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Mighty Baby/Live In The Attic/2009 Sunbeam Records SBRCD5052



『マイティ・ベイビーはブリティッシュ・ロック史の中で、最も愛されるアンダーグラウンド・バンドのひとつとしての名声を確立している。ブルース、フォーク、ジャズそしてサイケデリアの要素をミックスした彼ら独自の実験的ロックンロールは、このレア・レコーディングで見事にとらえられている。3曲は1970年3月にUSの伝説的バンド、ラヴの前座を務めた時のライヴ音源だ。残りはそのあとすぐにロンドンのオリンピック・スタジオで録音された。バンドは活動期間中の1969年11月に、光り輝くサイケデリックなセルフ・タイトルのデビュー作と、遺作となったよりメローなサウンドを持つA Jug Of Loveを1971年10月にリリースした。どちらもバンドのファンにとって不可欠な作品であるが、ここにベーシスト、マイケル・エヴァンスのスリーヴノーツ、レアな写真、そして当時の紹介文によって新たに1枚が完成した』


ここに収められた最初の3曲は、僕たちが愛したモダン・ジャズ、とりわけジョン・コルトレーンにインスパイアされて即興演奏したものだ。シンプルなメロディなんだけど美しい彼の‘India’が僕たちの出発点になって、長い間に変化しながら発展していったね。ここに収録されたナンバーは僕らのギグで起こっていたことを象徴的に表している―めいっぱい自由にプレイしているけど、僕らがどこへ行ってもどこで終わっても、常に出たり入ったりのある基準があった。木造の空間はすごく重要だったね。なぜなら僕らは最高のものを作り出すためにお互いの音をはっきりと聞く必要があったから。誰でも次の展開のきっかけを作ることができた。でも最後はいつもロジャーのドラミングが合図になっていた―演奏を続けるにしても終えるにしてもね。

Now You See Itは1970年3月にランチェスター大学で録音された。僕らはアーサー・リーのLoveといっしょに出演したんだ。そこにはショーを録音するためにパイのモービル・スタジオが持ち込まれていたんだけど、僕らはたまたまそのエンジニアを知っていた(彼は最初のマイティ・ベイビーのアルバムの何曲かを手がけていた)。それで彼に参加してもらうことになったんだ。これのマスター・テープは録音されて30数年経ってから屋根裏で見つかった―だからこういうアルバム・タイトルになった。あとの2曲は未発表トラックだ―つまり‘Stone Unhenged’(インストゥルメンタル)と‘Sweet Mandarin’だ。‘Now You Don’t’は休憩時間(いいかえれば真夜中)にロンドン、バーンズのオリンピック・スタジオで録音された。これは全体が即興演奏で40分の長さがあるんだけど、マスターはカセット・テープの形でしか残っていなかったんだ。途中、特定のサウンド・アレンジが聞ける瞬間がある。でもそれは偶然のもので理由を説明することはできないね。

最後のトラックはイアンのアイデアによる‘Winter Passes’で、詞はマーチンが書いた。このアルバムの傾向からは逸脱していて完全に前もってアレンジされている。‘エミリー・マフ’として活動していたアメリカ人の女性デュオ、ジャネットとキャシー(ケイシー)が歌っている。僕らはロッツ・ロードで(僕らが住んでいたチェルシーの通りのことで、他のミュージシャンのコミュニティを通じて)彼女たちと知り合った。彼女たちは時々ファミリー(The Family)のサポート・アクトを務めていたんだ。

このアルバムのトラックが録音された頃は、全音楽ジャンルの間で信じられないほどたくさんの融合が起こったね(ジャズ・ロック、フォークロック、ブルース・ロックなんかだ。あと当時最先端だったコルトレーン、マイルス・デイビス、チャールズ・ミンガスなど)。実験の時代だった。その多くは‘サイケデリック’と名付けられるようになったんだけど、僕らはそこにたまらない魅力を発見したんだ。

マイケル・エヴァンス
2008年12月



これがあなたのキャリア?20ポンドの週給、不確かな見通し、昼食券もなし。ロック・ドラマーの生活は必ずしもあっという間に田舎の大邸宅やロールス・ロイスが手に入るようなものではない。ロジャー・パウエルはすばらしいドラマーであり、数年間ツアーを続けてきた。しかし彼は莫大な富を築いてはいない。それでも彼はいいバンドでプレイすることに十分な幸せを感じている―マイティ・ベイビーだ。

