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Peter Bellamy/The Ballads Of…/2008 Free Reed Records FRRR 16



Peter Bellamyが1991年に自らの命を絶った時、英国で彼の音楽は好まれてはいなかった。彼の最後のリリースは半ば申し訳なさげなカセットのみという事情があった。しかしながら過去15年間において、ピーターはその音楽的キャリアの全側面に渡って大きな進化を見せていた。Free Reedは過去を振り返った3枚組CDによって堂々と先導し、それ以来Fellside, Fledg’lingそしてTransatlantic/Sanctuaryらがより多くの彼の作品をリリースし、大きな役目を担うことになった。

この新しくコンパイルされたCDは、ベラミーの傑作群と彼の熱狂的なファンですら聴いたことのない音源を網羅している。またこれはあらゆるタイプの‘バラッド’のピーターの歌唱に焦点を当てている。楽曲はピーターが最初にヤング・トラディションのラスト・アルバムでレコーディングしたバラッドのヴァージョン、彼自身が作曲、組み替えを行なったもの、そして彼の最後のレコーディング・セッションで未完に終わり、未発表となっていたマテリアルが含まれている。


Ballads, Big
Big Balladsという用語はオックスフォードの英国文学学士院によれば、“写実的に語られてきた一般的な物語の中の短いスタンザ(連、4行以上からなる)のうちの単一の生気ある詩で、口承によって伝えられてきたのが不可欠な要素”とある。フランシス・チャイルドのEnglish and Scottish Popular Balladsは、Thomas PercyからRobert Gravesらの他の無数のバラッド集の中で決定的コレクションである。不幸にもほとんどのコレクターはそれを歌集というより詩集としてみなしてしまった。しかしながら、ピーターは決然とバラッドを純粋なパフォーマンスとして正しい形に復活させたうちの一人であった。

Ballads, Broadside
元々は安っぽく印刷された1枚の紙のシートから名付けられたブロードサイド・バラッズは、当時の出来事をやや正確性に欠けるか、かなり不正確につづったものであった。それらは通りで売られていたが、時には買い手の興味を引きつけるために芸を交えて(訳注:日本でいえば‘男はつらいよ’の寅さんの口上のようなもの;「四谷、赤坂、麹町、ちゃらちゃら流れる御茶ノ水、粋な姐ちゃん立ちションベン」「ヤケのヤンパチ日焼けのナスビ、色は黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないよときた!ねえ!」)、呼び売り商人によって売られていた(As You Like Itの中のAutolycusのような)。ある特殊なサブジャンルにGoodnight Balladがあり、これはぞっとするような独白の形をとり、時には公開処刑の場で売られていた。まさに本当の意味でブロードサイド・バラッズは、センセーショナリズムとその名士によって合法的な新聞に取って代わるタブロイド新聞の先がけであった。

Ballads, Barrack-room
1892年、Rudyard Kipling(ラジャード・キプリング:1865-1936 英国の短篇作家・詩人)は、このタイトルで風変わりな兵士の物語/詩集を出版した。4年後には第2集を発表している。PeterはまだYoung Traditionの一員だった時に、キプリングの詩に対する興味をふくらませていた。彼はキプリングの詩を歌うことによって、そしてその詩の特定のフォームを引用することによってインスピレーションが得られると確信していた。彼はキプリングの故郷はベイトマン(Henry Mayo Bateman:1887-1970 オーストラリアの漫画家。英国で活動し、その漫画にはそれとは知らずに社会のしきたりを破って困り果てている人物がよく登場し、‘The Man Who…’のタイトル付きが多い)の拠点と同じ、Rottingdeanであることを指摘し、またこれを補足するものとして、The Copper Familyの故郷も同じであることを引き合いに出している。

ピーターは1974年に自らの関心を、“曲を発掘すること、いいかえれば曲を創作することを放棄する”ことに向け、巨大な仕事に取りかかった。1976年、彼はその13曲を集めたLPを制作することに成功した。アルバムは最初、USのレーベルにライセンスされ、UKではFree Reedレーベルからリリースされた。ピーターはBarrack Room Balladsの仕事に戻り、彼の最後の計画のひとつになったのが、Soldiers Threeに曲を付けることだった。同名のピーターのアルバムは(キプリングの)Soldiers Threeのコレクションから23曲が含まれている。

