Welcome to my homepage


The Kinks/Something Else By The Kinks/1967 Pye Records Limited NPL18193



ようこそデイヴィスランドへ

魔法の王国(Kinkdom)では、小さな王たち(kinklings)はみんな小さな黒い山高帽を被り、ラグビー・ブーツを履き、軍服を着て、ビールを半パイント飲んで、クリケットのバットを持って小さな地下鉄の電車に乗るんだ。小さな女王たちはみんな髪にカーラーを付けて、冷蔵庫と洗濯機をもって、ベーコン、エッグを調理して、午後の紅茶を飲む。

ガリヴァーみたいなレイ・デイヴィスは彼の音楽の世界からやってきて、小さな人間をつまみ取るためにかがむんだ―そしてそいつを逆さまにして自分の生まれた世界を見せる―そしてまたそいつを、みんな平等だけどある者はある者より平等な偉大な階級社会に戻してやる。

このアルバムの多くの歌はこういった小市民たちの過去の思い出を綴った物語だ。僕たちは“Waterloo Sunset”でテリーとジュリーに出会う。そして“David Watts”、果たして彼は自分が忌まわしき人気者のスクールボーイと知っていたのか?

レイは魔法を使って自分の人生の領域へと踏み出したかと思うと古臭いアイリッシュ・ジグを引用する―そこにはスポークが失われ、穴の開いたサドルの自転車があったり―変わり者がいたり。不思議な歌の構成。ハンドルは引っくり返り、あなたはレイに忠実に安ウィスキー・ミュージックを聴くことになる。

さらに河を下ると、無気力なボサノヴァがある。使い古されてはいるがまだ使える。川床から引っ張り出してレイの優しさでもって張り替えればフカフカになって美しい“No Return”になる。

どこかの川底深くに―レイは流れのない川を見つける。ミュージカルの中の歌。‘不毛な歌’と格闘するなかで、修繕、再装備してやればそれは意気揚々の‘Tin Soldier’になる。

最後に。ヴォードヴィル時代の腐りかけたヨレヨレの廃船に新しい乗組員を乗せれば、再び海に浮かんでとりわけ一番悲しいコメディ・ソングが出来上がる―“End Of The Season”

このアルバムにはもう一つ大事な要素がある。ここでレイの弟デイヴのソング・ライターとしての目覚ましい成長ぶりが示された。“Death Of A Clown”は成功し、あと二つ“Love Me Till The Sun Shines”と“Funny Face”も彼が作ったのだ。“Funny Face”は意地悪なうぶなふりをする少年のようだ。二人のツワモノも忘れてはいけない。ベースのキンク・ピート・クエイフとドラムスのキンク・ミック・アイヴォリーだ。彼らのコンビネーションがグループの固い結束、基盤を証明している。

もうひとつこれらの曲を聴くにあたってアドヴァイスをしよう―決して、決してデイヴィスの楽曲を額面通りに受け取らないことだ。‘D’兄弟の不思議な世界では言葉の裏に隠されたものが沢山潜んでいる。この王国(Kinkdom)の人目につかないところこそがそう・・・‘イングランドよ永遠なれ!’


The Kinks/Something Else By The Kinks/2004 Sanctuary Records Group Ltd. SMRCD 029


Something Else By The Kinks―不思議に人を引きつけるアルバムに付けられた奇妙にもったいぶったタイトルだ。「タイトルはレイ・デイヴィスがすでに退屈な仕事をこなしていたことを暗示していた」―レイ・デイヴィスの‘架空の自叙伝’、X-Rayの中で、名の分からぬ語り手はそういっていた。

プレッシャーの中にいても優雅さを示すことができ、それがトレードマークとなっていたレイ・デイヴィスは、(弟デイヴの助けもあって)退屈なくり返しからくる生活のストレスを乗り越えていた。Something Else(何か他のもの)というタイトルは、これが単なる契約上の履行であり、周りのボスたちを遠ざけておくことを暗示していたに違いないが、このレコードでのレイのソングライティング能力は、その深さと音楽的振幅において全く驚異的だった。

