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Reggie King/Looking For A Dream/2012 Circle Records Ltd./CPW C112



ジ・アクションとそのプレーヤーたちのストーリーは、常に驚きの展開を見せている。「我々は全てを聞いたから全てを知っている」というのはどうやら見当違いらしい。そのストーリーのもう1つの側面が現われると、時々そこには新鮮な驚きがある。最新の予想外な展開が、このレジー・キングによるデモの完全初お目見えのコレクションだ―それは今にもマイティ・ベイビーへ変わろうとしていたジ・アクションのメンバーたちとともに、そのグレイトなシンガーがレコーディングしたものだ。多くの者にとって、『Looking For A Dream』は今までしばしば夢に描かれてきた環境で歌うレジーが聞けるという点で、すばらしくふさわしいタイトルとなるだろう。

もちろん、今このコレクションが出たことへの耐えられない胸の痛みが存在する―2010年、私たちはレジーを失い、マイク・エヴァンスを失った。マイクはジ・アクション/マイティ・ベイビー・ストーリーにおける不動の隠れたヒーローであり、心臓部だった。彼らの死は絶望的に悲しいことであったが、そのとてつもなく美しい音楽を創造し、常に音楽をインスパイアし続けた彼らの貢献を主張する断固とした決意を、私たちの多くにもたらすことになった。

ジ・アクションの“Since I Lost My Baby”がレジーの葬儀で流された時、司祭は初めて彼の歌を聞いたが、それにもかかわらず明らかに心を動かされていた。彼は賢明にも機転を利かせ、これからもその並はずれたシンガーが多くの人々の生活に触れることになるだろう、という賛辞のことばを送った。レジーの歌を聴いて楽しんだことのない人々がいることは、今なお驚きに値する。そして彼の歌う「could’ve, should’ve, would’ve」の誘惑に屈服するのは常に危険なことだ。しかしこれら注目すべきデモがこれまで40年間にわたって広く聞かれていたら、何が違っていただろうかなど誰に分かるだろうか。

名うてのエドセル・レコードのコンピレーション盤でアクションの音楽を初めて知った私たちは、今やメンバーたちがその後に担った中枢的役割についての理解をはるかによくもっている―それはマイティ・ベイビーとしてのバンド活動であり、また個々のメンバーがシェラ・マクドナルド、シャーリー・コリンズ、サンディ・デニー、ジョン・マーチン、ゲイリー・ファー、キース・クリスマス、アンディ・ロバーツ、ロビン・スコットといったブリティッシュ・フォークロック全盛時代の幻想的なレコードの制作に多くかかわったことだ。マイティ・ベイビー自身のLP『A Jug of Love』は、今やジーン・クラークあるいはザ・バンドのベストな時期に匹敵するくらいの、並はずれた美とスピリチュアルなあたたかさを持つ作品として知られている。その特別のレコードを発見することは、その中にアクションのストーリー展開を含む大きな新事実の1つを知ることであり続けてきた。

そこにはリズム&ブルースをルーツにもった者たちによって作られた、フォークロック時代のベスト・ブリティッシュ・レコーディングの数々が存在する―もちろんマイティ・ベイビー、たそがれをさまよい歩く(roamin’ thro’ the gloamin’)スティーヴィー・ウィンウッドとトラフィック、‘スモール’が付く付かないに関係なく、ティム・ハーディンから力を引き出したフェイシズ、そしてファミリーとキンクスさえもだ。しばしばトラディショナル・フォークの展望をソロの立場からアプローチした者たちとは鮮明な対照を見せながら、それがいかに成功したかというのは全くもって魅惑的な話である。それはおそらくギグの行き帰りにヴァンの中でアコースティック・ギターによってジャムをしたり、じめじめとした共同アパートの一室で輪になって座り、複雑なハーモニーを練習したり、またブルースとブラック・ミュージックに浸っていたことで身についた鋭さと何か関係があるのだろう。

