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Quicksilver Messenger Service/Happy Trails/2000 Repertoire Records REP 4868



クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスは、60年代サンフランシスコにおいて芸術的サブ・カルチャーから新しく生まれたバンド群が光り輝き、実り多く繁栄した中、それを象徴するバンドであった。その激動の時代、アメリカの若者たちは彼らの祖先の音楽、衣服、イメージ、姿勢に反抗し、多くの才能が花開いた。ベトナム戦争に対する不安の高まりはヒッピーたちの反乱を大きく促した。こういった社会状況に反発しながら生まれたクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのようなバンドたちが、モダン・ミュージックを発展、変化させる役割を果たした。

ミュージシャンの中の新しい波が因習的な音楽産業の様式から逸脱し、アメリカで今まで見過ごされてきたフォーク、ブルース、R&Bの遺産を掘り返し、ロックのルーツに大きな関心の目を向けさせた。そこには多くの自己探求があり、それは西部を開拓したパイオニアたちにまで及んだ。この特性は衣服、デザイン、ファッション、60s世代の長髪として表われていた。

流れ星のような10年のキャリアを通じてクイックシルヴァーは、その最初の成功にもかかわらずメンバーの入れ替わりに耐え忍んでいたが、結局仲間であったグレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインのような成功を収めることができなかった。しかしながら、‘Happy Trails’は長きに渡って不朽の名作として認められ、ロックンロールの殿堂入りを果たした1枚として君臨し続けている。

QMSはレコード契約を結んだサンフランシスコ最後のグループだった。これは主に彼らの自信によるものであった。彼らは独立を保つために踏みとどまることを好んでいたし、ベイエリア地区周辺のクラブで十分に成功していた。彼らはまたスタジオ入りできるだけの音楽的熟成を待ち望んでいた。

グループの誕生は1965年に遡る。オリジナル・メンバーは、ジョン・シポリナ(ギター、1943年8月25日生)、ゲイリー・ダンカン(ギター、1946年9月4日生)、デヴィッド・フライバーグ(ベース、1938年8月24日生)、そしてグレッグ・エルモア(ドラムス、1946年9月4日生)だった。初期のラインナップにはハーモニカ・プレーヤーのジム・マレイとシンガー/ギタリストのディノ・ヴァレンティ(1943年10月7日生)が含まれていた。しかし早いうちにヴァレンティはシーンから姿を消した。ドラッグ所持により刑務所に入ったためだ。

グループはよくハイト・アシュベリー地区のヒッピーの溜り場でフリー・コンサートを開いたり、アヴァロン・ボールルームやビル・グレアムの有名なフィルモア・コンサート会場でギグを行なっていた。彼らは1966年以降のフラワー・パワー・ブームでトップ・ローカル・バンドの一つとして名声を打ちたて、1967年のモンタレー・ポップ・フェスティヴァルで素晴らしいショーを披露した。彼らが最初に頭角を現したのは、映画‘Revolution’のサウンドトラックに提供した2曲によってであった。彼らはいくつかのオファーを断ったのち、ついに1968年1月にキャピトル・レコーズと契約を交わした。ファースト・アルバム‘Quicksilver Messenger Service’(Capitol)は1968年5月にリリースされ、メンバーはシポリナ、ダンカン、エルモア、フライバーグの4人だった。収録曲は‘Pride Of Man’、‘Light Your Windows’、‘Dino’s Song’、‘Gold And Silver’、‘It’s Been Too Long’、‘The Fool’などだった。

レコード会社と契約したバンドは、スタジオの中で居心地の悪さを感じ、頑固なファンの中にはアルバムに失望感を持つ者もいた。彼らはバンドのパワーと熱さをレコード上に収めることに失敗したと感じていた。それでもバンドのスタイル、とりわけシポリナとダンカンのギター・プレイの素晴らしさを示すことには成功していた。QMSは続くアルバムをフィルモアでの‘ライヴ’盤にすることを決定し、その結果出来上がったのが‘Happy Trails’だった。これはすぐに成功を収めた。高く信頼されていたライター、リリアン・ロクソンが熱狂的に‘史上最高のライヴ・アルバム’と評するなどの称賛を受けた。ジョン・シポリナの特徴的なギター・ワークとゲイリー・ダンカンのギターとの組み合わせはインスピレーションあふれるものだった。両プレーヤーはダイナミックな‘Who Do You Love組曲’で見事にフィーチャーされ、レコードの片面全てを占めていた。この広大な1曲は果てしないボ・ディドリー・リフが基本となり、最初と最後に登場する。途中は全てそのテーマのヴァリエーションであり、ゲイリー・ダンカン作の‘When Do You Love’、‘Where Do You Love’(フィルモアのオーディエンスの貢献がある)、シポリナ作の‘How Do You Love’、そしてデヴィッド・フライバーグ作の‘Which Do You Love’が挟み込まれている。

