリーの曲、PRETTY SAROに、類似するインド・アレンジを施してはどうかと提案した。この計画は彼が日光とアラブ方面のサウンドとテイストを吸収しようとタンジール(モロッコ北部)への旅によって、去年の冬に早くも実現していた。旅から戻ってきた彼は、いつもシャーリーの歌の伴奏をしたがっていたことを打ち明け、その音楽的枠組を生み出そうと検討し始めた。それはアルバムの中で重要な位置を占めることになる(最初の成果は1964年7月のロンドン、マーキュリー・シアターでのコンサートで現れた)。

このアルバムのほとんどの歌で初めてこういった処理が施されたが、シャーリーに関するかぎり、そこに驚くべき革新性があるわけではない。その代わり、彼女はサセックスで幼児期を過ごし、その南部アクセント、彼女の家族のトラディショナル・カントリー・ソングに対する愛情にもかかわらず、彼女は自身のオートハープ、5弦バンジョー、そしてマウンテン・ダルシマーを一度に実験することによって、ブリティッシュ‘フォーク’に伴奏をつけるという「冒涜行為」を犯してしまった。しかし彼女が適度に伴奏をつけた中世風のCHERRY TREE CAROLでは即興による演奏が施され完全に成功し、どの点からも‘フォーク-サウンド’となっているのである。

彼女がブルースとゴスペルの地であるU.S.A.南部でテープ録音を行なった2,000マイルに及ぶ旅によって、ジャズとフォークのスタイル―通常はたいていの英国のシンガーたちが基盤とするスタイルだが―は彼ら以上に、彼女に身近なものとなっていた。この接近は変わることのない彼女の基本スタイルを植え付け、それはこのアルバムのパフォーマンスに表れている。

トラディショナル・ソングをアレンジする時、そこには多くの落とし穴が存在する。それはとりわけ一般的に認められたイディオムを故意に表出させてしまうことだ。ここでの黒人の伝統ブルース(blues-lore)は、偉大なるアングロ-アパラチアンの愛のしるし(love-knot)の中に深く織り込まれてきた。セロニアス・モンクによる自己分析の響きは、広大なブリティッシュ・トラディショナルの旋律と肩を並べ、インドのニューデリーはセシル・シャープのみずみずしく活気ある世界の中に組み入れられてきた。

何をおいても、ここには歌自体のもつマジックが存在する。少女は青年が魚になることを望み、ハンサムな見知らぬ者がキツネに変わることを望む。幼い神はその胎動期と10,000ものまだ生まれぬ胎児を語る。音楽はマジカルで相容れないものの融合である。東洋と西洋、洗練と原初、積極と消極、自然と超自然。

17世紀の哲学者トーマス・ブラウンがそれを適切に要約していたようだ。彼は書いている:“・・・音楽は時に人を楽しませ、時に人を狂わせ、深層部で私の帰依するものに共振する・・・そこには聴覚以上の何か神性のものがある。”

ジョン・マーシャル



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