もちろん‘Waterloo Sunset’ほど強力なヒット・シングルが入ったアルバムなら、それはすぐにでも当時のライヴァルたちを打ち負かしてしまうことができた。ポール・マッカートニーの‘Yesterday’同様、この不朽の名作はレイ・デイヴィスが説明するように、最小の生みの苦しみを味わっただけだった。「寝ぼけながらフランク・シナトラみたいに歌ったんだ。最初はスウィングぽい感じだったね。僕はリヴァプールの夕暮れについての歌を書きたかった。マージービートが終焉した頃だったからね。でもよく考えたら僕はロンドン子だし、何でリヴァプールに捧げなきゃなんないの?って思ったんだ。そんな歌を作ったところで僕には思い出なんてないし、おもしろくないからね」

‘Waterloo Sunset’のレコーディング・セッションは、1964年以来バンドといっしょに働いてきたアメリカ人プロデューサーのシェル・タルミーとキンクスの間に、緊迫関係をもたらすことになった。1967年5月ごろにアルバムのセッションが再開された時には、レイ・デイヴィスが実質プロデューサーとして行動していた。彼は今振り返ってみて、そのことに疑念を持っているようだ。「僕はSomething Elseのプロデュースをやるべきじゃなかったと感じている。あのアルバムにはもうちょっとだけありふれたアプローチをすべきだったと思うね」

しかし実際、‘Lazy Old Sun’、‘End Of The Season’、‘Death Of A Clown’のような傑作が、クッションとしてこのアルバムに果たす役割や、考え抜かれたアルバムの構成にタルミーが改良を加えることができたかどうかを想像することは難しい。ギタリストのデイヴ・デイヴィスのソロ・シングルとしてすでにリリースされていた‘Death Of A Clown’は、それ自体が画期的な作品だった。「母親のうちに置いてあったピアノで書いたんだ」 デイヴは回想する。「レイにプレイして聞かせたら、レイはいくつかアイデアを提案して仕上げてくれたんだ」 兄弟ゲンカばかりの一般的なイメージに反し、レイは弟にスポットライトが当たるようデイヴを励ましていた。テレビ、ラジオへの出演はデイヴのソングライティングの才能を開花させることになった。それはこのアルバムでの‘Funny Face’と‘Love Me Till The Sun Shines’となって表われている。

しかし他のキンクスのアルバム同様、テーマを設定したのはレイだった。彼は自身の創造性と洞察力を常にコントロールする能力を持ち合わせていた。‘David Watts’の中で、彼は実際に起こった出来事を題材にしていた。レイはデイヴに、弟の長所と大きなマンションを交換しないかと話したことがあった。「たしかにそういうことをいわれたと思うね!」 デイヴは笑う。‘Two Sisters’の中で、レイは兄弟らしい関係を思わせるような描写をした。「ある意味、デイヴと僕についての歌だ―僕は陰気な奴だったからね。僕がプリシラだった―‘彼女は洗濯機をのぞきこむ/退屈な結婚生活’。一方でシビラがデイヴだった―‘彼女は鏡をのぞきこむ/彼女は若くいかした友人たちとつき合っている/なぜなら彼女は独身で自由だから’」

‘Two Sisters’は当時のレイの典型的なソングライティング・スタイルだった―斜めにかまえた視点だ。「この時僕はよりいっそう自分の潜在意識を通じて自身のことを書くようになったんだ」 彼は認める。「集団にとけ込めない奴が向かった歌が、幼年期のイメージがなにか思いやりのない存在に取って代わられて永遠に消え去ってしまった世界だったんだ」

これが、サマー・オブ・ラヴの栄光の日々から完全に切り離されたメランコリーがアルバム全体に漂う理由だった。他のブリティッシュ・ポップの連中が花と色彩と世界的楽観主義に浮かれる一方で、レイ・デイヴィスは‘End Of The Season’を嘆き、‘Afternoon Tea’の密かな楽しみのことを思案していた。

アルバムは事実上、ビートルズが1967年6月にSgt. Pepperをリリースした時には完成していた。レイは自分たちのヴィジョンが歓迎される運命にないことを分かっていたに違いない。

しかし時の経過がそれを埋め合わせることになった。Pepperが当時の優れた工芸品として認識される一方で、Something Elseは毎年夏が来るたびに、魅惑的に人の心を揺るがせるアルバムとなった。ひょっとすると結局のところ、このタイトルはふさわしかったのかもしれない。

ピーター・ドゲット


ホームへ