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Man/Rhinos, Winos & Lunatics/2007 Cherry Red Records ECLEC 2020



‘Rhinos, Winos & Lunatics’はラインナップの大変動に続いてマンバンドにとって新たなスタートとなったアルバムだった。バンドを去るにはあまりに怠惰なミッキー・ジョーンズを除いては、いわばあらゆるメンバー・チェンジは大変動だったし、同じメンツでのスタジオ・アルバムが2枚出たことなんて一度もなかったね。何事もなければマンバンドは温和で穏やかな野郎の一団だったが、いったん事が起こり始めるとオレたちはたちまち闇に潜んで陰気な策略や詐欺を画策する冷酷無比な共謀者に変身してしまうんだ。暗闇の中で内々の秘密会議が召集されて一方の派閥は他方には決していわないんだ。身内びいきと発癌性のある毒の蔓延した雰囲気の中で策略が企てられ、狙われた者は信頼できる奴から裏切り者へと変更され、‘ユダの裏切り者’呼ばわりされることになるんだ。それは完全な至福と絶望のブレンドであり、二枚舌と見て見ぬふり、道徳性の希薄化だった。オレは断じてミスらなかったが。

この特別なラインナップには前体制から二人の生き残りが含まれていた―ミッキー・ジョーンズ(ギター、ヴォーカル)とテリー・ウィリアムズ(ドラムス、ヴォーカル)だ。あとUAのレーベル仲間だったヘルプ・ユアセルフから二人のイングランド人亡命者―マルコム・モーリー(ギター、キーボード、ヴォーカル)とケン・ウェイリー(べース)だ。残るはオレ―いわれのない追放からいくらか意気揚々と戻ってきたディーク・レナード(担当はギターとシニシズム)だ。

このアルバムはオレたちのスケジュールが許す3週間でレコーディングされミックスされた。最初の1週間で曲を書いて、Clearwell Castleの小屋でレコーディングとミックスが行なわれ、あとの2週間はロンドンのモーガン・スタジオだった。オレたちがレコーディングに乗り出す前にユナイテッド・アーチスツのオレたちのA&Rマン、アンドリュー・ローダーが、プロデューサーを使うことを提案したんだ。オレたちは青ざめたね。オレたちは自分たちの貴重な音楽が外部から干渉されるなんて性に合わなかったんだ。部外者がオレたちによって完全密封された極度に私的な、細心の注意を払って作られたロックンロールの発明品に手を加えることなどできるわけがないだろ?すでに完璧だったんだ。だろ?しかし当時オレたちには無知なところが確かにあった。アンドリューの提案はレコードをプロデュースする方法を学びたいっていう頭の片すみにあった部分を軽く刺激したんだ。彼はオレたちにいつものなぞめいた言葉を投げかけた―つまりオレたちは自分たちが考えるほどよくないんじゃない?ってね。実際オレたちのアーチストとしての向上心は全員共通してややひるんでいて、それに何とか耐えていたんだ。

当時オレたちは外界の意見を完全にシャットアウトしてた。そりゃ頑なだったね。メンバーみんなは一人のために、そして一人ひとりはバンドのためにってね!

“ダメだ。”オレたちはいった。“ダメダメダメ!”だがアンドリューは事あるごとにしつこく主張した。で、オレたちはそのよろいを着たような頑固な主義主張を放棄して抵抗をやめたんだ。誰だ?オレたちは冷めた口調で聞いたよ。誰がいるんだい?ってね。“ロイ・トーマス・ベイカーだ。”彼はいった。“OK”オレたちは冷めた口調で返事をした。

曲を書いていた時期の最後の数日間にアンドリュー・ローダーはオレたちの新曲を聴くために、ベイカー氏を連れてClearwell Castleにやって来たよ。彼はナイスで愛想のいいヤツだったが、明らかにこの獣のはらわたにどう入ってくればいいのか分からなかったんだ。彼は曲を心に刻みつけるように配慮して没頭しながら聴いていたね。全てを聴き終えると、彼はオレたちの音楽を絶賛して一緒にグレイトなレコードを作ることができるはずだといったんだ。彼は本当に期待していたね。オレたちもそうだったし、実際はやく取りかかりたくてうずうずしてると彼に伝えたよ。彼とアンドリューはにわかに活気づいてロンドンに戻って行った。よし、オレたちはヤツらを追っ払った。奴らがいなくなるとすぐにオレたちはリハーサル・ルームに戻って全てのアレンジを変更したんだ。そうだ。オレたちは彼となあなあでやりたくなかったんだ。わかるだろ?

