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Shirley Collins/Adieu To Old England/1974 Topic Records 12T238



MISTRESS’S HEALTH/LUMPS OF PLUM PUDDING
これは単なるちょっとしたチューダー朝(ヘンリー7世からエリザベス1世までのイングランドの王家 1485-1603)の風物詩ではなくて、収穫完了祝いの歌。収穫祭は作物が集められた時に、農家が収穫労働者にふるまう儀式ばった食事のことだった。その風習は少なくとも中世かそれ以前からヨーロッパ中に広く普及してきた。それは食事と酒と音楽の大きな祭りだったが、とても儀式ばっていて、祝杯の様式をもった手の込んだ祝辞の歌がメインになっていた。今世紀まで続くイングランドでの収穫祭は、通常、女王のような扱いを受けた農家の妻が激賞された(19世紀の参観者によれば、‘ビールを何杯でも’といわれたらしい)。この祝杯は間違いなくエリザベス1世時代に端を発し、南イングランドの多くの地域では伝統的に農家の妻に適用されていた。カックフィールドのパン焼き職人サムエル・ウィレットは、それを収穫労働者から聞き、ルーシー・ブロードウッドに伝えられた。祝杯はブレディントンのモリス・ジグとともに行なわれた。

DOWN BY THE SEASIDE
この穏やかであからさまでロマンチックなブロードサイドのなごりは、サセックス、コップトーンのジョージ・メイナードから。

CHINER’S SONG
ボブ・コッパーがハンプシア、ノース・ウォルサムのフランク・ボンドから記録した。フランクはこの歌は今世紀初頭に脱穀機を使って働いていた仲間のことについて自分が書いたものだといった。シャーリー・コリンズは最初にこの歌をBBCのアーカイヴ・ディスクで聴いたが、それ以来、ボブはその歌を彼の書物Songs and Southern Breezesの中に収録した。しかし詞はこのレコードで聞けるヴァージョンとわずかに異なっている。

ADIEU TO OLD ENGLAND
シャーリーの夫アシュリー・ハッチングスがこの囚人バラッドをセシル・シャープの手書きのコピーから見つけた。サマセット、Westhayのヤコブ・ジブレットから記録され、シャープがその州で見つけた3つのヴァージョンのうちのひとつだった。もう1つはMuchelney Hamのロック夫人が歌ったもので、彼女は「楽しくて陽気な歌」と述べている。ロンドン、リトル・チープサイドのT・バチェラーによって、1820年ごろにThe Transport’s Farewellとして最初に出版された。

ASHEN FAGGOT WASSAIL
BBCのサウンド・アーカイヴから見つけたもう1つの歌。シンガーはサマセット、Curry Rivelのシドニー・リチャーズだった。彼は収集家から、この風習(酒宴)の重要性を尋ねられた時、もごもごと口ごもりながらこういった―「ああ・・・つまりその・・・どんちゃん騒ぎの言い訳だと思う・・・」

I SING OF A MAIDEN
The Oxford Book of Carolsが‘この有名なちょっとした傑作’と言及した文脈は、15世紀前半のSloane Manuscriptに端を発している。Oxford Bookはこう続ける―‘曲がついていたとしてもそれは失われてしまった。’ 以来、多くの作曲家がそれにメロディを施してきた。ここでの曲とアレンジメントはドリー・コリンズによるもの。

THE BANKS OF THE MOSSOM
Angmeringのジム・スウェインから収集したサセックスの歌で、彼はこれをFelpham近くの羊飼いから教わった。詞は少しばかり矛盾しているが、シャーリーは‘原石をだいなしにしたくない’といっている。BBCアーカイヴからで、ボブ・コッパーによって録音された。

THE RAM OF DERBISH TOWN
The Derby Ramの変形ヴァージョンで、あまりよく知られていないメロディ。ジプシーの女性キャスリーン・ジェントルがBBCのアーカイヴ・ディスクでこれを歌っているが、コーラスとしてドアがバタンと閉まる音、落ち着きのない子供たち、ニワトリの鳴き声が入っている。シャーリー・コリンズは自分のヴァージョンにうきうきしたヴァースを加え、サフォークのグループ、バード・レーンに頼んでスタジオで手伝ってもらった。

PORTSMOUTH
B面はエッチンガム・スティーム・バンドのイアンとテリーで幕を明ける。彼らはプレイフォードのThe Dancing Masterのメロディをプレイしている。

HORKSTOW GRANGE
1906年に作曲家のパーシー・グレインジャーが、リンカンシア、Barrow-On-Humberのジェーン・グッドソープから記録した。詞はおそらく年老いたグッドソープ氏による寄せ集めで、したがってその出来事はあまり明瞭ではない。ホークストー・グランジのけちな農家には、圧制的なボスのジョン・ボーリングがいた。ホークストーの荷馬車の御者は‘スティーライじじい’と呼ばれていたJ.S.スパンだった(訳注:おそらくアシュリー・ハッチングスのフォーク・バンド‘スティーライ・スパン’の名の由来)。スパンはボーリングの無情な扱いに憤慨し、2人は殴り合いのけんかになった。いきどおりに燃えたスパンは、その状況についての歌を作った。彼は海軍の酷使を描いた哀れなバラッド、Andrew Rose, the British Sailorのメロディに自分の詞を載せた。

COME ALL YOU LITTLE STREAMERS
見たところ、The Streams of Lovely Nancyのサセックス特有の変形ヴァージョンだが、これはフォーク・ソング・ジャーナル(FSJ)のページでは多くのヴァージョンが載っている。シャーリー・コリンズのヴァージョンは、1908年にジョージ・バターウッドとフランシス・ジキルによって、ミッド・ハーストのネッド・スプーナーから記録されたもの。誰にとってもいったい何のことだかさっぱり理解できない。1913年1月のFSJ第17号の章で、アン・ギルクリストとルーシー・ブロードウッドはそれをさらにややこしくしたかもしれない。

SPANIARDS CRY/SHERBORNE JIG
サムエル・ウィレットからのもう1つの収穫祭の‘乾杯’チューン。伴奏のモリス・チューンは、ドーセットのシャーバーンではなく、グロスターシアのシャーバーンのもの。

ONE NIGHT AS I LAY ON MY BED
アシュリー・ハッチングスが最近、ジャネット・ブラントの手書きのコピーの中でこの愛らしいヴァージョンを発掘した。シャーリーはサマセット、バスプール、ベイトリー・コッテジのネーション夫人が歌っていた3つのヴァースを使い、The Penguin Book of English Folk Songsに印刷されていたヴァージョンに付け加えた。

THE DEATH OF NELSON
ノーフォーク、キャットフィールドの故ハリー・コックスから。よく知られたコーラス部によって、この歌は燃えるような兵士の鬨(とき)の声(大勢の人が一度にあげる声)に容易に変えることができるだろう。しかしハリーはこれを悲しげな気品を漂わせて歌った。シャーリーが目指したのもそのスピリットだ。

CORONATION JIG
最初に戻って‘祝杯’で終わろう。私は7つの祝杯をあげるべきだろう。なぜならアルビオン・モリス・メンによるダンスは、それぞれのダンサー(プラス、ミュージシャン)が順番にグラス一杯のビールを飲むことになるからだ。メロディはHere’s Health Unto His Majestyで、ジェレマイア・サヴィルによる作曲。時代は1660年にさかのぼり、チャールズ1世がオランダ追放から呼び戻された時だ。

シャーリー・コリンズ/A L ロイド


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