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Man/Man/2007 Cherry Red Records. ECLEC 2012



これはユナイテッド・アーチスツからの初のマンのアルバムだった。心機一転ってわけだ。オレたちはすでにパイ・レコーズから事実上無視された2枚のアルバムを出していた。パイは過去に縛られた古臭いレコード会社だった―レコード・セールスはドイツを除いて最低だった(なぜかドイツ人はオレたちのことを好きだったようだ)。パイとの契約はひどかったね。それはマンバンドがまだバイスタンダーズという名の時に交わされたひどい契約の延長だったんだ。オレたちの印税率はごくわずかで、それは顕微鏡でやっと確認できるほどだったし、その存在すら疑わしかった。さらに悪いことに、その契約は2年間継続されていた。もうたくさんだった。脱出用ハッチが求められていた。そこでオレたちは巧妙な作戦に打って出た。オレたちはパイに電話してバンドの解散を告げた(すみません、でも音楽的相違で・・・とかなんとかってな)。そしてオレたちは荷物をまとめてしばらくの間ドイツに出稼ぎに行った。パイは―オレたちが推測するに―すぐにオレたちのことを忘れてしまったね。作戦は大成功、一躍してオレたちは自由になった。

ドイツはオレたちにとって何か衝撃的なところだった。英国に戻るとギグはほんのわずかしかないんだが、ドイツではレコードの売り上げがすごくよかったから仕事がどどっと舞い込んできた。いかしたシーンだったね。英国よりも全然ヒップだった。ドイツ人はすでにニュー・ヒッピー・カルチャーを心から歓迎していて、ほとんどのギグは2,000人のヒッピーの前でやることになった。みんな足を組んで座り、低く立ち込めるマリファナの煙の下で限りなくジョイント(マリファナ)が巻かれていた。オレたちと同じくらいたくさんのマリファナを吸っていたオーディエンスに向けてプレイするのは楽しかったね。そこはクックズ・フェリー・インから遥か彼方にあった。クックズ・フェリー・インでオレたちは3人の男と1匹の眠りこける犬に向かってプレイしていたからな。

英国でオレたちは1時間をちょっと超えるくらいのギグをしていたが、ドイツではオーディエンスは5時間のプレイを望んでいた。オレたちは理論上では5時間プレイしても平気だったんだが、実際には十分なレパートリーを持っていなかった。練り直す必要があった。何回かの真剣なリハーサルが要求された。しかし指紋が消え去ってしまうようなハードな見通しに直面したオレたちはたじろいでしまった。オレたちは最も面倒の少ないやり方をとることにした。オレたちは今ある曲を長くすることにしたんだ。まず曲をプレイする、その後バンドの各メンバーがその曲に沿った長いソロを取る。とてつもなく長いソロだ。それから全員が自らのパートをやり終えた後、再び曲をプレイし、だんだんと緩やかになって終える。知らず知らずのうちに、オレたちはマンのスタイルってものを以降永遠に築き上げることになったね。長くやらないとしてもな。

しかしそれでもまだ十分な長さとはいえなかった。オーディエンスはさらに要求してきた。そこでオレたちは即興プレイへと視野を広げたんだ。誰かがオープニング・リフをプレイすると、それが誰だろうとそいつには2時間が割り当てられる(友よ、また最後に会おう!ってな!)。そりゃ爽快だったし、莫大に価値あることだった。オレたちは毎晩プレイしていたから恐れ知らずだったね。オレたちは絶好調にあることは分かっていたし、思いがけなく嵐のようなプレイになった。そこにいたオーディエンスは勢いづいていった。冗談じゃなく、あの2,000人のドイツ人の低いブーンという唸り声を聞くまでは、あんたは生きているとはいえないな。

このアルバムはオレたちがドイツ人に変身した成果が初めて刻まれたものだ。ほとんどのトラックはリューベックとコンスタンツ湖の間でツアーしていた時に書かれ、それぞれは容赦のないライヴ・パフォーマンスの熱気によって磨き上げられていったんだ。英国に戻ったオレたちは、ユナイテッド・アーチスツと契約を結んだ(パイからは反応なしだった)。彼らはバーンズのオリンピック・スタジオのスタジオ・ワンにオレたちを送り込んだ。そこはロンドンの中ですごくシャレた地区で、ステージ、スクリーンのスターやアーチストの家があったんだ。スタジオ・ワンはすごくでかくて、彼らはそこで映画のサウンドトラックをレコーディングしていた。

