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Sandy Denny/The North Star Grassman and The Ravens/2005 Universal Island Records Ltd. IMCD313/982-1



サンディ・デニーは長きに渡って我が国最高のシンガー/ソングライターのうちの一人としてみなされてきた。彼女のデビュー・ソロ・アルバム―1971年のThe North Star Grassman and The Ravensも同じように、彼女の特異性が示された含蓄に富んだ一枚である。これはフェアポート・コンヴェンションのかつての仲間、リチャード・トンプソンのHenry The Human Flyとともにある一つの濃厚な持続通音を伴った色調を持っている。Henry The Human Flyは抒情性からいえば、秋を思わせる英国特有のうつろに空想にふける様子はあまり見受けられないかもしれないが・・・ 冒頭のLate Novemberは音楽的にこの美しいアルバムを見事に要約している。

 世界中の海の深さに思いを馳せる
  私たちの心をかき乱す橋
   不幸をもたらす日のことを考える


アレキサンドラ・エレーネ・マクリーン・デニーは1947年1月6日、ロンドン南西のウィンブルドンで生れた。幼少の頃からサンディはどきっとするような美しい声に恵まれていた。看護婦の勉強をするかたわら彼女は南、西ロンドンのフォーク・クラブで歌い始めた。ロンドンでのサンディの初期の音楽的キャリアは、目まぐるしい進展の連続だったといっていいだろう。すぐに彼女はフォーク・シーンの大物、アレックス・キャンベルとジョニー・シルヴォとともにレコーディングを行った。それから数ヶ月内にデイヴ・カズンズと出会い、ストローブスに参加、コペンハーゲンで一枚のアルバムを制作した。1968年5月、サンディはまだ駆け出しだったフェアポート・コンヴェンションのオーディションを受けた―グループのメンバーとしてであったが、今から思えば彼らがサンディのオーディションを受けたというのがふさわしい表現かもしれない。

サンディの短い(最初の)フェアポート在籍期間はわずかに1年半だった。しかしグループのブリティッシュ・フォーク・ロックに対する青写真となった3枚の名作―‘What We Did On Our Holidays’、‘Unhalfbricking’、そして‘Liege & Lief’を制作するには充分な時間だった。1969年暮れサンディは未来の夫―トレヴァー・ルーカスと新バンドを結成するため、フェアポートを脱退した。フォザリンゲイには大きな期待が寄せられ、彼らはすぐに名声を築き上げた。ロイヤル・アルバート・ホールではエルトン・ジョンを前座にトリを務めた。しかしフォザリンゲイは1枚の強力な傑作アルバムを残し、1970年暮れに解散してしまった。サンディは直ちにソロ・アルバムの準備に取りかかった。

“詞は私にとって最も大事なものね。そして歌全体の構成が重要。”

レコーディング・セッションは1971年3月半ば、チェルシーのサウンド・テクニクス・スタジオでスタートした。サンディは信頼できる新旧の友人たちを集めた。フォザリンゲイのメンバーだったジェリー・コンウェイ、パット・ドナルドソン、ジェリー・ドナヒュー、そしてトレヴァー・ルーカスだ。加えてロビンとバリー・ドランスフィールド、マイティ・ベイビーからイアン・ホワイトマンとロジャーパウエル、ヤング・トラディションからロイストン・ウッド、リチャード・トンプソンはギターを弾き、サウンド・テクニクスのボス、ジョン・ウッドとともにアルバム全体の音作りに貢献した。レコーディング作業に名付けられたタイトルは、サンディがメロディ・メーカーの記者、レイ・コールマンに語ったところによると、‘ドタバタ悲劇’だった。“私はかなりそのタイトルを気に入っているわ。歩み寄りの連続だったから。‘ドタバタ喜劇’の代わりにこれを使ったのは、自分の曲では私はコメディアンではなく常に悲劇的なことを考えているから。私の曲のほとんどは深く傷ついたもの。かなり深刻にね。ハッピーな歌は歌えないのよ。”

サンディの当時のソングライティング・スタイルは、とても個人的で彼女自身の生活や友人たちに起こった出来事に対して多くの隠喩が使われていた。Next Time Aroundはスタジオでの会話が元になって、謎めいたタイトル‘かろうじて不可能’と呼ばれていた。これはサンディとアメリカ人シンガー/ソングライター、ジャクソン・C・フランクとの人間関係を指したことだといわれている。歌詞にはまた‘Theo The Sailor’とあるが、おそらく初期の彼女の恩師、キングストンのフォーク・バージにいたセオ・ジョンソンと関連しているのだろう。一方Crazy Lady Bluesは彼女の親友で仲間だったリンダ・トンプソンのことをわずかに描写している。アルバムの最重要曲は、来世への関心を壮大に歌ったタイトル・トラックだ―サンディの美しいダブル・トラック・ヴォーカルが控えめなギター、フルート・オルガン、波の音に乗って浮かんでいる。

いくらか内省的なムードが明るくなるのが快活なロカビリー・ナンバー、ブレンダ・リーのLet’s Jump The Broomstickとスタッカート調のボブ・ディラン・ナンバー、Down In The Floodだ。アルバム全体に渡って深く傷ついた喪失感と別れが映し出された歌とそのアレンジによって、効果的にサンディの内面が凝縮されている。唯一のトラディショナル・ソング―Blackwaterside―は崇高なパフォーマンスだ。彼女の他の重要なトラディショナル・ソングの数々―‘A Sailor’s Life’、‘Reynardine’、そして‘Banks Of The Nile’と並んで傑出している。

The North Star Grassman and the Ravensのオリジナル・リリースは1971年9月3日だ(Island ILPS9165)。プレスは一様に褒め称え、サンディはメロディ・メーカーの名誉ある‘ベスト・フィーメイル・シンガー’に2年連続で選ばれ、‘レッド・ツェッペリン検任悗離殴好隼臆辰乃啗を浴びたにもかかわらず、アルバムはほんの短期間チャートの31位にとどまった。しかしながらファンにとってこのアルバムは長くひとしきりのあらしのような傑作として存在し続けてきた。30年の間、このアルバムの名声はどんどんと高まっている。

今回のリマスターにあたって我々は、2曲のオルタナティヴ・テイクと2曲のセッション初期のテイクを追加することができた。

サンディ・デニーの非凡な才能はエルトン・ジョン、ロッド・スチュワート、ジュディ・コリンズ、ナンシー・グリフィス、ピート・タウンゼンド、そしてケイト・ブッシュらによって高く評価され続けている。最近のインタビューでエディ・リーダーは述べている:“サンディは間違いなく最高のイングリッシュ・フォーク・シンガーだ。彼女は無伴奏シンギングの魅力を保持していた―親しみやすくて、太古の歌に献身する高度に熟練された声だ。”

デヴィッド・サフ 2005年1月


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