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John Martyn/In Session/2006 Universal Island Records 9841 963



ジョン・マーチンは60年代後半のブリティッシュ・フォーク・シンガー―スコティッシュであるが―の隆盛の中で、自らのキャリアをスタートさせていた。そして彼は自分の選んだジャンルの中で挑戦を始めた。ザ・バンドのドラマー、リヴォン・ヘルムと共にウッドストックで過ごし活動した経験は、一人の若いフォーキーの耳にフォークロックの可能性を開き、ジョン・コルトレーンやファラオ・サンダースの作品に興味を向かわせ、それは彼の音楽にジャズの要素が持ち込まれることとなった。

1973年までのこれら最初の様々なセッションは、ウィスパリング・ボブ・ハリスのラジオ・ショーのためにレコーディングされた。マーチンは彼の受けた全ての影響を、一聴して分かる“ジョン・マーチン・サウンド”として結晶化させることに成功した。エコープレックスのディレイを通したアコースティック・ギターによるマーチンの巧みなフィンガーピッキングは、催眠性のあるリズムの波を作り上げ―ザ・ファミリー・ストーンのラリー・グレアムによる“バンバンとかき鳴らす”ベース・スタイルと同等の効果がある―ワウワウをかけたリード・ギターのフレーズを自在に操ることができた。“僕はすごく野心的で、トラディショナルな方向には行きたくはなかったんだ。”彼は最近私にこう語ってくれた。“僕はバンドを組む余裕がなかったから、自分自身が楽しめるような方法を見つけなきゃならなかったんだ。その点、このサウンドは誰にも似ていなかった。それ以後はみんなやり始めたんだけどね。僕は足の厄介な問題で1年間ずっとテレビの前でじっと過ごしてたんだ(マーチンは2004年、足の切断手術を受けた)。で、たまたま広告を通じてここで聞けるような技法に気づいたんだ!”

ボブ・ハリスのセッションは、マーチンの2枚のアルバム、“Solid Air”と“Inside Out”のリリースの間に行われたものだ。“Devil Get My Woman”は元々の“I'd Rather Be With You”をタイトル変更したものだ。これは彼の独自のスタイルが最初に成果を上げた画期的なナンバーだ。広大な中間部分にキラキラとしたギターのフレーズが浮かび上がり、陽光の中の霧のようにまき散らされ、最後は催眠性のあるリズムの繰り返しになって完結する。このようなリズムをテーマとして、“Inside”はアルバム収録の“Outside In”に先駆けて制作された。そこにはティム・バックレーの“Starsailor”を思わせるマーチンの深いエコーのかかった、長く引き伸ばされたヴォーカルと、指でコツコツ爪弾くきらびやかなギターがフィーチャーされている。比類のないテクニックを見せながら彼は、何とかフィードバック音の淵をよろめきながら、コントロールを失うことなく主旋律をキープする。

これら2枚のアルバムはマーチンにサウンドだけでなく、彼がその後10年間に何度もカムバックする時の拠り所となった素晴らしい曲の数々も提供した。特に素晴らしいのが“May You Never”で、これは彼のレパートリーの中でも代表的な1曲だ。ここでは2ヴァージョンがフィーチャーされており、最初が1973年のボブ・ハリス、次が4年後のジョン・ピール・セッションだ。後者のマーチンは、ピールの関心が完全にパンク・ロックへ向かった中でも、依然ヒッピー世代の偉大なアーチストとして存在していた頃のものだ。確かに優しい気遣いを見せるようなトーンの“May You Never”は、怒りやシニカルな姿勢がロックの主流となっていた時代にはそぐわないのかもしれない。しかし30年を経た今の耳で聴くなら、そこにはやはり今でも通用する魅力があることは否定できないのである。同セッションからの“Over The Hill”は“Solid Air”に並ぶ彼のスタンダードとなり、マーチンは放浪への渇望を、軽快なフィンガーピッキングに乗せ意気揚々と表現している。

1973年、ボブ・ハリスの2回目のセッションでは、“Inside Out”からのナンバーが多く取り上げられ、また長年の友人、飲み友達であるダニー・トンプソンの素晴らしいダブル・ベースがフィーチャーされている。そこには他の多くの神がかったコラボレーションに見られるのと同様の天性と親和性が、単なる音楽的目的以上に築き上げられている。“僕はダニーから最良の部分を引き出して、ダニーは僕からそれを引き出すんだ。”マーチンはそう考えている。“彼は僕よりもはるかに音楽的造詣が深かった。彼はクラシックの素養があったからね。彼は常にどのキーを弾いているのかを分かっていた。正直言うと僕は未だ分からないよ!僕は一番上の弦を見てフレットを数えなきゃならないんだ!でも彼は他の人より僕と一緒にプレイしている時の方がより自由に楽しんでいるように見えるよ。それはすごく誇りに思うことだ。そういうことについては話し合ったことはないよ―僕らは音楽の話は本当にしないんだ。”陽気な“Fine Lines”ではトンプソンの弾むようなベースが曲全体をがっちり固め、マーチンの実験的なアルペジオによる“Beverley”と、彼の荘厳で熱いファズの効いたリード・ギターが光るケルティック・トラディショナル“Eibhli Ghail Chuiuin Ni Chearbhail”では弓によるベースが深みと重厚さ与えている。

