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Sandy Denny/‘Gold Dust’Live At The Royalty/1998 Island Records Ltd. IMCD 252 524493-2



“音楽が奏でられる時 それは変化が訪れる時 もはや私たちは全くの見知らぬもの同士ではなくなる・・・”

時々シンガーは自らのルーツに立ち戻って行く。サンディ・デニー、彼女は生涯に渡ってそうであった。自分の翼を求めながら。

サンディは常に自らの音楽を通して、自分自身を表現するための新しい道を模索していた。彼女はしばしばフォーク・シンガーとして語られる一方で、トラディショナル・ミュージックに対して純粋主義者であったことは一度もなかった。彼女の初期フォーク・クラブ時代の自身のギター伴奏による自身の歌は、当時の正統派に対抗していたことを示している。彼女はフェアポート・コンヴェンションという豊富な人材を寄せ集めたグループにトラディショナル・ミュージックのフレイヴァーを持ち込んだが、自身の曲を追求するためにバンドを去った。彼女が最後のスタジオ・アルバム、Rendezvousをリリースするまでに、彼女のレパートリーはオリジナルとトラディショナル・ソングはもちろん、エルトン・ジョン、ジ・インク・スポッツ、そしてリンダ・ロンシュタットによって有名になった曲を含んでいた。

1977年11月、2年間のブランクを経て彼女がステージに戻ってきた時、彼女にははっきりとしたヴィジョンがあった。さしあたり、トラディショナル・ソングは過去のものとなっていた。(ロンドンのロイヤルティ・シアターでの二つのショーのうちの最初のショーで、かつて彼女は“‘Matty Groves’をまた歌うくらいなら窓から身を投げるわ。”と明言した)

彼女のバッキング・バンドはピート・ウィルシャーを擁していたが、彼のペダル・スチール・ギターはボブ・ディランの“Tomorrow Is a Long Time”のカントリー・ソウル風味を際立たせていた。しかしまた彼女のセット・リストには全くのロック・ナンバーである“I Wish I Was a Fool for You”(リチャード・トンプソンの“For Shame of Doing Wrong”だ)と“Gold Dust”が含まれていた。彼女を縛りつけるものは何もなかった。“すごくムーディーでしょう?”サンディはステージで皮肉っぽくいっている。

彼女は突飛で大荒れの音楽シーンに再び出現することになった。パンクがポピュラー・ミュージックの世界に最初の一撃を加えていた。それは長い目で見れば淘汰されるものであったが、短期的には(よく見れば)保守的なものを棄て去り、(悪く見れば)サンディのようなアーチストたちが作り上げたメロディックでリリカルな繊細さを時代遅れにさせてしまった。一方、他のところからディスコがその安っぽい羽毛で覆われた尻尾を地平線の向こうから延ばし始めていた。サンディの最も感情に訴えるウィスパー・ヴォイスは、そのわざとらしい金切り声の下にいとも簡単に失われてしまった。

サンディはその辺にいる単なる一匹狼などではなかった。ピーター・ゲイブリエル、ジョーン・アーマトレイディング、そしてリンダ・ロンシュタットは、たしかに頑固に彼らの道を歩んでいた。しかし彼らは2年間の回り道をしなかったし、庭と家族と共に過ごすシンプルな生活を送るために音楽の世界で高度なドラマを展開することもなかった。

我々の20年のあと知恵は、サンディが見たものを簡単に覆い隠してしまう。この短期間ツアーは別れではなく、復帰を意味していた。それはサンディにとって再び訪れたチャンスだった。

サンディは見るからに神経質だった。あるいは聴くからに同様に神経質だった。ある人はこう判断するかもしれない。彼女の声はピークを過ぎていたと。絶え間ない煙草が初期のフェアポートのアルバムで聞かれるようながっしりとした彼女の最低音域を弱めてしまったのだろう。ライターのクリントン・ヘイリンは彼女が11月のツアーの間中ずっと風邪と戦っていたことを詳しく述べている。

彼女がかつて長く伸ばすことができた声が出なくなっていることが、このパフォーマンスに微妙に現われている。まるで彼女は自分に歌いかけているかのように、多くの歌の中に瞑想的なトーンが漂っている。ヴォーカル・ラインはバックの演奏に対抗して引き伸ばされている。彼女は声のパワーを取り戻そうとしているのか?時間を引き延ばそうとしているのか?

声の中の他の部分に耳を傾けてみると、そこには感謝の念が存在する。彼女は驚くべきトリックを使ってみせた。彼女は自分自身の内向性に向きあい、聴衆の無関心さに脅しをかけ、再びその威嚇を自分自身に分け与えている。時々声はさまよい、よろめいている。それはまるで使い古したタペストリーのようだ。それは純粋さではなく聡明さである。しかしそれも美しさの一部だ。それは命をまとい運命を持っている。

もし彼女が舞台の袖に戻った時、それが彼女の最後のコンサートになることを知っていたら、彼女は誇らしげな気持ちだっただろうか?私はそう信じている。しかし満足していたか?もしかするとしていなかったかもしれない。彼女はもっと歌いたかっただろう。彼女にはオーディエンスとの触れ合いがあれば常にチャンスがあった。彼らの理解と賛同が彼女にとっての最大の褒美だった。

私がまずサンディにひきつけられたのは、(多くの人もそうだと思うが)広告の写真が自分の中に消えずに残り、そのイメージに興味をそそられたからだ。そして私はさっと彼女のことを調べてみた。そこにあったのは―巧みに風に吹かれて揺れるブロンドの髪、官能的なまなざし、甘い声、ミステリアスな早過ぎる死だった。

しかしサンディについて知れば知るほど―会ったこともないのに―私は彼女がどのように死んだのか、そしてどのように生きていたのかについて興味がなくなっていった。私は一人のふっくらとした小柄な女性が取り組もうとしていたかに見えた世界のことを知りたくなってきた。下品なジョークの話し手、漫画の描き手、ワインを愛する言葉遊びの天才、そして夫と犬に寄り添う女性。

夫であるトレヴァー・ルーカスがかつてこういったことがある。“サンディには多くの矛盾した面があった・・・彼女はマーガレット王女と会ってすごく仲良くなることだってできた―彼女は全く自分を意識せずにおしゃべりを楽しんだんだ。ところがスーパーマーケットに連れて行ってレジの女の子に何か聞いてもらおうとすると、彼女は緊張で固まってしまうんだ。” これは恥ずかしがり屋を示していると思われるだろうか?私はそう思う。彼女は時々オーディエンスを前にしてナーヴァスになっていた。それがオーディエンスにとって彼女をいとしく思うことにつながっていた。彼女の弱さは彼女の最大の強味だった。

彼女は活動休止期間中に一人娘のジョージアを生んだ。彼女は愛すべき誇り高い母だった。彼女は家族と共に多くの時間を過ごすことを楽しみにしていた。我々と共に彼女の音楽を一緒に楽しむことも。このコンサートから半年後、家の中での事故によって彼女は死んでしまった。31歳だった。

私にはここにある音楽の中にその前兆も聞こえないし、死の願望も聞こえない。ここにあるのは幅広い音楽的才能を持ったシンガーの驚くべき声だけだ。彼女はもっと大きな名声へと向かっていったに違いない。彼女はツアーの狂乱から燃え尽きていたに違いない。我々は今彼女の歌を聞いている。彼女が自分自身の歌を聞くように。その素晴らしいキャリアの真ん中にいた一人の女性として。彼女は立ち去ることなど考えていなかった。

パメラ・マレイ・ウィンターズ
1998年2月


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