いったんモーガン・スタジオに入ると、オレたちは最初、彼のあらゆる提案を却下した。1インチの譲歩すら全くしなかったね。だが・・・ある不思議な事件が起こったんだ。オレたちが彼のアイデアを拒否した二日後のことだ。オレたちはオレたち自身で知らない間に彼のアイデアを取り入れて熱中しているのに気づいたんだ。彼はすぐにオレたちのブツクサいってた不満点を細かく把握していたんだ。オレたちは彼のグレイトな耳を認めざるを得なかったし、サウンドはよりグレイトになってた。オレたちは考えを完全に180度転換したね。おかげでプロデューサーとの仕事をかなりエンジョイできた。彼はオレたちにのしかかった重荷を全て取り除いてプレイに集中できるようにしてくれたんだ。最終ミックスは自分たちの本当の好みの音になるまで完璧に仕上げられたよ(聞いたところによると、マンバンドとの仕事の後、ロイ・トーマス・ベイカーには最もハードな時期が降りかかったそうだ。彼は命がけの情況だったらしい。クイーンっていうぞっとするようなキャバレー・バンドのプロデュースで消耗してしまったんだ。そりゃひどいもんだったろうな)。

これはオレたちのアルバムの中でもいいアルバムだと思う。曲は強力だし演奏は大胆で活気があるし、雰囲気は一貫して鮮明だ。オレたちは完全にノッていてエンジン全開で仕事の頂点に達していた・・・これ以上の決まり文句がまだ必要かい?他の道なんてありえなかったね。オレたちは髪を風になびかせて山頂に立っていたんだ。じゃなきゃマンのアルバムとはいえないだろう?

‘Rhinos, Winos & Lunatics’はリリース最初の週にブリティッシュ・アルバム・チャートの12位に達して、アメリカン・チャートでもトップ50に入った。これは勇気づけられたね。このアルバムが世界的名声という、より高い領域にオレたちを押し上げたかって?ノー、そうはならなかった。そうなるはずだったが(オレの人生は‘なったはず’でいっぱいだ)。でもこれはアメリカのマーケットでオレたちの足がかりになるに十分なセールスを記録した。オレたちはすぐに大西洋を渡って勇士の地、自由の地へと飛び立ったんだ。

じゃそろそろボーナス・トラックについて語ろうと思う。

ここに入ってるのは、1974年3月8日、米東部13州を回った最初のツアーのうち、ロサンゼルスのウィスキー・ア・ゴーゴーでオレたちがプレイしたギグの音源だ。そこはオレたちがずっと憧れていた有名なロックの聖地だった。とてつもなく実り多いギグだったし、オレたちはすぐに居心地がよくなったよ。オレたちがとりわけ印象深かったのは楽屋の落書きだ。それってのはここでプレイした星の数ほどのバンドを垣間見せてくれるんだ。ちょうどドアの上にはサム・ザ・シャムがこう書いていた。“もしここが世界的ステージなら・・・”続いて彼はこう書いていた。“こんなひでえ楽屋がどこにある?”ってね。

ちょうどオレたちがステージに上がる前に、Michael Melvoinがサックス・ケースを持った背の高いブロンドの男を連れて楽屋に入ってきた((オレはマイケルにはその数年前、彼がジョニー・リヴァーズ・バンドと一緒に英国ツアーをした時に会っていたんだ。彼は最高クラスのミュージシャンだった。フランク・シナトラとバーブラ・ストライザンドをプロデュースしていたし、メル・ブルックスの映画、‘ヤング・フランケンシュタイン’のサウンドトラックを書き下ろしていたんだ。Michael O’Martianていうペンネームを使ってね。ドク・セヴリンが休みの時は彼がジョニー・カーソン・ショーのハウス・バンドを引き受けていた。忘れられないのは、彼が高貴なWendyの父親だったことだ(Wendy:いつまでも子供みたいな人の例え?)))。彼はオレたちにその背の高いブロンドの男を紹介した。なんと、“彼がジム・ホーンだ。”っていったんだ。

