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John Martyn/Solid Air/2000 Universal Island Records Ltd. IMCD 274/548147-2



私が最初にニューヨークでジョン・マーチンと会ったのは、Stormbringerのセッションでエンジニアをしていた時だ。ジョー・ボイドのウィッチシーズン・レーベルは、元々ビヴァリーとは彼女がジョンと結婚する前にソロ・アーチストとして契約していた。続くジョンとビヴァリーのアルバム、Road to Ruinのあと、1971年に英国を去りアメリカへ戻ることになったジョーの私への別れの贈り物が、ジョン・マーチンのソロ・アルバムをプロデュースすることだったんだ。そのアルバムの予算は、ジョンとビヴァリーが契約上の債務を履行するために当てられたもので、2000ポンドに満たなかったね。

振り返ってみれば、1971年11月にBless the Weatherがリリースされたことは、あるいはジョンとビヴァリーはアーチスト的にデュオとして両立しないことを示していたのかもしれない。もはやジョンはしっかりと方向を見定め、続く2枚のアルバムのスタイルを進化させ始めていたんだ。レコーディングは3日か4日ほどで終わり、ほとんどの曲はセッション中に書かれ、ほとんどはライヴ・レコーディングでオーヴァーダブもほとんどしなかったね。このアドリブ的な感覚は、彼が興味を持っていたジャズとブルースのアプローチに近いものがあって、それが次の2枚のアルバムの原型となったんだ。

4枚以上のアルバムで私はエンジニアとプロデューサーを兼ねてジョンと働いていたが、彼がどのアルバムにも特に満足していた印象は受けたことがなかったね。1972年の秋にジョンがもう一度一緒に仕事をしようと私に電話をかけてきた時は驚いたよ。その年のうちに彼は、‘May You Never’のシングル・ヴァージョンをレコーディングしていた。そして次のアルバムのためにいく人かのミュージシャンと一緒にスタジオ入りしていた。

Solid Airとなるアルバムのレコーディングのために、私たちはサウンド・テクニクスを1週間おさえた。ジョンはしきりに新鮮な面々をそろえたがっていて、何人かのプレーヤーたちが集められた。その中には彼がぞっこんのベース・プレーヤーが含まれていた。ジョンが以前ダニー・トンプソンと一緒にプレイし並はずれて気が合った後のことで、私は彼の選択に当惑してしまったし、最初のレコーディングの晩、彼は間違いを犯したに違いないと感じていた。そしてある運命が待ち受けていた。サウンド・テクニクスには悪名高い階段があって、スタジオへは地下に降りて行かなきゃならなかった。トイレとキッチンはその上にあったんだ。最初の晩、私は下に降りる3分の2をつまずいていたね。スタジオにたどり着くにはくるぶしをひどくひねらなきゃならなかった。結局そこで1週間も働くことができなくなってしまって、私たちはアイランドのベイジング・ストリート・スタジオに変更して再びミュージシャンたちをブッキングした。しかしその時は古巣に戻っていたダニー・トンプソンがつかまらなかったね。

Bless the Weatherはほとんどオーヴァーダブなしのライヴ・レコーディングで、約8日間で録り終えてしまった。以来私が一緒に働いてきた多くのアーチストたちは、このアルバムの質の高さと完成度から、それが素早く制作されたことが信じられないというよ。幸運にもジョンは、彼の曲のフォームを素早く理解できるミュージシャンと一緒に働いていたんだ。ラビットとダニーがジョン独自のチューニングに合わせるために、彼らのノーマル・チューニングを変えなきゃならなかったことを理解するのは簡単なことじゃないよ。

Solid Airへのダニー・トンプソンの貢献を過大評価するのは難しいことだろう(訳注:それほど彼の貢献が大きいということ)。そして彼のタイトル・トラック(彼とジョンはこの曲を‘ソーセージ’と呼んでいた)でのパフォーマンスは、私が関わってきたレコーディングの中で最高のベース・プレイだ。このアルバムでのジョンとダニーの相性の良さは、のちに彼らの伝説的となるライヴ・コンサートでのジョイントを促進させることになった。

時折過小評価されるジョン‘ラビット’バンドリックのキーボード・ワークは、アルバムのムードと色調を決定づけている。テキサス出身のラビットは、ジョニー・ナッシュの片腕としてボブ・マーリーと共に英国にやって来たんだ。彼のプレイはもう一方のトラディショナル・アコースティック・バックグラウンドとして完璧な好対照を見せている。

3つか4つの以上のテイクを録った曲はないよ。ジョンはいつも自分のヴォーカル・パフォーマンスに不安を持っていたけど、以前のレコードよりも満足しているように見えたね。私はタイトな時間的制約の中にいて、アルバムのリリースはUSツアーに合わせたものだった。2週間以内に私たちはミキシング作業のためにサウンド・テクニクスに戻った。私にとって最優先だったのは、ニューヨークに向けてアルバムをマスタリングするためのミキシング作業を終えてしまうことだった。

セッション全体を通して1曲だけが私たちの目をのがれていた。ジョンはすでにレコーディングしていた‘May You Never’のヴァージョンに不満を持っていた。アルバムがついにミックスを終えてもなお、ジョンはそのヴァージョンに疑念を持っていたんだ。午前2時ごろ、最後の手段として、私は彼にギター1本でスタジオへ入ってみないかと提案した。彼はスタジオの後ろの方に座ってワン・テイクだけレコーディングしたんだ。私がニューヨークに発つほんの数時間前だったよ。

ほとんどのファンにとって、Solid Airはジョン・マーチンの基準点となるアルバムだ。しかし私はジョンがそれについてはいつも相反する意見を持っていたと思うし、25年以上を経ても彼はほとんどの曲を再レコーディングしている。今のところまだ彼は24カラット・オリジナルとして頂点を極めていないということなんだ。

2000年7月21日 (C)ジョン・ウッド


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