このレジー・キングのデモにおけるアンサンブルは途方もなくすばらしく、直感的なあたたかさが感じられる。ここからは信頼感と互いを知り尽くした感覚がにじみ出ている。そのハーモニーは申し分ないが、それは予測できるものだっただろう。バッキングは大部分アコースティックであるが、それは牧歌的な田舎に集まり、隠遁したような雰囲気が心に浮かぶわけではない。広くイメージできる光景は疑いもなく都会的だ―それは鳥のさえずりやなんかの伴奏を伴う日没後のキャンプ・ファイヤーというよりも、むしろ顧みられることのない寒々とした教会のホールの雰囲気、あるいはバスがガタガタと通り過ぎる音を聞きながら、キャラーガス(商標)・ストーヴの周りに寄り集まるようなムードだ。

個々のパフォーマンスはすばらしい。マイク・エヴァンスとロジャー・パウエルの注目すべきリズム・セクションは、メロディックな創造のための完璧な基礎を提供する。それまでの彼らがそうであったように、演奏は控えめであるが、彼らは堅固さと流動性の間で絶妙なバランスをとり、それは多くのレコーディング・セッションへ絶対的な深みを加えていた。背を丸め、一心にアコースティック・ギターをかき鳴らし、トランス状態へと至るマーチン・ストーンが容易に想像できる一方、一見やつれたピアノと時折顔を出すジャジーなフルート、そしてオルガンによる装飾を提供するイアン・ホワイトマンが、多くの場面で主役の座を奪っている。

これらのデモとは対照的に、唯一の公式ソロ・アルバム『Reg King』は、とっ散らかっているように思える。その71年のLPに入っている何曲かは、リスナーの感情をしぼり出す信じられないトラックだ。しかし時々、レジーは苦闘しているように見え、それは少し考えてみれば象徴的なことかもしれない。あるいはそれは、まるで「僕の歌を聞きたくないって?すばらしいね。それを確かめてみようじゃないか」といわんばかりの自滅的、自己消滅的衝動だ。こちらのデモでは全体を通じて、歌い方から明らかなように、彼は大いにリラックスかつ気楽に臨んでいる。これらデモに漂う空気は完全に彼にフィットしている。

時期的、スピリチュアル的に、これらデモは完全に公式LP『Reg King』と、私たちの生活の一部となったジ・アクションのデモ『Rolled Gold』―初期のエレガントさと陽気さを併せ持つ―の中間に位置している。ここには後期アクションが他よりも抜きんでた要素であった、すばらしくバロック的な錦織のペイズリー・ポップを好むマニアが喜ぶ音楽が豊富に詰まっている。またレジーの仕事の中で私たちの多くが大好きな部分である、ゲイリー・ファーのファーストLP『Take Something With You』で彼がとり組んだ音楽もここには存在する。そのLPに収録の“I Don’t Know Why You Bother, Child”のどきっとさせるような美に比類する瞬間さえもある。さらにドリス・トロイあるいはロゼッタ・ハイタワーばりの全くのゴスペル・レヴュー/ソウル・パーティー的な要素も想像できる歌も入っている。

それが心を打つ歌の強みだ。シンガーとしてのレジーの威厳を力説するのは容易なことだが、彼は真に才能あるソングライターでもあった。ここに収められた歌の数々は、ほとんどがすばらしく気分の高揚する伝染性をもつものばかりだ。それらはすぐに親しみのわくものであるが、比類しうる似た存在を突き止めるのは難しい。その歌はちょっと見た目にはシンプルだ。シンプルに見える制作過程の中には1つのアートが存在する。そして当時の風潮であった、神秘的で抽象的で宇宙的なものとは対照的に、これらの歌は奇妙に地に足がついているように見える。これらのうち、1曲として後年になって再び姿を現わすことはなかったのである。この明らかにすぐれたマテリアルをカヴァーする機会をものにした他のアーチストもいなかった。念入りに丹精込めて作られたあとに、何気なく捨て去られたように見えるこれらグレイトな作品については、何か見世物的にされた無礼な態度が感じられる。当時のグループのほとんどが自分たちの大ヒット曲に込めたものよりも、多くの配慮がこれら複雑なデモには込められているように見える。無頓着さと完全主義の困惑させるようなミックスが、レジーとジ・アクションを要約しているように感じられる。

このコレクションを聞くことになる誰もが、それぞれのハイライトを発見するだろう。しかしレジーの苦悩が表われたバラッドを好む熱狂的ファンたちの統一見解が、すばらしく表現された“In And Out”のような歌だ。これは相手に届けるべく、ことばを探そうとさまよい歩く彼の白昼夢が見え隠れする。ここにはとりわけ美しく響くイアン・ホワイトマンのフルートによって、切なさとメランコリーが加えられているが、それでもそのサウンドは強靭であり、そこにはわずかに隠された憤怒の感覚と、腹部へのソウルフルな一撃が存在する。

