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New Riders Of The Purple Sage/Cactus Juice/2006 SonyBMG Music Entertainment Inc./Evangeline Records Ltd. ACAD 8122



ニュー・ライダーズ・オブ・パープル・セイジは常にちょっと謎めいた存在だ。彼らの折衷主義的なカントリー・ロックのブランドは、同時期のどのグループよりもサイケデリアとラフなロックンロール両方の色を帯びていた。そして彼らのレコーディング作品は控え目にいっても常軌を逸したものであったにもかかわらず、彼らは今日に至るまで多くのカルト的支持を保持しているのである。何年にも渡り、彼らは数多くのメンバーチェンジを経てきたが、初期においては、あるいは最も歓迎されたグレイトフル・デッド系列バンドとして存在していたかもしれない。彼らは何年もかけてそのステイタスから離れ、30年もの期間、道を切り開き成功を収めてきた。69年の終わりに、シンガー/ソングライターのジョン“マーマデューク”ドーソンは、その頃ペダル・スチール・ギターを手に入れたデッドのジェリー・ガルシアと行動を共にするようになった。まもなくガルシアとドーソンが以前から一緒にプレイしていたデヴィッド・ネルソンがギターとヴォーカルで仲間に加わった。

最初のリズム・セクションはデッドのドラマー、ミッキー・ハートと同じくデッドのベーシスト、フィル・レッシュだった。しかしデッドの忙しいスケジュールによって、独立したグループとしての自覚が増していき、結局ニュー・ライダーズはベースにデイヴ・トーバート(元ニューデリー・リヴァー・バンド)、ドラムスに元ジェファーソン・エアプレインのスペンサー・ドライデンをデッドの2人のメンバーと交代で迎え入れることになった。彼らの名作である自らの名を付したデビュー・アルバムは10曲をフィーチャーし、全てがドーソンのペンによるものだった。レッシュはスティーヴ・バーンカードとともに実行力あるプロデューサーとして関わっていた。ジェリー・ガルシアがペダル・スチール、ハートとドライデンがドラムスを分け合い、コマンダー・コディ(別名ジョージ・フレイン)がピアノで参加していた。アルバムは1971年にリリースされ、彼らの全6枚中最初のその作品はビルボード・トップ100に入り、39位まで上がった。

最初のアルバムの成功を受けて、ニュー・ライダーズはさらにツアーを増やし、時折グレイトフル・デッドの前座を務めるようになった。この時までにガルシア(目前のデッドの活動のため彼の参加は限られていた)はペダル・スチール・ギタリストのバディ・ケイジと交代していた。ケイジは以前Canadiansのイアンとシルヴィア・タイソン夫妻とともに働き、彼らのすぐれたアルバム、The Great Speckled Birdでプレイしていた。ちなみにイアンとシルヴィア・タイソンはケイジを引き連れ、1970年の夏に有名なカナディアン・フェスティヴァル・エクスプレスの一員として参加していた。

バンドが最も創造的で商業的に成功した時の主要ラインナップが、ドーソン/ネルソン/ドライデン/トーバート/ケイジであり、アルバムとしてはPowerglide(1972年33位)、Gypsy Cowboy(1973年85位)、The Adventures of Panama Red(1974年55位)、そしてライヴのHome, Hone on the Road(1974年68位)があり、最後のライヴ盤はトーバートがもう一つのデッド系列バンド、キングフィッシュ(このバンド自体また別のストーリーがある)に移る前の最後の栄光のラインナップだった。Home, Hone on the Road(ジェリー・ガルシアによるプロデュース)は今回ディスク1に収められ、ボーナス・トラックとして71年7月2日のフィルモア・イーストのステージから4曲が追加されている。ケイジの加入によってデッドから独立したバンドとして成り立っただけでなく、彼のスチール・プレイはガルシアの型にはまらないスペイシーなプレイとは違った広大なスタイルを保持していた。ケイジはバンドのカントリー・マテリアルに、よりスムースな切れ味を、ロックンロール・チューンにはより鋭いエッジの両方を同時に提供した。一方でここのボーナス・トラックではガルシアによるスチール・プレイがフィーチャーされ、ケイジとの違いがハイライトとなっている。

Home, Hone on the Roadはもしかするとバンドのアルバムの中で最も過小評価された1枚かもしれない。しかしこれは彼らのそれまでのアルバムから様々なナンバーがフィーチャーされ、その活気あふれるパフォーマンスは彼らのピークと素晴らしいサウンドが存分に聞けるものとなっている。ファースト・アルバムからは、ぶっ通しのドラッグ・アンセム“Henry”がフィーチャーされている。また(当時の)未発表トラック5曲が含まれていた。ローリング・ストーンズの“Dead Flowers”(のちにニュー・ライダーズのスタジオ・アルバムに収録された)、名曲“Truck Drivin’ Man”、にぎやかなチャック・ベリーの“School Days”ではCommander CodyとLost Planet Airmenのアンディ・ステインがサックスの座についている。ドーソンの新曲である2つのオリジナルが、愉快なオープニング、“Hi, Hello, How Are You?”、これはアルバムのトーンに明るく活気あるメロディを加え、もう1曲が哀愁漂う“Sunday Susie”だ。

