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Meic Stevens/Outlander/2003 Warner Bros. Records, Inc./RHINO RHM2 7839



地球上には179の国家が存在する―異質で、多面性を持ち、繊細さを持った個々の国々、映画、著者、様々な風景、流行の服装など…。今から5000字で語ろうとしていることがある。そして才人メイク・スティーヴンスについて語るのはわずか2000字であるが、ここで一つのポイントを示そうと思う。

ウェールズのポピュラー・ミュージック・シーンにおいて彼は、過去30年間に渡って絶対的なフォーク、ロック・シンガーであるということだ。それはアメリカにおけるディラン、スプリングスティーンであり、スウェーデンのランデルであり、ブラジルのヴェロッソであり、フランスのゲーンズブールであり、ジャマイカのプリンス・ジャズボウ同様重要な存在なのである。

メイクのレコーディング作品の90%は自国語であるウェールズ語で吹き込まれた。もちろん我々はシンガーが何を歌っているのか分からなくとも、音楽的スリルを味わうことができる。しかしメイクに関する場合、我々はそのどちらも楽しむことができるのだ。彼は1枚英語で作品を残している。不朽のOutlanderは、これを読んでいるあなたにおススメの1枚だ。

1964年のメイクの初のレコーディングから、1971年に至るまで、続くワーナー・ブラザースUKでのOutlanderで彼は、ウェールズ語と英語両方で作詞し、歌っている。1971年以降はいくつかの例外を除いて、彼はウェールズ語のみで歌った。なぜ私がこういった不器用とも取れるポイントを強調するのか?なぜなら人々にとって英国内でウェールズ語を使って歌うことは、スペインでバスク語を使って歌うこと、あるいはアメリカにおいてチェロキー語で歌うようなものだからである。それは民族同様、個人にとって明らかな政治的表明なのである。独立系のウェールズのレコード会社の誕生は、元々メイクに遡ることができる。Sainレーベルは、今日では音楽に関する限り、全てウェールズ語であり、60年代後半メイクの協力によって設立された。Wrenレーベルは、メイクの共同所有であり、そこからは彼の最も重要な(そして探し出すのが非常に困難な)レコードのいくつかがリリースされていた。

60年代後半に一連のEPをリリースした後、発表されたOutlanderは、当に驚くべき音楽的振幅と力強さに溢れていた。これはパワフルなフォーク/ロック/サイケデリック、そして(あるいは)ロッキー・エリクソンやフィル・オークスのような特異性を持った、彼独自の音楽だ。しかしメイクと比類しうる60年代半ばのアイコンたちから、彼が拝借したり、インスパイアされた訳ではない。なぜなら彼の音楽は、それら同様、肥沃な環境において創造され、形作られたのであり、これらのレコーディングの数々は、ビートルズやディランのそれと同時期に進行していたものであるからだ。メイクはジャクソン・C・フランク(親友である)、マーティン・カーシー、デイヴィ・グレアム、シド・バレット(彼は二度ウェールズのメイクのところへ赴いている)、バート・ヤンシュ、ポール・サイモンそしてボブ・ディランとさえも一緒にギグを行ってきた。ビートルズとストーンズは同じクラブで時を過ごし、(ある時は)同じ女の子たちに接近していた。

Outlanderは、心臓が止まるほどの驚きに満ちた作品だ。最初に聴いた時からまずあなたは、昔日の日々を思い出すことだろう。ちょうどそれはキンクスのVillage Green Preservation Societyや、デイヴィ・グレアムとシャーリー・コリンズのFolk Roots New Routesを聴いた時に感じるものだ。Outlanderは自制的である。古色に仕上げられたクラシックのように聞こえることだろう。最近になってこのアルバムを聴いたウェールズ出身でない人が、“レア・サイケデリックの傑作”に、600ドルを払おうなんてとても思わないだろうが…。

異質な雰囲気が同居したこの作品は、決して散漫な訳ではない。ここにはジャズとインド、サイケの混合、インド風の叫び声が、アシッド・フォークの演奏と、65年と66年のディランに見られたような世界観、政治、女性などについての瞑想をもって悠々と展開されている。メイク・スティーヴンスは、彼独自の声を持ったシンガーであるだけでなく、詩人としても素晴らしい才能を持っている。彼のごく自然なパフォーマンスと、リズム・セクションは、このアルバムが当時そのものをドキュメントするかのようなひらめきに満ちた特性を持って、圧倒的な演出を吐き出しているのである。プロ・トゥールに支配された現在、デジタル技術によってリズム・トラックの細部に渡る修正が可能な中、Outlanderはその有機的なレコーディング技術の奮闘の叫びを聞いているかのようだ。