オレはそのとき確かに遠い銀河の星が衝突する音を聞いたね。ジム・ホーンは彼の世代では最高のロックンロール・サックス・プレイヤーとして世界中で認められていたんだ。彼は誰とでも一緒にプレイしていた。とりわけデュアン・エディだな。彼はデュアンの草分け的シングルのほとんどで、あの火を吹くようなサックスを吹いているんだ。“私のサックスを持ってきたんだが・・・”彼はゆっくりとした口調でそういった。“万が一君たちが吹いて欲しければと思ってね。”

“まさかこんなことがあるなんて夢にも思わなかったよ。”オレたちはいったね。“アンタがここにいることさえもね。”

オレたちは満席のステージへ歩いていった。そしてジム・ホーンを紹介すると、聴衆の間に期待を含んださざなみが走った。本当のことをいうならバンドの中にもだね。10秒後、オレたちは天才の中に一緒にいるんだって実感したよ。彼は完璧なミュージシャンだった。欠点のないテイストと完全に自由な攻撃性の崇高なブレンドだったね。オレたちが繰り返しのリフをプレイすると、彼は最初のひとつを聴いて次にはパーフェクトにそのメロディを吹いてしまうんだ。彼のソロ―状況が許す限りたくさんいいたいんだけど―イマジネーション、みがき抜かれたメロディ、本物の風格がにじみ出た芸術のブレンドだった。彼が吹く時は、オレたちは彼についていく以外に選択の余地はなかったな。まるで自分たちがジュニア・ウォーカーズ・オールスターズみたいになったような気分だった。

でもオレに関する限り、究極の試みはまだ来ていなかったんだ。それはセット・リストのもっと先にあった‘Blown Away’で、オレのお気に入りのマルコム・モーリー作のナンバーだ。スペイン風のドラマチックな雰囲気をもった曲だけど、サックス向きの曲じゃないのは確かだった。なぜだかわかる?オレはジム・ホーンがサックスでどんな風にこれを料理するのか見てみたかったんだ。で、‘Blown Away’をやる時が来てオレたちはプレイし始めた。するとジム・ホーンは一瞬の間じっと立っていたんだが、それから自分のサックスをベース・スタンドに立てかけて、近くのスピーカーに耳を傾けたんだ。あとは最後まで目をつぶって歌を聴いていたよ。こんちくしょうめ、直感的にサックスの曲じゃないのが分かってプレイすべきじゃないって彼は感じ取ったんだ。ったく教わってできることじゃねぇよな。

楽屋に戻ってくると、やる気満々ではりきっていたオレたちは力を使い果たし、アーチストとしての充実感に浸っていたね。ジム・ホーンはバンドをすごく気に入って、ツアーに必要ならサックスを吹くといったんだ(オレたちが出せるギャラじゃとうてい足らないと思ったけどな)。そのうえ彼はテリーのことを今まで一緒にプレイしてきた中で最高のドラマーだといったんだ(彼が一緒に仕事をした人たちのことを考えればもの凄い称賛の言葉だ。テリーにとっちゃこれ以上の賛辞はないね。テリーは自らに課した苦難に屈服するまでは世界一のドラマーだったよ)。Melvoinも同様に感激してたな。

“ワォ!”彼はいったね。“君たちは疲れ知らずだな”オレはお世辞ととったがね。

幸いオレたちのレコード会社、ユナイテッド・アーチスツはギグを録音するっていう良識は持っていたんだが、それをライヴ・アルバムとしてリリースするまでのものは持ち合わせちゃいなかった。そのテープは再び外に漏れ出すまで、どこかの地下倉庫に閉じ込められてしまったんだ。そして今オレは大きな喜びを感じている。ついにそれは日の目を見たんだ。時々あることなんだが、据え置かれた公正さってのはいつのまにか施行済みにされてしまうんだ。1分遅いとね。

Good Luck
Deke Leonard



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