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Plasticland/Make Yourself A Happening Machine/2005 Rykodisc, Inc. RCD 10850



最近、UKサイケ・マガジン、‘フリークビート’の高名な創設者リチャード・アレンは、プラスチックランドのことをこういった。「あの時代を通じて唯一本物のサイケデリック・バンドだった」 80年代の彼らの全盛期をふり返ってみれば、たしかに彼のいっていることは的を得ている。支持者たちに忠実なバンドとして、そして中枢の評論家たちにとって、プラスチックランドはサイケデリック・ミュージックの真の未来だった。しかしながら、彼らはウェストコーストのルーツ・ロックと独創性のないリヴァイヴァリズムが巻き起こったガレージ・シーンの旋風の中で、いくらか埋没してしまった。そのシーンはアメリカにおけるあの時代のアンダーグラウンド・ミュージックにとって、興味深く肥沃な土壌を提供していた。ガレージ・シーンのどちらかの要素が偽りであったというわけではない。

プラスチックランドは不思議な渦巻きの船の舵を取り、まるで一筋の光の狼煙(のろし)を打ち上げる使命を帯びた真にユニークな存在だった。ケン・キーシー(米小説家)のバスに乗車したかのように、彼らの目的と行く先はひとつの言葉に要約されていた―そう、‘もっと遠くへ’!しばしば濫用される言葉、‘サイケデリック感覚’の中で、彼らのサウンドはあなたの意識をゆがめ、拡張し、色をつけることができた―彼らはナゲッツとペブルズ(訳注:60sガレージ/サイケのオムニバス・レコード・シリーズのタイトル)にフィーチャーされたバンドたちのように、オールダス・ハクスリー(英小説家・評論家)の血を受け継いでいた!

それでもグループは、そういったサイケデリックなものからの影響によってカテゴライズされることを拒否していた。オリジナル・メンバーのグレン・レス(リード・ヴォーカル、ギター、キーボード)は、ストゥージズとMC5を生み出したオリジナル・デトロイト・シーンのギター・サウンドにぞっこんマイッていたし、キャプテン・ビーフハートのような詞の世界にインスピレーションを求めていた。初期のブルー・チアーを語らせると、彼はウィスコンシンのシーンについてだって話すことができた。彼の悪友であるベーシスト/ヴォーカリストのジョン・フランコヴィックに、サード・イヤー・バンドやサークル・ジャークスの話をさせれば、そのエスニックな弦楽器や管楽器に対する彼の熱烈な愛着を、牛のようなスタミナでしゃべりまくる姿を経験しなければならなくなる!

ガキの頃から仲の良かったジョンとグレンが最初に始めたバンドが、70年代にやっていたアラウジング・ポラリスだった。それはブリティッシュ・プログレッシヴと、ドラムの達人ヴィクター・デミチェイが持ち込んだジャーマン・スペース・ロックの‘できちゃった婚’であった。たしかにヴィクターの2バス・ドラムのヘッドには、ジャーマン・バンドのリズム名人、マニ・ネウマのサインが書かれてあったし、彼はジャーマン・サイケのグル・グルのファンだった!アラウジング・ポラリスが解散したあと、グレンは60sの星の数ほどのオーソドックスなカヴァーを主体としたリリジョンズを結成し、一方のフランコヴィックは70年代のデュッセルドルフ(ドイツ西部)・シーンの流れを汲む実験的なシンセサイザー・サウンドに手を出した。しかし彼らの分裂状態は長くは続かず、彼らはポラリスを再開することにした。しかし彼らの傾向は変化を見せ、彼らはアモン・デュール兇箸いΔ茲蠅癲△茲螢好癲璽襦Ε侫Дぅ轡困剖瓩ぅ丱鵐匹砲覆辰討い拭彼らはバンド名変更を企て、その結果、ついにプラスチックランド誕生となった。しかしバンドのデビュー・シングル、‘Milk Dress’ではたしかにジャーマン・ロックからの影響を聞くことができる(B面の‘Office Skills’はここに収録されている)。とりわけそれはグレンの這うようなキーボードとジョンのズシンズシンと響く単調なベースラインに顕著だ。これは‘ノイ’でのマイケル・ロザーの作品に通じるものがある。

