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The Raincoats/Odyshape/1993 Geffen Records, Inc.(USA) DGCD-24623



私はレインコーツがニューヨークで(79年か80年)で最初に演ったタイアースリーの悪名高いギグを見逃してしまった。タイアースリーは、私がニューヨークで熱心に通っていた小さなイカしたクラブだった。そこでは何でも(8 Eyed Spy, Theoretical Girls, Y Pants, DNAなど)見たし、先見性のあったイギリスのバンド(ポップグループ、スリッツ、A Certain Ratioなど)なんかを見た。彼らのギグはミステリアスで孤独だったけど活力を与えてくれた。 私はスリッツが大好きだった。なぜなら彼女たちは大胆でかつコマーシャルだったから。もっともこれから話すレインコーツはコマーシャルとはいい難いけど。彼女たちはまるで普通の女の子が普通じゃない音楽をプレイしてるようだった。彼女たちの音楽は、お互いの個性を相互作用させるような自然なスペースを持っていた。そして信頼できるバンドだった。というのは傷つきやすくて、男のロックやパンクロックの攻撃性をまとってもなかったし、かといってシニカルさあるいはセンセーションといった、典型的な女性としてのセックスシンボルでもなく、ありのままの彼女たちをさらけ出していたから。でももちろんそれが彼女たちの個性であり、そのことがあの音楽を成り立たせていた。それはポストパンクの新しい一面であり、可笑しくてふてぶてしい挑戦的な精神性を示していた。私はずいぶん後になってついにレインコーツを目撃した。その時は2人の男のドラマーがいてより巧みになっていた。それ以降は必ず彼女たちを礼拝したわ。

キム・ゴードン(ソニック・ユース)1993年夏

パルモリヴがバンドを去ってからは、彼女に代わるドラマーを見つけるのは大変だったわ。彼女はホントにエネルギッシュで人目を引くドラマーだったから。たくさんのオーディションをしてイングリッドを見つけたの。
とても若かったけど凄くパワフルなドラミングだったわ。最初のミーティングで彼女は剥製師になりたいって言ってたけど、私たちが思いとどまらせたのよ!で一緒に曲を作ってギグを始めた。
1980年イングリッドと初めてニューヨークでギグをしたわ。フラーとタイアースリーでのギグは最高だったわ。多くの人々と会って、みんな私たちによくしてくれた。特にタイアースリーを経営していたヒラリー・ジェイガーはね。私たちはファーストアルバムの曲を演ってるうちに曲作りのスタイルがどんどん変化していったわ。
音楽的に成熟していって、それが相応しい方向へ導かれていったんじゃないかしら。私たちはパンクの哲学を真剣に実行していたから、既成のロックミュージックからどんどん離れていったわ。ほとんどのパンクバンドが最後まで守っているようなスタイルも放棄していったわ。ニューヨークで私たちは税関で捕まりそうな怪しげな奇妙な楽器を持ち込んだ。それを曲作りに使った。作曲方法はいつも不安定で実験的だった。
変な拍子を使ったり、速くなったり遅くなったりね。たまにひどい時はお互い違うテンポで速くなったり遅くなったりしてね。でもいつも楽しみながら曲をうまくまとめようとしてたわ。聴衆は私たちの歌唱力不足を大目に見てたようだったけど、有名になるにつれてちょっとそれじゃマズイってことになったわね。

私たちはマイケル・ナイマンとギャビン・ブライアーから(私たちは神様の‘血は決して我を裏切らない’(?)っていう言葉を信じていたし、新しい出会いが嬉しかったわ)影響を受けた。パンクロックも含めてあらゆる民俗音楽、エスキモー音楽、レゲエへと変化していったわ。昔のインタビューを読んだら、‘オディシェイプ’の多くの曲は、私たちにドラマーがいない時期に書かれたものってあったわ。そのことがあのアルバムを説明してるんじゃないかしら。あの時それぞれの楽器は自由に開放されて、一つの曲の中でその役割以上のものとなってあらゆる機能を果たしていたんだと思うわ。私はチェロ奏者にはなれなかったけど、弓を使って自分のベースを弾いて、何ともいいようのない不調和な気持ちよさのあるサウンドを作ることができたのよ。

このアルバムは私たちの中で最も実験的で、解散の危機にあったときの作品だと思う。でもレインコーツの中でお気に入りのアルバムよ。少なくとも私にとってはね!バンドの話に戻ると、イングリッドが抜けて私たちはチャールズ・ヘイワードと組む事になったの。彼はドラムとカズーの達人で、私たちはディス・ヒート(ヘイワードが在籍)が何年も使っていたブリクストンのコールド・ストレイジでリハーサルを始めた。 でも私たちは再びドラムなしでレコードを作り始めて、2曲でロバート・ワイアット(元ソフトマシンのドラマー)を呼んだの。イングリッドとチャールズは、私たちとプレイしたことのあるそれぞれの1曲で叩いたわ。私たちはベリー・ストリート・スタジオで何週間かかけてレコーディングしたわ。 私は何年もこのレコードを聴いてなかったから、正直今どう聞こえるか心配だったわね。友人がいってたけど、私たちのレコードを聴かなくなったから、そのレコードで果物入れを作ったらしいわ!今は楽しんで聞けるけど、CDだから果物入れを作るのは難しそうね。

ジーナ・バーチ(ベース)


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