これは失望と苦難から生まれたバンドだ。彼らはそのメンバーのほとんどがアクションというグループの出身だった。そのグループはかつてザ・フーと同等の熱狂的支持を受けていた―しかし商業的成功を成し遂げることはなかった。長い不安と絶望のあと、マイティ・ベイビーは今、才能と方向性を獲得するに至った。彼らはスーパーグループにはならなかったかもしれない。しかし彼らは生き延び、その絶え間ない活動の中で自らの道を切り開いて行くだろう。ロジャーはずっと辛い時期を過ごしてきたが、彼は適度に満足している。“バンドは1年半の間ともに活動してきたけど今は本当にうまくいっているんだ。” ひげを生やしたパウエルは朝食代わりのギネス・ビールを飲みながらそういう。

“僕らがスタートした時はもがきの連続だった。僕らはヘッド・レコーズのジョン・カードと出会うまで仕事もなかったし、エージェントもマネージャーもいなかったね。ジョンと一緒になるまでほとんど機材を持っていなかったんだ。地位を確立するのに1年かかったよ。ヘッドからリリースされたアルバムは、実際その1年前に録音されていたんだけど、契約上の理由から長い間リリースすることができなかった。僕らはその間に本当にたくさんのセッション・ワークをこなしてきた。キース・クリスマス、ロビン・スコット、ゴードン・スミスとかね。僕らがプレイする音楽はザ・バンドに大きな影響を受けている―すごく力強いがリラックスした音楽だ。ザ・バンドの音楽には何かがあるね・・・僕はワイト島で彼らを見たけど、彼らは本当にリラックスして満ち足りているように見えた。”

マイティ・ベイビーの構成はドラムスにロジャー、イアン・ホワイトマン(オルガン、サックス、ピアノ)、アラン・キング(リズム・ギター)、マイク・エヴァンス(ベース)そしてマーチン・ストーン(リード・ギター)だ。マーチンはかつてサヴォイ・ブラウン・ブルース・バンドに所属していた。ロジャーはいう。“マーチンが加入したのは最近のことなんだけど、彼はバンドに大きな影響をもたらしたね―それは彼の音楽性だけじゃなくて彼の人間性によるものだ。彼は堂々たる風格を持っていて、それが周りに伝染するんだ。バンドの全員がアクションの頃から大きく変化した。僕らは違う人間になったんだ。僕らがグループ名を変えたのはいいことだね。僕らは以前は自分たちのしていることが分かっちゃいなかった。音楽的に完全に迷いがあったんだ。タムラ(モータウン)をプレイするのをやめてから僕らはサイケデリアにはまっていった。でも全てが経験だったね。僕らは今や、より賢明になった。それはドラムをプレイするようなものなんだ。始めた頃はシンプルなことしかできないんだけど、ずっと続けていくうちに複雑なことをやるようになる。そして最後にはまたシンプルなものに戻っていくんだ。”

ではマイティ・ベイビーの目指すものとは何か?“もし今やりたいことを僕らがうまくできれば・・・僕らはみなハッピーだね。最近の3つのギグはすごく満足できるものだった。僕らがやりたいようにやってそれに見合ったお金が入ってくれば、それは音楽に還元されるだろう―よりよい機材とかね。あまり目標を高く設定しなければ失望することはないんだ。何かを期待したってそれは決して現実のものにはならない。僕らは過去、多くのスランプを味わってきた。周りの人々は、‘うまくいくぞ’っていってくれたけど、そうはならなかった。多くの人たちがいったことはウソだったんだ。僕らは今すごくエキサイティングな状態にあると思う。オーディエンスは今までで一番グループに関心を抱いている。

僕らは学生たちがダンスするんじゃなくて床に座って音楽を聴くような場を、大学に見つけたんだ。数年前はみながポップ・バンドに目を向け、いつもそういうグループのための場が用意されていたけど、(今は)そんな大きなシーンじゃないんだ。若いキッズたちのためのバンドを求めても、今じゃ僕らが‘アンダーグラウンド’と呼んでいたところにいたバンドが多いね―オリジナルな音楽をやるプログレッシヴなバンドたちだ。僕らはインド風な音楽もやっているし、この3年間、‘India’っていうナンバーをプレイしてきた。それはジョン・コルトレーンの曲に基づいていて、常に形態を変えていくんだ。音楽は全て同じところからやって来る。つまり自分の中からね。インド音楽は無欲なんだ。僕が手に入れるのは週15ポンドくらいだけど、それが幸運にも20ポンドになればそりゃ本当にうれしいね。僕らがアクションだった頃はたくさんのお金を稼いだけど、僕らは精神的には死んでいたね。僕らは全ての金をフリルのシャツとバーボンに使っていたから。”

クリス・ウェルチによるロジャー・パウエルへのインタビューから
メロディ・メーカー、1969年12月



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