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Ronnie Lane/Anymore for Anymore/1997 New Millennium Communications/Pilot 15



Anymore for Anymoreは、ロニー・レーンが1973年6月にフェイシズを去ったあとに結成したグループ、スリム・チャンスと共に作った3枚のアルバムのうちの最初の1枚だった。彼はフェイシズ時代にあたためていた音楽的構想の実現を目指し、このアルバムはあふれんばかりの自発性と、ロニーのフェイシズ後の作品ほとんど全てを描写した無上の芸術性によって、ロニーの続く数年間の活動の青写真となった。

Anymore for Anymoreのレコーディングは、ザ・パッシング・ショーの計画とともに行われた。パッシング・ショーは、ミュージシャン、道化師、ダンサー、火食い奇術師、そしておもしろ半分に参加したヒッピー・ジプシーたちが総動員し、イングランドの田舎をまわる大掛かりで費用のかかる先駆的ツアーだった。レーンと彼の妻ケイトは、その頃ロンドンからウェールズの100エーカーの農場が広がるフィッシュプールに移り住み、羊と他の動物を養い、それはロニーの新しいロックンフォーク・アンサンブルによって動機づけられていた。そのバンドはロニーの他に、ドラムスのブルース・ローランド、サックスのジミー・ジュエル、ベースのスティーヴ・ビンガム、ギターのケヴィン・ウェストレイク、キーボードのビル・リヴジー、フィドルのケン・スレイヴン、そしてレギュラーのマルチ楽器奏者、ベニー・ギャラガーとグレアム・ライルから成っていた。ライルはプロデューサーのグリン・ジョンズからお呼びがかかったことを思い出す。ジョンズはAnymore for Anymoreのセッションに先立って、すばらしいシングル、How ComeとそのB面、Done This One Before(これ自体ヒットしてもおかしくないすばらしい曲だった)のレコーディングの準備をしていた。それと同時に再録音を予定されていたのが、フェイシズのバラッド、Tell Everyoneだった。

“僕たちはシングルのリリースに引き続いて短いUKツアーをやった。その時にロニーのことをもっと知るようになって、彼がオーディエンスと自然に溶けこめるような愛想のいい性格の持ち主だと分かったね。彼らはロニーを愛していたし、彼はあの例の足のサイドステップをすればいいだけだったね。”

Anymore for Anymoreを録音する時、ミュージシャン、ローディー、エンジニアそして彼らの家族全員がフィッシュプールに集まった。ロニーの羊のいるボヘミアンの土地を見つけるのに手間どったが、家の玄関のドアにゴールド・ディスクが打ちつけられているのを発見した時、ギャラガーとライルはそこがロニーの家だと確信した。アルバムのほとんどはロニーの納屋で録られたが、ライルは1曲(たぶんタイトル・トラックだ)だけロニーがふさわしいムードを作り出すために、バンドを原っぱに連れて行ったことを覚えている。

“天気のいい日で楽器は全てアコースティックだったな。”

ライルはいう。

“僕は今でもどこかで録ったテイクをもってるよ。その中にはとなりの農夫が歌っているロニーに、迷子になった羊のことを尋ねている声が入ってるんだ。歌の終わりにはその農夫とロニーが羊のことを話しているのが入っている。”

Anymore for Anymoreはレーンが追求した音楽的領域に深く根ざしたぞくぞくするような音が詰まっている。

幅広い音楽スタイル―アメリカ文化のルーツとともに、ロックンロール、ティン・パン・アレイ、トラディショナル・ブリティッシュ・フォーク―が融合され、ロニーは即興のアプローチを展開し、それはアコースティック主体ではあるかもしれないが、そのスピリットとアティチュードは明らかにロックンロールの中に根を下ろしていた。

さわがしいChicken Wiredから、Don’t You Cry For MeやTell Everyoneのような追憶のラヴ・ソングまで、アルバムは説得力ある個々の楽曲の組み合わせによって一体となっている。あふれる楽観性、美しく控えめな抒情性、そして自由気ままな姿勢で、ずうずうしくテクニックをあざけるような音楽的アプローチだ。ロニー・レーンとスリム・チャンスがAnymore for Anymoreで成し遂げたのは、テクニックを筋違いなものに見せるような輝くばかりの楽天さを伴ったサウンド・マジックの呈示だった。

1974年6月にリリースされた時、このアルバムはチャート上ではわずかな成功しか収めず、それに伴ったツアーも論理的、財政的に大失敗ではあったが、こういった映画や本は今でも作られ、書かれている。25年近くの間、レーンがそのジプシー/ファーマー期に創り上げた音楽のクォリティは全く落ちてはいない。それどころか、当時決して報われることのなかった彼の作品は輝きを増すばかりだ。

