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Shades Of MacMurrough/Carrig River/2007 Kissing Spell Ltd. KSCD944



18世紀と19世紀、アイルランドの詩と音楽は大きな変化を経験していた。その前の世紀、アイルランドの詩人たちは自国の言語であるゲール語を使って自分たちの感情を表現していたが、今や英語が母国語となり始めていた。その結果、アイルランドの伝統的な詩と音楽の新時代が発達することになった。借り物の言語を使用するものの、この新しいフォームは以前消え去ってしまったものと同等にアイリッシュであり、その中でその時代の英国産の詩とは全く異なった“アイリッシュネス”を育むことになった。

ザ・シェイズ・オブ・マックマーロウ―メアリー・オニール、ジョゼフィーン・オニール、そしてポール・カヴァナ―は、過去400年の中から、最高の詩とバラッドを選び出し、解釈を加えることによってこの変化を表現した。彼らの解釈とアレンジメントはスウィートでシンプルで、歌の背景への彼らの理解は、それぞれの歌のメッセージを伝えるのに必要なハーモニーと愛情をもたらしている。

―ジェラード・オグレイディ


シェイズ・オブ・マックマーロウはウェックスフォード(アイルランド南東部の県)のファーンズを拠点に、1970年から71年にかけて結成された。彼らはメアリー・オニール、ジョゼフィーン・オニール、そしてポール・カヴァナから成り立ち、その名を古代アイルランドの首領ディアマード(Diamuid)・マックマーロウから付けた。全員が公立の学校教師であり、彼らはバラッドとコンテンポラリー・フォークを入り混ぜてプレイしていた。彼らは6弦と12弦ギターでみずから伴奏を付け、3パートのヴォーカル・ハーモニーを得意としていた。

彼らが初めてメジャーなテレビ出演を果たしたのは、1971年のRTE(アイルランド国営放送協会)テレヴィジョンのタレント・ショー番組Reach for the Starsだった。彼らが演奏した中には、その年UKチャート・ヒットとなったデラム・レコーズのホワイト・プレインズの‘When You Are A King’が含まれていた。Reach for the Starsを通じて全国出演を果たしたことによって、シェイズ・オブ・マックマーロウはダブリン拠点のレーベル、ドルフィン・レコーズでファースト・シングルを録音した。A面は‘Julia’、B面は‘Helplessly Hoping’だった。‘Julia’はジョナサン・ケリー(ジョン・レディンガム)作で、ザ・ジョンストンズがトランスアトランティックからの1968年のアルバム、‘Give A Damn’でレコーディングしていた。

またジョナサン・ケリーのパーロフォンからの1970年のファースト・アルバムにも収められていた。スティーヴン・スティルスの‘Helplessly Hoping’は、アトランティック・レコーズから1969年にリリースされたクロスビー、スティルス&ナッシュのデビュー・アルバムに登場していた。コンテンポラリー・フォーク作品に属する両曲は、シェイズ・オブ・マックマーロウのユニークなヴォーカル・ブレンドと、彼らの好む緊密なハーモニーを示していた。チャートに火をつけるには至らなかったものの、‘Julia’はラジオでいくらかエアプレイされ、さらなるシェイズ・オブ・マックマーロウのレコーディングの道を切り開いた。

1年後、シェイズ・オブ・マックマーロウはポリドール・アイルランドからセカンド・シングルの‘Carrig River’/‘Tabhair Dom do Lamh’をリリースした。再び特徴的で親密なハーモニーが、繊細でほとんどエリザベス時代を思わせるスピネット(小型ハープシコード)の背後にフィーチャーされ、その結果、きわめてロマンチックな効果をかもし出していた。スピネットはB面の‘Tabhair Dom do Lamh’にもフィーチャーされていた。このタイトルは‘Give Me Your Hand’をゲール語訳したものだ。作曲したのは17世紀のハープ奏者Ruarai Dall O’Cathainで、最初にショーン・オリアダによって有名になり、プランクシティの最初のアルバムにも収められていた。‘Carrig River’はバノウ(Bannow)のカリック(Carrick)地域周辺のウェックスフォードに定着したコンテンポラリー・バラッドだったが、その快活なロマン主義は、トマス・ムーアの書体を反映していた。

