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Man/Back Into The Future/2008 Esoteric Recordings(EMI Records UK Ltd.) ECLEC 2060



Back Into The Futureは大いに成功したBe Good To Yourself At Least Once A Dayの次にリリースされたアルバムだった。オレは当時バンドにはいなかった。なぜならその1年半前に、クソッタレの野郎どもがこのオレを追い出したからなんだ。でも今はもうオレは腐りきった卑劣な奴らに対して過去の恨みは持ってないよ。このスリーヴ・ノートを書くにあたって、オレは偏りのない手本を示すことを保証するよ。少しはな。

Back Into The Futureはマンバンドが成層圏にまで達するほどの様相を呈していた時に、一度にレコーディングされたアルバムだ。Be Good To Yourselfはバンドの一般的な人気を大きく促進した。それは間違いなくBBCテレビの“Old Grey Whistle Test”に出演したことによるものだ。奴らはより大きなホールに移動して、オーディエンスは3倍に膨れ上がった。プロモーターは奴らの出演契約をどっさり取ってきて、その仕事量はすぐに危機的な多さになった。その最たるものが、BBCの研究番組が制作を依頼したやつで、ひそかに奴らを観察するドキュメンタリー・フィルムだ。奴らはどこへ行ってもカメラマンに付きまとわれていた。奴らは全く自分の時間を持てない状況だった。“僕らは完全に疲れきっていたね。”ウィル・ユーアットは回想している。“僕らは正気を失っていた。”フィル・ライアンもこういってる。“僕は半狂乱だった。永遠に続く無気力サイケ状態にあった。”

そんなわけで突然クリントがバンドを抜けた。クリントってのはクライヴ・ジョンのことだ。元々バンドのキーボード・プレーヤーで、その時はギターを弾いていた。奴の脱退は悪意ある動機なんかじゃなかった。“ツアーにうんざりしてしまったんだ。”奴はこういっている。“僕は世の中に、ツアーに全く疲れてしまって、しばらくバンドから離れたかっただけなんだ。他のメンバーからは何の反対意見も出なかった。僕がいない時にテリーが僕のハッパを全部吸ってしまったからでも、僕のギターケースに隠してあったジャック・ダニエルズのハーフ・ボトルを全部飲んでしまったわけでもなかった。”クリントの脱退はバンドのレパートリーを再構成しなきゃならないことを意味していた。で、奴らは難なくそれをやってのけてしまったな。

マンバンドのマネージャー、バリー・マーシャルが電話をかけてきた。ユナイテッド・アーチスツがニュー・アルバムを欲しがっているらしかった。前日までに言ってほしかったんだが。ギグ・スケジュールは仕切り直され、ロックフィールド・スタジオが2週間押さえられた。奴らには新曲がなかったし、書く時間もなかったが、まずペンを取ることから始めなきゃならなかった。アルバムの新曲を書くために、Clearwell Castleの部屋が数日間予約されたが十分じゃなかった。“BBCのカメラマンが5分おきにカメラを向ける中でどうやって曲が書ける?”フィルはいっている。しかし奴らはどうにか6曲を書いて、カメラマンと共にロックフィールドに移動してレコーディングを始めたんだ。

そんな気の散る状況と時間的制約の中で、奴らは6曲をレコーディングした。アルバム分としては十分だった。それからミックスのためにオリンピック・スタジオに向かった。奴らには1週間のツアーが控えていたから急がなくちゃならなかった。オーヴァル・クリケット場でフランク・ザッパのサポートを務めるギグが始まる予定だったんだ。奴らはプレイすることと、運がよければその偉大な男に会えることを楽しみにしていた。奴らはおそまきながら何か方策を見つけようと、‘C’mon’を歌う時にGwalia Male Voice Choir(男声聖歌隊)を雇った。奴らは自身の見せ場にラネリー(ウェールズ南部の町)国歌‘Sopspan Fach’を歌うことにしたんだ。奴らはザッパに会うことはできなかった。なぜなら彼は以前ブリティッシュ・ツアーで、ねたみを持ったボーイフレンドにステージで傷を負わされてたんだ―オレが思うに、ミュージシャンにつきものの職業上の事故ってわけだ―その時の深刻な傷が尾を引いていたんだ。彼は身を守るために毛布にくるまっていた。奴らは彼からその話を聞いて同じ事をしてた。少なくともフィルとウィルはな。ミッキーとテリーはザッパをよく見るために前の方に出て行った。でも奴らは出て行く前にマンドラックス(鎮静剤)を飲んでいたんだ。理由はオレに聞かないでくれ。ザッパはでっかいオーケストラを引き連れていて、全員のチューニングを合わせるために30分を費やして、ギグが遅れていたんだ。で、彼が演奏を始めるまでにミッキーとテリーはオーヴァルの芝生の上でとっくに眠っちまってたってわけよ。