多発性硬化症との20年間の闘いの末に訪れた1996年6月のレーンの死は、我々からあの時代の偉大なスピリットのひとつを奪い去った。そのスピリットの真髄はこのアルバムの中にある。このような驚くべき音楽的遺産は、これから先250年間でも受け継がれていくだろう。

Wayne Pernu August 1997

Anymore for Anymore (Ibiza ’72)
このアルバムのオリジナル・テープをリサーチ、復元作業をする中で、我々はダンボール箱の底でほこりをかぶって眠っていた古いBSF C-90のカセットを発見した。そのカセットにはIbiza 72とだけ書かれてあった。何が入っているのだろうと好奇心をもった我々がそれを聴いてみると、そこには明らかに“Anymore for Anymore”の最初期ヴァージョンを演奏するフェイシズのリハーサルが入っていた。

我々が現在知っているように、フェイシズがより騒々しいロックンロール・サウンドを求める中で、ロニーの曲の多くが破棄され、それら繊細なメロディがロニーのソロ・アルバムの基盤を形成することになった。今ここであなたが楽しんでいるのは、おそらく最初のレコーディング音源だ。ひょっとすると“Anymore for Anymore”の歌詞がつく前の最初のパフォーマンスでもあるかもしれない!

Carlton P. Sandercock-Rout. Septmber 1997

【曲目解説】

Careless Love
愉快でにぎやかなオープニングだ。気まぐれな流行に言及したこのスタンダードな詞は、Anymore For Anymoreのレコーディング前のロニーのからまった恋愛事情を直接反映したものだ(ロニーとケイトは出会ったと同時に結婚した)。

Don’t You Cry For Me
ロニーの作品の本質である変わることのないロマンティシズムを描写した美しいラヴ・ソング。とりわけ何よりもそれが彼のよさだ。ロニーはラスト・グレイト・ロマンチックスの一人だった。

Bye and Bye(Gonna See the King)
ロニー自身のペンによる曲。どんなトラディショナル・ナンバーよりもトラディショナルに響いてくる。

Silk Stockings
ギターのケヴィン・ウェストレイクと共作した陽気で素朴な歌

The Poacher
ロニー印の1曲。これはHow Comeの次のシングルだった。レコードをプロモートするために予定されていたトップ・オブ・ザ・ポップス出演は、カメラマン組合がシングル・リリースの週にストライキをおこしたため、とりやめになってしまった。6週間後にショーが放映された時には、もう勢いはなくなってしまっていた。

Roll on Babe
ロニーはザ・ディラーズのようなアメリカのフォーク・アーチストたちに強く惹かれていた。吟遊詩人のデロール・アダムスによって書かれたこの曲は、ロニーが次のアルバムでさらに発展させることになったアメリカン・フォーク路線を予兆している。

Tell Everyone
フェイシズのLong Player収録曲の再録。ロッド・スチュワートはフェイシズ・ヴァージョンで自分がヴォーカルをとるのは当然のことと思っていた。ロニーはこれを心をうずかせるように歌っている。唯一グリン・ジョンズがプロデュースしたアルバム収録曲。これについてロッド・スチュワートはかつて、レーンの書いた個人的な歌は、他の人間が歌うのは難しいといっていた。

Amelia Earhardt’s Last Flight
太平洋上に消えた名高い飛行士についてのこの歌は、パッシング・ショーでずっとプレイされた。ローディーのラス・シュラボーンによれば―“照明係が飛行機の切り抜きにスポットライトを当てていたよ。その飛行機をテントの周りに飛ばして、最後に真ん中のリングに着地させるんだ。これは曲を盛り上げるのにうまくいったね。”

Anymore For Anymore
アルバムのタイトル・トラックは小さなクラシックであり、ロニーが郊外の街道へ向けて、そのジプシー/キャラヴァン期に書いた美しい抒情詩のひとつ。ケイト(ランバート)レーンとの共作。

Only a Bird in a Gilded Cage
この古いミュージック・ホール・ソングの断片は間をおかずに次へ移る・・・

Chicken Wired
全くの無名映画、Mahoney’s Last Standのサウンドトラックのために、ロニーとロン・ウッドによって前年にレコーディングされた。ジミー・ジュエルの威勢のいいサックス・ソロのあるこのヴァージョンの方がパンチがある。ジュエルが数ヵ月後、パッシング・ショーから身を引いた時、彼はなぐり書きのメモを残していった。

“さようなら、みじめなサーカス。僕は世間へ逃げ出すことにした。”

Wayne Pernu August 1997


幸運を祈る いとしい人!
死の剣にこらしめられ
死ぬ他にないのを知りながら
全てのきのうを越え きょうを過去へとせきたてて
成功を祈る 恋人へ!

スーザン・レーン

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