Ballad Opera
トラディショナル・ソングに対する興味の増大とイタリアン・オペラの脅威は、18世紀中期に短期間Ballad Opera開花を引き起こすことになった。壮大なオペラの曲の代わりに、バラッド・オペラはトラディショナル・チューンもしくはトラディショナルのスタイルで書かれた曲が使用されていた。一般的な人気は短期間しか続かなかったが、HandelThomas Arneによって書かれたバラッド・オペラの数々があり、John GayのBeggar’s Opera(1728)が最初にして最高のバラッド・オペラになった。Bertholt Brechtが1928年にDie Dreigroschenoperでリヴァイヴァルさせた時、彼はGayの作品を枠組として用いていた。

この形式は1940年代にArnold Wesker, John Ardenのような新進の英国作家とJoan LittlewoodのTheatre Workshopによって採用された。1977年、Peter Bellamyは現代のバラッド・オペラ―The Transportsを創り上げた。4日間で書かれた―彼はいつもそう主張していた―これは、1788年英国から出航したFirst Fleet(第1次囚人移民船団)の服役囚のストーリーを伝えていた。集合したオール・スター・キャストには、フォーク・シーンのビッグ・ネームが何人か含まれ(訳注:マーチン・カーシー、ニック・ジョーンズ、A. L. ロイド、デイヴ・スウォーブリック、ジューン・テイバー、マイク&ノーマ・ウォーターソン、ドリー・コリンズなど)、Free Reedによりレコーディングされ、1977年にピーターの作品としてリリースされた。今ではフォーク・リヴァイヴァルの真の頂点として絶賛されている。

Radio Ballads
イワン・マッコールはJoan Littlewoodの劇団の一員だった。1957年、Charles ParkerPeggy Seegerと共に、彼はバラッド・オペラと同じ手法のトラディショナルと擬似トラディショナル・ミュージックを扱ったラジオ作品に取りかかった。番組となったRadio Balladsは、トラディショナル・ソングの様式が現代の生活をどう扱うかを示したことにより、ブリティッシュ・フォーク・ミュージックに深い影響を与えることになった。

Contemporary Ballads
ピーター・ベラミーはフォーク純粋主義者としてはしばしば矛盾した側面を持っていた。これは真実からそう遠くはない。彼の音楽的嗜好は、ニューオリンズ・ジャズ、ロックンロール、そして(とりわけ) The Rolling Stonesまでに及んでいた。彼がよいと感じた歌のルーツは彼にとって取るに足らないことであった(例えばAl StewartのNostradamusをレコーディングした最初のアーチストは彼であった)。

時々彼は新しい歌に出くわすと、それをバラッドのフォームでもって利用することがあった(The Transportsで彼がしたように)。そしてそれをコンテンポラリー・バラッズとしてオーディエンスに披露していた。

このコレクションはそれら全てのバラッド・カテゴリーを含んでいる。とはいえまずはピーターと彼の真のヒーローの1人との間のコラボレーションから始めよう。

1. The Old Songs
Words-Bob Copper(1945, 1984年に改訂);Tune-Peter Bellamy(1990)
未発表レコーディング、2007年にThe Copper Familyによってコーラスが加えられた(ピーターは死の直前までレコーディングを続けていた。これと他の数曲のトラックは1990年から91年にかけてピーターが指示していたものに従ってリマスターされ完成した)。“これはフォーク・リヴァイヴァルがまだ産声も上げていなかった1945年に書かれた歌だ。”―Peter Bellamy

2. Young Roger, Esq
Trad. arr:Bellamy
このコミック・バラッドはフィル・ターナーから学んだもので、ピーターの2枚組のソロ・アルバムのオープニング・トラックで聴ける。ここでのヴァージョンは1980年にシドニー・オペラ・ハウスでレコーディングされたもの。“これはとんでもない曲で、聞かせどころは最高に鋭いユーモアだね。”―Peter Bellamy

3. Gunga Din
Words-Kipling(1892);Tune-trad. arr:Bellamy(1976)
未発表スタジオ・ヴァージョン
Kiplingの最も知られた詩のひとつ。ピーターはこれがMaggie Mayのメロディに完璧にマッチすることに気づいた。またこれは1857年にSiege of Delhiで実際に起こった事件に言及していることから、ブロードサイド・バラッドに分類できる。この歌はずっと誤解され、ある者はピーターの人気が衰退したのは、他の歌では政治的正当性があるのに彼がこの歌を支持したことに原因があるという。“これが書かれた頃は、白人作家が表明するには驚くべき内容だったんだ。”―Peter Bellamy