二人のリード・ギタリストのダイナミックな相互作用はセンセーションを巻き起こした。もう一つのボ・ディドリー・ナンバー‘Mona’は、シポリナの雰囲気あるギター・ワークを堂々と示している。残りがゲイリー・ダンカン作の‘Maiden Of The Cancer Moon’と‘Calvary’、デイル・エヴァンスによって書かれたタイトル・トラックだ。アルバムのインパクトはまた、その目を引く魅力的なカヴァー・イラストによって助長されている。荒野を馬にまたがって走るカウボーイが、自分のカウボーイ・ハットを振り上げている様が描写されている。この生き生きとしたイメージは、Globe Propagandaのジョージ・ハンターによる作品で、当時多くの素晴らしいアルバムでカヴァー・デザインを手がけていた会社だ。‘Quicksilver Messenger Service’と‘Happy Trails’の2枚は今では60年代サンフランシスコ・シーンが生んだ最高のアルバムとして認められている。

セカンド・アルバム発表後まもなく、ゲイリー・ダンカンがディノ・ヴァレンティがニューヨークで新しく結成したバンド、Outlawsへの加入の誘いを受け脱退した。ディノは1969年に出所しシーンに戻ってきていた。この騒動の末、ダンカンの代わりに英国生まれのキーボード・プレーヤー、故ニッキー・ホプキンスが加入することになった。彼はザ・フーやローリング・ストーンズと共にプレイしていたセッション・ミュージシャンであった。

新生QMSはキャピトルからサード・アルバム‘Shady Grove’(1970)をリリースしたが、これは前作ほどの評価は受けなかった。1970年2月、ヴァレンティとダンカンはヴァレンティがヴォーカルとギターとしてバンドに復帰したが、彼らのニューヨーク進出は失敗に終わってしまった。6人編成となったバンドはニュー・アルバム‘Just For Love’を1970年9月に発表し、‘Fresh Away’を全米トップ50に送り込んだ。レコード・リリース前にニッキー・ホプキンスはバンドを抜け、ジョン・シポリナもCopperhead結成のため、1970年10月に去っていった。

次のQMSのアルバム‘What About Me?’(1971)は、前作と同じセッションでレコーディングされていた。グループはギターとヴォーカルのヴァレンティをリーダーとしてダンカン、エルモア、そしてフライバーグと共に活動を続けていた。しかし彼らの努力にもかかわらず、QMSは苦しい状況にあった。デヴィッド・フライバーグは1971年、マリファナ所持のため刑務所送りとなりバンドを抜けることになった。彼はその後セッション・ミュージシャンとしてジェファーソン・エアプレインと共に働いた。QMSにはマーク・ライアン(ベース)とチャック・ステイクス(オルガン)が新しく加入し、彼らはさらに2枚のアルバム‘Quicksilver’(1971)と‘Comin’ Thru’(1972)を発表した。

しかしバンドは初期のオリジナル・サウンドと方向性を失ってしまったかのようだった。1975年、フラワー・パワー・シーンは完全に過去のものとなり、QMSは4人のオリジナル・メンバーにヴァレンティの5人でリユニオン・アルバム‘Solid Silver’を引っさげシーンに戻ってきた。10年以上経たのち、ゲイリー・ダンカンは新生QMSを率い、アルバム‘Peace By Piece’(1987)を発表した。


‘Happy Trails’は今なお当時を素晴らしく喚起させるアルバムであり、長く失われた若き幸福な時代、文化、ロックンロールを呼び覚まさせてくれるアルバムであり続けている。

クリス・ウェルチ、2000年ロンドンにて


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