オレはセッションのことはほとんど覚えてないが、世界を揺るがすひとつの出来事だったことは覚えているね。スタジオから道を横切ったところに雑誌販売店があって、オレたちは毎日そこでたばこやリズラ(Rizla:タバコ用の薄い紙)なんかを手に入れていた。ある日オレがそこに行くと、ダイアナ・リグ(英女優)がミルクを1パイント買っていたんだ。ダイアナ・リグだぜ!!オレはエマ・ピールといっしょにいたんだが、今でも恨みの念を持っている。現実の世界では、彼女は自分流の空手チョップを使ってオレをぺしゃんこにやっつけちまうんだ。もちろん彼女の顔には腕白な笑みが浮かぶんだけどな。一方、非現実な世界では彼女はミルク代を払い、口をぽかんと開けて立っている冴えないヒッピーを一瞥する。そしてナノ秒(10億分の1秒:nanosecond)の間にオレと目が合い、オレは遠くで銀河が衝突する音を聞く。その時には彼女はもういなくなってしまうんだ。オレは心地よさからだんだんと気分が低下していく。この生気のないほとんど要領を得ない世界に戻り、オレはリズラを買う。オレは彼女のことを歌詞にしなかったことを不思議に思う。他のことは全て詞になったのにだ。その時の状況は、70年代初頭のツアー・バンドのドラッグ漬け状態、哲学的にいえば「歪み」だった。

例えば‘Romain’はオステンド(ベルギー北西部)のフェスティヴァルにいたRomain Braxiというゴロツキのベルギー人警官との野蛮な戦いについての歌だ。マーチンは奴を2週間病院送りにし、その結果マーチンはオステンドの刑務所に入ってしまった。彼は罰金を払って保釈された。オレたちはその事件についてこの歌を書き、レパートリーに入れた。1年後、マーチンはブリュッセルの法廷を欠席したことで訴えられ、2,000ベルギー・フランの罰金を科せられた。もちろん彼はそんな金の余裕などなかった。オレたちはある事実のあと、その裁判の正体を見破った。ベルギーの法廷からの呼び出しがポストに入っていたんだ。その裁判の日ってのが、オレたちがブリュッセルのTV番組で‘Romain’を歌う日に当たっていた。詩的センスのある裁判官なんていないな。

‘Country Girl’はシンプルだ。雄弁なカントリー・ソングだという奴もいるかもしれない。評論家連中は、麻薬漬けで現実感覚を失ったロック・アルバムの真ん中に、3分間のカントリー・ソングを両立させるのは難しいと感じていたが、オレたちは好きだったから屁とも思わなかったね。オレたちは不適当で軽率なスタイルを挟み込んだ罪で訴えられてしまった。オレはおののいてしまった(shake in my stack-heel, snake skin boots)。

‘Will the Christians Wait Five Minutes(The Lions Are Having A Draw)?’はインストだからオレたちは何とでも呼ぶことができた。インストゥルメンタルってのはタイトルによって定義づけられるまでは真っ白なキャンバスなんだ。オレは‘Telstar’が‘ヘアブラシのある一日’(A Day In The Life Of A Hairbrush)ってタイトルだったらヒットしなかったと思うね。オレたちがインストゥルメンタルを作った時、何を思い描こうとしていたか?オレたちは歴史をテーマにふるい分けていった結果、勝者ってのを見つけ出した。オレたちは古代ローマの記録にそれを発見したんだ。オレたちは娯楽産業のひとつとして、ライオンのエサにされたクリスチャンたちの死を哀悼していた。その時のイメージは、コロッセウム内部の控え室をライオンがぶらついているものだ。闘技場に入る前に最後のマリファナを押し込むってのがオレたちの頭にパッと浮かんだ。オレたちは魅力的なイメージだと思った。ライオンであれ何であれ、マリファナを吸ったあとは腹が減るんだ。マリファナ後のスナック菓子は水分の多い殉教者よりもいいに決まっている。