25年後にグループの創始をふり返ったフランコヴィックは次のように考察している。「僕たちは66〜67年にかけてのイングリッシュ・サイケ・モッド・シーンの探求に乗り出したんだ。最新テクノロジーを持ち込んで、当時スタジオの中でやっていたことを再現するっていうようなね。それに僕たち自身も楽しみたかったんだ」 一方レスはいう。「僕は60年代後半の最初の波に乗りそこなった人々の世界に保守的な伝統を表明して、元々の時代にあった純真さ抜きで本物のアート形態を復活させたかったんだ―政治的メッセージなしでね。それはピュアなエンターテイメントだった。僕はモッド・オップ・アート(op art:目の錯覚的効果をねらう抽象的な美術=optical art)からヒップ・カルチャーとして知られる頃までの短期間に焦点を当てたかった。自然食、豆腐、強い催眠薬、ヒッピー共同体、誤った幻覚剤やなんかに過度に突き進む前のね!僕の考えでは、その時にまずすべきは基本に戻ることだった―つまり喜びとバンドのエネルギーだ。ブギ、30分の冗長な曲、フュージョン・ジャズ、ブルージーンズ、スニーカー、アースシューズ(かかとがつま先より低く作られた健康靴)全てダメ、ヒゲ面禁止ってね!」

プラスチックランドは、ヴァイオレント・フェムズ(バンド?)を生み出した肥沃なミルウォーキー・シーンの一端を担って登場したのかもしれないが、彼らの精神的支柱は間違いなく英国にあった。とりわけそれはカーナビー・ストリートのブティックや、ケンジントン・ビバ・シックに足しげく通う長髪たちでいっぱいになっていたミドル・アース・クラブやUFOクラブのロンドン・スウィンギン60sだ。それはこのCDに収められているトラック、‘Flower Scene’そのものだ。これはレスの姉が1967年にイングランドから持ち帰ってきた同名の雑誌を彼が読んで、当時の様々なバンドへオマージュを捧げたナンバーだ。彼はここでプリティ・シングス、スモーク、シン、クリエイションのような‘アンダーグラウンドのお気に入り’バンドを取り上げている。続いてジョンとグレンは英国に通うようになった。筆者は80年代に関わった奇々怪々な物事や出来事に対する喜びと驚きの思いを、今でも声高らかに表したい気持ちだ。

フランコヴィックは英ケント州、カンタベリーのバー、ミラーズ・アームズに行ったことがあった。彼はそこでドリンクを頼む代わりに、陽気にこう尋ねた。「どこに行きゃキャラヴァンのメンバーに会えるかな?」 しかしバーの男は躊躇することなくこういった。「君のうしろ」―彼はジェフ・リチャードソンとかいう男を指さした。リチャードソンはカンタベリー・プログレッシヴ・シーン御用達のヴィオラ・プレーヤーだったことがあった。あっという間にフランコヴィックは会話に没頭し始め、リチャードソンがフランコヴィック生涯のお気に入りベース・プレーヤーで、元ソフト・マシンのメンバーだったヒュー・ホッパーが、タクシーの運転手で生計を立てていることを話した時には、フランコヴィックのあごはほとんどテーブルにくっついた状態だった。それからある晩、レスはウェスト・ロンドンの小さなパブで元プリティ・シングスのギタリスト、ディック・テイラーに自分の新品のファズ・ボックスにサインをしてもらった!1985年5月、グレンとプラスチックランドの仲間たち、そして評論家のデイヴ・ルリソンと私は、金で動員されたプレスの雇われ記者たちとレコード会社のおべっか使いによってレイン・パレードのUKデビューを見ることをじゃまされてしまったが、ノース・ロンドンのディングウォールズ・ダンス・ホールで酒を飲みながら楽しいひと時を過ごした。そこではピンク・フェアリーズ・ロックンロール・アンド・モータサイクル・クラブの主要メンバーに囲まれていた!ばっちりな設定だった!

彼らは英国でライヴをやるチャンスにめぐまれなかった悲劇のバンドであり、トゥルー・アングロファイルズ(真の親英派)だった。彼らは米両海岸と地元の中西部で多くのショーを務め、イングランドでは86年の春にカリフォルニアンズ・オペルと地元のヒーロー、シルヴァー・サンズと共にギグをやる予定だったが、残念なことにそのショーは流れてしまった。もしプラスチックランドが80年代半ばにロンドンで小さなペイズリー・シーンを担っていたアリス・イン・ワンダーランドとコネクションを築いていれば、彼らはその価値にふさわしい成功を収めていたかもしれない。レスとフランコヴィックはイングランドの中心地にあった何軒かのクラブと、そこでレギュラー出演していたプリズナーズやミルクシェイクスのようなバンドに魅了されていた。不幸なことに、イングランドのプレスは彼らのことを単なる取るに足らないリヴァイヴァル・バンドとして額面通りに受けとってしまった。もちろんある程度、それは間違ってはいなかったのだが。私は彼らのライヴを目撃したことはなかったが、誰に聞いても彼らは全くの見物だったらしい―渦巻き模様の白黒チェックのジャケット、極彩色に飾り立てられたアンプ、意味不明なアクション。ベン・フランクリン・スタイルのフランコヴィックは絶えず尻を振りながらベースを低く構え、ステージングに変化をつけていた。一方でグレンはレザーのとがった帽子をこれ見よがしにかぶっていた―後期のラインナップでは、彼は楽器を持たないスタンド・ヴォーカリストとして、最前列にいた10代の女の子たちとダンスをしたり、いちゃついたりしていた!