マンバンドが好調だった1973年春、Up For The Dayっていう全英ツアーが計画された。オレのマネージャーだったバリー・マーシャルはオレのバンド、Icebergの同行も提案してオレはそれに同意した。ツアーはロンドンのラウンドハウスも含まれていて、マンバンドには再びGwalia choirが参加していた。その時のショーはユナイテッド・アーチスツ(UA)によってレコーディングされて、会社はチッピング・ノートン・スタジオで完了していたアルバムに‘C’mon’と‘Spunk Rock ‘73’を追加することを決めた。

Back Into The Futureリリース直後、オレはたまたまUAに呼ばれて行った時、そこでマンバンドにばったり出くわしたんだ。奴らはちょうどBBCのカメラマンたちと最後のセッションを終えて出て行くところだった。オレは奴らに誘われて一緒について行った。奴らはテーブルを囲んであれこれ議論しながら、バラバラのフィルムをつなぎ合わせて映画を作っていったね。オレも座っていたが一言も口を利かなかった。そうさ、オレは一銭ももらっちゃいなかったからね、だろ?名言てのは安くないってことだ。映画を作り終えてオレたちは近くのカレーハウスに行った。そこでオレたちは73回も同じ事を繰り返すくらいぐでんぐでんに酔っ払っちまったんだ。店を出る前、オレたちは向こうのテーブルでニール・セダカが友人二人とカレーを食ってるのに気づいた。アルコールで意識が朦朧とする中、オレは彼に敬意を表しようとよろよろと歩いていった。彼は食うのを止めて、いぶかしげにオレをじっと見ていたな。

“いい仕事だよ”オレはそういって彼と握手し、手を勢いよく振った。“‘Breaking Up Is Hard To Do’みたいな曲を書くにはオレだったら左の玉を捧げなきゃならなかったろうね(訳注:have given my left bollockの訳し方がよく分からずこうした・・)。オレの中でいつでもグレイトな1曲だ。”オレは自分の腕を大きく広げて、如何にその曲が素晴らしいかってことを示すために歌って見せた。だがその瞬間、腕がワイングラスにぶつかって彼のカレーの中にワインがどどっと入ってしまったんだ。オレは凍りついてしまった。“あ、ごめん、悪いことをしちまった。”オレはそういって皿からグラスにワインを戻した。オレは何か詫びをしなきゃいけないと思ったが、彼は完璧な紳士だった。

“いや、謝る必要はないんだ。”彼はいった。“ただのカレーさ。また頼めばいいんだ。私はファンと会うことにいつも喜びを感じているよ。”オレは彼の言葉の中に皮肉がこもっているのかと思ったが、全くそんなんじゃなかった。オレは尻尾を巻いてこそこそと滑稽なマンバンドと共にその場をあとにした。外に出てオレたちは別れの挨拶をしてバンドはウェールズへ戻っていった。ミッキーとオレはロンドンに住んでいたから奴らを見送った。オレたちは一番近い地下鉄の駅まで歩いていく途中、パブに通りかかった。

“飲むか?”どっちかがいったね。
“もちろん”もう一方がいった。

中に入るやミッキーはいきなりこう切り出した。“バンドを抜けようと思ってるんだ。”オレは何を言われているのか一瞬分からなかった。まあ、オレは鈍感なところがあるからな。ミッキーは事の真相を話したが、どうやら奴とフィルが対立してるらしかった。“オレはフィル・ライアン・バンドのギタリストにはなりたくないんだ。”奴はそういったが、これは聞き覚えのあるセリフだった。オレがバンドにいた頃、奴がいつもオレに言っていたセリフだ―ほとんど空になったジャック・ダニエルズをオレの顔の前でブラブラさせながら―“オレはディーク・レナード・バンドのギタリストにはなりたくないんだ。”ってな。