‘Daughter Of The Fireplace’はオレたちがグースベリー・フィールズと呼んでいたグリーン・アシッドでトリップした時の曲だった。ミュンヘンでオレたちは数日のオフをとり、プロモーターのハーラルといっしょに町が見渡せるでっかいアパート10階の彼の豪華なフラットにいた。そこにいた時、オレたちは大量のアシッドをやり、多くの時間を窓から景色を眺めて過ごしていた。宇宙の狭間に自分たちが迷い込んでしまうのを抑えながらね。オレたちはTVでジョニー・ウィンターが猛烈なブルースを歌っている時にやっとよろよろと現実の世界に戻っていった。奴の演奏が終わったあと、オレはきっかり10分で‘Daughter Of The Fireplace’を書き上げた(自分を弁護しとくけど、オレは歌じゃなくてスタイルをパクッたんだ)。次のギグのサウンドチェックでオレたちはこれをやって、その日のセットリストに加えて以来、今日までプレイし続けている。

‘Alchemist Of The Mind(Scholar Of Consciousness)’はオレたちをゴシックなムードに導くことになった。ドイツ滞在中、オレたちはカールハインツ・シュトックハウゼンに会ったんだ。アヴァンギャルド音楽のどえらい前衛芸術家だ。オレたちは彼の織りなす革命的な電子音楽にどっぷりと浸かり、それはオレたちのライヴに浸透し始めた。それが最も魅力的に浸透した時期だ。オレたちが‘アヴァンギャルド’になればなるほど、オーディエンスもオレたちと同じ状態になっていった。みんな気に入っていたようだったな。そこでオレたちはコテで塗りつけることにした。オレたちは予期できないような抽象的なノイズを作り上げることに尋常でない時間を費やしていた。‘Alchemist’はシュトックハウゼンの倫理的価値観の旗手だった。それはステージ上では、荒れ狂う海をゆっくりと詮索するサイケデリック・リヴァイアサン(巨大な怪獣・悪の象徴・全体主義的国家)だった。だがめちゃくちゃきびしく評価すれば、オレはそれがレコード上に完璧に反映されているとは思わない。ステージ上でそれは‘瞬間’の産物であり、聴衆とアーチストの間のダイレクトな相互作用なんだ。しかしスタジオの空虚な壁に向かい合えば、それは困難なもがきとなってしまう。オーディエンスの反応なしではオレたちは孤立状態の中で操らなきゃならない。オレたちはベストを尽くしたが、はっきりいって君がそこにいなきゃならなかったんだ。ナンセンスな話だが、全く正直なところだと思う。だろ?オレは実際のセッションの大部分は忘れてしまったが、マーチン・エースが紙コップを潰す音をトラックに差し込んだのを覚えている。‘ギャルド’でも‘アヴァント’でもなかったが。

オーケー!君のことはよく分かっている。それほど多くは同意してくれないだろう。しかし産業規模のLSD、THC(マリファナの主要活性素)、その他プレイを持続させるためにオレが手に入れることができた‘頭字語’によって、木っ端微塵に潰えたこの記憶から君は何を期待する?だがオレたちは論理的に考えていたね。現実ってのはドラッグに対処できない人々のためにあるんだ。それが一つのスリーヴノートのための過激すぎるほどの誠実さだとオレは思う。

Good Luck, Deke Leonard



Man/Man/2001 Repertoire Records REP 4969


‘ウェルシュ・アシッド・ロックのゴッドファーザー’と呼ばれたマンは、70年代高く評価された人気バンドであった。全盛期にあった時でさえマンは‘アンダーグラウンド’と見なされ、彼らの最も大きな支持者層であるクラブ好きと学生の人気を呼んでいた。さらに人気が大きく広がりヨーロッパ中をツアーし成功を収めてもそのスタンスは変わらなかった。マンの初期のアルバム群は今では名盤と見なされ、彼らの音楽はイマジネーションを刺激し続けている。

クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスのようなウェスト・コースト・ロックに強く影響を受け、マンは自身のサイケデリック・サウンドを発展させ、ヘヴィだがメロディックなギター・ソロ、なめらかなキーボード・ワーク、そして特徴的なヴォーカルを聞かせていた。ウェールズ出身のバンドにみなが求めるように、なるほどそれぞれのメンバーは巧みな歌い手であった―そしてそのメンバーの多さといったら!マンはその何10年にも及ぶ(今なお)活動の中で多くのメンバー・チェンジが行なわれることで有名であった。しかしメンバー交代があろうと彼らは常に友人や他のバンドの仲間と共に同等の才能を分かち合ってきた。その中で最も有名な一人がロジャー‘ディーク’レナードだった。素晴らしいシンガー/ギタリストの彼が著した2冊の見事な本はミュージック・ビジネスでの経験を基にしたものだ。最初の‘Rhinos, Winos & Lunatics’(Northdown)は1996年に出版され、そこで彼はかなり個人的なマンのストーリーと楽しみ方を語っている。もっと最近になって彼はさらに追憶に基づいた本、‘Maybe I Should Have Stayed In Bed’を書いた。

ディークはまだ彼らがバイスタンダーズと名乗っていた1968年11月にバンドに加入した。彼らはウェールズで最も成功した‘カヴァー’グループだった:彼らは北イングランドのクラブやキャバレーをツアーして回り、1週間に1000ポンドを稼ぐほどだった。しかしながらレナードがちょうど加入した頃に、バンドは劇的な音楽的方向転換を決意した。彼らはいつものカヴァーをやることにうんざりし、サイケデリック・シーンへの参入を希望していた。そして‘ポップ・カヴァー’から飛び出し、自らのオリジナルを引っ下げて彼らは出直しを図った。彼らはまた、グループ名をバイスタンダーズからマンへと改名した。当時のラインナップは以下のとおりだ。

ミッキー・ジョーンズ(ギター)
クライヴ・ジョン(キーボード)
レイ・ウィリアムズ(ベース)
ジェフ・ジョーンズ(ドラムス)

ディークは前任シンガー、ヴィック・オークレイに代わって加入した。オークレイは新しい音楽的ポリシーに乗り気ではなかったためだ。ザ・バイスタンダーズはパイ・レコードと契約していたが、ディークによると彼らのA&Rマン、ジョン・シュローダーはレコード会社からバンドとの契約を打ち切るよう命じられていたようだ。しかしバンドに献身的だった彼は、なんとかパイのアンダーグラウンド・レーベル、Dawnとの契約続行をとりつけた。‘Man’という名は人文主義的なシンボルとしてつけられ、実際60年代後半には皆が‘man’というフレーズを好んで使っていた。彼らのパイでの最初の成果は、1969年1月にリリースされた‘Revelation’というコンセプト・アルバムだった。収録曲のうちの1曲‘Erotica’はヨーロッパでヒットしたが、英国では締め出しを食らってしまった。愉快で皮肉っぽいタイトルのセカンド・アルバム、‘真ん中に穴の開いたプラスチック盤2オンス’はその年の9月にDawnからリリースされた。このCD時代、我々は真ん中に穴の開いたプラスチック盤は12インチのヴィニールLPだったことを覚えておくべきかもしれない。

バンドは熱心な支持者を増やし、好意的なプレス・レビューを獲得した。1970年のリバティ/UAへの突然の移籍後、次作LP‘Man’のリリースとなった。新しいレーベルはマンの音楽的野心によく合っているように思われた。リバティ/UAはすでにカン、アモン・デュール兇修靴謄曄璽ウィンドと契約を交わしていた。1970年のアルバム‘Man’はロンドン、バーンズのオリンピック・スタジオで録音され、メル・ベイスターによってプロデュースされた。ラインナップはマーチン・エース、クライヴ・ジョン、ディーク・レナードそしてテリー・ウィリアムズだ。

このCDはオリジナル・アルバム全曲と2曲のボーナス・トラックをフィーチャーしている。オープニング・トラック‘Romain’はグループのオリジナル作品だ。この6分間の荒っぽくパワフルなロックは、ライヴにおいてしばしばアンコールとして使われたナンバーだ。マーチン・エースとディーク・レナードによる‘Country Girl’は、田園バラッドであり、ディークのスチール・ギターの素晴らしさをよく示した曲だ。3曲目のフル・タイトルは、‘Would The Christians Wait Five Minutes? The Lions Are Having A Draw’だ。これはディークの猛烈なヴォーカルが前面に出た奇抜なロック・ナンバー、‘Daughter Of The Fireplace’に匹敵する独特なタイトルだ。今回シングル・ヴァージョンとして、1971年3月のシングルA面B面だった‘Daughter’と‘Country Girl’をボーナスで加えた。他の主だったところでは、Manをそっこうで定義づけた20分間のスペース・ロック・ジャム、‘Alchemist’がある。典型的なマンのギグが想像できるだろう―ベルボトムのジーンズとフリルのついたドレスを着た学生たちの吸うマリファナの煙が上がり、彼らはへんちくりんなダンスを踊っている。