たしかにプラスチックランドはそれらしく見えていた―先のとがった靴とキューバンヒールをはき、彼らの曲‘Pop-Op Drops’が示すような鮮やかなペイズリー模様のポップ・アート・シャツで着飾っていた。彼らは故郷にある60sの衣服を扱う何軒もの古着屋に通い、喜んで自分たちのスタイルに取り入れていた。1985年にグレンとジョンがプロモーションのため西海岸を訪れた時の伝説がある。彼らはワイルドなステージ・スーツを作るために、サンフランシスコのチャイナタウンで買い物をすることに自分たちのほとんどの時間を費やしていた。たしかに彼らはまだビートル・スタイルのブーツと水玉模様のシャツも買い続けていた。それは英国ファッションの砦であり、80sのカーナビー・ストリートを色濃く反映していた!それら全てのナルシシズムは、グループのフォト・セッションでのグレンのウィットに富んだ写真ではっきりと分かる。そのパーティー・ソング、‘Posing for Pictures’はここに収録だ!それは単なるファッション的要素ではなく、もっと重要な意味があった。プロデューサーのポール・カトラーは、バンドがアルバム、‘Wonder Wonderful Wonderland’を制作するためのふさわしい雰囲気を設定するために、どうやってスタジオの中でリキッド・ライト・ショーを繰り広げたかを語ったことがある。そう、奴らはモノホンでバッチグーなサイケデリック野郎たちだったってことだ!ピース!

‘Mink Dress’(ちなみにこれは2005年にライノから出たボックス・セット、Children of Nuggetsに収録されている)に続いて、バンドは自身のレーベル、Scadillacから一連のシングルをリリースした。そのうちのいくつかはこのCDに収録されている。絶望的にレアなEP、‘Vibrasonics’からの‘Too Many Fingers’は、67年当時の最新ブリティッシュ・サウンドだった(まさにシド期のピンク・フロイドだ)。一方、‘Standing In A Room’は信じられないようなイカしたファズ・トーン・ギターをフィーチャーしていた。彼らの3枚目の7インチ・シングル、‘Color Appreciation’ b/w ‘Mushroom Hill’リリース時までにヴィクターは去り、策略のうしろで悪名高きレイディ、ロブ・ダブロンとギタリストのブライアン・リッチー(やがてフェムとなる)がやって来た。後ろの方のトラックでのブライアンのリード・ソロをチェックしてみてほしい―このラインナップがリッチーのサン・ラとジョン・コルトレーンに対する偏愛を知り、そしてたどり着いたところにあなたは驚いてしまうことだろう。しかしそこにはダラダラとした長尺な即興演奏は存在しない―秩序とタイトさが当時の命題だった―このCDに収録されているバンド2枚目のEPからの‘Sections’と‘Pop Op Drops’をチェックしてみてほしい。そこにはほとんど2分にも満たないコンパクト・ポップが実現されている。

このEPで、彼らはギタリストのダン・ミューレンとドラマーのロブ・マッケンを迎え入れた。彼らの加入によって、プラスチックランドは10代のリスナーたちへのアピール度を高めただけでなく、初期のLP群においてのグループの音楽的技巧をより洗練させる方向へと向かわせることになった。この安定したラインナップにより、彼らはスタジオでもステージにおいてもより快適な状態になった。彼らのファーストLPは1984年に、国によって3つ以上の異なるレーベルからリリースされた(Plasticlandというタイトルだったり、Color Appreciationだったり、またわずかに違うスリーヴだったりした)。それはきちんとしたアルバムというより、コンピレーション盤といった方がふさわしかった。チャート・トップに立つべき各曲の寄せ集めであり、グレンはこのデビュー作をグレイテスト・ヒッツ・コレクションのようなものだったと考えている。バンドの元々の使命を表明した‘Wallflowers’のように、長い期間に渡った選曲がなされている―この曲はムーヴの‘Flowers in the Rain’のろくでなし息子かもしれない。