“Kick In the Head”と“Groupie”は傑出した2曲であり、ケイジによる一級品のファズ・スチール・プレイが聞ける。一方ハイライトの1曲が、真に絶美なドーソンのカリフォルニア・ゴールド・ラッシュの物語である“Sutter’s Mill”だ。これは強く胸を刺すヴォーカルと美しく甘いスチールを堂々と示したナンバーだ。振り返ってみると、アルバムはそのハイクオリティな内容にもかかわらず、ニュー・ライダーズのショーを要約したような印象を抱かせる。のちにリリースされたバンドのライヴ盤では、よりジャム的傾向のある曲や粗野なアプローチがなされたナンバーも入っていた。ここでの追加トラックである“Down In The Boondocks”、“The Weight”、そして“Superman”は、もともとファースト・アルバムのリイシュー時のボーナス・トラックだった。一方、威勢のいい“Henry”はボックス・セット、Fillmore:The Last Daysでフィーチャーされていた。

ライヴ・アルバムをリリースしたあと、すぐにバンドは新しいスタジオ・アルバムBrujoのレコーディングにとりかかった。そこには去っていったトーバートの代わりに、スキップ・バッティンがベーシストとして加わっていた。もちろんロックンロール・デュオ、Skip and Flipの一人であり、それよりも著名ではなかったがEvergreen Bluegrassの一員だった。より最近、最も目を引く活躍をしていたのが、後期のバーズ時代だった。バーズにいた頃のバッティンは、良いか悪いかは別として謎のソングライティング・パートナーのキム・フォーリーとともに多くの曲を持ち込んでいた。彼はニュー・ライダーズでも同様のことをした。1974年の7月と8月にレコーディングされたBrujoの4曲、“On the Amazon”、“Big Wheels”、“Singing Cowboy”、そして“Neon Rose”で彼は支配的な力を発揮した。一方ドーソンは“Old Man Noll”、“Instant Armadillo Blues”、“Parson Brown”の3曲のみを書いただけだった。残りがディランの堅実なカヴァーである“You Angel You”、より典型的なカントリー・ソング、“Ashes of Love”と“Working Man’s Woman”、そしてネルソンとグレイトフル・デッドの専属作詞家ロバート・ハンターの共作である素晴らしい“Crooked Judge”だった。

バッティンの楽曲はバーズでの彼の曲の大半がそうだったように、全てが本当に素晴らしいものであったが、一種独特で変わった肌触りがあり、バンドのレパートリーの中ではいくらか浮き上がった印象を与えるものだった。しかしバッティンはなかなかのシンガーだったし、優れたベース・プレイヤーだった。本質において、アルバムはなにかサウンド的に妥協した跡が見られるが、不成功に終わった部分よりも成功した部分のほうが大きいのは確かだ。アルバムは確実にチャート的には前作と同様の位置につけた。

このコンプリート・セットのディスク2の後半を構成するOh What A Mighty Time!は、コロムビアでの最後の作品となった。これは全工程において全く違った経緯を持っていた。この作品は彼らがはるかに念入りに仕上げたものだ。今回彼らは名高いボブ・ディランのプロデューサーであるボブ・ジョンストンを招き入れた。彼は見たところ相応しい選択のように思われた。彼は次々と多くのゲストやバッキング・シンガーを持ち込んだ。そのオールスター・キャストと、度が過ぎたバッキングはわずかにうまくはいっていない。タイトル・トラックの“Mighty Time”では、スライ・ストーンがゲストとしてキーボードとヴォーカルを担当し、一方でジェリー・ガルシアは3曲で流麗なギター・プレイを提供している。中では“Take a Letter Maria”が最も注目に値する。バッティン/フォーリー作は“Strangers on a Town”1曲のみにとどまり、残念ながらドーソン作は2曲のみ、ポップな“Over and Over”と、フランク・ウェイクフィールドとともに書いた“Going Down the Horn”だけだ。このアルバムはその時までで芸術的レベルにおいては最低ラインにとどまっただけでなく、最低のセールスも記録してしまった。これはごく短期間チャート内に現れ、144位までしか上がらなかった。それでもなお、彼らの歴史の中で全く不成功に終わった一幕にもかかわらず、今でも興味深い1枚であることはいえる。

バンドはその後MCAに移り、そこで彼らはさらに3枚のアルバム、New Riders(1976)、Who are These Guys?(1977)そしてMarin County(1978)をリリースした。この時期彼らは多くのメンバー・チェンジを経験した。ドーソンは80年代全てと、引退するまでの90年代前半までがんばって活動を続けた。バンドはRelixレーベルから多くのアルバムをリリースした。あるいはロブ・ブリースタインの指揮によって多数の素晴らしいライヴ・アーカイヴがリリースされたことによって駆り立てられたのかもしれない。ニュー・ライダーズはデヴィッド・ネルソン、バディ・ケイジが舵を取り、再びツアーを行なっている。ドーソンはメキシコで引退したままであるが、バンドに対しては祝福のことばを送った。新しいメンバーはベーシスト/ヴォーカリストのロニー・ペンク、ドラマーのジョニー・マーコウスキはケイジがプレイしていたジャム・バンドのStir Friedから、そして最後がギタリスト/ヴォーカリストのマイケル・ファルザラーノ(元ホット・ツナ及びメンフィス・ピルグリム)だ。この永遠なる伝説のバンドの情報をもっと知りたければ、彼らの公式ウェブサイト、www.nrpsmusic.comで見ることができる。もしくは単にくつろいで、この2枚組CDで彼らの音楽を楽しむのもまた良し、だ。

ミック・スキッドモア、2006年8月



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