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Leonard Cohen/The Best Of…/1997 Sony Records SRCS 8453



レナード・コーエンによる解説

Suzanne

1966年に書いた。スザンヌはモントリオールの港町にある海岸通りに部屋を持っていた。全ては受話器を置いた瞬間から始まった。彼女は私の知っている男の妻だった。彼女の親切なもてなしは完璧だった。数ヵ月後、私は電話越しにジュディ・コリンズにこれを歌って聞かせた。その出版権はニューヨークで失われてしまったが、多分、私が所有すべきではないのだろう。ある時、私はカスピ海の船上で誰かがこれを歌っているのを聞いた。

Sisters of Mercy

これはある冬の晩、アルバータ州(カナダ)、エドモントンのホテルの一室で数時間で書き上げた。バーバラとロレインはソファーで眠っていた。部屋は北サスカチュワン川の氷に反射した月の明かりでいっぱいになっていた。私は彼女たちが目覚めるのを待ち望んでいた。

So Long, Marianne

これはモントリオールのエールマー・ストリートで書き始め、1年後かそこらにニューヨークのチェルシー・ホテルで書き終えた。私はさよならをいわなかったと思ったが、きっといったのだろう。彼女は私にも他の人にも多くの歌を提供した。彼女は詩神だ。私の知る多くの人たちは、曲作りよりも大事なものはないと思っている。幸いにも、彼らの会話の中ではそういった信念は顔を出さない。

Bird on the Wire

私はいつもこの歌でコンサートを始める。それは私の義務みたいなものだ。ギリシアで書き始めて、1969年頃にハリウッドのモーテルで他の曲と共に書き終えた。いくらかの詞はオレゴンで書き直した。結局完璧にはならなかったように思う。クリス・クリストファーソン(米SSW・俳優)は、私がナッシュヴィルのライターからメロディの一部を盗んだといってきた。彼はまた自分の墓石に最初の数行を用いていたことを話した。それでなくても私は傷つくだろう。

Lady Midnight

これはニューヨーク58番ストリートのヘンリー・ハドソン・ホテルで書き終えた。ヤーファは銀の腕輪で飾り立てていた。最後のヴァースは彼女のおかげだ。これはナッシュヴィルでレコーディングされた。声はあいまいだ。当時、私は外出する時に帽子をかぶっていくかどうしようかと15分悩み、帰ってくる時に帽子を脱ごうかどうしようかと30分悩んでいた。

The Partisan

これは私が15の時に友人から教わった。彼は17歳だった。彼の父親はパルチザン党員だった。私たちはケベック州セイント・マーガレットのキャンプで働いていた。私たちは毎朝、The People’s Song Book全巻を共に歌った。私はナチスが音楽によって打倒されたという奇妙な考えを発展させて書いた。

Hey, That’s No Way To Say Goodbye

この歌は1966年のペン・ターミナル・ホテルの使い古されたベッドから始まる。部屋は暑すぎる。私は窓を開けることができない。私はブロンドの女性とひどい口論の最中にいる。この歌は半分鉛筆で書かれたが、それは2人がそれぞれの絶対的勝利のために策動することを抑えてくれる。私は間違った部屋に間違った女性といっしょにいる。

Famous Blue Raincoat

当時、私はいいレインコートを持っていた。1959年にロンドンで買ったバーバリーだ。エリザベスの目には、それを着た私が悪者に見えるらしかった。多分それが彼女が私と一緒にギリシアに行こうとしなかった理由だった。裏地を取り除くともっと勇ましく見えたし、磨り減った袖を小さな革で繕うと、より完璧だった。私が当時、着こなし方を知っていたのは確かだった。それは70年代初頭に、ニューヨークのマリアンヌのロフトから盗まれた。私はあまり腕を通してそれを着てはいなかった。

Last Year’s Man

理由は分からないがこの歌は好きだ。私はこれをよく12弦のメキシカン・ギターでプレイしていたが、1967年に自分の無能さにカッとなってそれを踏みつけて壊してしまった。この歌は詞が多すぎたのだが、それを整理するのに5年もかかってしまった。私はこのヴァージョンの子供たちが好きだ。この歌を聞く時はそれが楽しみだ。

Chelsea Hotel No. 2

少し前に死んだアメリカ人シンガーのためにこれを書いた。彼女もよくチェルシーに滞在していた。マイアミのポリネシアン料理のレストランにあったバーで1971年に書き始めて、王位が転覆する直前のエチオピア、アスマラで書き終えた。初期のヴァージョンでは、ロン・コーネリアスがコード・チェンジを加えてくれた。

Who by Fire

これはユダヤ教の‘あがないの日’にお祈りをする人に基づいている。

Take This Longing

バフィー・セイント・マリーが‘The Bells’としてこれの初期ヴァージョンを録音した。私は自身のヴァージョンをものにするまで6〜7年もかかってしまった。1966年に8番ストリートのDom(クラブ?)でニコが歌うのを聞いてこれを書き始めた。アスマラでコードを分解して、去年、モントリオールの聖ドミニク・ストリートの小屋で書き終えた。


ジャケットについて

ミラノにあるジーノのホテルの部屋にあった鏡で写真を撮った―良いか悪いかはあなたの美学次第だ。


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