4. Sir Andrew Barton
Trad. arr:Bellamy
Child Ballad #167
“Wake the Vaulted Echoes”収録
ラジオ・バラッドからインスピレーションを得て、ピーターはこのテーマで番組のために多くの作品を編み出した。これの16世紀のバラッド・ヴァージョンはThe Maritime England Suite(1982)に入っている。1511年に起こった事件を扱ったもので、ピーターは82のヴァースからなる文言に編集した。書物(写本)はヨーク大聖堂の図書館にある。“僕はヘンリー8世の軍艦を描写した歌を探していた。バート・ロイド(A. L. ロイド)がこれを提案したんだ。”―Peter Bellamy

5. Lord Randall
Trad. arr:Bellamy
Child Ballad #12
このバラッドの物語形式は、ヨーロッパ文化圏において最も広範囲で見受けられる。イングランドとスコットランドのヴァージョンはアメリカに拡散した(数ある中で、Bob DylanのA Hard Rain’s A Gonna Fallのモデルとなったひとつ)。このバラッドの人気はよく理解できるものだ。これはよくある不可解な中世様式と、ポワロの推理小説のように謎の手がかりが展開していく殺人ミステリーが結合したものだ。強烈に感情を刺激し、ほとんどメロドラマ風であり、一方で同時にゴシック・ホラーにふさわしく不快な装飾が施されている。“僕がブリティッシュ・トラディショナル・ミュージックに最初に出会ったのが、イワン(マッコール)が歌うこの曲だった。彼は母親のベッツィ・ミラーから教わったんだ。”―Peter Bellamy

6. Mandalay
Words-Kipling(1892);Tune-trad. arr:Bellamy
未発表スタジオ・ヴァージョン
このBarrack Room Balladは、他のどんなバラッドよりも音楽的な様式を持っていた(Peter Dawsonによるものが最も有名で、この形式でのよい例となるライヴ・ヴァージョンだ。故Barrie Robertsによるものは、Free Reedの25年間の歴史を追った3枚組CD、This Label is Not Removable, FRTCD25で聴くことができる)。Peter Bellamyは、Ten Thousand Miles Awayでこの曲を使用していた。Kiplingはこの歌は個人的体験に基づいていたと主張していた―彼がビルマの塔の階段に座っていた一人の女性に“深く惚れ込んでしまった”経験のことだ。“ピーター・ドーソンがフォーク・ソングをレコーディングする時、彼は度々偽名でマッコールを使っていた。どこかに必ずジョークが隠れてた!”―Peter Bellamy

7. Slip Jigs and Reels
Steve Tilston
古い西部のスティーヴのバラッドは、Fairport Convention含む多くの様々なアーチストによってレコーディングされてきた。ピーター・ベラミーはこれを最初にレコーディングした人物として傑出した存在だ―それもスティーヴ本人より先だった。“君の曲をレコーディングしたよ。さらに改良を加えてね。”―Peter Bellamy、彼はセッション後すぐにスティーヴ・ティルストンにこう電話で話した。

8. Fair Annie
Trad. arr:Bellamy
Child Ballad #62
Maggie Boyleはピーターが創り上げたFair Annieのヴァージョンについて、“この素晴らしいバラッドの最も簡潔なヴァージョンである。”と述べた。ブリティッシュ・ヴァージョンで最も古いものとして知られているのは、1802年に1人のウェストロジアン(スコットランド南東部)の老女が歌ったヴァージョンだ。同じストーリーでさらにはるかに古いヴァージョンは、昔のスカンジナヴィアの伝説で見つけることができる。“いかに君が物語をうまく話そうとも、バラッドほどうまく説明することはできないね。”―Peter Bellamy、彼はステージ上で物語に対する究極的な見解を示した。

9. Danny Deever
Words-Kipling(1890);Tune-trad. arr:Bellamy
全てのBarrack Room Balladsの中で最も魅力的な形式であり、ピーターはDerwentwater’s Farewellを適応させた。“僕は故意にインドの軍隊が歌っていた曲を使ったんだ―キプリングが聴いていたヴァージョンかもしれないからね。”―Peter Bellamy

10. Tyne of Harrow
Trad. arr:Bellamy
未発表スタジオ・ヴァージョン
Ewan Maccollのヴァージョンでピーターの後期レパートリーだ。彼はこの歌を、“ちょっとした歴史の一片で、それもすごく個人的な歴史の1ページだ。”と述べている。彼は多くのバラッドと違って、このタイプは実在していた人物が実際に話した言葉だと感じている。“これはグッドナイト・バラッドとして知られている歌に属している。みんなGoodbyeといっていて、Goodnightといっているのは僕はまだ見つけたことがないんだけどね。”―Peter Bellamy

