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The Kinks/Face To Face/2004 Sanctuary Records Group Ltd. SMRCD028



Face To Faceはキンクスのために新しいアイデンティティを導き入れた。2年以上前に彼らは以来、若いミュージシャンたちに影響を与え続けてきたハード・ロック・サウンドを創り上げ、みがきをかけてきた―そしてそれを放棄した。その代わりに、コンポーザーのレイ・デイヴィスはユニークなキンクスの展望を企て始めた。それは圧倒的な失望と、つかの間の楽しみを奪われた人生のほろ苦いヴィジョンだった。デイヴィスはこの世界に、傷ついた配役たちを住まわせた。それは都会の生活で避けられないプレッシャーに屈服はするが、決して自分たちの脱出願望、空想を忘れない人々だ。

そういった背景の中で、Face To Faceは価値観の多様性を伝えることができた。それは先駆的なBBCテレビ・インタビュー番組のタイトルだった。そこではインタビュアーのジョン・フリーマンが、ゲストの一般的イメージを少しずつはぎ取っていき、その下に隠されたひ弱な人間性をあらわにさせていた。それは率直な人間関係、誠実さを提示していた。またそれは1人の傷ついたキャラクターから次へと視点を切り替え、再び正面(face to face)から焦点を定めるカメラ・ワークのイメージを喚起させた。

このアルバムにつながる‘Dedicated Follower Of Fashion’や‘Sunny Afternoon’のような注目すべきシングルのあとでさえ、この急激な詞的/音楽的方向転換を予想するリスナーはほとんどいなかった。Face To Faceはバンドが意気揚々と難なくプレイする‘Party Line’で幕を開ける。それはいつもの慣れ親しんだメタリックなギターの金属音だ。しかしその後は、より繊細な質感が眼前に現れる。鮮明な色をもった骨格だけのアレンジメントであり、ミニマリスト的な描写だ。

アルバム・カヴァーは少しサイケデリックな雰囲気を持っているが、のちにレイ・デイヴィスは語っている。「僕はあのジャケットが嫌いだった。あのしゃれた色彩じゃなくて、LPのサウンドみたいに黒くて濃い色にしたかった。僕はあの頃、叫び始めていた。何でも受け入れてしまってね」 ‘叫び声’のプロセスは、60年代中期のポップ・スターダムにおける容赦のない肉体的、精神的プレッシャーによって、キンクスのリーダーの身に強いられたものだった。そのストレスは‘Too Much On My Mind’のような歌で容易に推し測ることができる。「人々が僕に何が起こったのか本当に知りたがっていた時期だった」 のちにレイは説明している。「僕は自分の人生全てをずっと締め出していた」

‘A House In The Country’、‘Holiday In Waikiki’、そして‘Most Exclusive Residence For Sale’のような愉快な空想、現実逃避からくる安堵感が、Face To Faceを表していた。‘Rainy Day In June’でさえ、レイが説明するように、憂うつなのはそのタイトルのみだった―「これは僕が裏庭で空想したことだった。僕は雨とか嵐のあとの湿った感じが好きなんだ。木々の中から動き出してくる妖精や小悪魔についての歌だ」 アルバムは他にキンクスの日常のスケッチが描かれている。オーストラリアにいるレイとデイヴの姉に向けたメッセージのような‘Rosie Won’t You Please Come Home’、ゲスト・ピアニストのニッキー・ホプキンズに向けたレイの賛歌、‘Session Man’、そしてものうげに歌う、謎めいた‘Fancy’などだ。

「夜遅くにFancyを書いた時のことを覚えている」 レイはいう。「僕はとても古くてぼろいフレイマスのギターを持っていて、あの頃のレコード全てで使っていた。その時、僕は間違った弦を張っちゃったんだけど、それがよかったんだ。たまたまおもしろいサウンドになってね。インド音楽みたいに1つの音を伸ばすことができた。この歌は知覚についてだ。僕は、愛っていうのは所有するもののように思っている。愛は手の中に持ってなきゃならないんだけど、でもそれを握ることはできないんだ」

これは一週間以内に急ピッチで仕上げられたようなものではなく、何ヶ月もかけて散発的に行なわれた様々なセッションから組み立てられた初のキンクスのアルバムだった。Face To Faceは騒々しく混乱した日々を送っていたバンドをとらえていた。絶え間ないツアーと他の公的な仕事に加え、彼らはレコードが完成する前に自動車事故で負傷したベース・プレーヤーのピート・クエイフの穴埋めに対処しなければならなかった(訳注:一時的に手伝ったのが、Arthur以降正式メンバーとなるジョン・ダルトン)。それからマネジメントとの対立があった―マネージャーのグレンヴィル・コリンズは、レコードの最初に‘Party Line’の紹介をして初めて登場することになったが。
時に気まぐれで陽気で、時に暗くミステリアスなFace To Faceは、キンクスが耐久性あるバンドであり、同時代のバンドと同等に永遠の魅力を備えたバンドであることを強く印象づけた。1966年10月にリリースされたアルバムは、そのクオリティを世の中に反映させるだけのセールスを上げることはできなかったが、それから30有余年、ポップ・ヒストリーのあのマジカルで注目すべき年にリリースされた他のアーチストのアルバムと並んで、今でも有効な1枚となった。

ピーター・ドゲット


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