オレは多少は受け流していたんだが、ミッキーの話を聞いていくうちに奴は本当に真剣なのが分かったな。ミッキーもフィルも頑固者だったし、人によっては気難しいともいえるような性格だった。だがどっちも音楽に対しては情熱的な探究心を持っていた。決定的に違ったのは奴らの思考のスピードだった。フィルはまっしぐらに自分のアイデアを一時に全部吐き出すのに対して、ミッキーはゆっくりと静かに考えを煮詰めて進めていくタイプだった。これで摩擦が生じないわけがなかった。曲作りの段階で神経終末がすぐに露呈されて(怒りが爆発し興奮状態になる)、些細なことが大事になってしまうんだ。‘対位法’どころか、二人の勢力が拮抗して行き詰ってしまうわけだ。アーチスティックな行き詰まりってのは、バンドにとって深刻な問題だ。できるだけ早くこの問題にメスを入れる必要があった。そしてミッキーがそのメスを持ち、不気味な外科手術の準備に入るんだ。マンバンドのストーリーにはこの手の陰謀、ペテンが不可欠だ。またそれがやって来ようとしていた。

“もう一度一緒にやらないか?”どっちかが言った。
“たしかにそれがいいな”もう一方が答えたね。

さいは投げられた。ミッキーとオレは抜け目ない陰謀者となって、たくらみに取りかかった。タイミングが重要だった。すぐに実行してしまうと、間近に控えたマンバンドのツアー(オレのバンド、Icebergも共演することになっていた)が危険にさらされる事になり、終わりのない問題を引き起こすことになる。オレたちは平静を装って口をつぐみ、ツアーは計画通り実行された。

ツアーは素晴らしかった。笑いの狂想曲はトミー・クーパー(英国コメディアン)の一団との陽気な夜を迎えて終了した。オレたちはみな同じエコノミークラスで旅したし、最高のホテルに泊まり満杯の会場でプレイした。しかしツアーが終わりに近づくにつれ、マンバンドは内部崩壊し始め、ライアンとジョーンズの間の対立はほとんど抑えられることなくあふれ出していった。それはダゲナム・ラウンドハウスで頂点に達した。偶然にもその週、ミッキーの写真がメロディ・メーカーのトップに載り、ギグの前にツアー・マネージャーがみんなに見せるためにそれを楽屋に持ってきた。いつもなら何かの音楽紙にメンバーの誰かが載ったらみんな凄く喜んでいた。しかしフィルはそれを部屋の隅っこに持っていって、ライターで火をつけて燃やしてしまった。楽屋中が静かになって写真が燃えるのを見つめていたな。フィルは燃えカスを紙くず入れに放り込んで出て行ってしまった(マンバンドがこの手の劇的な行為に対して臭覚に欠けていたわけでは決してないんだが)。その時のギグと残りのツアーについては、最後までオレたちはプロフェッショナルとしてやり遂げた。しかしツアーが終わったとたん、フィルとウィルはバンドを去っていった。傷ついた動物が死ぬのを待つハゲタカのように、オレは急場を助けることになった。

プレスに決裂の理由を聞かれたオレたちは、ひたすらお決まりのセリフを繰り返した―音楽的方向性の違いだってね。それは内紛、闘争によって焼かれ埋葬された悲惨な内情を婉曲的に言い回した言葉なんだ。しかし時が全てをいやすものだ。過去の事はすぐに過去になり、なたは葬り去られ、お互いに和解が協議されるんだ。そして2年後フィルはバンドに戻ってきた。そして30年後、オレはウィルと一緒にバンドをやっている。
Sic transit gloria mundiってわけだ(ラテン語で「栄枯盛衰かくのごとし」
って意味だ。月曜日(Monday=mundi)にワゴン車(英国Ford社製のヴァン、Transit)に乗る吐きそうな(sick=sic)グロリアって名前の女の子って意味じゃないからな)。

Good Luck,
Deke Leonard


付記

この“Back Into The Future”を拡大リイシューするためにマスター・テープをリサーチしたところ、マンが1973年6月にラウンドハウスでライヴを行なった時にレコーディングされた16トラックのマスター・テープが発見された。マンバンドの全模様はそこからリミックスされ、この拡大版のCD2とCD3に収められた。加えて、チッピング・ノートン・スタジオでレコーディングされた当時発売中止になったシングル2曲もリスナーのみなさんに楽しんでもらえるようCD3に収録した。

Mark Powell


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