11. Cholera Camp
Words-Kipling(1896);Tune-Bellamy
これはピーター最後のBarrack Room Ballads形式だった―彼はとりわけこれを誇りにしていたし、彼が死ぬまでステージ・レパートリーに必ず入っていた。レコーディングは特にSoldiers Threeというカセット・リリースのために行なわれ、既発トラックの再レコーディングではないうちの1曲。ぞっとするようなテーマであるにもかかわらず、これは実際にはコミック・ソングだ―ピーターは明らかにブラック・ユーモアとして楽しんでいた。“こういうのはあの世で幽霊が歌っているように聞かせるんだ。”―レコーディング中はピーターによるプロデュース指示があった(バッキング・ヴォーカルはピーター、キース・マースデン、スティーヴ・ティルストン、そしてジョン・ウェイド)。

12. The Bitter Withy
Trad. arr:Bellamy
ライヴ・レコーディング(1981)
偽の名であるMatthews作の出所の怪しいストーリー。このバラッドはCecil Sharpによって1911年に収集された。ピーターはヤング・トラディション時代にアルバム、Galleries(1968)でレコーディングしていたが、ずっと後のライヴではオーディエンスのリクエストがあった時にのみプレイしていた。“公認された伝記には全く至らなかった物語は山ほどあるよ。”―Peter Bellamy

13. The Trees They Do Grew High
Trad. arr:Bellamy
1991年8月6日、Leigh-on-Sea、The Shipにてレコーディング
彼の最後の歌であり、彼が死ぬ前1ヶ月以内であった。これは70年代後半からずっとピーターのレパートリーであった。彼はWalter Pardonからこれを教わり、そのヴァージョンはアルバム、Both Sides Themに収録されている。この歌は大西洋の両端でリヴァイヴァル・シンガーたちに取り上げられ、よく知られている。“これはコーラスが入っているという点で珍しいヴァージョンだね。”―Peter Bellamy

14. Way Down Town
Trad. arr:Watson/Bellamy
ピーターの最後のスタジオ・セッション、彼の未完に終わったラスト・アルバムの1曲で、ピーターは、素晴らしいストーリーであるが途中が抜け落ちてしまっていると確信している。ピーターも他の多くの者同様、この歌についてコーラスの最初のラインから、正式なタイトルはLate Last Nightだと言及している。“グレイトなコーラスだ。素晴らしいストーリーであることを暗示させる。詩の1行が出てくると頭が空っぽになってしまうね。”―Peter Bellamy

15. The Black and Bitter Night
Bellamy
ピーターのバラッド・オペラ、The Transportsの中間部に位置する彼自身のレコーディング。元々はMike Watersonによって歌われ、アルバム中2番目に多くカヴァーされるようになった。“その時は歌うことを目的にHenry Cableのために書かれたんだけど、彼は預言者じゃないから自分がハッピーエンドになることは知らないんだ。”―Peter Bellamy

16. The Exile’s Song
Ewan Maccoll
あまり知られていないRadio Ballads(Song of The Road、これは当時LPの中ではリリースされなかった)のうちのひとつ。この歌はM1(英国の高速幹線道路)建設に携わった労働者へのインタビューに出てきた苦痛とホームシックを反映している。“これはイワンがいつもいっていたM1高速道の最初の建設をめぐる出来事に基づいているんだ。”―Peter Bellamy

17. Shallow Brown
Trad. arr:Bellamy/Watersons
オープニング・トラック同様、これはバラッドではない。西インド諸島のはやし歌のようなものだ。Vaulted Echoesが編集された時に発見され、Martin Carthyのリクエストにより追加された。このレコーディングはリリースされることのなかったアルバムのアウトテイクという好奇心をそそるトラックだ!そんなわけでこれはベラミー・マニアにうってつけだ!“西インド諸島の水夫のはやし歌は、イングリッシュ・フォーク・クラブでは素通りされてしまったね。”―Peter Bellamy

ピーターの傑作であるThe Transportsの再発を記念して締めくくっているPeter Bellamyへの最高の賛辞は、彼の友人であるTim Moonによって書かれた。そのBlack Cocertinaのライヴ・レコーディングは、ティムのCD、“Anger and Kiss”に収録だ。ここではその素晴らしい詞を載せておく。

