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Man/Back Into The Future/2001 BGO Records BGOCD211



のCD時代、あるいはカセットやさらに多くの未来のテクノロジーが氾濫する中、2枚組のアルバムなんてものは見過ごされがちだろう。通常は1枚物のLPよりも高価だし、グループがキャンバスを広げて企てた表現は尋常でない量を生み出し、その過剰さによってぶざまに失敗するのが関の山だろう。

ンが彼ら初で唯一の公式2枚組アルバム、‘Back Into The Future’を簡素化しなかったのは、スタジオ盤とライヴ盤に分割したいという賢明な理由からだ。彼らがライヴにおいてすぐれたインプロヴィゼーションを多用するグループになって以来当時まで、‘コアな追っかけ’たちにとってたった3ポンド10ペンスでこれらマテリアルが手に入れられる状況はほとんどなかったのである。唯一手に入ったライヴ・マテリアルは‘various-artists’コンピレーションLPとそれについていたPadget Rooms Penarthでライヴ・レコーディングされた限定LPの2枚のみだった。収録曲は全て素晴らしかったが、それは根本的に傾向の違うバンドが1973年6月24日ラウンドハウスに集まり、アルバムに提供したライヴ・レコーディング6曲だった。

タリストでありヴォーカリストであるミッキー・ジョーンズは1968年以来ずっと在籍していたが、この時の他のメンバーはドラマーにテリー・ウィリアムズ(1970年加入)、ベーシスト/ヴォーカリストにウィル・ユーアット(1972年より)、そしてキーボーディスト/ヴォーカリストにフィル・ライアン(1972年より)だった。最後の二人はマンの独創性に富んだ前作‘Be Good To Yourself At Least Once A Day’(BGOCD14で入手可能)でもプレイしていたが、5人目のメンバーとしてそのレコードにはギタリストのクライヴ・ジョンがフィーチャーされていた。彼はその後自らの特異なソロ活動のためグループを去り、新しい領域へ向かっていった。

の脱退はグループに穴を開け、4人編成バンドとして3週間のドイツ・ツアーのあと、ジェスロ・タルから派生したワイルド・ターキーで活動していた10代の天才、アラン‘Tweke’ルイスが加入した。加入時期の関係でこのアルバムのA面に入っている‘Ain’t Their Fight’にはあとから彼のギターがオーヴァーダブされた。そして彼を加えバンドはラウンドハウスへ向かった。

潔な4人編成バンド(マンにとっては)によるサイド1は‘A Night In Dad’s Bag’で幕を開ける。ギターの名士ミッキーによって実験的に展開されるナンバーだ。‘僕は知らないうちに歌ができる前に8分の15拍子でリフを弾いていたんだ。’これにはウィルが詞を加えた。

るで‘Dad’s Bag’(Baghdad:バグダッドのことだ)のヘヴィなギターとバランスをとるかのようにフィル・ライアンが次のトラック、‘Just For You’にエレクトリック・ピアノ、ハモンド・オルガン、モーグ・サテライト・シンセサイザーの集中砲火を浴びせている。この曲はいい時も悪い時もグループを支えてくれたバンドのファンに感謝の念を表明したものだ。‘僕はミックスに全く満足してないんだ。’今日彼は言っている。‘アイデアがすごく曖昧だったね。僕らは何も考えずに思うままにミックスしてしまった。で、全員がどっと参加してしまった。その結果一定の方向性とポリシーが見えなくなってしまった。’あるいはその通りかもしれない。しかし全体的にはアルバムは(全員が賛同しないにしても)多種多様で十分満足させてくれる出来だ。

イトル・トラックはウィル・ユーアット作だ―しかし驚いたことにずっと共作クレジットから彼の名が省かれている。それは当時彼がその曲の出版元との契約から逃れようとしていたことによるものだ。1994年の今、我々は彼を正当に評価できたのだ!‘ミッキーからタイトルをいただいたんだ。’彼は回想する。‘僕がフレーズとコーラスを思いついてスタジオでみんなで仕上げたんだ。’7年の休止期間ののち、1983年にマンが再結成された時、この曲(以降全てのラインナップでプレイされていた)はそのタイトルに最もふさわしい情況で再演されたが、ウィルはもはやメンバーではなかった。これはどうやらマーティン・エースによって歌われていたようだ。

リジナルLPはそのタイトルを表わすような雰囲気を持ったデザインで、念入りに作られた見開きジャケット内側には歌詞が載っていた。タイトル・トラックはドイツのみでシングル・カットされ、B面にはさえずるようなウィル作、‘Don’t Go Away’が入っていた。この曲のためにウィルは12弦の巨大なアコースティック・ギターを弾いた。ドラマーのテリー・ウィリアムズはロックフィールド・スタジオにこの曲に合うような繊細な音の出るパーカッションを探しにいった。‘僕たちはボンゴの音がほしかったんだ。’彼は回想する。‘僕は持ってなかったんだけど一人それを持ってる男を知ってたんだ。ピック・ウィザースだった―ダイアー・ストレイツの有名人だよ。小さな世界だろ?’