83年のセッションからの2曲、‘Her Decay’と‘Euphoric Trapdoor Shoes’(見過ごされがちな詩人としてのグレンの才能が示されている)は、徹底的に初期のモッド・サイケデリック・サウンドを再現している。‘Posing for Pictures’、‘Flower Scene’と並んで、これらは新しいラインナップがスタジオの中で本当に調和していたことを示している。またそれはとりわけこの時期に‘Magic Rocking Horse’がカヴァーされたことに象徴されている。元々はイングランドのサイケ・ポップスター、ピンカートンズ・アソーテッド・カラーズによって録音されたが、これはプラスチックランドがカヴァーしたほんの一握りのうちの1曲だ(もうひとつがプリティ・シングス((訳注:厳密にはプリティーズの変名バンドのエレクリック・バナナ))の‘Alexander’だが、それはここには収録されなかった)。あるいはオリジナルのサイケデリック期からの最も楽天的な雰囲気漂う1曲かもしれないが、プラスチックランドはオリジナルのアレンジメントに手を加え、完全に自分たちのものにしている―傑作だ!グレンはこの曲の作者、トム・ニューマンが彼らのヴァージョンを聞いたことがあるかどうか、時々気になっていたようだ。

レス/フランコヴィック/マッケン/ミューレンの布陣は、USのレーベル、ピンク・ダストから85年にセカンドLPをリリースした。‘Wonder Wonderful Wonderland’は、筆者の望むプラスチックランドのアルバムそのものだった。それはLPレコードとして計画され、録音された。グレン、ジョンそして先述のカトラー氏がドリーム・シンジケートに参加する前にその3人によってプロデュースされ、10インチの2枚組でリリースする手はずだったが、その計画は台無しにされ、ここに収録されている‘Market Place of Zesty Zeal’のような重要なトラックが省かれてしまった。ちなみにこのトラックはリード・ヴォーカルとシタールを担当したジョンのすばらしいパフォーマンスをフィーチャーしていた。レコードは彼らのオリジナルな‘最新型60s’が多く保持されていたが、全体的には‘モダン’に聞こえた―私は当時、この中西部ペイズリーの王子(グレン)がこれから手を出しそうなものは何かを時々考えていた―そう、彼らはしっかりそのドでかいものに取り組み始めた。メロトロンだ!(オーケストラのストリングスを複写した60年代のキーボードであり、多くのブリティッシュ・プログレッシヴ・アクトの恐竜たちのかなめとなった楽器だ) 

メロトロンはグレンのよって巧妙に操作され、このレコードで彼らは完全に自分たちのものにしてしまった―それはレコードにホンモノの風味を与えている―60sと80sの完璧なミックスである‘The Gingerbread House’と‘Gloria Knight’をチェックしてみてほしい(その雰囲気はまるで宝石箱だ!)。ジョンの扇情的なベース・ラインは、全体のミックスに大きく貢献した。‘Processes of the Silverness’はプラスチックランド最高のサイケデリック・ナンバーとなった。フランコヴィック作の‘Grassland of Reels and Things’は、彼の部族音楽(tribal music)への嗜好が反映されている(No Neck Blues Bandがブライアン・ジョーンズのLP、ジャジューカをプレイしているところを想像すれば納得だろう)。

次のアルバム、Salonはそのアプローチをさらに推し進めたものになった―サイケデリア、クラウト・ロックと、姿を現したハウス・カルチャーの衝突だ。それはグレンによればこうだ。「他の音楽のタイプへの探索を始めたんだ。ある人にとってはプログレッシヴ過ぎたし、ある人たちは時代にぴったりだと考えたね」 これは前作よりもいっそうブッ飛んでいた。そしてこの作品は何年にも渡って私にじわじわと忍び寄ってきた―ひょっとしたら彼らの最高傑作ではないかと。なぜSalonと名付けたのか問われた時、ジョンは答えた。「部屋だからさ!」 バンドは‘Go A GoGo Time’でソリッドなモータウン・グルーヴをものにした(グレン:「まともな奴ならこれをシングル・カットするだろう」)。‘It’s A Dog’s Life’はアンフェタミン漬けのモッド・エナジーにあふれ、フロイドのような響きのある‘We Can’t’はねじれのあるインストゥルメンタルだ。これはナゲッツに熱心なファンたちの多くを当惑させることになり、今でもヒップなB級ムーヴィーのサウンドトラックに収録したくてうずうずするようなナンバーである!

