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Man/Be Good To Yourself At Least Once A Day/2007 Cherry Red Records ECLEC 2019



このアルバムのラインナップは、ミッキー・ジョーンズがギターとヴォーカル、テリー・ウィリアムズがドラムスとヴォーカル、ウィル・ユーアットがベースとヴォーカル、フィル・ライアンがキーボードとヴォーカル、そしてクライヴ・ジョン(以下クリントと呼ぶ)がキーボード、ギターそしてヴォーカルだ。もし君がバンドの歴史に詳しいなら、まずオレがラインナップにいないことに気づくだろうと思う。なぜかっていうと、ヤツらがオレを追い出したからなんだ。ちょうどオレたちが人々の関心を集め始めた時に、オレはもはや必要なしと知らされたんだ。オレは不可欠なメンバーだったからショックだった。オレは自分のことをマンバンドがうまく機能するための重要なギアであり、ターボ・チャージャー・エンジンだと思ってたからね。でもお払い箱になっちまった。明らかにオレはバンドの負担であり、じゃま者であり、障害であり、妨害者でネックだったみたいだな。オレはクールさを保って冷静に受け止めようとした。でも内面じゃオレのアーチスト精神は苦悶して絶叫するほどだったね。その時ヤツらはオレをとらえそこなっていたんだ。奴らは解雇する理由をオレが救いようのないニヒリストだからだといったんだ。上等だったね!まあ音楽的理由じゃなかったんだよ。オレはどうしようもないニヒリストとして生きてたが、オレの音楽的感性がそれに異を唱えることによって精神錯乱の一歩手前までオレを追いやっていたんだ。でも突然光が差し込んだ。オレのアーチストとしての精神は自らテキーラ・サンライズ(カクテル)となって、日光浴用のベッドに向かったんだ。

オレの急激な転落の種はその数ヶ月前、スウォンジーのハノーヴァー・ストリートにあった家でまかれたんだ。そこはベース・プレーヤーのマーチン・エースとドラマーのテリー・ウィリアムズが共同生活していた家だった。バンドは2,3週間ロードに出ず、長すぎる中断期間にあったんだ。オレたちのマネージャー、バリー・マーシャルは、その休暇が信じられなかった。するとすぐにカレンダーの隅から隅までが予定でいっぱいになった。オレたちは彼がとった行動の理由はだいたい推測できたね。彼はオレたちに何もすることがないいたずらな時間を与えると、メンバー・チェンジを企て始めるんじゃないかと恐れていたんだ。彼は全く正しくて、オレたちの歴史は突然不意に起こるメンバー・チェンジの繰り返しだったね。

今度はマーチンが大殺戮を引き起こした。彼はカミサンのジョージとフライング・エイセズを立ち上げるためにバンドを去ることを決意した。彼はまだ辞めることをみなに告げていなかったんだが、それとなくほのめかすとまるで突然の豪雨が降ってきたかのようにミッキーとテリーは勘づいたな。でもオレは全く気づかなかった。12マイル西のラネリーで生活していたオレは、おめでたい無知状態だったわけさ。ミッキーとテリーは変化の時が来ているのを感じていて、奴らは共謀モードに入っていた。あらゆることはスウォンジーで起こっていたがオレはラネリーにいたんだ。

数日後、マーチンとテリーは痛手から立ち直ろうと、ハノーヴァー・ストリートの家でこれといって何もしないで過ごしていたんだ。前日の晩、彼らはスウォンジー・ジャズ・クラブで、よその町から来たやつらとの激しい口論に巻き込まれていた。で、彼らはいくらか殴り合って怪我をしていたんだ。災難続きの連続で、刻々とシングルトン病院の外来患者用の病室に向かって新たな救急車が運び込まれていたんだ。で、結局そこではケンカが再発火するってわけだ。マーチンは右手に傷を負った。これはマーチンがよそから来たヤツの顔めがけて割れたビール瓶で殴りかかったところ、相手は絶妙のタイミングでこれをひょいとかわし、はずみですぐ近くにあった側柱にぶつけてしまったっていうぶざまな結果だったんだ。テリーはボトルで頭を殴られ軽い脳しんとうを起こしてしまった。ミッキーはある時は口論に加わっていたが、直接には関わってはいなかった。電話をかけて無事かどうか確認してたな。しばらくしてニュートロンズのポート・タルボット、フィル・ライアンそしてウィル・ユーアットがマンバンドがオフをとっていると聞きつけ、遠くからはるばるやって来た。ウィルはその時のことをよく覚えてるよ。

“僕たちが入っていくと、マーチンは右手に10針ほど縫った状態で座っていて、テリーは頭を何針も縫っていた。みんな揃ったんだけどマーチンはプレイできなかったし、テリーはひどい頭痛に悩まされていたんだ。そこでミッキー、フィルそして僕が演奏した。フィルがエレクトリック・ピアノを弾き始めて僕がベースでそれを追った。僕たちの演奏はぶっ飛んでたね!いいかい?それは20分にも及ぶ最高にエキサイティングなロッキン・ミュージックだったんだ。ミッキーはすごく頭の切れるヤツだったから、その時起こったことにピンと来てこう思ったかもしれない。‘おや?’ってね。ミッキーは新生マンバンドを選択したんだ。”