彼らは音楽についてはあまり話し合ったことはないのかもしれないが、それはお互いの意識がセッションの中で、はっきりとした目的として共有されていたことを証明している。“泥酔して床に転がる気分はどうだい?/起き上がって尋ねることはないかい?”マーチンは“Make No Mistake”の中で問うている。これは“Fine Lines”の中でも保持されたテーマだ。“僕を信じて。恥ずかしいことなんかじゃない”この詞は、マーチンのもぐもぐと不明瞭な言葉で歌うスタイルと決して無関係ではないだろう。彼の確立したシンギング・スタイルは、ロック、フォーク、ジャズ、そしてその他のいかなるヴォーカリストとも一線を画した資質である。あたかも彼の発声法は、特効薬のようなものとして、心の内へうちへとなだれ込み、その不明瞭なうなりは単なるよだれを垂らした酔っ払いなどではなく、言葉では表現できないような、肉体から離脱した嘆きを鎮魂させるかのように響くのである。言葉はけだるく、意味をなさなくなり、マーチンは歌の中で自身の感覚をのせる。その即興的センスは、まるでブルースメンのライトニン・ホプキンスやジョン・リー・フッカーのようであり、彼のつぶやくような嘆き、あるいは悲しみはそのスタイルや匂い以上に抒情的効力をもたらすのである。

“それは意識的やったことだよ。”マーチンは自身のあいまいなヴォーカル・スタイルについてこういっている。“僕はできる限り誰とも違うスタイルを身に着けようとした。こういうスタイルは僕にとってとても快適だったんだ。快適ってのはすごく大事なことだ。マネージャーやA&Rマンからは批判されたよ。彼らははっきりと発音するヴォーカル・スタイルの方を好むからね。でも僕は逆にそうすることによって歌の持つスピリットが失われてしまうと考えたんだ。何か違った気分を味わえて、曲を理解することができれば万事オーケーだってね。”

マーチンにとってそれは確かに正しかったようだ。彼の穏やかで審美な音楽は、70年代の長髪の恋人たちの部屋の恰好のサウンドトラックとなった。ジョン・ピールとのセッションをこなした彼は、1975年までにフォーク・シーンの中で見事な名声を打ち立てていた。彼はやすやすとクラブでのギグからコンサート・ホールへと移っていた。ザ・ピール・セッションは完全にアルバム“Sunday's Child”のナンバーから構成されている。そのアルバムは“Solid Air”と“Inside Out”で試みられた即興的な実験から幾分歌に重点を置いたものに戻っていた。マーチンのフォーク・ルーツは、トラディショナルで愛の悲劇を歌った“Spencer The Rover”と“The Message”で繰り返されるケルティックな曲調に見て取れる。一方、彼のロマンチックな側面は、“Discover The Lover”(Darling, you can discover the lover in me, and I can discover the lover in you)、多義的な“My Baby Girl”、そして“One Day(Without You)”によく表れていた。そこには早すぎる別離による女々しい彼の姿がある―“One day without you, and I feel just like I am somebody else”

2年後、マーチンの次のピール・セッションでの“One Day(Without You)”は、自嘲気味で自分を茶化すような怒鳴り声、“ヘイ!ブギー!”で始まっていた。以前のセッションとは違い、それは当時のアルバムを反映してはいない。“One World”からの唯一崇高なメドレー、“Certain Surprise/Couldn't Love you More”と並んで古いレパートリー、“May You Never”と“Over The Hill”が演奏された。続く翌年、1978年1月のピール・セッションでは、埋め合わせ的ではあるが8分半の“Small Hours”ロング・ヴァージョン1曲が収録された。シンプルなリズム・マシンの反復にちらちらと揺らめくようなギターの音色が、穏やかな日没のような雰囲気を作り上げている。広大な中間部分に彼のリード・ギターのフレーズが不気味な反響を残しながら、無造作に織り込まれている。これはジョン・マーチンの栄光の70年代を捉えたコンピレーションを完璧に締めくくっている。その時代の彼は常に本当は存在しないジャンルの壁を何とか乗り越えようと苦心していた。これら楽曲のそれぞれのヴァージョンは、その新しく魅力的な境地に向かって花開く過程を見事に示している。

アンディ・ギル
2006年7月、ロンドンにて



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