メイクは英国外にあったワーナー・ブラザースと契約した。そこは彼がイアン・サムウェルと契約する前に、数週間だけ運営していた。デッカは1965年に、彼のデビュー・シングルをリリースしていた。アップルはデモの形でOutlanderの楽曲を受け取っていたが(後にTenth Planetレーベルから出ることになる素晴らしいGhost Townだ)、却下していた。サムウェルは英ロックの誕生において、影の立役者となった重要人物の一人だった。対極に位置するような二つのアーチスト、クリフ・リチャードとスモール・フェイシズでの仕事で中枢的役割を担っていた。サムエルの素晴らしい手腕とメイクの力強い特性の結合は、Outlanderの風変わりな一面を描き出している。サムウェルが殆んどのミュージシャンを選び、彼らはアルバムにおいて、最小限のリハーサルでのびのびとした演奏を繰り広げた。メイクはアルバムの多くは、ファースト・テイクだと公言 している。

シタールとタブラ奏者、Diwan MotiharとKeshav Satheは特筆に値する。Outlanderでの彼らのメイクとのコラボレーションは、インドとジャズのフュージョン・ミュージックとして表現されている。10人のミュージシャン(サックス、ヴァイオリン、トランペット、フルート、シタール、タブラ、ダブルベース、ドラムス、ピアノ)によるオーケストラは、1969年秋、この伝説的な、まるでよだれの出そうなプロジェクトにおいて、“Love Owed”と“Yorric”を含むメイクの12曲のバックを受け持った。そしてこのイヴェントは、フィルムに収められたのだが、ああ…なんとそのフィルムは所在不明となっている。Outlanderの全容が収められているこの失われた映像は、当に魔法のような夜を記しているに違いない。

Outlanderは評判にはなったが、商業的には不成功に終わった。その数少ないキャンペーンの一つで最大のものは、ワーナー・ブラザースがBBCのディスコ2にメイクを出演させたことだ。The Old Grey Whistle Testという番組の最初の出演者となったメイクだったが、レコードは英国でチャート入りを逃してしまった。プロモーション・オンリーのシングル“Ballad Of Old Joe Blind”がアメリカのラジオ局に送られたが、やはりヒットすることはなかった。70年秋、メイクは2週間のプロモーション・ツアーのため、アメリカへ渡ったが、アルバムは見向きもされなかったのである。Outlanderの最初のアメリカでのリリースは、今あなたが手にしているパッケージで出されたのである。

冒頭の“Rowena”の力強さは(このCDでは初登場となるロングヴァージョンが収められた)、スライ・ストーンを経由したかのような、フェアポート・コンヴェンションのLiege & Liefの感触があり、サイケデリックな味付けとビートミュージックを両方合わせ持つOutlanderをよく表している。メイクのうねるようなギターラインはブリティッシュ風であり、マイティ・ベイビーのマーティン・ストーンを思い起こさせるものだ(これは実は驚くほどのことではなく、メイクによると彼は実際マイティ・ベイビーのファーストアルバムのレコーディングに居合わせたそうである)。

“Love Owed”のいくつかの初期ヴァージョンでは、ウェールズ語で歌われている。ここでは英語だが、この繊細で巧みな大傑作は、彼のアコースティック・ギターの妙技は抑制されている。“Left Over Time”はディラン調であるが、模倣作品とは一線を画している。“Lying To Myself”は私の考えるメイク一流のソングライターぶりを示すナンバーだ。堅固でとりつかれた様な、純粋なブリティッシュ・フォーク・バラッドである。“The Sailor And Madonna”は、アルバム中最も自由な雰囲気を持っている―クリス・テイラーの創意に富んだフルートが、サイケな印象を残して終わっている。“Ox Blood”は対照的に悲痛な親指の運指を表しているかのようだ。アルバム中間部はシリアスで、田園風だったりするが、時には鬱状態であったり時にはのん気なラヴィン・スプーンフルのようなカントリー・ナンバーを感じさせる。

“Yorric”という曲でメイクは取り乱し、そして爆発する。抑制されたギターが、シタール、タブラと共に全体を取り囲んでいる。そしてかわるがわる神秘的なフルートのフレーズが広がる。これは全てとは言わないが、豊穣な時代であった当時の非凡なサイケデリック工芸品である。“Midnight Comes”は、その叙述的なスタイルが決まり文句のような印象を残すが、一度聞くと忘れられないナンバーだ。メイクの声に内在する哀愁と、控えめなギターは、疎外された街と特別な地の美しさをなるほどよく表している。