しかしながら、もっとも痛烈なトラックは、‘痛ましい’ということばを使わずにいられない“They Must Be Talking ‘Bout Me”だろう。レジーはあからさまにこのトラックを精神病院についての歌であると紹介する。そこに演技は存在しない。また感傷あるいは小言も存在しない。そしてこのパラノイアのドライな描写と精神病に対する見解は、よりいっそうこの歌を冷えびえしたものにする。ポンポンと鳴らされる荒涼としたピアノは完全にフィットしている。このテーマを深読みしすぎないようにするにしても、これは60年代の夢の終わりにあった冷たい現実によって食らった平手打ちだ。

その夢・・・それは遠い過去のものかもしれないが、ジ・アクションとそのプレーヤーたちが奏でた独自のサウンドトラックは、なおも現在をインスパイアし、照らし続けている。そしてこのコレクションの制作にかかわった当時の者たち全ては、私たちの多くが一生愛する並はずれた音楽の中に永遠に生き続けるだろう。

Kevin Pearce April 2011


SESSIONS AND MUSICIANS

これらトラックはレジー・キングがジ・アクションを去った1968年から、彼のソロLPがリリースされた1971年の間にレコーディングされた。セッションの正確な詳細を記すことは難しい(これがリリースにミステリーを加えることに一役買ってはいるが)。ここに収録されたトラックの大多数は、1969年3月にScreen Gems Musicのためにレコーディングされたことはわかっている。しかし何曲かは、かなり早い時期に書かれた可能性がある。これらレコーディング全体を通じての微妙なスタイルの変化が、たしかにそのことを反映している。私たちは“Get Up, Get Away”がひょっとすると、ここの他のどのトラックよりも前のものではないかと確信している。一方でその反対に、最後にレコーディングされたのがテープ・ボックスによれば、1969年10月21日のポリドール・スタジオでの“You’ll Be Around”だろう。これはデータが付けられていた数曲のうちの1曲だ。

全体にわたってフィーチャーされたミュージシャンは、あなたが予想するとおりだろう。

Reg King - lead and backing vocals, acoustic rhythm guitar
Ian Whiteman - Hammond, piano, saxophone, flute, backing vocals
Martin Stone - acoustic lead guitar
Mike Evans - bass
Roger Powel - drums
Nick Jones - congas

元ブロッサム・トウズのドラマーで、1969年頃のレジーのフラットメイトだったケヴィン・ウェストレイクは、“Suddenly”と“Get Up, Get Away”でプレイしている。才能あるマルチ奏者で、決して打楽器に限定されないケヴィンは、これらのトラックでギター及び/あるいはピアノを共にプレイしている可能性が大いにある。

ピーター・スウェールズ(プロダクション会社Saharaを経営し、最終的に1971年の‘公式’LP、『Reg King』を制作した)は、たしかに“Let Me See Some Love In Your Eyes”に参加しているが、ひょっとするとバッキング・ヴォーカルかもしれない。

ゲイリー・ファーもこれらのレコーディングに参加していたと考えられている。彼は曲のアイデアを手助けするために、日ごろ定期的にレジーとジャム・セッションを行なっていた。ここでの彼のパートはアコースティック・ギター及び/あるいはバッキング・ヴォーカルである可能性がもっとも高いが、はっきりとはわからないのが実際のところだ。


THE MISSING TAPES

2003年暮れに話を戻すと、私はCircleレーベルのために日々の仕事を行なっていた中、たまたまブライアン・ゴディングと接触するとになった。彼は特に私たちにとっては、ザ・ブロッサム・トウズとB.B.ブランダーのギタリスト/ヴォーカリストとして有名だった。私のレーベル(Circle)がそれまでリリースしてきたものについてブライアンと雑談を交わし、私は次のリリース予定はジ・アクション(『Uptight and Outasight』 - CPW L/C105)になると述べ、それから私たちはレジー・キングが時々B.B.ブランダーで歌っていたことについての話へ移っていった。私はブライアンにこういった―「もしレジーのセルフ・タイトル・アルバムのためのテープが見つかったらすごいだろうけど、どこを調べればいいんだろうね?」 すると何とブライアンは、たぶん力になることができるといった!そのテープがアクションとマイティ・ベイビー関連のマテリアル・アーカイヴとして、マイク・エヴァンスの手に委ねられることが確認されるとすぐに、リイシューに共鳴する考えをもって、ブライアンは気前よく順当な値段でそれらを売った。続いて彼はスタジオで録られた5つのリール・テープを差し出した。

