Welcome to my homepage


The Raincoats/The Raincoats/1993 Rough Trade Recordings. Manufactured by TDK Core Co.,Ltd. TDCN-5088



屋根裏の密航者より

僕は、過去の全く知られていない、得体の知れないあるバンドのことを知っている。そしてそれを楽しんでいる若者がたくさんいるのを知っているんだ。彼らはこういった主人のおこぼれにあずかったような小さなバンドを聴いて楽しんでいるんだ。レインコーツはアメリカでは全く知られていなかった。僕はイギリス、ヨーロッパの事も全く知らなかった。実際レインコーツがレコードを作って、それが僕に大きな影響を与えた以外の事は何も彼女たちについては今ですら知らない。彼女たちを聴くといつも僕は自分がどん底で、孤独で、うんざりしていたある時期を思い出すんだ。レインコーツのくせのある最初のレコードを聴く楽しみがなかったら、僕は全く安らぐ瞬間を持てなかっただろう。僕がバンドのちょっとした歴史をリサーチすることで、彼女たちの音楽の源と、僕がそれに感じた輪郭を辿ることができるのが、僕にとってより重要なものに感じたんだ。

レインコーツを聴くと、自分がこっそり侵入した屋根裏の密航者になったように感じるんだ。彼女たちを聴いているというより、彼女たちと一緒に聴いているような感じさ。僕らはいつもの家にいて、そしてもし僕が逮捕されたら、それは彼女たち自身がスパイで密告したかのような感じさ。で全てが破滅する。彼女たちは、自分たちの音楽を自分たちで演奏している。それは仏教僧の電話か何かの盗聴ほど神聖なものじゃないよ。なぜならレインコーツがもし本当に僕を捕まえたら、彼女たちは僕にお茶をほしいかどうかを尋ねるだろうから。で僕はそれに応じて、彼女たちの演奏が終わったら、彼女たちに最高の気分にさせてくれてありがとうっていうんだ。

カート・コバーン(ニルヴァーナ) 1993年6月


レインコーツは練習するらしい。

ヴィレッジ・ヴォイス 1980年6月2日


レインコーツは1曲目を演奏し始めた。1分以内に彼女たちはガールズ・ロックンロールバンドの概念をぶっ壊してしまった。聴衆の前で彼女たちはウィット、知性、怒り、愛情といった彼女たちの持っている全てを吐き出した。言いようもない満足感に浸りながら猛烈に格闘しながらひたすら単調に演奏を続けた。

グリル・マーカス、ローリングストーン 1980年7月

今週のシングル

1.元気を与えてくれる!
ザ・レインコーツ:スーパーマーケットの御伽噺(ラフトレード)


私は今幸せだ。メイヨ・トンプソンとジェフ・トラヴィスのプロデュースによるこのマキシ・シングルは、ニコがエレクトリック・ギターで歌って以来の最も未熟で最も刺激の強いものだ。この3曲はLPのどれよりも驚喜の叫びをもたらしてくれる。‘御伽噺’はスリリングなベースラインと、破壊的なパルモリヴのドラムと、かきむしるヴァイオリンとギターが行ったり来たりしながら、ヒステリックな歌を盛り立てる。新しいビートだ。2曲の辛らつなバラッド‘In Love’と‘Adventures Close To Home’は普通ではない何か新しい高貴さがある。これら全ては今までに聴いたことのないものだ。

ポール・モーリー、NME、1979年4月28日


1979年に活動を始めたのは正解だった。コメディ、パロディ、アンチファッション、娯楽、過激なロッカーとポップな女性的特質にあふれた夜だった。現在のラフトレードのアーティストたち、つまりスリッツ、スクリッツ、VECたちのことだ。 ミック・ジョーンズが現れるまではみんな田舎者だった。私は催眠状態だったからレインコーツのことは何も覚えてない。でも男たちの助けを一切借りずにプレイする彼女たちを見て私はすっかり回復してしまった。

イアン・ペンマン、NME、1979年1月27日


もう終わったのさ。ロックンロールはクソだ。気が滅入るね。じいさんは踊ってるし。興味ねえな。音楽は地に堕ちたね。レインコーツを除いては。

ジョン・ライドン、トゥラウザー・プレス、1980年6月


ザ・レインコーツ

1976年秋ごろのロンドンはぶっ飛んでたわ。ジーナはノッティンガムからやってきて、私はポルトガルからやって来たの。私たちのファーストアルバムは予想通り問題だらけで、ホントに無頓着さで溢れていたわ。自分たちの曲やサウンドにびっくりするような経験をしたわね。グレイトだったわ。パンクって3コードさえ知ってればいいってことを教えてくれた。これは心強かったわね。もちろん今でもそう思ってるわ。女の子たちにできることっていうと、大胆でずうずうしくなれるってことね。女にもドアが開かれつつあったわ(だんだんうんざりしてきたけど)。私たちもそれを望んでた。ロンドンにいると、人からインスピレーションを得られた。私たちの3枚のアルバムは今でも音楽その他を通じて、感情やアイディア、意見を表明したい人々に影響を与えることができるかもね。ジーナと私は1976/77年に見に行ったグループから最初のインスピレーションを受けたわ―クラッシュ、セックス・ピストルズ、サブウェイ・セクト、トーキング・ヘッズとかね。特に女がいるバンド―パティ・スミス、スリッツ、ポリー・スタイリーンたちは、こんなの簡単よ、誰でもできるって教えてくれた。で私たちはバンドを組むことにしたの。

1977年夏、私たちはニック・ターナー(ドラムス)とロス・クライトン(ギター)と一緒にバンドを始めた。私たちは最初から自分たちが歌が書けることに驚いてしまったわ。それからはもう何にも恐いものなんてなかったわね。1977年11月に最初のギグを演ったわ。PAもサウンドチェックもアンプ(私たちは小さな2つの練習用アンプしか持ってなかった)のことも知らなかったわ。ある晩“私たちってひどすぎるんじゃないか”って思ったこともあったわ。でもシャーリーら友人が励ましてくれて何とか続けた。その後ロスが去って最初のシングルのラインナップになるまで、たくさんの人たちが私たちと一緒に演奏してくれた。ケイト・コリンズ(元スリッツ、後のモデッツ)、ジェレミー・フランク、リチャード・ドゥダンスキ(元101ers、後のPIL、再びレインコーツ)とかね。でリチャードがスリッツのオリジナルメンバーだったパルモリヴ(ドラム)に頼んだらって提案したの。私たちは彼女が大好きだったから、入ってくれてとても嬉しかったわ。でもまだメンバーが足りなかった。

パルモリヴは違う楽器をプレイする女の子を加えるべきだっていってた。ヴィッキーはそれに応えて残ってくれた。1978年のメンツになって初めてみんな真剣になった。シャーリーがリーダーになって私たちはラフトレードで最初のシングルをレコーディングした。影響を受けたのは多すぎていえないわ。物や人やミュージシャンあらゆることからね。もし私たちがベルベット・アンダーグラウンドを聴いても好きでもなかったらあんなサウンドにはなってなかった事は確かね。それに既成のルールを無視するっていうパンクの姿勢に共感してなかったとしてもね。ホントにそれは私たちに女としてパワーを与えてくれたし、それがなかったらお互い自分をさらけ出すこともなかったわね。曲作りが終わって5週間の全英ツアーをした。でツアーの最後にスタジオに入った。ライヴレコーディングだったわ。ほとんどダビングなしで3週間でアルバムを録り終えた。これがそうよ。聴いてイカれてみて!!

アナ・ダ・シルヴァ


ホームへ