ルバムのB面には2曲の広大なトラックが入っていて、‘Be Good To Yourself’の頃に戻ったかのような印象だ。しかしそれは偶然の一致ではない。なぜなら‘Ain’t Their Fight’はその時のセッションでプレイされたが中断されたトラックだったからだ。ミッキーはいう。‘もうアルバムの収録曲は埋まっていたからね。’全体のレコーディングはチッピング・ノートンで行なわれた(他のバッキング・トラックは全てロックフィールドで録られ、他のスタジオでオーヴァーダブされた)。‘Ain’t Their Fight’はステージ用に書かれ、クライヴ・ジョン在籍時のマンによって最初にレコーディングされた(彼のギターはのちにウィルのベースと差し替えられた)。ユーアットはのちに自身のバンド、アルカトラズでこれを再演している。

は心を表わすものだ。‘僕はLaugharneのこの共同体の家に住んでいたんだ。’ウィルは説明する。‘で、ある日僕が外出している間に手入れが入ったんだ。戻ってくると警察にしょっ引かれてしまった・・・とにかくみんなは僕のことを大丈夫だと言い続けてくれたんだけど、頭の中にはこのフレーズがぐるぐる回ってたね。“全然平気さ。争いになんかならない”ってね。この曲はそれを表わしているんだ。’

‘Never Say Nups To Nepaless’はファンたちがギグの前後にメンバーたちを喜ばせるために楽屋に持ち込んでいたハーブの物質からタイトルが付けられた。音楽的には、2つのシンプルなヴォーカル・ライン、‘Someone to see you, someone to see me’にフィル・ライアンの演奏が2パートに分かれて入っていた。これはウィル・ユーアットのアイデアで、アルバムの中で作者お気に入りのナンバーだ。‘なぜかっていうと、精神錯乱の渦巻く中でこれはまともな1曲だからさ。当時で思い出すことといえば、ファンは僕たちのことをアナーキーなバンドだと見ていたことだ。これは僕らが頭のイカれた連中だってことだからね!’

イヴ部分に話を移そう。このGwalia男性聖歌隊の使用は前年、サリー州のオーヴァル(英国有数のクリケット場)で行なわれたフランク・ザッパの野外コンサートでサポート・アクトを務めた時に大人数での合唱が成功したことに由来している。彼らはまず自身の‘Sospan Fach’でウォーミングアップし、ヴォーカルはどんどんと膨れ上がり‘C’mon’へと続く。ウェールズのトラディショナル・ヴォーカル(コーラス)は全くロックと自然に融合しうることが証明されている。マンのルーツは60年代のコーラス・バンド、バイスタンダーズであり、ヴォーカルはその時代の多くの‘ハッパ系’バンドよりも重要な意味を持っていた。これを聴くとTweke・ルイスがバンドでのたった3回目のギグとは信じがたいほどだ。

4面中最後のトラック、‘Jam Up Jelly Tight’―トミー・ローの曲とは無関係―はサブタイトルに‘Oh No Not Again’と名付けられたナンバーで、マンの最もグレイトなリフを持つ‘Spunk Rock’の繰り返しが出てくる。ほとんど全体に即興であり、よく知られた2つのギター・クライマックスを含んでいる。これはマンの中でも最高峰として認められている―ルイスが主張するように彼らがプレイした中で重要な1曲である。本当にぶったまげるしかない演奏だ。

なくとももう1曲、‘Bananas’がこの夜にレコーディングされ、マンがユナイテッド・アーチスツとの契約を終了しMCAとサインした後、1976年11月に7インチEPの両面に渡って収録されリリースされた。残念ながら収録時間の関係でここには収められなかった。しかし3ポンド10ペンスよりちょっと高いとしてもここには今なお価値ある音源が詰まっていることは認めざるを得ないだろう。

うやくジャケット・デザインの話だ。これはいつもファンの間では話題になってきた。メンバーの時代衣装はブルネル・シアターのコスチューム代理店からレンタルされた。トラックはバークシア、メイデンヘッド近くのTaplowに向かった。このアイデアはウィルがいうには、‘ヴィクトリア時代の一般公休日の光景―みなが日曜日に着飾って出かける海岸―これに曲がりくねってねじれた線路(時間的にも)に乗った未来の光景が遠い地平線へと消えてゆくようなイメージを合体させることだった。これはいいコントラストだと思ったね。’

うまでもないが事は計画通りには行かなかった。ミッキーが回想する。‘僕らは駅に着いたんだけどそこは廃墟だったね。僕らは乗り換えのための古い待合室を使った―男性陣と女性陣に別れてね。その駅はウェールズからパディントンへ行く途中にあった。15分おきに急行が轟音を立てて通り過ぎていくんだ。乗客は本当にタイムスリップしたような感覚だったと思うね!’

車のためにセッションは予想よりも長時間に及んだ。見開きジャケット内側にはTweke・ルイス(山高帽の方)とマンの専属マネージャー、フィリップ・フォスターが見える。ウィルによるとまるで‘ローレルとハーディー’(米国の喜劇俳優)らしい。レコードのジャケット外側にはそれぞれ配役が載っている。アンジー・デイヴィス、ウィル・ユーアット、プラグの娘、ハワード・‘プラグ’デイヴィス(ツアー・マネージャー)、エラ・ライアン、リンダ・ウィリアムズ、ミッキー・ジョーンズ、テリー・ウィリアムズ、ジェニー・ジョーンズ、ノエル・ライアン、パン・ライアンそしてジョフ・フーパー(サウンド・エンジニア)だ。

23位に達した‘Back Into The Future’はマンが最初にチャートインしたアルバムだった。しかしフィル・ライアンはもっと成功するはずだったし、すべきだったと信じている。

‘当時の彼らはガス欠状態だったんだと思う。もうレコードを作れなかったよ。売れるような曲もなかった。’リリースから3ヶ月以内にバンドは分裂した。ジョーンズとウィリアムズはManの名前を引き継ぎ、ライアンとユーアットは(ニュートロンズで)このアルバムが示したような大胆な音楽的ポリシー、スペイシーなサウンドを作り続けていった。

Michael Heatley


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