そのうちの4つは、オリンピック・スタジオで録られたものだった。これらはキング氏のセルフ・タイトル・アルバム及びアウトテイクのマスターとして唯一現存するものであることがわかった。5番目のリール・テープには、今回このアルバムを構成することになる、初期のデモ・レコーディングが含まれていた。ブライアンの好意のおかげで、マイクのRolled Goldプロダクションは、ジ・アクションのレコーディング・ヒストリーのもう1つの断片を手に入れることができた。私としては、アルバム『Reg King』(CPW L/C106)の拡大版リイシューと、アルバム未収のアウトテイクとデモ・マテリアルのサンプル(のちにとり組むことになる)の入った10インチEP『Missing in Action』(CPW E10-101)の限定版をリリースすることができた。

巨大なストーリーが付いていたわけではないが、テープは良好な状態で残り、30年以上たっても使用できるコンディションであり、どうやらレコーディングされて以来、一度も再生されていないようだった!実際には、ブライアンはそのテープをずっと所有していたわけではなく、ほとんど偶然彼の手元にわたってきていた。Saharaレコードの主導者ピーター・スウェールズは、元ブロッサム・トウズのケヴィン・ウェストレイク、そして共通の友人であるアラン・モーガンと同じく、ウェールズ南西部の港町ハヴァーフォードウェストに住んでいた。スウェールズ一家はその町でレコード店を経営していたが、80年代終わりから90年代初頭の間に(正確な時期については少し記憶があいまいだ)店じまいし、在庫は売られるか破棄されることになった。これに興味をもったアランは、何が処分されるのか見る許可をもらい、大量のSahara関連の音源を手に入れることになった―そこにはピーター・スウェールズ自身から譲り受けた、彼が店にとっておいたブライアンのB.B.ブランダーのアルバムと、レジーのアルバムのマスター・テープが含まれていた。

「控えめにいっても、彼と僕が考えていたことはちょっと突飛だったね」 今日のブライアンはいう。「ピーターはフロイトの探求と講演にすごくハマっていたから、ビジネスとしては全く関係のない行動だった思う」(Saharaとかかわったのち、ピーターは音楽ビジネスから身を引き、学究的な世界に専念し、シグムンド・フロイトの精神分析学の有名な解説者となった。彼は今、トルコのかなり人里離れた地域に住み、その研究を続けている) さらに愉快なことをつけ加えると―「つまりたぶんそれらは外にある廃物用の大型容器の中へ入っていったってこと!全て価値のないものに見えたんだと思う。でも時が証明することになった―他の多くのアーチスト同様に、ブロッサム・トウズ含めて、あまりに多かった録音物は捨て去られることになってしまった(例えばBBCもそうした)―当時はテープを保管するスペースが限られていたから。僕はジミ・ヘンドリクスなんかの16トラック・テープを所有している人を知った。彼らは70年代中ごろに、オリンピック・スタジオの外にあった廃物容器の中で見つけたんだ!」

アランはブライアンがとりわけ自身のマテリアルに関しては、それを追い求めることに興味をもつかもしれないと考え、それを伝えた。自身のマスター・テープに驚き、喜んだブライアンは、アーカイヴ・マテリアルの需要の高まりと拡大版CDの普及に伴って、最終的にハイクオリティなB.B.ブランダーのリイシューの指揮をとった。求められながらも10年以上棚の中で眠っていたもう1つのテープが、我々の入って行くところだ・・・