“Ghost Town”は、あるいはアルバム中最高のナンバーかもしれない。パンチが効いていて、奇妙にコンテンポラリーなフォーク・サイケだ。それは攻撃的な白人種の感触と、追憶のシド・バレットのセカンド・アルバムのような、むき出しのサウンド・プロダクションに満ちている。

“Dau Rhosyn Coch”はアルバム中、唯一ウェールズ語で歌われている。この素晴らしい心からの祈りは、なるほど言葉の限界を超えている。言葉が理解できなくとも、我々はこの純然たるフォーク・バラッドのエモーションを体感することができるのだ。Outlanderのファイナル・トラックはいくらかシングルには相応しくないように思われる“Ballad Of Old Joe Blind”だ。65/66年頃のディランの下品さを伴った、尊大な雰囲気を持って、この奇妙に忘れられないアルバムは幕を閉じる。

このリイシューでライノ・ハンドメイドは気前よく、オリジナル・セッションからいくつかの興味深いボーナス・トラックを追加してくれた。“Great Houndini”は“Y Brau Houndini”の英語ヴァージョンで、ライヴでの十八番である(ある特定の世代のウェールズ人なら殆んどの詞を理解できるだろう)。 “All About A Dream”は、取りつかれたようなバラディアーとしてのメイク・スティーヴンスを感じさせる。希薄なアコースティック・ギターが、神秘の水晶玉のようなムードを作り上げている。続く“Evening Comes Up”は、その儚い美しさの中に、ジャクソン・C・フランクの影響を感じ取ることができる(あえて言うなら、メイクの曲を殆んど聴いていたシド・バレットへの影響を感じる取ることもできるはずだ)。

“Upon The Mountain”はウェールズ・ソングの翻訳版だ。このフォークネリアンの物語を翻訳したメイクの意図を考えると、ウェールズ語で何を言っているのかを彼が伝えたかったかのようである。“Where Have All My People Gone”では、“Midnight Comes”へと繋がる最終章がプレイされており、“Midnight…”もまたウェールズ・ソングの翻訳版となっている。メイクの弾くマーチン・ギターの雷文細工は、とりわけここでは驚くべきものだ。“Yorric”のソロ・ギター・ヴァージョンは、ウェールズ語でのレコーディングにも存在する。その奇妙で興味深い作りは、ここでは歌とギターのみで成り立っていて、東洋ぽさを感じさせないサイケデリックなヴァージョンとなっている。オーケストラ・ヴァージョンの“Yorric”同様素晴らしく、その核となるムードと喚起させるような歌は、ここでも生かされている。

“The Sailor And Madonna”もまた、そのデイヴィ・グレアムのようなチューニングと歌を思わせる、ソロ・アコースティック・アレンジが表現されている。それは最良のUKフォーク・ミュージックとの神秘的な絡み合いを見事に捉えている。息を飲むような美しい“Blue Sleep”は、“Ballad Of Old Joe Blind”のB面曲だ。このCDの最後を飾るに相応しいのが、その“Blind…”のアウトテイク・ヴァージョンで、ここでは正規ヴァージョンにあったヴァイオリンが取り除かれている。

Outlanderのリリース後、メイクはガールフレンドと共に、ブルターニュに移り住んだ。そこで彼は数年間を過ごし、ソロ・ライヴを行った。そして70年代半ばウェールズに戻り、今日までレコード制作とギグを続けてきた。ウェルシュ・ロックの最も古い代表格として称賛され、スーパー・ファーリー・アニマルズ、ゴーキーズ・ザイゴティック・マンキ、カタトニーらに影響を与えた人物として注目されてきた。メイクはまた、ヴィンテージ・ギターのエキスパートとして知られ、点描画家としての名声もある。彼は今、カーディフで多くの子供たちと共に静かに暮らしている。ウェールズのラジオとTVは、彼のキャリアと影響を称え、いくつかの番組を放映した。Sainレコードは2002年、彼が60歳になったのを記念して、過去を振り返った3枚組CDをリリースした。この時はさらに多くの現在活躍する、メイクに影響を受けたアーティストたちが一同に介し、彼の功績を称えコンサートが行われた。

メイクのロング・インタビュー、完全なディスコグラフィー、多くのレア・フォトは、2003年夏に出たUgly Thingsマガジンを調べてみてほしい。www.ugly-things.comでオンライン注文も受けつけている。

―Johan Kugelberg


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