1972年、ディーク・レナードはマンを去り、彼は自身のグループIcebergを結成した。しかしそれは友好的な分裂であり、1973年両バンドは一緒にツアーをしている。のちにディークはマンに復帰し、グループはアルバムの制作を続けていった((‘Back Into The Future’(1973)、‘Rhinos, Winos And Lunatics’(1974)、‘The Welsh Connection’(1976)))。しかしシーンは変化しメンバーたちは疲れ果て、結局1976年バンドは解散した。ロックとポップはその後、複雑な展開を経ていった。しかし80年代後半、古いグループたちにとって復活する絶好の機会が訪れた。マンはミッキー・ジョーンズ、ディーク・レナード、マーチン・エースそしてジョン・ウィザースという布陣で戦場に戻ってきた。

長いキャリアの中で、17人ものメンバー・チェンジを経験したグループは今も好奇心旺盛だ。ディークによればこうだ。‘20000ガロンのアルコールと750000本のマリファナをやってきた’それ以降も彼らはグッド・ミュージックとグレイトなアルバムを作ってきたのである。

クリス・ウェルチ
2001年ロンドンにて


Man/Man
All Music Guide Review by Lindsay Planer



マンは60年代半ば、ビートルズ風ハーモニーとブルー・アイド・ソウル・スタイルで好評を博した多くのシングルを生み出したザ・バイスタンダーズを母体としていた。最も傑出したシングルが、プログレッシヴでポップな“Royal Blue Summer Sunshine Day”だ。この方向性は彼らが名前をマンと改名した後も引き継がれていったことを示している。もしかすると自らの名を付したこのアルバムは長く彼らのデビュー作として認識されているかもしれない。しかしながらこのアルバムの前に彼らは2枚のLP、Revelation(1969)と、いくらか焦点の定まった向上心が見られる次の2 Ozs. Of Plastic with a Hole in the Middle(1969)をリリースしていた。この時までにバンドの編成は、クライヴ・ジョン(organ/piano/electric guitar/harpsichord/vocals)、ロジャー‘ディーク’レナード(electric, acoustic, steel guitar/piano/vocals)、マーチン・エース(acoustic guitar/bass guitar/vocals)、テリー・ウィリアムズ(percussion/drums)そしてミッキー・ジョーンズ(acoustic, electric guitar/vocals)となり、最も熱意ある独創性あふれる集合体となった。類まれな優れた即興演奏技術に加えて、マンは攻撃的なサウンドを展開した。
オープニング・トラック“Romain”は背後にレナードのくらくらするようなスチールギターが挟み込まれ、推進力ある激しいブルースへとなだれ込んでいる。“Country Girl”はNew Riders of the Purple Sage(グレイトフル・デッドの別バンド)を思わせ、ウェスト・コーストのカントリー・ロックの陽気さを備えている。2曲の大作、“Would the Christians Wait Five Minutes?...The Lions Are Having a Draw”と“Alchemist”は、時折時代遅れな面ものぞかせるが、よく練られた組曲的インストゥルメンタル・ナンバーだ。メンバー間の多くの相互作用が見られるが、その中でとりわけ“Daughter of the Fireplace”は彼らが決定的なへヴィ・メタル風リフを使ったナンバーで、独創的なブラック・サバスとそっくりだ。これはコンパクトなへヴィ・ロックとしてもう一つのハイライトとなっている。[レパートワーからのリイシューCD(2003)では、オリジナルLPからの5曲に加え、シングル・ヴァージョンの“Daughter of the Fireplace”と“Country Girl”が入っている。前者は5分19秒から3分へ編集されている。CDの音質は素晴らしく、ライナーブックレットには著名な音楽評論家クリス・ウェルチによるショート・エッセイが載せられている。]


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