BACK IN THE STUDIO

私たちがこのアルバムに入っている曲の大部分を初めて聞いてから、ほぼ9年たっている。以来、私たちはとても親しみをもつようになったが、今でも‘公式’アルバム『Reg King』のリイシューに備え、スタジオで大昔のテープを再生・コピーした際に発見した1ダースほどのフレッシュな曲を聞いた時のスリルを思い出すことができる。他の情報が全くない、タイトルだけが載った特徴のない白いスリーヴに入ったこれらデモは、半ダースのマスター・リール・テープの最後にあたるものだった。いかに完全な形を成し、良好な録音状態であり、完璧にミックスされた(最終ミックスでないにしても)ことによって心を打たれたそれらトラックは、キング氏の『Reg King』のラウドで込み入った制作過程の中において、‘新鮮な空気’だった。「絶対的にリリースする価値はあるし、全く容易なことだ」―私はそう考えたし、レジーの音楽のリイシューにおいて鍵となる、いく人かの人たちの賛同は得ていた。しかしながら、時が過ぎ、問題が生じ、状況は変化する。その仕事を終えるためにスタジオに私が戻るのに、6年間もかかるとは思わなかった!

2011年までに、もう4曲がマスター・レコーディングに加えられていた。最初が、ある出版社のアセテート盤で、‘Screen Gems Music’というアドレスと、“Get Up, Get Away”というタイトルだけが記されていた。これはバーミンガムのグループ、ロコモーティヴによる1つのトラックとペアになっていて、その曲“I’m Never Gonna Let You Go”もその出版社のものだった。このディスクは、60年代イングランド中部地方の神出鬼没の業界人、ナイジェル・リーズに送られたコレクションの中から発見された。他のレコードは売られてしまったが、このアイテムは逃れていた。そのレコードの溝にたまっていた汚れが取り除かれると、聞いたこともないレジー・キングのヴォーカル・パフォーマンスが現われた!アルバムが進行中だったことを知っていたナイジェルは、そのディスクを私たちに貸し出してくれた。

盤の表面はきれいになったものの、ディスクはひどくすりきれ、そのアルミニウム盤からラッカー(溝に塗ってある樹脂状物質)が剥がれ落ち始めていた。シューというヒス・ノイズがひどかったため、1人ではなく3人の英国最高のレコード修復専門家に相談がもちかけられた。そしてついにコルチェスター出身のピーター・レイノルズの手によって、(可能なかぎりの)修復が行なわれた。あなたはこのトラックをアルバムの最初に聴くことになるかもしれない。聴覚上はかなりラフに聞こえるかもしれないが、信じてほしい、これは元々の状態よりはるかによくなっており、それに比べれば十分に聞くに耐える音だ!かかわった誰もがこのトラックを聞いて、唯一知られた生き残りであり、すばらしくジャジーなポップ・ソングであると感じ、その経緯と完璧さのために、アルバムへ収録すべきだと思った。これはスタジオ・クオリティにおいて、より一貫したレヴェルのトラックを聞く前、つまり先頭にふさわしいトラックだ。他のどこに配置しても、絶対的な‘サウンド・クラッシュ’(音がぶつかること)が起きてしまうだろう。

他の3つのトラックは、ケヴィン・ウェストレイクが所有していた1/4インチ・テープ・リールによってもたらされた。彼は2004年にブライアン・ゴディングからプロジェクトについてこっそり知らされていた。ケヴィンはそれらのテープをマイク・エヴァンスのところへもってきた。ケヴィンといっしょに楽しく過ごしたあと、マイクは彼の抱えていた問題に何らかの提供を行ない、そのテープをサークル・レーベルに手渡した。

最初のうち、その3M(スリーエム:商標)のリールは私たちがすでにもっていたセッションの単なるコピーであるように思われた。しかしいずれにせよ、全て私たちが聞いたものかどうかを確かめるために、スタジオでテープをデジタル・コピーするのがいい考えのように思われた。すると驚いたことに、私たちは“Thinkin’ ‘Bout Getting Out”と“You’ll Be Around”のかなり長いヴァージョンが含まれていることに気づいた。ボックスにはクレジットがなく、もっとあとのセッションからだった。両曲ともマスター・テープに入っていたが、どういうわけかかなり短いヴァージョンだった。