Black Concertina – the lyrics:
©Tim Moon

1.どこかで僕の友人が黒いコンサルティーナを弾いている
  世界中のビデオとテレビ
  全部茶色のオークのキャビネットにしまいこんでしまおう
  停泊地に沈んでしまった船で作った
 北ノーフォークの海岸で シェリンガム辺りの
 平たい陸地が泣いている 灰色の雲が彼の友だち
 そして僕はまだ彼の声を聞いている
  彼の黒いコンサルティーナ
  くり返し聞こえる‘死は終わりではない’と
 
2.冬の夜はまるでスローモーション
  僕はそこに彼が降りてくるのを見ている
  自分の死に気づかないように 黒いコンサルティーナ
  彼は地面にぶつかったけど全然平気
  光の使者が不思議な呪文を唱えたから
  空の王国から羊の町を見下ろしている
  人々は毎日ばかげた憎しみによって死んでいく
  でもけがれのない愛で死ぬ者などかつてはいなかった

3.彼は僕に教えてくれた 彼の歌は輝き続ける宝石だと
  君が再び必要になる時のために
  そのまんまのスタイルで残しておくために
  もし君が彼らを求めるなら 彼らは君を求めるだろう
  彼は映画を演じ僕にサウンドトラックを聞かせてくれた
  昼間のTV番組に出ているElmer P Bleatyの
  ミックはいばって歩き、キースはタバコをくわえる
  変わらぬ真っ赤で魅力的な男のコスチューム

4.僕は逃げて隠れた バンドはマーチを演奏していた
  僕らは暑い真っ暗な晩に彼のいやしを飲み干した
  僕は遠くに黒いコンサルティーナの音を聞いた
  僕はさいころが転がってドミノが鳴る音を聞いた
  僕は紫色の月明かりの晩に車で狩猟場に出かけた
  雲は空高く流れていった
  僕ははっきりといえる
  それが黒いコンサルティーナの形だったことを
  彼らは僕が聞こえないほど小さな音で曲を奏でていた

Peter Bellamy and Bob Copper

The Copper Familyはリヴァイヴァル・シーンで知られていたソース・シンガーたちの中でユニークな存在だ。彼らはただ伝承歌を歌い続け、それは2世紀以上もさかのぼることができるだけでなく、そのハーモニーで、より幅広いレパートリーを歌い続けてきた。彼らのアプローチはThe Watersonsやピーターがメンバーであった3人組のYoung Traditionのようなグループにとてつもない影響を与えた。

The Copper Familyの歌はピーターの全キャリアを通じて流れていた―彼のヤング・トラディションとしてのまさにファースト・アルバム及び彼の最後のライヴ・カセット両方に入っている1曲は、彼らのレパートリーであり、Bob Copperによって収集されたものだった。ボブはピーター同様、フォークの正統性の犠牲になることを拒絶した―二人とも歌うために曲を選んでいた。それはよい曲だからであり、彼らの様式、あるいは詞の内容からではなかった。シンガー、コンポーザー、ミュージシャン、アーチストであったピーター同様、ボブ・コッパーは多くの才能を持っていた―シンガー、作家、ソング・コレクター、ブロードキャスターであった。二人とも、口承による伝承の生きた伝統が最も重要であると主張していた―歌、たとえ書き残されたものであっても、それらを収集しレコーディングした。それらの真髄は歌われることであり、それによって体験し、学ぶことが唯一の真の方法であった。

キプリングとコッパー家は両方ともRottingdeanに住んでいたため、ピーターはKiplingCopper Familyの歌をよく知っていたに違いないと信じていた(実際、キプリングの作品の中にThe Coppersによく似た、歌うファミリーが登場している)。このことからピーターはキプリングのバラッドとしてフィットする曲がコッパーのレパートリーの中に見つけられるのではないかと推測した。そこから発展し、彼のライフ・ワークはキプリングの詩のための曲の発見と創作となり、それはこのCDやピーターのほとんどのアルバムで聞ける通りである。

1945年、Bob Copperはトラディショナル・ソングを歌う喜びを祝福する詩を書いた。彼はそれをThe Old Songsと名付けた。何10年も経ち、親友となっていたピーターと共に、彼は未発表の詩を書いた。ピーターはすぐにその中に新しい歌(つまりコンテンポラリー・バラッド)となる可能性が秘められていることを見抜いた。それは数多くのレコーディング・セッションに発展した―まずはベーシックなメロディだった。ピーターはよく知られた歌に多くの音楽的関連付けを行なっていった。その時に彼はそういった歌は複数が参加できる要素が必要であることを悟り、コーラス部分を創り上げた。それは元々単に詩の一部であったところだった。もちろんBob Copperの承認と称賛の中で全ては実行された―二人の天才が相互に認め合って創り上げた作品でなのである。


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