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Sandy Denny/Sandy/2005 Universal Island Records Ltd. IMCD314 982 802-2



サンディ・デニーは60年代後半のフォークロック・シーンから現われた最高のシンガー/ソングライターの一人だった。彼女はフォーク・シンガー以上の存在だった。1978年4月、階段から落ちて死んだ時、彼女は31歳をちょっと過ぎていただけであった。今日に至るまで彼女の傑出した音楽は、エルトン・ジョン、ロッド・スチュワート、ジュディ・コリンズ、ナンシー・グリフィス、ピート・タウンゼンド、そしてケイト・ブッシュらによって高く評価されている。

“彼女は完璧なブリティッシュ・フォークの声だった。ヴィブラートがないんだ。ピュアで自由だった。”
ピート・タウンゼンド

アレキサンドラ・エレーネ・マクリーン−サンディ−デニーは、1947年1月6日にウィンブルドンで生まれた。子供の頃からサンディは一度聞くと忘れられないような天空の声を持っていた。彼女は幼い頃からピアノを弾き始め、学校の聖歌隊で歌い始めた。看護師になるかアート・スクールに通うかはっきりしないまま、彼女はロンドン南西のフォーク・クラブで歌い始めた。たちまちのうちにサンディは偉大なフォーク界の吟遊詩人、アレックス・キャンベル、ジョニー・シルヴォらとレコーディングを行なった。数年のうちに、彼女はデイヴ・カズンズと知り合い、コペンハーゲンでアルバムをレコーディングするために彼のストローブスに加入した。1968年5月、彼女はフェアポート・コンヴェンションのオーディションを受けた―グループのメンバーにしてみれば、今振り返ってみると彼らがサンディのオーディションを受けたようにも思えてくる。

サンディのフェアポート在籍期間はほんの1年半だった。しかしバンドにとって、初期3枚のブリティッシュ・フォークロックの傑作アルバムを制作するには十分な期間だった。つまりそれはWhat We Did On Our Holidays, UnhalfbrickingそしてLiege & Liefである。以来これらのアルバムは、そのジャンルを定義づけることになったが、サンディは1969年暮れに未来の夫となるトレヴァー・ルーカスとともに新バンドを結成すべく、グループを去っていった。その新バンド、フォザリンゲイはパット・ドナルドソンとジェリー・ドナヒュー(二人とも元Poet & the One Man Band)そしてジェリー・コンウェイ(Eclectionでのトレヴァーの仲間)を擁していた。1枚の傑作アルバムを発表したのち、グループは1970年の終わりに解散した。サンディは1971年に‘The North Star Grassman and the Ravens’をリリースし、ソロ・キャリアをスタートさせた。

サンディのアイランド・レコーズからのセカンド・ソロ・アルバムは、1971年11月から1972年5月の間に、半年以上の時間をかけて、ゆっくりとレコーディングされていった。慣れ親しんでいたサウンド・テクニクス・スタジオで、エンジニアのジョン・ウッドとプロデュースを担当したトレヴァー・ルーカスに囲まれた快適な環境であった。

1972年9月にリリースされたSandyには、アーチストとレコード・レーベル双方がメインストリームのオーディエンスを獲得しようとする断固とした決意が表れていた。デヴィッド・ベイリーによる魅惑的なカヴァー・ポートレイト、プロモーション活動、豪華なレコードの装丁、そして一貫して強力な楽曲のセレクションは、ライター、パフォーマーとしてのサンディの才能をサポートしていた。出来上がったアルバムは、間違いなく彼女の短いキャリアの中で最高の1枚となった。トニー・ブラックバーンは「今週の1枚」としてListen Listenを推薦した。この曲のフランス語ヴァージョンは、ヨーロッパでのシングル・カットを見込んだものだった。音楽週刊誌は一様にサンディのソングライティングとアルバムの音の美しさを称賛した。サンディの熱心なファンであるカール・ダラスは、メロディ・メーカーの中で彼女を‘the first lady of British folk’と呼んだ。有力紙のニュー・ミュージカル・エクスプレスもサンディを‘the leading lady of British folk’と呼び、彼女のセカンド・ソロ・アルバムに‘勝利’の称号を与えた。アルバムのリリースに続いてサンディは英国ツアーを行ない、1973年初頭にはジェネシス、ランディ・ニューマン、ロギンス&メッシーナのオープニング・アクトとして北米ツアーを行なった。

1972年初めのNMEインタビューの中でサンディは次のように認めている。“私の歌はちょっと不思議で奇妙だと思う。全て人々についての歌ね。私はシンプルな歌を心がけているし、前よりずっとストレートになったと思う。”アルバムはサンディの頂点を迎えた作詞能力が窺える。The Lady, For Nobody To HearそしてThe Music Weaverは、音楽の持つ癒しの力を称えたものだ。The Music Weaverは彼女の親友であり仲間のリチャード・トンプソンを描写したものだと考えられている。サンディはリチャードを“世界最高のギタリスト”として敬意の念を持っていた。彼女は同じインタビューの中でディランの曲に取り組む時の不安を話している。“そうね、私はディランの曲を歌うのはちょっと恥ずかしいわ。なぜかっていうと彼の曲は彼の個人的な言葉で成り立っているし、彼の心の内側に私が入り込む権利は持っていないから。でも私はディラン愛好家であることには逆らえないわね。彼は私が崇拝する人ね。”Tomorrow Is A Long Timeはサンディによるボブ・ディランの究極的解釈を示している。

Sandyにおけるアレンジメントは、前年の‘The North Star Grassman and the Ravens’よりも、より野心的で音楽的に広範囲にわたっている。For Nobody To Hearの分厚いブラス・アレンジは、ニューオリンズのコンポーザー、アラン・トゥーサンによるものだ。このアルバムのハイライトは明らかに彼女のアカペラによるリチャード・ファリーニャのThe Quiet Joys Of Brotherhoodだろう。ここでのサンディのマルチ・トラックによる呪文のような歌唱について、彼女は1972年のメロディ・メーカーのインタビューでカール・ダラスに語っている。“私は絶対的に調和しないハーモニーを発見したわ。私はブルガリアン・ステート・アンサンブルのような東欧のグループに大きな影響を受けた。彼らのようなサウンドを出そうとしたんじゃなくて、彼らの歌の中にある純然性を出したかった。”

英国で最も特徴的で忘れられない女性シンガーの一人、サンディ・デニーは、どきっとさせるような美しい声を持っていた。Sandyは間違いなく彼女のレコーディング・キャリアのハイライトの1枚だ。

今回のリマスター版のために、我々はサンディが受賞作品である短編映画‘Pass Of Arms’のサウンドトラックに提供したトラックを追加することができた。アイランド・レコーズは1972年9月に、アルバムと同時にそのEPをリリースしている。

デヴィッド・サフ 2005年1月


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