A面が再生されたBASF(商)リールには、単に知られた曲の標準的なバッキング・トラック(ヴォーカル抜きの)が含まれていただけだった。ボックスには気をもませるようなタイトル、“Familiar Faces”と、もう1つ“They Must Be Talking ‘Bout Me”がクレジットされていたが、実際には入っていなかった!そこでこれはさしあたりわきへ置かれることになった。2011年にデモ・マテリアルの仕事が再開されるとすぐに、とても熟達した私たちのスタジオ・エンジニア、イアン・ステッドは、念のためBASFテープのB面も再生するのがベストだと判断した。驚いたことに、そこからはレジーの語りに続いて、欠けていた曲の1つである“They Must Be Talking ‘Bout Me”が流れてきた(‘ハイファイ’には程遠いが)。もちろん、私たちはそのトラックを復元と将来の使用のためにコピーした。

ケヴィンのテープはたった1つのセッションからではなく、完成形のさまざまな段階で彼が参加した楽曲の、さらなる寄せ集めだったと思われる。ケヴィン自身は2004年に亡くなったが、思いがけなく彼がこのアルバムのために喜んで3つのトラックを提供してくれたことは、今なおすばらしく幸運なことだろう。

イアンと私は、最初はその3つのトラックを復元するのに、どれほど込み入った仕事が必要となるか十分にわかっていなかった。最初の2曲はどちらもミックス前の状態、あるいはベストなラフ・ミックスの状態だった。手短にいおう―ミキシングとは、全ての楽器とヴォーカルがバランスをとった状態、あるいは最初のレコーディングのあと、正しい音量で‘それぞれの場所へ配置する’ことだ。そしてマルチトラック・テープからマスターへと‘圧縮’する。これはトラック作成においてきわめて重大な作業工程であり、未熟な者は1つの楽器あるいはヴォーカルに、その他全てを圧倒させてしまうことで、いとも簡単にすばらしいレコーディングを台なしにしてしまうことができる。マルチトラック・テープへのアクセスなしに、トラックを完璧にリミックスすることは事実上不可能であるが、私たちにはそれが手元になかった!あまりに細かいことにはこだわらずに、イアンと私は対処しなければならなかった―音量の変化、圧倒的な音のハモンド・オルガン、中断する演奏、音の転移―何もかもだ!

3番目のトラック、“They Must Be Talking ‘Bout Me”は、明らかに‘スクラップ’の対象だったし、見たところ、元々のセッションでリヴァーブ装置をテストするために使われていた―最初から最後まで、リヴァーブのスイッチを入れたり切ったりし、その度にカチン!という大きな音が聞こえてきた!幸運にも、イアンは最先端のサウンド復元装置(及び彼のすぐれたスキル)を使って、問題のほとんどを処理し、削除することができた。よりハイ・クオリティなトラックとのバランスをとることと共に、半年の大半は週に1日かそれ以上の集中的な仕事を行ない、私たちは頭がおかしくなるほどだった!それでも今、このライナーノーツを読んでいるあなたは、これらトラックのかなりの不完全さに気づくだろう。さまざまなトラックを意味のある順序に並べることは、全くのチャレンジとなった。異なったスタジオ環境と異なった音楽スタイルの下でレコーディングされた曲を並べ、満足のいく流れを創り出すのは簡単なことではない(DJあるいはコンパイラーに聞いてみるといい)。いずれにせよ、おそらくこれらトラックは1枚のレコードにまとめられる意図でレコーデイングされたものではないだろう。多くの修正が行なわれ、最低でも私たちが満足できるレベルに達したのち、アルバム・マスターは2011年秋に完成した。

最後に、あなたは間違いなく、私たちがずっとキング氏のことを今回‘レジー’と呼んでいることに気づくだろう。これは単に、彼を知る者に話した時に、彼はそう呼ばれることを好み、‘レグ’と呼ばれることが嫌いだったということを聞いたからに他ならない―唯一の公式アルバムに‘レグ’が使われていたのであるが。タイトルと呼称が話し合われた時までに、レジーはもはや私たちと共になかった。このレコードはちょっとしたトリビュートへと発展し、これまで述べた微細なことさえ突然重要なものになった。彼の音楽を届けねばならない者たちにとっては最後のチャンスだったし、それは最後まで徹底的に、正確に遂行されねばならなかった。それは常に、私たちがすでに知っていた‘単なる’典型的なヴォーカリストとしての存在を超えた、レジーの才能の全体像を示すことが目的とされていた。このアルバムがそのことを達成しているのなら、かかわった者たちみなの仕事はむだではなかったということになるだろう。


Peter Wild January 2011


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