あと必要となったのは物議をかもした誰かがバンドを抜けることだった。マーチンの脱退は順当に行なわれた。ごまかしだらけの罵りあいが爆発したな。そして変化は突然訪れたよ。ギロチンの刃が振り下ろされて首が転がったんだ。うん、まあでもたった1コの首だよ。つまりオレさ。オレが抜けることで一件落着って情況だった。テリーがオレにクビを言い渡したんだ。ヴァンの中だった。ラウンドハウスのギグへ向かう途中だ。ああよく覚えてるね。でもオレは不平は言えないな。若い頃のことを考えれば、オレは必要以上に陰で人を中傷してきたから。これはまさに‘人間(Man)が人間に対して行なう残酷な行為’といえるな。

で30年後、オレは冷静に公平に実直に利害関係なく、そしてエホバのように公明正大に距離を置いてこのアルバムの魅力を聴きとることができるか?オレにアーチストとアートを区別することができるか?答はイエスだね。それ以上にオレは遠い昔の見せかけのうぬぼれ、きれいに言えばありのままの真実ってことなんだが、そういうことに対する修了証書をアルバムの下にそっと入れることだってできるな。心配御無用、親愛なるマンファンのみんな、オレはどろどろとした油断のならない理解を超えたようなヤツにも、疑わしきは罰せずってことはいっとくよ。よし、じゃあ先に進もう。

このマンのアルバム―オレに対する罪深い追放後、初となった―は、かなりいい出来だってことは認めざるを得ないんだ。このアルバムはスケールがでかくて優雅で、開放的な聴覚的環境が整ってるし、各曲には圧倒的なパワーとともに時計製造のような趣もあるし、色男みたいに粋なところもあるんだ。フィルとウィルがマンバンドに持ち込んだのは―ウィルの言葉をもう一度借りれば―“よりマジカルで明るい感触”ってことだ。以前のラインナップでの容赦のない強打の連続の代わりにね。ヤツらは確かにオレの不在によって利益を得たんだ。曲を力でねじ伏せるようなオレのやり方抜きで、ヤツらは音楽自身がそのペースを発展させていくような、息遣いのある空間を作り出したんだよ。そこには少なからぬ微妙さと優雅さがあるね。残念ながらオレには微妙にも優雅にもできないな。オレには散弾銃みたいな狂暴さがあるのみだ。優雅、微妙、これらは悲しいことにオレには無縁だ。

ヤツらはまた、1曲だけでなく2曲ものマン・アンセムあるいはマンセムとオレたちは呼んでるんだけど、今でもプレイされ続けている最も重要な‘C’mon’と‘Bananas’を作り上げたんだ。残る2曲、ウィルの‘Life On The Road’とクリントの‘Keep On Crinting’もさっきの2曲ほどじゃないが、今も重要な位置にあるよ。でも一般的な拍手測定器が示すところでは、これらの曲は決定的に別なものとして捉えられているんだ。それはギグでのラスト・ナンバーとしての役割ってことだ。いや心配いらないよ。4曲のうち2曲ってのは成功率としちゃ悪くないからな。‘Life On The Road’は、ミュージシャンとして仕事をするジプシーのライフスタイルを歌った耳ざわりな四音節の韻脚から成っている。‘Keep On Crinting’はよくある精神世界のナンセンスなたわごとだ。“何のこと?”オレはたまに尋ねられるんだ。“crintingってどういう意味?”ってね。これは‘人目を欺く’とか、‘両立しない(矛盾)’、‘興味をそそる’って意味で、つまりオレには手が届かない代物なんだ。いやでもベストを尽くそう。クリントへ:ヨーデルのようなノイズをたてるっていう圧倒的なハンディキャップを、ものともしなかったのは果敢な挑戦だったと思うね。それはオレがやってきたことに近いと思う。‘マン’というタイトルのアルバムの頃、オレは自己陶酔的な雰囲気にハマっていたんだ。イマジネーションの拡がりによるものだとしても、それは連中がマスかき野郎だってことを暗示しているとは思わないよ。いやいや滅相もない。

2曲のボーナス・トラックは‘Be Good To Yourself’よりも前、それほど前じゃないがロックフィールド・スタジオでレコーディングされた。ひとつは‘Bananas’の初期ヴァージョンで、メンバー・チェンジよりもずっと前にすでに制作過程にあったんだ。もうひとつはスタジオ・ジャムで、オレはここでプレイしているんだが、これは認めないな。オレはこれはテトラヒドロカンナビノール(インド大麻に含まれるマリファナの主成分)のせいだと思ってるんだ。しかし一方でこれは、肉体的にも精神的にも至福の状態であることが伝わってくるね。懐かしい思い出が幾重にも幾重にも剥ぎ取られていくようだよ。えーと、ところでオレはここのどこにいるんだ?

‘Be Good To Yourself At Least Once A Day’は、おそらく間違いなくマンバンドの一番商業的に成功したアルバムだ(もっとも最終的なセールスの数字を見る手立てがないから確かなことはいえないが―いわゆるこれがミュージシャンてやつだ)。アルバムの成功は、バンドが英国とヨーロッパでのギグ・サーキットで人気を確立することに大いに役立った。続くアルバム、‘Back Into The Future’の成功も同様だ。しかしその時また陰での中傷によって、地殻変動的なメンバー交代が行なわれ、オレはバンドに戻る決心をした。しかしオレのキャリアの中でこれがよかったことかどうなのかは、今でも推測の域を出ないんだ。かつて毛沢東がフランス革命は成功だったかどうか尋ねられたことがある。“わからない”彼はいった。“それをいうにはまだ早すぎる”ってね。

Good Luck
Deke Leonard


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