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Richard & Linda Thompson/Hokey Pokey/2004 Universal Island Records Ltd. IMCD 305/98179-6



1973年から75年までの3年間は、リチャード&リンダ・トンプソンにとって最も実り多い時期だ。最良のシンガー/ソングライターたち―サンディ・デニー、マイク・ヘロン、そしてハーヴィ・アンドリュース含む―への多数のレコーディング参加に加えて、彼らはブライアン・パッテン(英国詩人:1946〜)の詩集に曲をつける作業に取り組み、英国中をツアーした。そして彼らは結婚し、デュオとして3枚の素晴らしいアルバムを発表した。30年の時を経てこれら3枚のアイランド・レコードのアルバム―I Want To See The Bright Lights TonightHokey Pokey、そしてPour Down Like A Silverは、イングランドのフォークロックを定義づけた傑作として見なされ、リチャード・トンプソンは英国最高のエレクトリック・ギタリストとしても見なされるようになっている。彼は1971年1月、フォークロックのパイオニア、フェアポート・コンヴェンションを去り、より個人的な音楽的探求をする決心をした。

かつてタイム・マガジン誌に“最高の女性ロック・シンガー”と称されたリンダ・トンプソンは、グラスゴー出身のロンドンで学ぶ学生であったが、やがてロンドンのフォーク・クラブに通うようになり、そこでサンディ・デニーと親友同士になる。リチャードとリンダが最初に出会ったのは、1969年フェアポートの傑作、Liege & Liefがレコーディングされていた頃だ。だが彼らの関係が親密になったのは、1971年だった。音楽的には彼らはザ・バンチのRock On、サンディ・デニーのNorthstar Grassmanへの参加であり、それは初期アルビオン・カントリー・バンドのメンバーたちであった。リンダはリチャードのソロ・デビュー作―Henry The Human Flyでバッキング・ヴォーカルを担当し、二人は英国最高のシンガー/ソングライターたちのレコードにセッション・ミュージシャンとして参加するようになった。

1974年のI Want To See The Bright Lights Tonightに続いてリリースされたHokey Pokeyは、より‘陽気な’アルバムを意識して作られたといわれている。リチャードの荘厳な楽曲群は英トラディショナル・フォーク・ミュージックとイングランドのミュージック・ホールの遺産が染み込んでいた。レコードがリリースされた時のインタビューでリチャードは説明している。

“僕はブリティッシュ・ミュージックがやりたいんだ。ブリティッシュ・ロック・ミュージックと言いたければそれでもいいけど・・・僕が感じてきたこと、経験してきたことを表現するような音楽に向かっていきたいと思っている。”

Hokey Pokeyを聴くと、トンプソンの世界観は笑いと涙がミックスされ、冷笑的で時に暗いユーモアが漂っている。彼の歌は社会の外側を観察する―貧しい人たちや疎外された人たちである。同1975年のNMEのインタビューでSmiffy's Glass Eyeについて彼は述べている。

“これは人々が見た目で傷つけ合うことの残酷さについての曲だ。外見によって嫌われるっていうのはひどい話だね。”

サイモン・ニコルとジョン・ウッドにプロデュースされたHokey Pokeyは、その鮮やかなアレンジに彩られた中で、リチャードの風刺の効いた冷酷な曲がよくとらえられている。トンプソンの素晴らしく整ったギター・ワークは、スコティッシュ・ダンス・ミュージック、エリック・サティ、そしてジョン・コルトレーンらからインスピレーションを得ていて、それはジェイムス・バートンやオーティス・ラッシュに並ぶものだ。リンダ最高のヴォーカルが聞ける1曲が、自責の念に駆られたNever Againだ。これは1969年のことを歌ったものだ―深い悲しみに暮れた心の痛む考察―フェアポートの高速道路での悲惨な事故により死んだ、その時のリチャードのガールフレンド、ジーニー・フランクリンについての歌である。アルバムはマイク・ウォータソンの素晴らしく洒落た解釈を持つMole In A Holeが収録されていた―融通の利かない信仰、宗教に対するユーモラスな嘲笑だ。

Hokey Pokeyのセッションは1974年11月、チェルシーのサウンド・テクニクス・スタジオで始まった。セッション・ミュージシャンは親しい仲間から選ばれた―サイモン・ニコル、パット・ナルドソン、ティミ・ドナルド、ジョン・カークパトリック、ゲストにはマイティ・ベイビーからピアニストのイアン・ホワイトマン、ボーイズ・オブ・ザ・ラックからフィドラーのアラン・ベイン、そしてCWSマンチェスター・シルヴァー・バンドのメンバーである。

Hokey Pokey(Island ILPS 9305)のオリジナルは1975年3月のリリースだ。このリマスター版のために我々は、(CDでは)未発表だった2曲のライヴを追加した。“Hokey Pokey”は1975年9月7日、ロンドンのラウンドハウスから、“It'll Be Me”はguitar, vocal(リチャードの75年のレア集LP)で発表された、1975年11月27日オックスフォード科学技術専門学校でのライヴだ。それに加えて1975年2月11日のBBCラジオ・ワンでレコーディングされたセッションである。

デヴィッド・サフ 2004年1月


Smiffy's Glass Eye(スミフィーのガラスの目玉)

スミフィーはどこにでもいる少年 でもみんなとはどこかが違う
彼の右目は東を向いていて、左目は西を向いていた
悪ガキのマーフィーがパチンコで撃ったんだ

ピカピカ光るスミフィーのガラスの目玉

校庭の子供たちはみんな驚いた
スミフィーは自分の目玉をポンと取り出してビー玉にして遊ぶんだ
彼は子供たちに評判の変な奴だった

ピカピカ光るスミフィーのガラスの目玉

通りを歩いていたら二人のワルがやって来てスミフィーの足をひっかけた
スミフィーの目玉がコロコロと転がり落ちた
奴らはそれでコンカー(*1)を始めるんだ

ピカピカ光るスミフィーのガラスの目玉

女の子たちはスミフィーが通ると笑うんだ
みんなは彼のことを一つ目のキュクプロス(*2)と呼んでいる
彼にはガールフレンドや友達なんていやしなかった

ピカピカ光るスミフィーのガラスの目玉

スミフィーは審判の日が来ることを夢見てた
洪水がやってきてみんなは流されちゃうんだ
でも彼は天使の羽根に乗って空へ舞い上がる!

ピカピカ光るスミフィーのガラスの目玉

ところが彼の夢はばらばらにこわれてしまった
でも誰一人悲しむ者はいなかった
かわいそうなスミフィーは失意のうちに死んでしまった
君は知らぬ間に忘れたふりをしなきゃあね

ピカピカ光るスミフィーのガラスの目玉


*1:ひもに通したトチの実を振って相手の実を割る英国の子供の遊び
*2:ギリシア神話に出てくる一つ目の巨人


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