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Procol Harum/Shine On Brightly…Plus/1998 Westside WESM 533



1968年、プロコル・ハルムに興味を失くし始めたプロデューサーのデニー・コーデルは、クレジットされていたにもかかわらず、1968年3月のシングル、“Quite Rightly So”とそのB面“In The Wee Small Hours Of Sixpence”のレコーディングのあと、“アシスタント・プロデューサー”だったトニー・ヴィスコンティ(のちにデヴィッド・ボウイのプロデューサーとなる)に実権を譲ることに満足していた。ローリング・ストーンズのアルバム、Beggars Banquetで働いていたオリンピック・スタジオの凄腕エンジニア、グリン・ジョンズも参加していたが、アルバム・ジャケットにはクレジットされなかった。そうこうするうちに、担当していた才能を開花しつつあったアーチスト、ジョー・コッカーに夢中になったコーデルは、コッカーのデビュー・アルバム、With A Little Help From My Friendsのために、プロコルのオルガニストとドラマーを無理矢理起用した。

1968年12月にリリースされたこのShine On Brightlyは、ひょっとするとプロコルの大傑作なのかもしれない。マシュー・フィッシャー―この時の愛称はマシュー・セレスチャル・スミス―は、幅広い音楽性を提供し、ロビン・トゥロワーの独特なブルース色あるギターも他よりもこのアルバムで、より効力を発揮している。ジャケットはタイトル・トラックを書いたキース・リードの詞を巧妙に描写している。しかしプロコル・ハルムのアメリカのレーベル、A&Mはこれを不快なものと判断し、USリリースではジャケットが変更されることになった。アルバムは全米24位となったが、素晴らしい評価を受けたにもかかわらず、英国ではチャート入りを逃してしまった。

元々Shine On Brightlyはもっとブルージーなアルバムになるはずだった。1967年秋から1968年夏の間にレコーディングされた数曲は、オリジナル・アルバムのB面に収録される予定だったが、“In Held ‘Twas I”に差し替えられた。その元々のタイトル、“Magnum Harum”は大傑作(magnum opus)を思わせるものだった!(興味深いことに、ザ・フーのピート・タウンゼンドはプリティ・シングスのS.F.SorrowがTommyに大きな影響を与えたことによく言及していたが、ピートのロック・オペラの構想は主に“In Held ‘Twas I”にインスパイアされていたことも認めた。ハルムの傑作、“The Grand Hotel”のロブ・トゥロワーの荘厳なギター・ワークとTommyの“Listening To You/See Me, Feel Me”を比べてみよう!・・・)

このCDはまた失われたプロコル・ハルムの伝説のトラック、“Alpha”の初出に加え、多くの未発表作品を含んでいる。またデジタル・ステレオでリマスターされたこのスペシャル版CDは、英国オリジナル・ジャケットがブックレットの表に使用され、米国盤のポール・ウィリアムスのライナーノーツが再掲された。

ボーナス・トラックについて

SEEM TO HAVE THE BLUES(MOSTLY ALL THE TIME)

このアウトテイクは1967年10月20日にレコーディングされ、1976年まで未発表のままだった。初めてリリースされたのは、プロコルのコンピレーション盤、Rock Rootsにおいてだった―珠玉の1曲!

MONSIEUR ARMAND
上記セッションでレコーディングされたこれも1976年まで日の目を見なかった。このアウトテイクは、アルバムExotic Birds And Fruit収録の“Monsieur R. Monde”として1974年に再録された。

ALPHA
最近発見された4トラック・マスターからミックス・ダウンされたこの曲は、以前ゲイリー・ブルッカーが主張していたキース・リードと共作した最初の曲、“Something Following”よりも早い時期のものだ。この曲が初めてライヴでプレイされたのは、1995年、ロサンゼルスの“House Of Blues”でのことだった。それは90年代に多く行なわれたアメリカでのリユニオン・ツアーのうちのひとつだった。マシュー・フィッシャー自身さえ忘れていた素晴らしいアウトテイク!

IN THE WEE SMALL HOURS OF SIXPENCE
ファースト・アルバム収録の“Conquistador”(征服者)の流れを汲むドンキホーテ的な詞を持つこれは、英国でのシングル、“Quite Rightly So”のB面だった。ある特定の国では次に入っている別ヴァージョンが使用された。
IN THE WEE SMALL HOURS OF SIXPENCE
これがその別ヴァージョン!

QUITE RIGHTLY SO
テイク4で始まるが、歌後半で中断し、デニー・コーデルがゲイリー・ブルッカーに音のチェックをしようと呼びかけたあと、テイク6へ進む。これは以前のどのヴァージョンよりもほんのわずかに長いシングル・マスターとなった。
IL TUO DIAMANTE
ゲイリー・ブルッカーによってイタリア語で歌われたShine On Brightlyだ!これは1997年にドイツのレパートワー・レーベルがリイシューしたShine On Brightlyに収められるまでCD化されなかった。どうやら“A Whiter Shade Of Pale”のイタリア語ヴァージョンも存在するらしいが、今のところ我々はその所在をつかめてはいない。

ヘンリー・スコット‐アーヴィン、1998年夏


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