レコード会社の人事異動により、ピンク・ダスト・レーベルはバンドとの契約を打ち切ったが、彼らはメジャー・レーベルに移籍しようとしているかのように見えた。しかしグループ内の意見の相違によってその話はだめになってしまった。かなりのブランクのあと、彼らはドイツからEP、‘Let’s Play Pollyanna’をリリースした。それは依然バンドがかつてと同じように才能あふれる集団であることを示していた。彼らはライヴ・ヴァージョンの‘You Need A Fairy Godmother’で、彼らのヒーローの1人であり、トゥモロウ、プリティ・シングス、ピンク・フェアリーズのドラマーだったトゥインクと共演を果たした。もう1枚のライヴLP、トゥインク抜きの‘Confetti’がそれに続き、さらにレアなシングルとアウトテイクを集めたコンピレーション・アルバム、‘Mink Dress and Other Cats’には、‘You Were Such A Bad Time’、‘I’m Gonna Emphasize’、そして‘A Change in You’が収録され、それらは全てこのCDに入っている。‘Dapper Snappings’は4枚目のスタジオLPだったが、グレンによればこうだ。「僕はこれが一番好きだね。僕たちはどんどん良くなっていったし、スタジオの中にアートを持ち込むことに熟練していたと思う」 

レスはよりヘヴィなサイケデリック・サウンドを求め、バンドを拡張したがっていた。キーとなるナンバーは、ファミリー・ドッグ(60年代後半のサンフランシスコのヒッピー/プロモート/アート集団)にインスパイアされた‘The Bunny Bear’だった!グレンはいう。「僕はここでキーボードとギターをプレイしている。これをレコーディングした時にはダンは抜けていたんだ。その時、僕はバンドをガイ・スティーヴンスが手がけたような5人編成の才能集団にしたかった。彼が60年代後半にプロデュースしたスプーキー・トゥース、プロコル・ハルム、それから‘Thunderbuck Ram’のモット・ザ・フープルみたいなね!」 それはたしかにすばらしいことだ!とはいえ、‘Craved Blue Memorandum’は最高に異常だった。「時々、何の影響も受けていないようなものが出てくるんだ。過去のバンドやプロデューサーとも何の関係もないようなものがね―ラスベガスの大テントにある自動販売機みたいに脳みそが踊り出すんだ!」 またここには興味深いサウンド・コラージュが施された2曲、‘They Wore Sequined Masks’と‘Some Ghost Ship Lollipop’が入っている。気味の悪い電子音楽的な遊びと、フランコヴィックのとどろくようなトロンボーンで埋め尽くされたこれらは、元々UKファンジン、バケットフル・オブ・ブレインズのためのオマケのレコードとして録音された。これを聞けば皮肉屋でさえ、当時の気の合う仲間だったファズトーンズたちとは違ったプラスチックランドの深遠さを認めざるを得ないだろう(ちなみにファズトーンズもグレイトなバンドだ!)。

続いてフランコヴィックは何枚かのソロ・アルバムをリリースし、ヴィクターと共にゴシックスでプレイした。しかし間違いなく、永きに渡る彼の最大の貢献は、ミルウォーキーの偉大なフォークロック・コンボ、ザ・ペタルズの指導者、プロデューサーとしての仕事だ。ロブはリキッド・ピンクでプレイし、ダンはシルヴァービーツに入った。グレンはファビュロン・トリプトミーターを率い、それを概念化させた―ドラムスのレイディ、ベースにデイヴィス・レックの偉大なアシッド・ロック・トリオだ。それはグレンの愛する60s後半のデトロイト・メタルの影響が色濃く反映されていた。しかしプラスチックランドには彼の情熱が生き続けているし、もしメンバー間の様々な相違点、特にミューレンの他の音楽への傾倒、そしてレスとフランコヴィックの間の確執(彼らの狂暴な関係はほとんどキンクスのレイとデイヴだ)が解決されれば、プラスチックランドは再び甦るかもしれない。彼らは今でもギグを展開しているし、時にニューヨークのケイヴ・ストンプのような主要なギグもこなしている。

彼らは80sのギター・バンドに対する現在の誤解を含んだ認識の中では、単なるひとつの注釈付アーチストかもしれないが、この100年か200年のうちに決定的なサイケデリック・ロックンロールの歴史書が書かれれば、プラスチックランドはそのジャンルのオリジネイター、パイオニアたちと並んで名を連ねることになるだろう。なぜなら彼らは音楽にトライし前進させるべく、ヴィジョン、勇敢さ、ユーモア、イマジネーションを持っていたのだから。このコンピレーションをあなたのCDプレーヤーで回してみれば、その揺るぎない証拠を聞くことができるだろう。

ナイジェル・クロス 2005年8月 ロンドン
グレン、ジョン、そしてウィリアム‘ビリー・ザ・キッド’クロスに多大な感謝を送る


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