Welcome to my homepage


Richard & Linda Thompson/In Concert, 1975/2007 Universal Island Records Ltd. IMCD 327/984 824-3



リチャードとリンダ・トンプソンは共に1974年から1982年の間に多くの注目すべきレコードを作った。間違いなくブリテン最高のエレクトリック・ギタリスト、リチャードは自分のキャリアをフェアポート・コンヴェンションによってスタートさせた。彼は1971年、より個人的な音楽的探求を決意しグループを去った。

すぐに彼は当時の同世代の英SSWたち―ニック・ドレイク、マイクとラル・ウォーターソン、ジョン・マーチン、ゲイリー・ファー、ジョン・ケイル、シェラ・マクドナルドそして彼のかつてのフェアポート仲間―サンディ・デニー、イアン・マシューズそしてアシュリー・ハッチングスらとともにギグやレコーディングであわただしく活動するようになった。

グラスゴー出身のリンダ・ピーターズはロンドンへ勉学のため通っていたが、すぐに当時活況を呈していたフォーク・シーンに引き寄せられるようになり、CMソングのシンガーとして仕事を始めるようになった。彼女が初めてリチャードと会ったのは1969年フェアポートの傑作Liege & Liefのセッション中であったが、彼らが付き合い始めたのは1971年になってからだ。リンダはリチャードのデビュー・ソロ・アルバム、Henry The Human Flyでバッキング・ヴォーカルを担当した。ザ・バンチ名義のRock Onとサンディ・デニーのThe North Star Grassman and the Ravensにも参加し、短期間アシュリー・ハッチングスのアルビオン・カントリー・バンドのメンバーでもあった。間もなく二人は結婚し、フォーク・クラブでライヴを開始し、最初の二人のアルバムの準備に取りかかった。

二人の最初の3枚のアルバムはアイランド・レコーズからのリリースであった―I Want To See The Bright Lights Tonight(1974)、Hokey PokeyそしてPour Down Like Silver(ともに1975)は、イングリッシュ・フォーク・ミュージックの最高水準となった。この30年間に3枚のアルバムの名声と影響力は大きくなる一方である。Bright LightsとPour Down Like Silverはともに“史上最高のアルバム”の選出において雑誌記者らの投票により必ず登場している。リンダの一度聞くと忘れられない中毒性のあるヴォーカル―タイム・マガジンはかつて彼女を“ロック界一の女性シンガー”と称した―とリチャードの陰鬱で暗い歌と熟達した控え目なギター・ワークは比類なきコンビネーションであった。1970年代半ばの最高のレコーディングを含む3枚のアルバムは、当時以来それを凌駕する他アーチストの作品は全く出てこないほど究極的なイングランドのロック・ミュージックを形成している。

1975年11月、当時の最新アルバムをプロモートするために二人はその年2度目のヘッドライナーを務めるツアーに乗り出した。彼らと親しくそしてお気に入りのエンジニア、ジョン・ウッドが3つのコンサートを移動式レコーディング・ユニットで録音するためにサウンド・テクニクスから派遣された。トンプソンのステージにはリチャードの最も親しい二人の音楽仲間が参加していた―フェアポート・コンヴェンションからデイヴ・ペグとデイヴ・マタックスだ。彼らはロンドンで最高のリズム・セクションのひとつとして当時重宝がられていた。1970年代初頭には数え切れないほどの作品に参加している。しかしことによるとバンドの中で最も重要な地位を占めていたのは、イングリッシュ・アコーディオンの巨匠ジョン・カークパトリックだったかもしれない。彼の特徴的なアコーディオン・ワークはレコード、コンサートで長年に渡ってトンプソンズのサウンドに不可欠な要素となっていく。リチャードとジョンが最初一緒にレコーディングしたのは、あの独創的なエレクトリック・モリス・アルバム、Morris Onであった。そして巧妙にAngus Mirrenという偽名を使って、リチャードはジョンのデビュー・ソロ・アルバムでギターを弾いていた―1972年のJump At The Sunだ。

‘Pour Down Like Silver’ツアーは三週間に引き延ばされ、計14のギグが行われた。その中でニュー・アルバムはリチャードのおどけたセリフで宣伝された。“レコードは今店に行けばそこに居座ってるらしいよ” 彼らはHokey Pokeyから2曲、1974年のBright Lightsからも2曲、ニュー・アルバムから5曲、2曲の無名のロックンロールのカヴァーそしてモリス・チューンのメドレーを取り上げた。彼らが選んだカヴァーにはリチャードのルーツがあらわれている。ハンク・ウィリアムスの‘Why Don’t You Love Me’、ジャック・クレモンドの‘It’ll Be Me’そしてグレン・D・ハーディンの‘Things You Gave Me’だ。後者はリッキー・ネルソンの1967年の素晴らしいアルバム、Country Feverからだ。トンプソン、カークパトリックそしてマタックスが1972年、アシュリー・ハッチングスとバリー・ドランスフィールドとともに作ったMorris Onからリチャードお気に入りのフェンダー・ストラトキャスターが大活躍するモリス・チューンのメドレーも含まれている。その時リンダはこの“ちょっとした仕事”の間ステージから抜ける。

いくつかのライヴ・ヴァージョンは今まで多くのコンピレーション・レコードでバラバラにリリースされてきた。ジョン・ウッドがミックスした11月27日のオックスフォード技術大学の3曲は、リチャードの1976年の‘guitar, vocal’というコンピで発表された。1975年11月のコンサートを収めたこのIn Concertは初めてトンプソンズを象徴する一夜をひとつのディスクにまとめたものだ。リチャードとリンダはツアーが終了すると間もなく音楽界から引退し、家族そろってノーフォークのスーフィ・コミューンに移り、1978年のFirst Flightでレコーディングを再開するまでしばらくの間アンティーク・ショップを経営していた。彼らはさらに2枚のアルバムを制作し1982年離婚した。以来二人はそれぞれライヴ活動を続け、優れた音楽を今も作り続けている。

デヴィッド・サフ 2007年3月


ホームへ