またCarrig Riverは、ポリドール・アイルランドから1972年暮れにリリースされたデビュー・アルバムのタイトル・トラックにもなった。グループは楽器として、6弦と12弦ギター以外にティン・ホイッスル、オートハープ、スピネット、そしてバウロンを加えた。プロデューサーのジム・ティレルはベースとハープシコードをプレイし、グループの友人だったバリー・レヴィングストンはマンドリンとバウロンを加えた。アルバムはダブリンのイーモン・アンドリュース・スタジオで録音され、ポリドール・アイルランドからリリースされた(カタログNo. 2908-007)。またドイツではポリドール傘下のKarusselからリリースされた。収録トラックの傾向は、彼らのデビュー・シングル、‘Julia’/‘Helplessly Hoping’とは全く異なり、シェイズ・オブ・マックマーロウがすぐに行き着いたトラディショナル・フォークのレパートリーが中心だった。その領域は同時期に活躍していたプランクシティ/クラナド/スカラ・ブレイによって占められていたが、マックマーロウは彼らと同等の成功を収めることはなかった。

彼らの強力なヴォーカルがハイライトとなっているのはもちろん、アルバムはよりトラディショナルな側面を示していた。選曲は60年代後半から70年代初めにかけてのバラッド・ブーム/フォーク・リヴァイヴァルの時代に大きな影響を受けている。とりわけ目立つのは、卓越した解釈であるパドレイグ(Padraig)・コラムの‘She Moved Through The Fair’、アカペラの‘Rocky Road to Dublin’、パワフルにうねる‘Siobhan Ni Dhuibhir’、そして対照的に素晴らしく繊細な解釈である‘Johnny Shoemaker’だ。彼らがいかにローカルなマテリアルを取り上げようと、タイトル・トラックの‘Carrig River’、‘O’Sullivan’s Retreat’、そして‘Courtown Fisherman’らはいずれも、彼らのウェックスフォード地域への関心の高さを示していた。強力な3パート・ハーモニーと快活に変化する楽器編成を伴ったアレンジメントは、きわめて洗練され、その時期にはめったに見られないような優雅さを保持している。この上品なセンスは次のアルバム、Mac Murroughでさらに推し進められることになる。

アルバム、Carrig Riverは崇高なヴォーカル・ハーモニーと繊細な楽器演奏の甘美なブレンドだ。そのパフォーマンスは洗練と熱狂のバランスを保ちながら、命とエネルギーにあふれている。彼らはマテリアルとアレンジメントの表現において創意に富んだアイデアを用い、一貫して楽しく魅力的なデビュー・アルバムを生み出した。また失われたアシッド・フォーク・クラシックとして完全に伝説的なステイタスを獲得してしまった。

シェイズ・オブ・マックマーロウは、1973年に短くマック・マーロウと改名した。彼らはセカンド・アルバムのMac Murroughを、元プランクシティのメンバーで、未来のボシー・バンド/ムーヴィング・ハーツの創設者であるドーナル・ラニーのプロデュースによってレコーディングした。またポリドール・アイルランドでシングル、‘Only Our Rivers Run Free’/‘Lord of the Dance’をレコーディングした。両曲とも1973年のLP、Mac Murroughには収録されなかった。マック・マーロウは1974年のRTEテレビのパン・ケルティック・ソング・コンテストで準決勝まで進んだ。そこで彼らは‘Cuan Baile Na Cuarta’をプレイし、それは1974年にゲール・リン・レーベルからシングルとしてリリースされた。

ジョゼフィーン・オニールはグループを去り、1976年にダブリンに移った。彼女は1977年のユニヴァーサル・フォーク・センターによるLP、‘10 Years On’の中の‘Footprints in the Sand’で、ギタリスト/シンガー/ソングライターのパット・アームストロングとのデュエットで姿を現した。ポール・カヴァナとメアリー・オニールは1975年に結婚し、デュオとしてマック・マーロウの名で活動を続けた。マック・マーロウは1977年にウェックスフォードとダブリンで3枚目のアルバム、Merry & Fineをレコーディングした。また彼らはゴリー(Gorey)・アーツ・センターに出演した全国の地方のアーチストが収められたコンピレーション、‘10 Gorey Years’に参加した。1981年、マック・マーロウはポリドール・アイルランドから最後のシングルであるエリック・ボグルの‘Mary and Me’/‘A Man Named McCaul’をリリースした。後者はウェックスフォードの作曲家PJ McCaulから名付けられた。マッコールは‘Boulavogue’含む1798年の反乱から、有名な史実バラッドをいくつか書いていた。

彼らの主なテレビ出演は、1977年のRTEによるSBB ina Shuiと1982年のBantry HouseでのDonnacaを含み、それらは2006年にRTEのCome West Along The Roadで再放送された。現在グループは引退し、公的な活動はしていない。ポール・カヴァナは法律の勉学に打ち込み、90年代末に法廷弁護士及び地方判事となった。夫妻は今もウェックスフォードに住んでいる。ポールは今回のCarrig Riverと続くマック・マーロウの2枚のアルバム、Mac MurroughとMerry & FineのCDリリースに際し、心から歓迎の意を示してくれた。

©ジョン・オーリガン 2007年2月


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